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いろいろ失敗続きでした.しかし,余りにも格好悪い話は(面白いですが),公開のホームページに載せることができません! ともかく月曜日と火曜日をブリュッセルで過ごし,水曜日にスイスへ飛んで,木曜日はジュネーブで調査に励みました.

NGOsや移民居住地区の現地調査を希望していたのですが,既述のように,アレンジできませんでした.空いた時間にはローザンヌを散策したり,隣のヴェヴェーでレオン・ワルラスの墓を探したり(しかし,管理人が不在のため墓を見ることはできませんでした.・・・3時間も墓地をさまよったのに!),ノートを書いて過ごしました.

もっとも印象的なことは,私が訪ねたすべての機関で,「移民は問題ではない」という同じ答えを得たことです.移民の多くは働くためにやってくる.彼らは労働者として雇用されており,そのことが送り出している側(の個人と社会)にも,受け入れている側(の個人と社会)にも,利益をもたらしている,と.彼らは社会福祉制度に頼るために来るのではないし,多くの場合,地元の労働者の仕事を奪っているのでもない.

では,なぜ(もしくは何が)これほど問題になるのか? 移民を問題にする場合,常に,何が「問題」か,を正しく理解する必要があるわけです.

たとえば,認識が問題である,と言います.現実の移民は働いており,受け入れ社会で労働者が不足している職場に入っていくのです.彼らは失業手当や医療保険を現地の労働者ほど受けておらず,しばしばまったく保障されないまま,より厳しい条件で働くのです.ところが,もちろん働いていない移民もいますし,突然の解雇や労働災害を争う移民もいます.移民にも支給される手当や,移民のために行われている公共サービスも,決して市民に対するさまざまな公共サービスほどではないけれど,少しはあるわけです.すると,こうした限られたケースを取り上げて,「移民」を問題とする「極端な議論」が一部のメディアで繰り返され,また,その結果として高まった社会的関心や「住民」(それは誰のことか?)の不安に便乗し,自分のために利用する「煽動家・政治家」が現れます.

事実についての間違った認識,誇張され,悪意や他の目的に利用された宣伝,デマゴギーが広まっています.これに対して国際機関は,だから事実を正しく調査し,伝える必要がある,と答えます.移民や人種差別が問題になるとき,しばしば地域の政治家たちは有権者の偏見に強く反対することができません.その偏見を助長する極右勢力と勇敢に「移民論争」を戦い,人権を擁護して「移民襲撃」を非難すれば,その政治家が次の選挙で落選するかもしれないからです.

正しい情報を伝え,また,移民も含めたヨーロッパ規模の人権を擁護するには,その意味で,地域の政治レベルよりも,EUや国際機関が望ましいわけです.

一方では,EUの拡大や改革,グローバリゼーションによって,労働者も国境を越えてもっと移動するだろうし,そのほうが良い,と考えられています.EUのEconomic Analysisや(おそらく)ILOでは,労働者の移動性(mobility)を高めること,それ自体が「目標」となっていました(それに見合った法制度の整備も).なぜ商品や資本,情報がこれほど急速に国境を越えるようになっているのに,労働者だけは規制され続けるのか? さまざまな交通・輸送手段が利用可能で,しかも安価になり,各地に移民コミュニティーやそのネットワークが形成されて情報と支援があるというのに,労働者が移動しないはずはないし,国境で管理できると思うほうがおかしい,と言われます.

他方,人々の意識は「人種差別」や宗教,文化,言語,習慣,などの「偏見」に容易に侵されます.私たちは,個人として弱く,傷つきやすいことを意識するほど,自分の仲間を集めて,善良で,優秀で,道徳的で,さまざまなプラスのイメージに結びつけようとします.他方,よそ者は,本来,どうしようもなく(あるいは,見かけと違って本質は)邪悪で,非常に劣悪もしくは愚昧で,根本的に堕落し,悪意による侵略・征服を企てている,など,さまざまなマイナスのイメージと結びつけます.それは,もちろん,個人によって大きく異なるし,そのような偏見を最後まで拒める人もいます.しかし,おおくは事情が許せば,こうした偏見の虜となり,(たとえ理性では間違っていると理解できても)情緒的に擁護するでしょう.

自由貿易の相互利益を理性的に説く経済学は,必ずしも,保護主義について説得的な説明を示しません.しかし,通商政策を決める要因が自国の関税収入であったり,輸入品によって危機に瀕した業界の雇用や地域,そこを選挙区とする政治家であれば,広く薄い利益を無自覚に得ている消費者や抽象的な経済学者のレトリックなどより,保護の主張が強い政治的影響を及ぼすわけです.移民排斥や自国民優先を唱えることも,同様に,どれほど事実や理性によって説得されても,政治的な情念を動員できる「領土」を失わないでしょう.

それでも,と私は考えます.資本移動が通貨危機や恐慌を繰り返しても,社会(とその制度のあり方)によっては,ショックを吸収し,政治的に維持可能なだけでなく,通貨統合など新しいアレンジを生み出す契機にできるわけです.また,保護主義が繰り返し広まったときも,新しい政治的権威や合理的な理解,制度的調整を経て,自由化の過程が再生しました.もちろん移民は,貿易や投資より,さらに政治的で,情念的でしょう.しかし,移民だけは例外である,と主張することに神秘的な価値を見出すつもりはありません.

(・・・まだ,続き,読みますか? → V )

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