個人的心中としてのRYOSHIN Hill(良心の丘)
同志社の創立者である新島 襄は、1864年(元治元年)幕末の混迷のなか、日本が将来に向けて進むべき道を知るため、一人、ワイルド・ローヴァー(Wild Rover)号に乗船し、アメリカに渡りました。創造力に満ちた不屈の精神と行動力は、同志社大学、そして、丘陵に悠々と広がる同志社京田辺キャンパスにも引き継がれています。
京田辺キャンパスには、「先端技術・情報・生命・身体・心・コミュニケーション」をキーワードに、6学部と6研究科が設置されています。自然科学系を中心とする未来志向で創造性に満ちた学部・研究科群を構成しています。
同志社の科学教育と研究の歴史は、「ハリス理化学校」(1890年(明治23年)、「ハリス理化学館」竣工と同時に設立)にはじまり、この丘の「ハリス理化学研究所」に引き継がれています。「ハリス理化学校」の設立には、科学的視点は人々の幸福に欠くことができない、という理学士新島(*)の思いが込められています。国際主義・自由主義・キリスト教主義は、同志社の全学的な教育•研究の理念です。それらは科学の根底に関わる真理をも的確に言い表しています。同志社建学の精神と理念のもと、京田辺キャンパスは、全国を代表する自然系学部を中心とした総合キャンパスへと発展してきました。新島が現今出川キャンパスに蒔いた一粒の種「ハリス理化学校」が、科学教育・研究の一大集積地となって京田辺キャンパスに実を結びつつあります。京田辺キャンパスの総面積は、甲子園球場の約60倍の広さを占めます。
Creative Hill(創造の丘)
将来を見据えた学部•研究科の集まりは、創造の丘となって、いつしかCreative Hillの愛称で呼ばれるようになりました。「理工学」、「生命医科学」、「文化情報学」、「スポーツ健康科学」、「心理学」、「グローバル・コミュニケーション学」、「脳科学」からなる学部•研究科構成の斬新さは、世界でも類を見ることができません。大学附置研究所の「ハリス理化学研究所」は、この丘の6学部と6研究科から組織されています。まさに、人々の将来の幸福を背負って、同志社が提案し、築き上げてきた創造の丘といえます。歴史と理念に支えられたCreative Hillには、人類未踏のあらゆる可能性が秘められているのです。それぞれの学部•研究科が、特徴を出し合い協力し合って、未知のイノベーションに向かって、日々、挑戦し続けています。夢をかなえ、幸福へ向けての情報を発信するCreative Hillには、国内はもとより、世界の国々から学生、研究者が集まっています。
Green Hill(緑の丘)
緑にあふれたキャンパスです。大空を背景に木立が生き生きとその枝葉を伸ばしています。季節の花々、木々の移り変わりをとおして、自然との触れ合いに心身のやすらぎを感じます。
Artistic Hill(芸術の丘)
前衛的なデザインのチャペル(京田辺会堂)があり、林の中には文化史跡が眠っています。若者の屋外ライブを楽しむことができます。神秘と歴史の中に新しい息吹が芽生えつつあります。
Sport Hill(スポーツの丘)
知性にあふれ、緑と芸術に囲まれた広大なキャンパスを、ここに集う同志とともに歩き、語り合うことができます。全国有数のスポーツ施設を備えています。スポーツを楽しみ、健康を維持、管理していくことの大切さを身につけていきます。
そして、
RYOSHIN Hill(良心の丘)
「良心の全身に充満したる丈夫(ますらお)の起り来(きた)らん事を」
(良心が全身に充満した青年が現れることを) 新島 襄
この丘には、いつもさわやかな風が吹いています。その風に乗って、新島の声が聞こえてきそうです。やさしい微笑みとあたたかな励まし。
(*)同志社の創立者である新島 襄は、1870年にアメリカのアーモスト大学を卒業し、「理学士」の学位を得ています。新島は、大学で学位を取得した最初の日本人になります。