IPEの果樹園2002

今週のReview

3/25-3/30

IRR(Institute of Race Relations)のArun Kundnani氏に聞いて、Paddingtonから鉄道に乗り換え、ロンドン西部のSouthallへ向かいました。Brixtonで人種暴動があったのはもうずいぶん前のことであり、今ではむしろ再開発されて有名だ、と言うことです。もし移民の街を見たいのなら、Southallへ行くのが良い、と彼は言いました。

Southallの駅で降りて、どちらに向かって歩いても、多くの有色人種で賑わう街がありました。しばらくして、ムスリムの女性が真っ黒の布で全身を隠し、眼の隙間だけを残して私の前に現れました。大きな女性?でしたが、それ以上に彼女のまとう黒い布が風に流れ、私の視界を一瞬完全にさえぎったことに驚きました。シーク教徒たちのターバン姿、黒人たちの服装や音楽、さまざまな匂いの流れる通りで、それぞれの食物や洋服が売られています。学校から流れ出た子供たちは皆、ここでもイギリスの青色の制服を着ていますが、極一部だけが白人でした。この街でカメラのシャッターを切る気はしません。

移民問題を労働市場の過不足で扱うような議論は、ここではほとんど無いでしょう。否、ここには移民問題すら無いのです。彼らはすでにイギリス生まれの2世・3世を中心とした集団へと変わりつつあります。RacismMulticulturalismの議論、住宅や居住地区の分離もしくは隔離をどうするか。強制的なバス通学を支持したCRE(Commission for Racial Equality)のChief Commissionerに対する反発が新たに起きていました。

アジア系住民の住居は確かに集中し、非常に狭いようですが、外観上は白人の貧しい階層と大きな違いは無いように思います。もちろん、彼らが高い能力を持っていても差別により雇用されず、白人よりも高い失業率や、日常的な差別的言動、特に白人の若者たちから攻撃される恐怖を味わっていることは、十分に想像できます。

むしろ、ここでは都市問題や地域産業の衰退、教育システムの機能麻痺、若者の新しい反社会的文化、Vandalism(文化破壊行為・蛮行)などが社会的関心を集めていました。夜になればClubに集まってアルコールや麻薬、SEXに耽り、お金が無くなれば商店や自動車、通行人を襲い、携帯電話を奪って金に換え、サッカーの試合があれば集まって街を破壊する・・・ 少数民族を襲うのも、その一部でしかないようです。

白人社会は、多分、有色人種の増加をこうした社会的荒廃と(同時に進行したというより、その原因として)結び付けて理解しています。年老いた白人たちから見れば、以前の移民たちは必死にイギリスの文化や言語を学び、同化しようとしたのに、今のアジア系移民たちは一ヶ所に固まって住み、英語も話さず、資金援助を受けて多くのモスクを建てている。しかも小学校では英語を教えるどころかウルドゥー語しか使わない、と怒ります。白人たちが、決して耐えられない、と訴えるのは「しかし、ここはイギリスなのだ」という感覚です。

移民たちはイギリスに来たのだから、イギリスの伝統や法律に従わねばならない。彼らがこの国を変えてしまった。もう元には戻らない、と言うのなら、われわれの方から出て行く・・・。こうして白人たちはアジア系住民の多い小学校から白人だけの小学校に転校し、有色人種の増えた中心地区から郊外へ転居し、果ては、南アフリカに家を買って、引退後の生活を夢見ています。

建設現場やサービス業の多くでは、むしろ多くの白人労働者が働いています。彼らは有色人種が雇用を奪うことを恐れているでしょう。しかも、こうした多くの下層労働者は、ときに、極めて能力が劣っているように見えました。屋外の厳しい肉体労働、単調な作業、冷酷な気候、固定された階級を育てる家庭や学校、暖をとるため口にするアルコールが、彼らの肉体や精神を蝕むのではないでしょうか。彼らを雇用する十分な職場を提供できなければ、イギリス社会の不安が増大します。かつては植民地の開拓や征服に、彼らを軍隊や移民として送ったのでしょう。今では逆に、旧植民地や新しい戦場から、多くの難民や非合法移民がこの国へやって来ます。

身分制に似た階級分化に従う社会構造に頭を押さえ付けられ、富裕層による差別的な扱いに不満を抱くPoor Whiteたちに、スポーツ記事や芸能・政治スキャンダルの話題を、毎日、低俗な内容で撒き散らす新聞が大量に売られています。ポルノ写真と人種差別、警察や政治指導者たちへの侮蔑などを情念と化して増幅するメディア産業の基礎が、この邪悪な想像の共同体なのです。

発達した民主的政治システムは、非常に繊細で脆弱なバランスを、巧妙な制度化によって維持しています。多くの論争は、互いに矛盾しつつも、そのバランスを、全体としての投票行動で結果的に集約できる、と国民に信じさせることで、その制度全体の正当性が認められるのです。しかし、こうしたバランスを達成できないような論争や少数民族への再分配が政治の焦点となれば、それがどのように行われても、制度の正当性を失わせると思います。たった一人でも、小さな地方の選挙にRacismの主張を繰り返す候補が現れれば、政治システムは、その精妙さを致命的なほどに破壊されるのです。

私は今も、Londonの地下鉄に並んで座っていた老人を思い出します。彼らの服装は質素どころか赤貧に近く、すっかり衰えたとはいえ屈強な体格を座席に釘付けた老人は、短い白髪と赤らんだ両目を怒ったように見開き、何かを凝視していました。傍らの老婦人は、小さくなった体を枯れ枝のように折り曲げ、震えるように、この夫の怒りを不安な眼で見入るばかりでした。

今まで考えていた国際移民の理論はすっかり白紙に戻して、帰国前にLSEの近くでEconomist Bookshopに寄り、人種差別やRacismの文献を探しました。

The Guardian, Monday March 18 2002




Financial Times, Friday March 22 2002


THE SUN, Friday, March 22, 2002

The thin blue line, front line and the double yellow line

既述のCommander Paddickについて、Sunの記者は「犯罪者を取り締まらなければ、犯罪は減って当然だ」と批判します。泥棒を通報しても、警察はなかなか来ない。Commander Paddickが麻薬常習者と泥棒の街にしてしまっても、ニュー・ヨークのような警察は望めない。内務省はGuardianの愛読者で一杯だし、「人権擁護」団体もうるさい、と。


Thaksin’s Slide Toward Authoritarianism

帰国するJALの機内でもらいました。

政府に批判的な論評を載せないように圧力をかけ、記者をクビにしたり、Far Eastern Economic ReviewThe Economistのような評価の高い雑誌の記事や販売に介入したりするのは、政府の権威主義的な傾向を大いに警戒させます。タクシン首相はメディアの独占企業から、政治システムの独占支配を目指すようになったのか、という批判を「市民社会」がどのように受け止めることができるか? どのような社会にも深刻な問題だと思います。