Benjamin J. Cohen, “Capital Controls: Why Do Governments Hesitate?” (the 1999 Annual Meeting of the American Political Science Association, Atlanta, September 2-5, 1999)

May, 2000: Prepared for Debating the Global Financial Architecture, edited by Leslie Elliott Armijo (SUNY Press, forthcoming).

(財)外国為替貿易研究会『国際金融』1052号(平成12年9月15日)、1053号(平成12年10月1日)、掲載

ベンジャミン・J・コーエン「資本規制:なぜ政府はためらうのか?」(改訂版)

小野塚佳光 訳

1997-98年にアジアを襲った金融危機が、世界金融システムの分岐点であったことは疑いない。数年にわたり、各国金融・通貨市場の一層緊密な統合をめざす一方的な流れがあった。資本の国際的な移動性が高まることにより、政治的に、政府はますます守りの姿勢をとっていた。私が数年前に書いたように、「焼け跡から飛び立つ不死鳥のように、世界金融は舞い上がり、諸国の事情に及ぼす権力と影響の点で新たな高みに達した」(Cohen 1996: 268)。残された唯一の問題は、主権国家の伝統的な通貨当局がどの程度まで、結果として、妥協させられるか、ということだけだと思われた。そして私は次のように続けた。「不死鳥は舞い上がった。それは世界を支配するのか?」

しかしそれからタイ・バーツが暴落し、それに続くあらゆる伝染、「バーツイズム(バーツ症候群)」が起きた。多くの者にとって、この事件は、単に政策を制約する市場の新しい権力を確認しただけであった。不死鳥が本当に支配を貫徹したのである。政府には、主権を制限されて生きるしか他の選択肢はない、と。しかし、私も含めて他の者にとっては、選択こそが問題であった。危機が、金融の世界化に広く与えられてきた優先権を再考させるきっかけになった。なぜ政府はおとなしく市場の独裁に耐えているのか? おそらく不死鳥の野生の衝撃をかごに入れるべき時が来たのである。国境を越える資本移動の一つ一つに制限を加えて、それを絞め殺さないまでも、飼い馴らすべき時なのである。

本当に、その時が来たのか? 危機のすぐ後で、私は次のように述べた。「歴史的に見れば、1990年代は金融市場が権力を強めて、ついに最高水準に達した時代、と見られるかもしれない。この潮流は、思うに、逆転しつつある。大恐慌以来最悪の金融的惨禍に直面し、それまで市場諸力に譲渡してきた権力の一部を、再び政策担当者たちが要求し始めているからだ。資本規制の支持に注目が集まっている。かつて過去の遺物と軽蔑されていた資本移動の制限は、間もなく未来の潮流となるだろう」(Cohen 1998b:1-2)。しかし省みれば、この判断は時期尚早であった。すなわち、資本規制が未来の潮流とはならなかったのだ。…少なくとも、今はまだ。この論文の目的は、その理由を明らかにすることである。

問題は、世界経済における通貨関係の管理(governance*である。第一節では、最近の危機に先立つ数十年の間に次第に起きた世界金融環境の変化を簡潔に概観する。それは各国政府にとって、国家の境界内部における通貨問題を制御するのがますます困難になってきた時代である。資本のより大きな移動性に向かう潮流が続く限り、国家にはその帰結とともに生きるしか選択はほとんど無いと思われた。しかし、東アジア諸国に注目して、第二節では、1997-98年の危機の結果、政策判断がどのように再調整されたかを考察する。そして資本規制の賛成論と反対論を第三節で評価する。それは短い分析だが、資本規制を支持する理論が、通常思われている以上に実際には強力だ、ということを示す。

しかし、もしそうであれば、なぜ潮流はもっとはっきりと逆転しなかったのか? なぜほとんどの政府がまだ資本の移動性を直接に制限することをためらうのか? その答えは厳密には言えないが、疑いなく、資本規制に反対するアメリカの卓越した役割、国際通貨問題におけるその支配的権力に関係がある。この問題を第四節で扱い、それに続く第五節で手短かに結論を述べる。

*)著者による解説:「"monetary governance"とは、貨幣や信用の利用可能性とコストを誰が決定するのか、という問題である。国家が貨幣に対する独占権を持つ(領土貨幣の)場合、“monetary governance” “monetary sovereignty” とは一致する。しかし、もしその独占が他国や市場諸力に対して失われれば、両者はもはや一致しなくなる。だから(通貨間競争や通貨の地域化が進む)現在では、両者に大きな違いが存在する。」

T 貨幣の新しい地理学(1)

世界金融環境はこの数十年で大きく変化してきた。しかし、その変化が貨幣の管理に対してもつ完全な意味は、ようやく最近になって広く評価されるようになった。最近の危機以前は、政策担当者が、彼らの権威に対して生じた挑戦にどうやって対処するか、まだ学び始めたばかりであった。

世界金融の戦後の再生はまことに目覚しいものであった。半世紀前には、大恐慌と第二次世界大戦の破壊により、アメリカ合衆国を顕著な例外として、世界のどこにおいても一般に金融市場は弱く、孤立し、厳格に規制されて、かつて国際経済関係の中心的な役割を担っていた地位から、貿易金融をわずかに超える程度のささやかな地位にまで後退していた。しかし1950年代から始まった規制緩和と自由化は、技術的、制度的な革新と組み合わさって、国境を越える活動を制約していた障壁の多くを破壊し始めた。国内競争と国際競争の圧力に突き動かされた累積的な過程において、貸し手にも借り手にも、徐々に商業的な機会が広がった。その結果、資本移動が顕著に増加し、それは、19世紀の金本位制黄金時代以来、並ぶもののない金融的な資金フローの規模に、示された。

一層、驚くべきことは、この変化が貨幣の管理や各国の通貨主権について長く続いてきた慣習に対して意味することである。金融市場の統合が深まることで、国民通貨を分離してきた厳密な境界線はますますはっきりしなくなった。経済主体は、毎日の仕事を自国内にもはや限定しないように、単一の通貨、すなわち母国の通貨を使用することに縛られなくなった。かつて近代国家システムが登場する前にはかなり普通のことであった、国境を越える通貨の流通が急激に再生し、各国通貨間の競争が次第に強まってきた。これは、私が貨幣の新しい地理学、通貨の新たな空間的再編成と呼んだものである(Cohen 1998a)。それぞれの貨幣の機能的な領域は、それを発行した権力の公的な管轄権ともはや正確には一致しない。そのかわり通貨はますます脱領土化し(deterritorialized)、その流通は法律や政治によってではなく、むしろ需要と供給のダイナミズムによって決定される。

通貨の脱領土化は、政府に対する新しい重大な挑戦であった。というのも、政府は国益と言う概念を助長する公的な貨幣の独占(特に、シニョレッジとマクロ経済管理の権力)から生じる特権に長く依拠してきたからである。国民であれ、そうでない者であれ、その通貨利用に対して各国が同じ程度にもはや支配できなくなったため、国内でも国際間でも政府は市場参加主体の忠誠を求めて競争する必要を感じている。実際、各国は自国通貨のブランドに対する市場シェアを維持し、育成する必要があるだろう。こうして独占は寡占に似たものへと変わり、貨幣の管理はその需要を形成し制御するマーケティング戦略の選択とさほど変わらないものになった。

大まかには、二つの重要な考察に基づいて、四つの戦略が可能であった。すなわち第一の視点は、防衛的な政策か、攻撃的な政策か、言いかえれば、市場シェアを維持したいのか、それとも拡大したいのか、である。第二に、一方的に追求するのか、それとも共謀して行うのか、である。四つの戦略とは以下のものである。

(1)     指導権獲得戦略:自国通貨の利用を最大化することを目指した攻撃的で一方的な政策。寡占市場における略奪的な価格支配権に相当する。

(2)     同盟化戦略:通貨もしくは為替レートについて行われたある種の同盟に見られる貨幣主権の共有に関する共謀政策。暗黙のあるいは明示的なカルテルに相当する。

(3)     市場維持戦略:以前に確保していた市場の地位を、拡大するというより、防衛することを目指す現状維持政策。

(4)     市場追随戦略:何らかの為替レート・ルールによって、より強い外国通貨に貨幣主権を従属させる黙認政策。寡占市場における受動的価格支持政策に相当する。

すべての戦略が、順に、説得もしくは強制の戦術を含む。説得とは、貨幣の評価を高めるために投資すること、その通貨が有益さと信頼性を持続するように行動すること、要するに、成功したブランド名を確立し、それを守ることである。強制は、さまざまな金融活動を規制し禁止するための広い範囲の諸手段を用いて実施されるだろう(原則として、資本規制のような嫌われる手段まで含む)。説得も強制も失敗を免れないが、どちらの戦術も通貨の市場における地位に大いに効果をおよぼしうる。二つの戦術は互いに排他的ではないから、実践において、ほとんどの政府が組合せを変化させつつ両者を利用することを学んだ。

1997年の半ばにアジアを襲った金融危機は、何にもまして、貨幣の管理に対する挑戦であった。以前は自国通貨の競争力に誇りを持っていた政府が、利用者の忠誠を維持できないことに突然気付いた。かつて市場シェアを維持するのに十分と思われた戦略が、移動可能な資本による世界的な「質への逃避」という観点から、今や再評価されねばならなかった。必然的に、政策担当者たちは資本規制という無視されていた選択肢を見なおすようになった。

次へ