IPEの果樹園2002

今週のReview

4/29-5/5

言葉と政治は切り離せません。言葉は暴力を終わらせ、あるいは暴力を招きます。野口悠紀雄氏は、日本の政治に欠けているものは人を動かす言葉の力である、と指摘しました。あるいは高村薫氏は、「まるで理屈の通らない単なるセンチメンタルな個人の感傷に過ぎない」と指摘して、小泉首相の「単純な言葉」を批判しました。

フランスの大統領選挙でル・ペン氏が最終投票に残ったことは、ヨーロッパ既存政治システムの敗北であった、と言われます。グローバリゼーションに対して、国民国家を維持したまま、その主権を部分的に譲渡して作られたEUは、まだ、つぎはぎだらけのフランケンシュタインです。ユーロ誕生を祝ってから、わずか数ヵ月後に、自分たちの不幸を移民やEU官僚、アメリカのせいにし、ユーロ解体を叫ぶル・ペンが支持を集めました。

かつて1980年代にサッチャーとレーガンが保守政治への転換を指導したように、90年代にはブレア、クリントン、シュレーダーなどが社会民主主義の連携を唱えました。彼らはともに国際統合を支持する点で共通していたのです。しかし、今度は違うでしょう。グローバリゼーションを逆転する革新や、極右勢力の国際都市連合が誕生するのでしょうか?

もちろん右派は、裏取引を別にすれば、露骨な外国人蔑視と憎悪を撒き散らしています。こうして互いを攻撃することが、彼らの国内政治における地位を強化する点で、間接的に助け合っているわけです。あるいは国際機関を非難し、民間における協調の努力を破壊する点で、強い連携を示します。

彼らに力を与えたのは既存の政治指導者たちでした。右派も左派も、支持組織の温存と企業の誘致に奔走し、すべての人々が持つ不安や疑問に答えて、対立する社会を暴力ではなく言葉で革新する条件を提示できません。外国人やグローバリゼーションを非難して、結局、レイシズムに政治の舞台を用意したのです。イギリスの「人種暴動」を通じて私が感じたことは、以前、このReviewに書きました。(今週のReview 3/25

すぐれたレイシズムの批判家A. Sivanandanは、人々の不安の中身を透視します。「レイシズムは常に差別の道具である。そして、差別は常に搾取の道具である。その意味で、レイシズムは資本主義システムの経済的な強制に根差している。しかし、それが表現されるときには、何よりも文化的な現象として、多文化教育やエスニックな自尊心を育成することへの疑念という形をとる。だが、文化的な不平等という問題を粉飾しても、それが自動的に経済的な不平等を解決するわけではない。レイシズムは両方で、すなわち文化的にも経済的にも、攻撃されねばならない。」

雪印食品を潰し、加藤紘一や辻元清美を辞職させて、私たちは何を得たのでしょうか? 真実や論理、政治的合意を作り出す言葉の力によって、社会を変えることができると信じる人々を、政治の舞台は育ててこなかったと思います。

もう一度最初から、すなわち住民たちが直接民主主義を復活することから、新しい統治のあり方を模索してはどうでしょうか?

ただしFTFinancial Times, NYTNew York Times, WPWashington Post, LATLos Angeles Times, IHTInternational Herald Tribune


Be afraid of the BNP

Nick Cohen

BNPのレイシスト(人種差別主義者)が政治を支配し、彼らの夢想するイギリスの人種浄化に着手する可能性は無いだろう。たとえ「イギリス国民党」がBurnleyの議会で少数の議席を得たとしても、それが何になるか? 彼らを組織するのは今も、多くは犯罪者であり、強姦魔であり、爆弾犯や麻薬密売人、傷害犯などである。しかし、彼らはすでに「ネオ・ナチ」と呼ばれることを避けようとしている。

BNPの政治キャンペーンを指導するNick Griffinは、他の政治家たちよりも思慮深く、繊細である。彼は、「BNPの思想」を売り込む必要は無い、「BNP」を売り込めばよいのだ、と承知している。彼は、その信条によれば、ホロコーストなど無かったと主張し、人種憎悪を吹き込むだろう。しかし選挙では、もっと売り込み易い言葉で語る。「自由。治安。イギリスらしさ。民主主義。」誰もそれを批判できないことを知っている。ヒットラーと同じく、Griffinも冷徹なプラグマティストだ。

彼らは、住宅訪問で自由民主党をまねる。そして地方におけるさまざまな生活問題を取り上げる。それらを論駁するのは難しい。選挙に向けて、多くの反BNP文書が発行された。たとえばOldhamでは、議会がモスクを支援している、という嘘が流布されてきた。しかし、モスクは信者たちの寄付でできている。Burnleyでは移民が呼び寄せられている、と極右によって宣伝されてきた。しかし、人口91000人に対して、移民は数十人しかいない。


WP Sunday, April 21, 2002

A Brittle Mood Abroad

By Jim Hoagland

ラテン・アメリカでは二日間のクーデタ騒ぎ。ローマでは市民による首相への抗議デモ。フランスの有権者は、16人もの大統領候補に呆れ、いぶかしむ。アラブの自爆飛行士とそれに報復したアメリカ軍が世界中に解き放った、その深い恐怖、憤怒、それ以外の奥深い情念が、今やわれわれの思考を変えつつある。善良な意図と自己陶酔が闊歩した時代は去った。そして世界を分極化する時代が始まった。世界観は恐ろしい絶望に向かいつつある。

ド・ゴールは自分の仕事を、フランスの精神分析医である、と述べた。彼は、第二次大戦において敗北と分裂を味わったフランス国民の精神の傷を癒そうとした。現代の政治指導者たちも、911日とその後の出来事が国民に与えた精神障害に対応しなければならない。それに失敗すれば、われわれは協同も、信頼も、世界のテロリズムに対する戦いへの支持も、失ってしまう。

フランス大統領選挙は、海外のこの壊れやすい雰囲気を示している。パウエル国務長官のイスラエル・パレスチナ紛争に対する調停失敗に対しても、アラブの指導者たちは慇懃な軽蔑を示しただけだった。政治の暗黒面はさまざまな機会主義を生み出す。イスラエルのシャロンも、ロシアのプーチンも、ブッシュの戦争を自分たちの目的に利用した。

55日の決選投票に向けて、フランスは二人の最終候補者を選択した。有権者たちは犯罪や暴力の増加に怯え、移民への憎しみが選挙戦を支配した。それが外国人排斥を唱えるル・ペンと国民戦線に対する支持を急増させた。移民は以前の選挙でも争点になっていた。しかし新しい不安に応じて、シラクは犯罪を「断じて許さない」と公約した。他方、ジョスパンは、ジミー・カーターのように、有権者に詫びた。「失業を減らせば、不安は解消できると思っていた」と。911日のテロ攻撃、中東紛争激化、フランスにおける反ユダヤ主義の拡大、その他が、フランス人の魂を「ル・ペン化」した。

911日はサウジ・アラビアと多くのアラブ人、世界中のイスラム教徒にとって、深甚な恥辱であった。彼らはこうした行為に加担せず、非難に加わった。しかし、シャロンが西岸を侵略し、破壊をもたらした今、外部勢力に対する非理性的な怒りがこみ上げている。フランス人とその他のヨーロッパの人々は、アメリカとアラブ諸政府が撒き散らす感情によって、不安を感じ、分裂した立場に囚われている。

すべての者が立ち止まり、深く息をして、破滅の淵から一歩下がるべきときだ。


FT April 22 2002

Editorial comment: A new French revolution

西欧における社会民主政党の衰退は著しい。それはしばしば右派ポピュリストたちに食われている。ヨーロッパの主要都市において、社会的市場モデルが動揺しているのだ。すなわち、20世紀の初頭に形成された寛大な福祉国家、年金制度、雇用保障などである。

政治指導者たちは、犯罪や移民を材料にして極右が台頭したことに示される政治課題に対して、真剣に答えなければならない。すなわち、統合にともなって、マクロ経済政策がECBなどによって決定される一方で、経済改革と「公平な」社会とを、どのようにバランスさせるのか? 共産党や緑の党との5年に及ぶ連携「虹の連合」を優先したジョスパンは、これに答えられなかった。

右派と左派の共存は持続できない。それは1997年の労働党内における闘争を思わせる。ブレアは明確に宣言した。そのメッセージは今やすべてのヨーロッパ諸政府にとっても正しい。「改革か、死だ」。改革に失敗すれば、ル・ペンに道を譲ることになる。


FT April 22 2002

France's vote of no confidence

Dominique Mosi

ジョスパン首相は、礼儀正しい、正直な、尊敬できる政治家である。しかし退屈な選挙運動は、彼をフランスのアル・ゴアにしてしまった。ゴアがラルフ・ネーダーに邪魔されたように、彼も支持者内の分裂を回避できなかった。それが左派の敗北につながった。

しかし真の敗者は、右派でも左派でもなく、フランスの政治システムである。棄権が増え、極右や極左が選挙を乗っ取り、急増する犯罪にさらされた普通の家族はその身の安全も確保できないと怯えて、政治階級全体に不信任を示した。

ル・ペンの成功は、フランス自身が方向感覚を失ったことによる。何が政治的に正しいのか? 何が民族的に健全なのか? 日常生活はますます危険になり、グローバリゼーションはあなたの国やあなた自身の生活をますます壊れやすくしている。そしてEUは、あなたの国の主権を奪い、その自尊心を損なう象徴として責められている。ユーロ導入を祝ってから4ヶ月が経って、フランスはそれがまだ如何に不確かなものであるかを示したのだ。

これでフランスが外国人排斥に向かうとか、ファシズムの脅威を誇張するのは間違いだ。しかし、危険な道は将来に残されている。一層の暴力も否定できないだろう。メイ・デーは、極右と極左が衝突する発火点である。そしてその先も、フランスは二度と今までのような寛容の地ではなくなる、という心配がある。


FT April 22 2002

Nothing left

Quentin Peel

1990年代前半の中道左派勢力が、選挙による勝利を実際の政策や政治システムに実現できなかったことが、その後の政治的変化に示されている。しかし社会民主党が後退する中で、右派が有効な政治的選択肢になる見込みも無い。各国の右派勢力は、互いに敵対するとまではいえないにしても、決して協力することもない。左派の政策が行き詰まったとしても、政権に就いた右派は非現実的な改革プログラムを捨てるか、政治を運営する能力を示せないでいる。


The Guardian, Tuesday April 23, 2002

French alarm rings bells for Europe's body politic

Hugo Young

有権者の60%は投票しなかった。二人だけを最終選挙に残す制度は、シラクの対抗者にル・ペンを選んだ。ヨーロッパの極右が好むのは、治安問題と移民問題である。ル・ペンは単純な答えを知っているかのように強弁する。他の指導者たちは複雑さに拘わって実行できないだけだ、と。しかし、彼の主張は誤解と悪意に満ちている。グローバリゼーションの時代には、何一つ単純な答えなどない。右翼の幻想に打ち勝つためには、民主政治を再活性化するしかない。


LAT April 23, 2002

Ugly Currents in Europe

ル・ペンの勝利は、オーストリア、ドイツ、オランダ、デンマーク、イタリア、ベルギーに続き、ヨーロッパ政治における極右の台頭、反ユダヤ、外国人排斥の風潮を示すものである。多くのデマゴーグと同じように、ル・ペンも弱者や排除された者の味方を任じる。しかし、実際はその反対だ。ユダヤ人虐殺を歴史の「些細な出来事」とし、長年にわたって移民を、特に400万人のフランスに居住するイスラム教徒排斥を唱え、EUやグローバリゼーションを非難してきた。

911日とフランス左翼のこの後の戦争に対する愚かな無能さ、特にアメリカへの非難は、極右に台頭の機会を与えた。ヨーロッパの指導者たちは、直ちにル・ペンへの扉を閉ざさねばならない。テロリズムとの戦争が決して移民攻撃を正当化するものではないこと、イスラエルの軍事行動に対する怒りを反ユダヤ主義の言い訳にしてはならないことを、明確に述べ、21世紀にファシズムが必要ないことを示すべきだ。


NYT April 23, 2002

The Angry People

By PAUL KRUGMAN

すこしだけ中道左派寄りの大統領候補がいた。合理的な世界であれば、彼は容易に勝てたはずだ。結局、彼の政党が政権を担当しており、見事な成果を上げていたのだから。失業は減り、成長は加速し、前政権が患った不安感は払拭されていた。しかし、何もかもおかしくなる。彼の穏健さが不利に働く。市場寄りの姿勢を批判し、左翼の候補を批判したことで、劇場化した政治における彼への支持は決定的に減った。彼は常に良い人物であったが、政治運動は下手だった。「あまりに大学教授風だ」と批判された。「恩着せがましく、ユーモアが無い。」結局、穏健派には無関心と自己満足しかなかった。彼らは勝利を当然と思い、選挙は無意味だと思っていた。

しかし結果は、極右の劇的な勝利であった。それは寛容で、広い見解を持つ国であったが、有権者の20%は厳格な信念を持つ、恵まれた時代にも怒れる人々がいた。選挙制度の偏りで、この極右の少数派が残りの穏健派を圧倒することになった。これは2000年の大統領選挙におけるゴアを説明した話と思うかもしれない。そのつもりで書いたから。しかし、実際は日曜日のフランス大統領選挙である。ジョスパン首相は敗れ、ル・ペンが最終候補に残った。

フランスにも、アメリカにも、少数の怒れる人々がいる。彼らは決して多数派では無い。ル・ペンは17%を得たが、それは1992年のロス・ペローが得たものより少ない。彼らは非常に行動的であるから、寛容な社会を当然と見なす穏健派を凌駕する影響力を持つかもしれない。

彼らは経済に起こっているのではない。平和や繁栄は彼らをクリントンやジョスパンと和解させない。彼らの怒りは伝統的な価値に関するものだ。アメリカの右派は神を信じないリベラルたちに怒り、フランスの右派は移民を攻撃した。どちらの場合も、彼らを苦しめたのは確実性の喪失であった。彼らはもっと単純な時代に戻ることを、人間も思想も混じり合っていない時代に戻ることを望んだ。

アメリカとフランスの違いは、ル・ペン氏が完全に政治的なアウトサイダーであることだ。彼の極右思想が今すぐに実現することは無い。対照的にアメリカでは、極右に共和党が協力した。アメリカではル・ペンと同じ思想の持ち主が、既にそれを実践している。怒れる人々が、この国を動かしているのだ。


WP Tuesday, April 23, 2002

. . . A Colossal Bungle

By E. J. Dionne Jr.

「ル・ペンが大声で言っていることは、誰もが言わないが思っていることだ、と有権者は知っている。」ル・ペンは、長年、民主主義を貶める戦いを続けてきた。

教訓1:フランスには常に極右が存在した。しかし今まで、穏健な左派と右派がそれを抑えてきた。

それまで勝利していたはずのジャスパンが敗北したのは、トロツキー派が分かれて10%の得票を得たからだ。ジョスパンは、クリントンやブレアのような「第三の道」よりも左派のスタイルを守ったが、実際にはシラクとほとんど変わらなかった。彼は優れた資本家的な首相であった。

教訓2:穏健であることは、選挙で勝利する上で、必ずしも政治的に好ましい美徳ではない。

フランスが例外ではない。極左や極右に投票する者が増えている。南仏のル・ペン支持票には、それまで左派を支持してきたブルー・カラーの一部が含まれる。シラクは、犯罪率の増加を選挙戦の焦点にしたことで、間接的にル・ペンを助けた。ル・ペンは「法と秩序」を声高に叫び、それを移民流入と結び付けた。

フランスの有権者を表現する言葉は「欲求不満」と「退屈」であった。政治指導者たちが政治を「無意味」に、政治家のためだけの政治に、したことで、怒りと無関心が強まった。もちろんル・ペンはシラクに大敗するだろう。しかし、民主主義の政治家たちは自己満足してはならない。欲求不満と混ざった退屈は、民主主義にとって猛毒を意味する。

FT April 17 2002

Editorial comment: Japan arms

表面的には、日本政府が有事立法を行うのは合理的である。50年以上も国際社会の平和的な参加者であった国が、自国を正当に守れないというのは異例なことである。これまでは1947年の平和憲法が日本による宣戦布告を禁じてきた。政府はこれに逆らえなかった。

しかし、北アジアの他の諸国には、日本が軍事態勢を変更することに神経を尖らせる理由がある。日本の自衛隊は世界でも最強の軍事組織の一つである。しかも日本は、第二次世界大戦以後に何の欠陥も無いが、その植民地の過去に犯した凶行に対しては、まだ十分な認知と謝罪とを行っていない。東京に潜む軍国主義を懸念する日本の近隣諸国は、昨年、戦犯を祀る靖国神社に小泉首相が参拝したことでますます疑念を強められた。

東京で鳴り響くナショナリズムの騒音は彼らに警告を発している。日本の野党、自由党の党首が、中国が日本を非難し続ければ、日本は短期間に数千発の核兵器を生産することになる、と述べたのも、つい最近のことである。

日本はもっと近隣諸国の懸念を和らげ、地域の平和を強めるために貢献できるし、すべきである。小泉氏は韓国や中国との関係改善を約束したが、日本は地域の多角的な安全保障を発展させるためにもっと積極的な役割を担えるだろう。

アメリカがアジアに深く関与し続けねばならないとしても、日本、中国、韓国は地域の安全保障問題をもっと議論すべきである。北朝鮮の脅威に関して共通のアプローチを模索するなら、それが良いスタートとなるだろう。


FT Apr 17 2002

Bush trades his principles

Jagdish Bhagwati and Arthur Helton

貿易政策と移民政策は、ジョージ・W・ブッシュの二つの賞賛される点であった。彼は大統領として自由貿易を支持し、多くの民主党員と違って「自由だが公正な貿易」という保護主義的なスローガンを受け入れなかった。彼はまた、多くの共和党員と違って、反移民感情やそうした主張を退けた。

しかし1年が経って、彼は両方の問題に愚かな振る舞いを示した。まず貿易政策で、ブッシュ政権は鉄鋼の保護主義に加わった。さらに悪いことに、関税を差別的に適用した。セーフガード行為は無差別でなければならない。それが、経済学者も反ダンピング法よりセーフガードを支持する理由である。しかし、政府はさまざまな口実でブラジルや南アフリカ、韓国などの友好国を除外し、EUなどに標的を絞った。さらに驚いたことに、鉄鋼消費産業が予想通りに免除を求めると、政府は優遇措置を講じた。

無差別原則の放棄は、ブッシュ氏の移民政策においてさらに明白である。それは近年で最悪のものだが、移民を助けるという発議から、メキシコの利益と、リオ・グランデ川を渡る非合法移民だけが配慮された。ブッシュとフォックスの両大統領は、メキシコからの移民という視点だけで、アメリカの移民政策を作り変えた。国境警備を強化する代わりに、アメリカにすむメキシコ系非合法移民に永住権を与え、短期雇用契約を他のメキシコ人に与える。メキシコ人だけに示された優遇策とご祝儀は、40年間にわたってこの国の移民政策が守ってきた平等と無差別の原則を破壊した。

1965年の移民帰化法は、1921年に導入された出身国別の制度を廃止し、移民の受け入れに平等原則を導入した。1978年には、西半球と東半球で区別していた移民の上限を廃止し、最後の地理的差別を撤廃した。これらの調整は、特にメキシコを含む近隣諸国への特別な配慮を求める声を抑えて、行われた。かつては考えられないほど、「風変わりな」人種や肌の色、宗教の豊富さが見られるようになったことが、1965年の改正を必要とした理由である。

では、なぜブッシュ氏は移民政策を逆転させるのか? その理由については、メキシコがアメリカに「特別な」要求をできる、というもっともらしい主張と、国内政治への配慮という皮肉な見方がある。これによってNAFTAは「より深い統合」を目指しているのか? しかし、移民の優遇策をともなわないFTAはほかにもある。イスラエル、カナダ、ヨルダン、チリ、シンガポール、ヴェトナムとも、同様の移民政策を用意しているのか? リオ・グランデは非合法移民の唯一の入り口ではない。

そこでこのメキシコだけに提示された奇妙な政策の理由は、それ以外に、すなわち国内政治、特にメキシコ系有権者に求められる。ブッシュ氏は、メキシコ系住民を優遇して、アジア系その他の移民有権者を無視するのか? 彼が原則を曲げて政治を優先したとしても、放棄された原則はあまりに重要であり、その政策は政治的に有利ではない。


Bloomberg 04/18 15:57

U.S. at Odds With IMF, World Bank, Europe on Grants, Bankruptcy

By Mark Drajem

2年前にIMF・世銀総会を潰したのは街頭の抗議行動であった。しかし今や、新しい抗議の声が根本的な制度の見直しを求めている。それは、アメリカ財務省だ。

ブッシュ政権は、議会の共和党議員に押されて、この世界の約半数の政府に融資している国際機関を、間違った救済策で政策や投資の失敗を促している、と非難する。他方、ヨーロッパ諸国は、世銀の低利融資は市場を歪めており、援助に代えるべきだ、という。9ヶ月前に、ブッシュ大統領は貧しい国にも金利を負担させるべきだ、と演説したが、この問題で対立が続いている。

アメリカは債務国政府のデフォルトを処理する方法をめぐっても混乱を引き起こした。IMFのクルーガー副専務理事が、破産処理をIMFが中心に進める、と提案した。しかし、アメリカ財務省はそれを後退させる提案を行った。アメリカ財務省自身がいままでIMFの救済融資を拡大させ、デフォルトを増やしたのに、と言う投資家もいる。

「アメリカが作り出した破壊的な不明瞭さを取り除く必要がある」と投資家は言う。新興経済や貧しい諸国に向かう投資の流れが細っている。しかし、ヨーロッパや世銀職員からの批判にもかかわらず、アメリカ政府が目指すIMF・世銀の改造案は議会の公聴会で賞賛された。それがメルツァー委員会の報告である。


Bloomberg 04/21 01:01

Argentina's Daylight Robbery of Bank Deposits

By David DeRosa

アルゼンチンのドゥアルデ大統領は外国投資家に心配させる理由をさらに増やした。封鎖された銀行預金を強制的に国債に交換する計画が失敗したのだ。もしこれが自国民のことを考えた計画であるとしたら、外国の投資家については何を意味するのか? 彼は銀行システムからの資金流出を止めたいらしいが、この計画は単に流出を最大化する。さらに、もはや誰も銀行に預金しようと思わないだろう。

アルゼンチンの銀行システムは劣悪なホテルと似ている。そのマネージャーは空室が怖くて客たちをホテルの部屋に閉じ込めたのだ。誰もチェック・アウトできないが、このことが知れると、誰もチェック・インしなくなった。裁判所に訴える預金者もおり、裁判所は預金流出を迂回して行わせる。推計で先週は、毎日、35000万ペソ(11100万ドル)が流出した。それは幾つかの銀行を破綻させてしまった。

トロントに本社のあるノヴァ・スコシア銀行は、この裁判所命令に直面したが、カナダの本社が賢明にも支店への資金提供を拒んだ。アルゼンチン中央銀行が融資を止めたとき、銀行波形指され、金曜日に通貨当局は営業停止を命じた。

アルゼンチンは「北風と太陽」の寓話を思い出すべきだ。どれほど冷たい北風が吹いても、旅人はコートを吹き飛ばされないように身を固めた。しかし、太陽が暖かい陽射しを当てると、自らコートを脱いだのだ。アルゼンチンの政策は「北風」ばかりだ。預金者が銀行に資金を置くのは、それが安全で、いつでも引き出せるからである。預金を国債に転換する法律など必要ない。資本の自由移動を保証する法律を作るべきだ。


NYT April 21, 2002

America Can Persuade Israel to Make a Just Peace

By JIMMY CARTER

1996年の1月に、イスラエルからの完全な支持とPLOの参加を得て、カーター・センターが西岸とガザ地区における民主的選挙の監視を助けた。それは良く組織され、開かれた、公正な選挙であった。選挙の結果、パレスチナ自治政府の88人のメンバーと、アラファトを大統領とすることが決まった。法的にも実際にも、パレスチナ人は自分たちの政府を持ち、すぐに完全な国家としての主権も得られるという期待があった。

今も、全く希望が無いわけではない。国連の242号決議を含む今までの和平を実行することだ。その基本は、イスラエルがパレスチナの土地から撤退し、アラブ諸国がイスラエルの平和的な生存を認めることである。1979年にイスラエルがエジプト領のシナイ半島から撤退したように、両者への要求は公平で、多数の市民が認めるようなバランスの取れたものでなければならないし、和平の条件が守られていることを国際軍が監視できるだろう。

アメリカの説得が成功するために使える二つの手段がある。一つは、イスラエルによって使用されるアメリカの武器に、自衛の目的に限る、という法的な要求だ。最近、ジェニンや他の村で使用されたような場合は、その違反と見なす。リチャード・ニクソンは1973年に、私は1979年に、それを行った。もう一つは、毎年約1000万ドルに上るアメリカからイスラエルへの援助だ。父のブッシュ大統領は1992年にこれを使った。


WP Monday, April 22, 2002

Rebuilding Argentina

By Eduardo Duhalde(アルゼンチン大統領)

アルゼンチン国民は、この国の将来が、過去と同じように素晴らしいと信じて欲しい。しかし、二つの事実を認めるべきだ。現在の危機は自分たちが作り出したものであること。それを克服するのも自分たちであることだ。

われわれは経済の再生と豊かな資源を活かすために、五つの分野で改革を行ってきた。1.ペソを変動レートにした。2.連邦政府も州政府も厳格な財政規律に従う。3.自国通貨と、もっぱらインフレ率に注目した、緊縮的な通貨政策を行う。4.銀行部門を再編する。5.法の支配を強化する。

最初の段階を終えて、われわれはアルゼンチンの国債債務を組替え、国内の民間債務を再編する制度が必要になった。ドル化した経済から脱出する必要があったのだ。なぜなら10年におよぶ固定為替レートが制約となって、アルゼンチンは成長できなくなっているからだ。われわれの製品には競争力が無く、ペソを変動させて経済を再編するしかない。

アルゼンチンの課題は、経済的なものではなく、政治的なものだ。失業率が30%近い国で、増税、歳出削減、賃金引下げを決定することは、人気が無く、非常に困難だ。しかしわれわれはこれ以上のことを成し遂げた。外国の批評家が、アルゼンチンにもっと厳しい引き締め策や、政策の迅速な実施を求めるのは、われわれが民主主義国家であることを忘れているからだ。連邦政府は議会や州政府とも協力しながら、民主主義のルールに従って、各地域の住民の福祉を考慮しなければならない。

国民にこの改革案を信用してもらい、同時に国際社会にもこれを信用してもらいたい。そしてIMFや世銀、米州開発銀行は支援して欲しい。われわれの計画を審査し、われわれの行動や政策を評価してほしい。これは困難ではあるが現実的な前進を意味する。この計画は経済を立て直し、早急に国際金融システムに復帰する基礎を与えるだろう。


FT April 23 2002

Editorial comment: Welcoming the huddled masses

中道左派や中道右派の政治指導者たちは、過激な政治的煽動につけこまれる余地を与えず、社会不安に対処する新しい方法を見つけ出さねばならない。特に、移民問題への取り組みは緊急を要する。

ヨーロッパ大陸で統合の中心へと向かう人の流れを止めることは不可能である。それどころか、ヨーロッパはより多くの移民を求めている。国によって熟練労働者や未熟練労働者も不足している。人口は高齢化し、年金制度は若い労働者を求めている。ところが長年にわたって、家族の呼び寄せ以外に、合法的な移民は禁じられてきた。アメリカやカナダのような、本当に貴重な人材を招く移民政策が必要である。また、EU域内の障壁が失われた以上、EU全体の移民政策がなければならない。

ヨーロッパ内部に眼を向ければ、新しい移入民の統合化が必要だ。文化的な違いを乗り越えて、ヨーロッパの歴史は豊かになった。まず、経済的な統合を進めるべきだ。労働市場の過度の規制は、職にあるものを優遇し、他者を排除している。そして締め出された移民や貧しい労働者は、ル・ペンの餌食になった。

第二に、教育、特に言語教育を重視すべきだ。昨年のイングランド北部で起きた「人種暴動」も、言語による障壁が都市を人種集団に分割していたことを示した。各国は社会的な統合に不可欠な共有できる価値を育てるために真剣に取り組む必要がある。

The Economist, April 13th 2002

1948年にイスラエルが誕生する過程で、住民の約4分の3、75万人のパレスチナ人がその土地を追われ、帰ることを許されなかった。現在、約500万人のパレスチナ難民がいると推定されるが、その半数はヨルダン、シリア、レバノンに点在する32の難民キャンプで暮らしている。彼らに加えて1000万人が、イスラエルや占領地のシシリーほどの広さに押し込められている。彼らを、西岸とガザ地区における将来のパレスチナ国家に閉じ込めるのも同様に破滅的である。同時に、彼らが永遠に国家を持てないなら、国連の難民資格しかないまま三世代目が育つことになる。たとえば、レバノンのパレスチナ人は、労働や居住に今もわずらわしい制約を受けている。

パレスチナ人は国家を持つべきだ、ということが合意の核心にある。しかし、イスラエルはそれをも後退させつつある。

石油価格の影響は、同時に、中央銀行の対応に懸かっている。通常、石油価格の上昇はコストを押し上げ、インフレ的であると思われる。そこで中央銀行は金利を引き上げるのが正しい、と。しかし、長期の影響はもっと微妙だ。

石油の高価格が経済に影響する場合、主に二つの経路がある。第一に、マイナスのサプライ・サイド・ショックだ。企業の投入財は価格が上昇し、その結果、企業は生産量を減らす。第二に、石油価格の上昇が、石油輸入国から石油生産国に有利な形で、交易条件を変化させる。その結果、石油消費国の実質所得や支出が減少する。全体の結果は、石油輸出国が突然の利益を貯蓄するかどうか、あるいは石油消費国からの輸入財に支出するかどうか、にかかっている。

経済学の用語では、石油価格の上昇は総需要も総供給も下方にシフトさせる、と言う。これは生産を減らすが、インフレについては分からない。幾つかの要因が関係するが、特に主要な財価格のインフレが賃金を上昇させるかどうか、が重要だ。

中央銀行は、インフレを抑制するためには金利を引き上げるべきだが、生産の落ち込みを緩和するためには金利を引き下げるべきだ。それは経済が景気循環のどの局面にあるかで決まる。もし経済が既に過熱しており、労働市場が逼迫しているなら、石油価格の上昇は賃金の上昇とインフレ高進を招き易い。中央銀行は金融を引き締めるべきだろう。今日、生産力は過剰にあり、企業は価格支配力を失っている。だから、インフレよりも企業の利潤を減らす見込みが強い。

もし石油価格の上昇と株価下落が、家計や企業の支出を削減させれば、アメリカ経済は容易に不況へと後退する。石油価格が高騰すると、もう一段の株価下落と、インフレ抑制の金融引締めが必要ないことを理解できない政府の引き締め策が、成長を潰す危険がある。

日本を除いて、東アジア経済の力強い回復が期待できる。それはアメリカへの輸出が回復することにもよるが、同時に、力強い国内消費にも支えられている。アジアの成長は、次第に外需から内需によるものへと変化しつつある。1999年と違って、韓国、インドネシア、フィリピン、タイ、マレーシアでは、輸出よりも国内消費が大きく伸びている。

アジアが伝統的な倹約精神を捨てたのは、もっぱらその金利が急速に低下したせいである。また、アジアの銀行が企業よりも消費者に、積極的に融資を拡大したことにもよる。しかし、低金利による消費拡大は持続できない。利潤に飢えた銀行が、もう一つのバブルに資金を注いでいるだけかもしれない。