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「低学年から将来設計を考えることについて」
文学部・社会学部父母会就職支援情報誌キャリアサポート2007年度春号

今回の特集は、学生が将来設計をするにあたって、大学がどう支援しているのか、果たして効果はあるのかという話である。それも、入学間もない低学年次生の段階から、大学教育(正課)の一環として、つまり単位を与えてということになるだろうか。

本学の実情を見ると、決して支援が手厚いというわけではない。それは、充実させる必要がなかったということに尽きる。長らく厳しい就職状況下にあっても、基本的には学生自身が努力して将来を模索し、就職活動でも結果を出してきたからだ。もちろん、そうあるべきなのである。大学が本来の専門教育を全うしさえすれば、将来設計など各自で自然になされ、時期が来れば立派に巣立つというのが理想である。是非そうであって欲しい。

それでも支援は必要かと問われれば、昨今は必要になってきているといわざるを得ない事情が確かにある。ただし、ネガティブな理由だけが徒に強調されるのもバランスが悪い。

私が所属する産業関係学科の学生は、日々そんなことばかり考えている、はずである。身近な問題意識としてあるせいか、将来設計を支援するキャリア科目やインターンシップの経験が、就職活動に有利かどうかをテーマにしたがる学生が多い。極めて「低学年」というべきか、兵庫県の「トライやるウィーク」に代表される職場体験の効果を検証しようとした学生もいた。しかし、様々な制約から、明確な結論にまでは辿りつけた例は少ない。

要は、難しいのである。キャリア科目やインターンシップは、そもそも意識が高い学生だけが利用しているという偏りがある。何をもって就職活動に有利、あるいは就職活動がうまくいったと評価するのかも定かではない。まして、若者の早期離職が問題視される中、新卒採用時の成否だけに拘泥することに、もはやそれほどの意味があるとは思えない。

かように効果の実証は容易ではないが、別の角度から評価できる点は大いにある。例えば、実務家の話を聞く、実社会を見るといった強烈な「体験」の効果だけでなく、膨大な量のレポート作成を通じて自身の考えが明確になる過程を経験し、さらに自身の考えを明確にする要領を習得する工夫がなされている。また、グループワークでの役割分担や振舞い方、意思疎通の重要性を学ぶことも、将来仕事をしていく上で役に立つだろう。これらが担保されているからこそ、正課科目として提供される意義があるというものである。

このような教育効果は、日常提供される専門科目でも、その内容に関係なく涵養されるはずのものである。問題を設定し、先行研究を前提に自身の課題に取り組み、その結果をまとめて周囲と理解を深めるという一連の過程の実効性を高めることに他ならないからだ。

しかし、その場が将来設計を支援する科目であってもいい。純粋な将来設計支援の効果も当然のことながら発生する上に、自身の将来に直結するだけに、専門科目より高い教育効果が得られる側面もあるだろう。少数であっても、学生がそれを求めたときに受け皿があることの大切さ。うずくまっている低学年次生に、「まあ、キャリア科目でも受けてみたら?」と背中を押してあげることが、何かのきっかけになることを期待したい。



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