前半から続く)


 気候変動を否定するコスト

NYT Dec. 18, 2018

Cut Carbon Through Innovation, Not Regulation

By John Barrasso

FT December 19, 2018

Banks should recognise the risks of climate change

FP DECEMBER 19, 2018

How to Make Climate Change Doubters Pay a Political Price

BY VIN GUPTA, JULIETTE KAYYEM

アメリカ政府は温暖化ガスによる気候変動を否定している。しかし、アメリカでも最も気候変動に積極的に対策を取る都市は環境破壊が厳しい都市だ。温暖化が健康にもたらす重大なコストを考慮して、医療保険システムに反映する戦略が重要だろう。気候変動を否定するなら、彼らにコストを支払わせるべきだ。

PS Dec 20, 2018

For Climate Safety, Call in the Engineers

JEFFREY D. SACHS


 ナショナリズムの悪しき結果

FT December 19, 2018

The Faustian bargain of nationalism

Martin Wolf

サバンナのサルが惑星の支配者になった人類興隆の歴史は、1つのファウスト的な取引である。農業革命によって人類は大幅に増えたが、多くの者にとっては生活水準は低下した。生産システムとイデオロギーが、人類を動かした。中でもナショナリズムこそ、発展と破壊のエンジンであった。それは有益であるとともに、悪魔の性格を持っている。

1918年の休戦を祝う式典でわれわれが思い出したように、何千万もの人々が国家の軍隊として戦い、しばしば自ら進んで死んだ。彼らは、Benedict Andersonが「想像の共同体」と呼んだもののために死んだ。それは、国民のアイデンティティを共有すると「想像する」見知らぬ者たちであり、忠誠と支持の紐帯としての「共同体」である。こうした紐帯は、効用を最大化する合理的な諸個人、というエコノミストたちの枠組みに容易に組み込まれた。ナショナリズムは世俗の宗教である。

人類は圧倒的に社会的な存在である。初めは、小さな、家族的な共同体に生きたが、その後の政治体は、帰属する者たちに国家との親密なアイデンティティを求めず、もっぱら服従を求めた。動員する国民国家と強固なアイデンティティは、概ね、この200年間の産物である。西洋においては、都市国家の諸価値と共鳴し、近代的な大衆はフランス革命後に誕生した。

すでに亡くなった思想家Ernest Gellnerゲルナーは、ナショナリズムの本質を、もっぱら教育の国民的システムが普及した共通語による読み書きの能力と、導入された文化に結びつけた。旧来の農業経済から、農奴や封建領主が消えて、より柔軟な生活が広まる中で、新しいイデオロギーが積極的に広められた。ナショナリズムは、工業的な近代の誕生を促した。

近代国民国家は、良質な、それほど良質でない、そして、悪質な結果をもたらした。言語を共有する人々は協力し、さまざまな経済活動の間を容易に移動した。共通の文化やアイデンティティを強調することは、民主主義の要求につながった。そして民主化されたナショナリズムは、福祉国家をもたらした。

それほど良質でない結果は、レント・シーキングである。人々はセクト的な利益を守ることに執着する。不公平な外国人が、有徳の市民たちの利益を損なっている、と主張する。それは強欲の問題だけではない。パスポートは、高所得国の市民たちが保有する最も価値ある資産である。当然、無料で他者と共有することを嫌う。彼らはそれを「アイデンティティ」と呼ぶ。移民の規制は、民主的な福祉国家が生む不可避の主張となる。

ナショナリズムがもたらす悪質な結果は、特に、外国人排斥が権力獲得の手段となることだ。国民国家の内で経済結果が分散するにつれて、政治を冷笑的にとらえる者は、ますます容易に、不安になった市民たちを説得できるだろう。あなたたちの利益は、裏切り者の「グローバリストたち」、その外国の仲間や従者によって奪われている、と。それは国民という感覚の自然な結果である。

ナショナリズムはわれわれの時代の最強の政治力である。それは良質な形で、かつて作家George Orwellが「愛国心」と呼んだように、成功する政治体の礎石である。しかし、悪質な形では、われわれが頼りとする将来の平和と協力を破壊する敵である。

PS Dec 19, 2018

In Defense of Nationalism

YAEL (YULI) TAMIR


 BJPの敗北

FT December 19, 2018

India’s new central bank boss must resist calls to soften rules

Simon Mundy in Mumbai

PS Dec 20, 2018

A Comeback for Congress

SHASHI THAROOR

与党BJPBharatiya Janata Party)が3つの州議会選挙で敗北した。

その主要な理由は、BJPが農業部門を軽視したことだ。インド人の60%以上が今も農業に依存して暮らしている。不作、農産物の保険制度が不十分、灌漑、融資、価格補助の軽視が、農民の自殺が記録的な水準にまで高まっている。

モディ政権は、2016年、無責任で無思慮な、準備不足の、高額紙幣廃止計画を実行した。それはGDPの成長を1.5%も減らし、地方の貧しい賃金労働者たちを苦しめた。彼らは現金の支払いによって暮らしているからだ。インド経済の主要部分を占める、小規模の、あるいは零細のビジネスが閉鎖し、多数の失業者を生んだ。

BJPの敗北は、この失業増大の結果でもある。「指定カースト」や「指定トライブ」の失望に加えて、BJPの指導部が上級カーストであることに、ダリットなど、下層社会の不満が強い。

48歳のラウル・ガンディーが指導する国民会議派は、これまでの選挙で失われてきた支持を回復した。ガンディーは「王朝支配者」という批判を払しょくし、精力的な選挙戦を展開し、3つの州議会で勝利した。それは会議派だけでなく、ガンディー自身の勝利でもある。

モディは2つの戦術を選択するだろう。1つは、モディ自身を前面に立てた、大統領選挙風のキャンペーンだ。もう1つは、反イスラムのキャンペーンをさらに強化することだ。過去に、危険なヒンドゥー主義と手を組んだことがある。

しかし、イスラム教徒やキリスト教徒を敵視するキャンペーンは、短期的には政治的に成功しても、長期において多元的社会を崩壊させる危険が高い。

インド人は、すべての市民のことを考慮し、BJPによって分断された社会をいやす、経済成果の期待できる政府を求めている。それはむつかしい目標だが、BJPではなく、国民会議派にそれを満たす用意がある。


 グローバリゼーション4.0

PS Dec 19, 2018

Globalization 4.0 for Whom?

WINNIE BYANYIMA

世界経済フォーラムが、来月、ダヴォスで開催される。そのテーマは、グローバリゼーション4.0である。この40年間のグローバリゼーションを語るとき、GDPが何よりも重視され、各国は規制緩和、資本規制の廃止、法人税引き下げ、労働市場の自由化、を追求してきた。

近年の大衆的な不満は、こうしたネオリベラル・モデルが破たんしたことを示すものだ。グローバリゼーションを求める経済法則が、底辺への競争を強いるわけではない。逆に、グローバリゼーション4.0がネオリベラリズムと永久に手を切ることが望ましい。

この半世紀において達成された経済進歩を、拡大する不平等が脅かしている。昨年、世界に加わった新しい富の82%を、世界の最富裕層1%が得ている。世界銀行は、世界の貧困人口の減少が減速したことを懸念する。東南アジアでエビの皮をむく労働者は、最低賃金を得るために、1分間で850匹のエビに皮をむく。アメリカのスーパーマーケットのCEO1年で得る所得を、その労働者が得るには、5000年以上かかるだろう。

グローバリゼーション4.0は、金融、貿易、賃金、税金に関して、もっと多くの政府間協力を必要としている。そうすることで、第4次産業革命は普通の多くの人たちに利益をもたらす。われわれは新しい技術を歓迎するが、その所有権、それがもたらす利益を、厳しく問わねばならない。

課税や財政支出についても政策転換が必要だ。多国間協力だけが、唯一、それを可能にする。国際協力の枠組みは、より民主的に、女性の視点や人々にとって重要なことを中心に築かれるべきだ。

こうした改革に向けて指導力を示す政治家たちは存在する。韓国のムン・ジェイン大統領、ニュージーランドのJacinda Ardern首相、カナダのトルドー首相。グローバリゼーションを転換することは可能だ。

NYT Dec. 19, 2018

The West at an Impasse

By Ross Douthat

FP DECEMBER 19, 2018

THE WAR-TORN WEB

BY SEAN MCDONALD AND AN XIAO MINA

FP DECEMBER 20, 2018

Rising Tides Will Sink Global Order

BY ADAM TOOZE

国家主権を基礎とする国際秩序でありながら、大国は気候変動を否定する。その結果、小さなちまぐには消滅するだろう。彼らの主権は絶対でも、将来、存在しなくなる。その人口は小さいとしても、わずかな難民や移民に政治的反対が巻き起こる現実に直面して、どの国も人々を引き受けないかもしれない。


 短期主義

VOX 19 December 2018

Assessing the optimality of corporate short-termism

Dirk Hackbarth, Alejandro Rivera, Tak-Yuen Wong


 米軍のシリア撤退

NYT Dec. 19, 2018

Trump’s Decision to Withdraw From Syria Is Alarming. Just Ask His Advisers.

By The Editorial Board

3か月足らず前に、国家安全保障大統領補佐官John Boltonは、シリアのアメリカ軍について、その目的を拡大した。イスラム国の敗退だけでなく、シリアにイラン御影響力が残らないようにする、と。

水曜日、トランプ大統領はボルトンと安全保障チームの方針を否定した。2000人のアメリカ兵すべてを、30日以内にシリアから撤退させよ、と命じたのだ。

この突然の危険な決定に関して、広く戦略的な考慮がなされたことも、公共の合理的な基準もなく、アメリカが中東に関与すること、グローバルな指導者としてのトランプの意志に、新たな不確実性をもたらした。

矛盾した命令を送ることは、戦場における兵士たちの意志を挫き、特にクルド人のような、同盟する軍隊を損なうものだ。イスラム国家がすでに消滅した、というのは、ばかげた空想だ。

国家安全保障の専門家たちから助言を受けることもなく、議会の指導者たちにも相談せずに、大統領の独断で、アメリカ外交の主要な目標に対立する決定が示された。

FP DECEMBER 19, 2018

Trump’s ‘Stunning’ About-Face on Syria

BY LARA SELIGMAN, MICHAEL HIRSH

FP DECEMBER 20, 2018

A Win (Sort of) for Mattis on Syria

BY LARA SELIGMAN


 新興市場と住宅市場

FT December 20, 2018

Prepare for a synchronised global economic slowdown in 2019

Megan Greene

世界の成長は、2019年、各地の成長が同時に減速することを予想させる。

PS Dec 20, 2018

The Biggest Emerging Market Debt Problem Is in America

CARMEN M. REINHART

新興市場債券と、開発された諸国の住宅市場とは、グローバル投資のネットワークに組み込まれ、「金融的もぐら叩き」を展開している。


 中国債券市場のデフォルト

FT December 20, 2018

Ofo’s blowout offers lesson to investors

Tim Bradshaw in London

FT December 20, 2018

Why China’s bond defaults are actually a good thing

Adam McCabe, Aberdeen Standard

中国の債券市場でデフォルトが起きることは好ましい。デフォルトを回避する政府の方針は、必然的に、モラルハザードを生じている。投資家たちはデフォルトについて学ぶ必要がある。


 宇宙への投資

FT December 20, 2018

Space: the final frontier for finance

Gillian Tett

宇宙は、かつて、最後のフロンティアであった。しかし今、アメリカの投資家たちにとって投資のフロンティアになっている。それを、科学研究費の削減について科学者たちと対立するトランプ政権が推進することは、かつての飛行士や科学者たちに喜ばれないだろう。しかし投資家たちは宇宙産業の未来を拓こうとしている。


 学生ローン

FT December 20, 2018

Student finance distortions show official statistics are awry

Chris Giles

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The Economist December 8th 2018

Macron’s nightmare

British Politics: The best way out of the Brexit mess

Ethiopia: Liberty and disintegration

The anniversary of reform: Seeking salvation

Democracy in Africa: A colorful revolution

Bagehot: Prize idiots

Genocide prevention: Never again, again and again

(コメント) 英仏の政治危機は、その性格が大きく異なりますが、当然、この時代を共有しています。政治的な合意形成や指導力が、新しい情報環境や政治的レトリック、国際秩序の再編圧力に対応するセンスを、それにかかわる人々に求めています。マクロンも、メイも、混乱する試合場に飛び込んで、出口を探しています。

エチオピアの記事が、これほどダイナミックなアフリカの変貌を示しているとは、驚きました。

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IPEの想像力 12/24/18

大阪の南を、4人で歩きました。天王寺から難波、心斎橋まで。

ベトナムから来たCさんが、まだ大阪の町を知らない、というので、それでは僕が案内しよう、という話になりました。子供や学生のころから知っている場所ですが、わざわざ歩いたことはありません。地下鉄に乗って移動すると、まるで遠くに存在している、孤立した場所のように錯覚していましたが、それらはとても異質な、とても近い、圧縮された文化と歴史の混じり合う空間なのです。ちょっと、何かの生き物の、内臓のなかを歩くような印象でした。

最初は、ハルカス前の巨大な歩道橋に集まりました。ここが出発点です。この地上から300メートルに達する、日本最高層の近代的ビルから、わずか500メートルほど離れただけで、歴史的な赤線地帯、飛田の建築群や、その向こうに、日雇い労働者たちが集まる釜ヶ崎の寄せ場があります。

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天王寺駅から飛田に向かう道路沿いには、巨大な集合住宅ビルが林立していました。これは都市のクリアランスやジェントリフィケーションではないか、と思います。都市が拡大するとき、周辺にあった寄場や歓楽地が住宅地やビジネス地区に呑みこまれ、場所によってはスラム化します。次第に都市のまん中に、繁栄した部分や裕福な住宅地、歴史的な特徴を生かした文化的復興が注目される場所と、その近くにありながら、人々が足を踏み入れることのない、貧しい、治安の悪い地区が残り続けるのです。

この高層住宅群に、いったい、だれが住んでいるのか? 午前中に、歩道を行き交う大人も子供も観ることはできませんでした。なぜ住宅群の中にある、小さな公園を、有刺鉄線で囲ってあるのか? 幹線道路が横切るとしても、この団地には自動車を置くスペースなど、1つもありません。

高低差のある土地を分ける障壁、その長い塀の一部が、関所のようになって、飛田地区への口を広げています。下りる階段とスロープを経て、私たちは、古びた木造建築や、規格の統一された屋号の電灯が並ぶ、不思議な街並みに入りました。ここは、かつての赤線地帯、日本最大規模の遊郭でした。料亭として、これほどの店が今も営業しているのか、あるいは、実態は今も売買春ビジネスなのか、わかりません。

もう少し西に行けば、堺筋、阪堺線を超えたところに、通称「三角公園」があり、それを監視するように西成警察署もあります。午前中とはいえ、4人で「物見遊山」するような場所ではありません。私は、なぜここに遊郭や貧しい労働者が集まったのか、というCさんの質問に答えることができないまま、しばらく考え続けていました。

街角に中古の電機製品を売る店がありました。堺筋の幹線道路に出て、角を曲がって北上します。1000円、という表示がありました。111000円でしょうか。テレビ付き、とか、建物によって部屋の説明があります。入り口の向こうはホールになっており、多くの男たちが座っていました。ここは「ドヤ街」です。日雇い労働者たちは、仕事があれば賃金をもらって、こうした部屋に泊まるし、仕事が無ければ、お金も無くなって、通りで寝ることになる、と思います。

今では、こうした労働者たちが高齢化し、むしろ、福祉の貧しい実情を示す貧困地区になっているようです。外国人旅行者向けの安宿としてネットで発信し、一部は成功していると聞きます。道端で売り物を並べる男がいました。それはわいせつ画像のCDのようでした。安宿の隣は、おかずを調理して、少量ずつ売る店でした。

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新今宮の駅を過ぎて、巨大なパチンコ屋の向こうを曲がると、そこはジャンジャン横丁です。通天閣を正面に観る、新世界へと向かいました。

私の記憶にあるジャンジャン横丁より明るい、普通の商店街がありました。朽ちたアーケードがなくなり、多くの店も入れ替わって、貧しい労働者の胃袋と欲求を満たす町ではなく、ある種の物語を売る、観光地の1つになったのです。串かつ、どて焼、お寿司、居酒屋が並びます。ロマンポルノの映画館やストリップ劇場もあったようですが、インターネットとスマホが提供する強烈な刺激とプライベートな時空間に圧倒されて、それらは消滅しました。

店外の陳列棚に食品サンプルを並べるところを発見し、Cさんに紹介しました。こうして子供連れの家族が、サンプルを見て入る店を決めたのだ、と。しかし、全体として違和感をぬぐえないまま、通天閣の下を抜けて、私たちは堺筋を北上し始めました。

なんば(難波)はそれほど離れていません。かつて、堺筋通りには小さな工具や部品を売る店が多くありました。中学生や高校生の趣味として、ラジオを組み立てたり、大人になってもバイクを自分で作ったりする人がいたのです。1軒だけ、錆と油が染みついた棚に、箱に入った細かい部品が、ぎっしり並んでいました。

今は、家電量販店のビルがいくつかあり、DVDやゲームソフトの店、喫茶、食堂、パソコンの店、家具や調理器具を並べた店、などがありました。TAX FREEの大きな文字が示されて、外国人の団体客を待っています。表通りから少し入ると、小さな飲食店や、新しい傾向であるアニメ、フィギュアの店があるようです。

なぜ、でんでんタウンができたのか? なぜ、消えたのか? かつては日本に多くの家電工場がありました。松下、三洋、シャープなど。関西にも多くの工場があったはずです。工場労働者たちも含めて、日本人は新しい家電製品を買うことで、生活水準の改善、豊かさを実感したのです。しかし、家電でも、パソコンでも、スマホでも、韓国や中国との競争が激しくなって、国内産業は高級化、ブランド化、ハイテク化する一方、工場を中国・東南アジアへ移転しました。でんでんタウンは活気を失い、飛田や新世界に続いて、輸入品を売るか、外人観光客の財布に頼る姿へと、変貌したのです。

でんでんタウンを私が先に進んでいるとき、突然、自転車の男が、誰にともなく激しい罵声を浴びせました。酔っているのか、あるいは、彼の内にこみ上げる憎悪と怒りに駆られて、町をさまよっているだけなのか。

これで良かったのだろうか? 私は懐古だけではない、家電産業が示した「フォーディズム」や、物づくりのエートスを想いました。もしこれを「発展」と呼ぶとしたら、もっと違う形で、私たちは満足を手放し、いくらか貧しい生活ではあっても、親しみや活気を感じていた世界を破壊してしまったように感じました。

北欧の小さな町のようになりたい。あるいは、ダイナミックに成長するベトナムのようになりたい。

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西に曲がり、なんばパークスを目指しました。

かつての南海ホークスが本拠とした大阪球場が、しばらく、住宅展示場などを除いて、利用されることもなかった大阪のど真ん中に、なんはCITY、なんばパークスが開発されました。野球チームはソフトバンクに買収され、球場跡地にはアメリカ人建築家がグランドキャニオンを模して、都心の緑を演出したわけです。重層的に湾曲したビルの壁面と、切り取られた細長い青空が、ロードを歩く消費者たちに人工的環境と、高級ブティックや凝った飲食店のサービスを提供します。

このように、都市中心部に残るスラムを消す(見えなくする)には、単に成長や治安の問題だけでなく、ばく大な投資を集めなくてはなりません。たとえ社会問題の解決を目指すさまざまな善意や闘争があったとしても、計画を決めるのは金融機関であり、個人投資家・超富裕層です。インドのムンバイでも、同じようなスラム再開発計画について議論が続いています。

私たちは通りを回り込み、大阪市の旧い顔として、高島屋の建物を見上げました。壁面の古風な?デザインや路上の彫像が印象的です。大阪の中心部を貫く御堂筋の南の端に、高島屋はあります。かつては近くに新歌舞伎座もありました(上本町に移る)。

今では、なんば花月です。大阪は、たこ焼き、お好み焼きだけでなく、漫才、落語、大衆芸能を誇っています。そろそろ昼前になり、路上に立って入場券を売るお兄さんも気合を入れ始めました。道頓堀に行く前に、なんば花月の近くで、「道」というサインで示された道具屋筋の入り口を見つけました。食器類が積み重なった店、陳列棚も壁も、ぎっしり包丁が並ぶ店、さまざまな看板や提灯が並ぶ店。1つでも売るようですが、これからお店を開く店主や料理人が、「まとめて買うから、もうちょっとまけてくれ」と、店の奥で値段の交渉をするはずです。

オブジェの殿堂?となったのは、現在の道頓堀です。昔からある、ずぼらやの大きなフグ、カニ道楽のカニが、もはや異色でも、目を引くわけでもなくなり、けったいな(えげつない)オブジェの乱立する空間に私たちは入りました。龍も、エビも、タコも、(ちっとも美味しそうに見えない)たこ焼きのオブジェも、壁面から飛び出して通行人の目を引きます。それらを背景に楽しい写真を撮って、観光客は楽しんでいます。

これは勝手気ままな遊園地、安価で雑多な劇場とフ−ドコートです。大阪の住民たちが好むことは決してない?と思いますが、ごてごてしたオブジェや派手な外観が、ますます商売のために、娯楽を競って、町を壊し続けています。

道頓堀にかかる橋から、北に向かう心斎橋筋商店街に、買い物客の人の波が見えました。ここは、阪神タイガースが優勝したとき(めったにない)、あるいは、ガンバ大阪が勝利すると、若者たちが集まって奇声を上げ、酔っぱらい、橋から飛び込む?場所です。

たまたま道具屋筋を入ってすぐの建物2階に、天地書房を見つけました。こんなところにあったのか、と私は嬉しくなりました。天牛書店とともに、学生の頃、なんばに来ると立ち寄った専門書が並ぶ古本屋です。高騰する地価・地代、ブックオフの多店舗展開、そして何より、若者の活字離れで、古本は商売が成り立たないと思います。京都でも、多くの古書店が閉じました。

インターネットでつなぐスポーツや映像はあっても、歴史や文化はなく、瞬間的な娯楽と情報の共有、デモよりデマの集団行動が、ひょっとしたらパリのように、道頓堀を埋めるのです。

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そろそろお腹が空きました。天丼を食べるために、細道の奥の法善寺を探します。法善寺には、周りの石灯篭とともに、びっしりと緑の苔に覆われた水かけ不動様が立っています。参詣の人たちが数人並んで、水のしずくに光る不動明王を眺めていました。たとえ何度か再興された不動明王でも、その怒りの表情には、私たちを惹きつける何かがあるようです。

商店街を出た筋向かいの、ほぼ角にある天丼屋さんは、幸い、行列なしでした。白いのれんをくぐって、座席は5つほどしかありません。かつてはいつも何人か外に並んで待っていた、と記憶しています。店は、その外観も内装も、無口な料理人や、天丼のつゆ、天ぷらも、変わらぬ姿を保っていて、安堵しました。お茶とたくあんだけで、ちょっと硬めのごはんに甘めのつゆ、天ぷらの油が絶妙に混じり合い、とてもおいしく感じました。

腹ごしらえをして、心斎橋筋を北上します。心斎橋筋の様相は、大きく変わってしまいました。店舗の9?が、全く見たこともない、新しいお店でした。お茶、呉服、昆布、照明器具や、気のきいた小物を扱うお店は、すべて消えてしまったようです。それに代わって、さまざまな量販店、お土産、いい加減な飲食店、外国のブランド店、など、それは大阪でも、どこでもいいような、中途半端なショッピングモール、安価な、空港の免税店です。

商売なのだから、人が集まって、物やサービスを買ってくれればよい、というのでしょうか? それでは町も、住宅も、愛着やつながりを感じない共有スペース、カプセルホテルの自動販売機になるでしょう。大丸の建て替え工事で、周囲に鉄板が並ぶ場所を回り込むと、地下鉄の駅の降り口が見つかりました。

14年前、2004年の暮れにも、私は子供たちを連れて大阪の町を歩きました。このエッセーが面白いと思った人は、どうぞ読んでみてください。

https://www1.doshisha.ac.jp/~yonozuka/ipe_notes/2005note/010305note.htm

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心斎橋から動物園前まで、市営地下鉄、今では民営化された大阪メトロで移動しました。

地下鉄の駅から地上に出て、動物園の柵か檻のようなコンクリートの障壁に沿って歩くと、そこは動物園の入り口、新世界ゲートでした。以前、娘と入った記憶があります。市立動物園は、新しい思想を取り入れて、動物たちの行動をできるだけ束縛しない、見物する人々との境界が目立たない構造を取り入れ、再構築されました。かつての冷たく、臭い、独房のような(入った経験はないですが)檻が並ぶ展示様式を消滅させたのです。

今回は動物園に入らず、その向こうの天王寺美術館と慶沢園を目指しました。動物園は、新世界ゲートから空中の橋梁に階段を上って、美術館まで歩いて超えることができます。かつて地上を歩いていた頃は、多くの貧しい人々が、歩道にカラオケ装置を置いて、集まり、歌う姿が見られました。新世界から延長していた領域は、こうして、美術館や公園から完全に駆逐されました。

ニューヨークやロンドンで、ホームレスの人たちが増えているのは、彼らが失業しているからではないようです。彼らは一所懸命に働いても、その少ない賃金では、適当な住宅を見つけられないのです。だから道路わきや、福祉施設、友人宅の椅子や床で眠ります。生活賃金闘争が広がり、居住できる手ごろな住宅の建設を求めて、世界都市で社会運動が起きています。

その後、私はCさんたちと、慶沢園を観賞しました。大阪市の観光サイトでは、天王寺公園・慶沢園・茶臼山が一括りに紹介されています。季節が悪く、感嘆するほど花や緑、滝を味わったわけではありません。しかし、この歴史主義?の意匠による庭園が向こうに建つ美術館の古風な姿とよく合うな、と思いました。そして、周囲を回ると気づくのは、都会の空を切り取るハルカスの輝きです。

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FTには、クリスマス・シーズンに募金の呼びかけが載っています。ホーム(Home: the global search for a decent place to live)という動画を観ました。「あなたも、いつ、住宅をなくした人々に加わるかもしれないのだ」と、世界各地のホームレスや被災者の姿が映ります。「まともなシェルターもない人々が、16億人もいる。」

https://www.ft.com/content/0e94f8c6-eb4f-11e8-89c8-d36339d835c0

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動画の中で、小さな子供を抱いた女性が、途中、涙をこらえて訴えます。「息子に尊厳ある人間になってほしい。簡単な家でよいのだ。この子を良い学校に行かせたい。他には何も望まないから。」

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