(前半から続く)
● インド・パキスタンの分離
PS Aug 10, 2018
Is Ethnic Cleansing Coming to India?
SHASHI
THAROOR
FT AUGUST 11, 2018
Muthuvel Karunanidhi, Indian
politician and screenwriter, 1924-2018
Amy
Kazmin
FT AUGUST 14, 2018
Ikea finally opens in India, minus
the meatballs
Amy
Kazmin
FP AUGUST
14, 2018
India’s
Hindu Nationalists Still Feed Off Partition’s Wounds
BY ARIEL SOPHIA BARDI
1947年のパキスタン分離独立は、今もなお、人々に宗教の違いによる対立を生じ、彼らは互いの暴力を恐れている。分離の混乱に巻き込まれた夫婦の孫である女性は、国境地帯に住むが、ヒンドゥーはインドへ行け、ムスリムはバングラデシュだ、という悪夢が人々の頭から離れない、と言う。
今、インド北東部の州、アッサムの住民400万人が、自分たちの国と思っていた市民権を失う危機に直面している。
「国家を宗教によって分割すると、どういうことが起きるか」・・・「2世代を経ても、われわれはその熱狂を味わっている。」
ヒンドゥー・ナショナリズムが忍び込むように広がることで、この国の分離をめぐる前線地帯は対立を深め、かつての分断状況をよみがえらせた。過去の戦闘が再演され、その境界線は繰り返し引き直される。
インドとは何か? 誰がインドに帰属するべきか? それは今も激しい論争のテーマである。いつの国家が、パワーの不均等な分割に従い、「インドが攻撃的に重要な地域を支配した。」「それは統合された実態があったから分離したのではない。統合は1947年の分離の後に始まった。」
BJPは、選挙における優位を得るために、分離の原動力に訴える。ヒンドゥーは1つである。統一と排除。
● ネオ中世と諸都市の繁栄
PS Aug 10, 2018
The World Economy’s Urban Future
PARAG
KHANNA
今、世界中で、政治経済の警報ベルが鳴り響いている。
アメリカの予算赤字は2020年までに1兆ドルを超えるだろう。多くのヨーロッパの銀行が、ユーロ圏の債務組み換え制度がないために、再び不安定化している。中国の債務/GDP比率は、かつて日本が示した水準に近付いている。
こうした経済不安は政治の機能不全によって増幅される。すべての政治経済モデルは、3つの主要な、不可逆的、超大陸的な趨勢に直面している。1.グローバリゼーション、金融資本主義による不平等の拡大、2.機械化やAIの進歩による労働力の過剰化、そして、3.人口トレンドの偏りである。
世界人口が120億を超えて、マルサス的な危機の局面に入る、と予測する者がいる。特にアフリカだ。しかし、北米、西欧、北アジアでは出生率がすでに人口規模を維持できない水準まで落ちている。アフリカ、インドの人口増加は続いているが、世界の人口学的なデフレはすでに始まっている。
問題は、歴史的に観て、人口減少が貿易、技術革新、生産性上昇と結びついて、経済発展の原動力をなしてきた、ということだ。それらが逆転する恐れが強い。成長を持続させる新しいアプローチが必要だ。
それは都市・地方のダイナミズムであろう。すでに発展した地域は、ネオ中世のような姿、すなわち、人口の集まる、ダイナミックな都市の集合体と、人口が減少し、破たんする町や地方とによってできている。
問題は、必要な人的資本をどうやって引き寄せるか、ということだ。手ごろな価格で手に入る優れた住宅、効率的な公共交通機関、専門的な教育環境、など。さらに、新しい世代はリベラルな文化や多様なライフスタイルを求めている。
ネオ中世的な世界で、都市は安定性と良好なガバナンスの群島であり、不確実さの海に浮かんでいる。それは諸都市が、国家よりも、変化する現実に適応する能力が優れているからである。世界がこうした群島から成ることを追求するなら、その姿はどのように変わるか?
アジアでは、債務の水準を下げ、貧困を減らし、多数の人々が都市のサービス分野で雇用されるだろう。国境を開放して移民を受け入れるなら、さらに数十年の高成長が維持できる。中国、韓国、日本、タイは、労働力不足を解消するため、ASEAN全域の若い労働者が境界を超えるように支援する。
成功のカギは、不均等な政府債務水準を相互に負担し、経済が必要とする数百万、数千万の移民たちを文化的に同化させる、政治的な挑戦に加わることだ。
都市こそが、賢明な政治経済的決定の物語を生み出し、経済や社会の構造変化を実現するメイン・エンジンである。
● 移民の子供たち
NYT Aug. 11, 2018
The Impossible Choice My Father Had
to Make
By
Reyna Grande
トランプ夫人は、移民たちが子供を連れてくることを非難した。
子供たちの命が危険にさらされるのを望む親はいない。しかし、私の家族のように、国境を超えることが唯一の希望である場合、子供たちを置いてゆくことは苦しい選択だ。私は9歳であった。父は姉や兄を連れていくけれど、私は残るように言った。しかし、私は父に頼んだ。
● ウェストファリア
FP AUGUST
10, 2018
Meet the
Middle East’s Peace of Westphalia Re-enactors
BY BORZOU DARAGAHI
● プラハの春
FT AUGUST 13, 2018
The Prague Spring still haunts
Europe
Tony
Barber
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The Economist July 28st 2018
Planet China
China’s Belt
and Road Initiative: Gateway to the globe
Charlemagne:
The Salvini effect
Gambling in
Japan: Betting big
Banking in
Japan: Fistfuls of dollars
(コメント) 中国の「一帯一路イニシアチブ(BRI)」をどう見るべきか? それは、ユーラシアからアフリカまで、巨額の融資と投資、インフラ建設をもたらし、世界を単一の輸送ネットワークに統合する。しかし、ギリシャやインド洋、ラテンアメリカまで、地政学的な戦略とも切り離せない。そこには明確な基準や統一した方針が何もない。
ブレトンウッズ体制に代わる中国式の世界秩序ではない。マーシャル・プランとEUが行ったことを、はるかに短い期間で実現するかもしれない。EU諸国はBRIの透明性、投資基準を重視し、労働基準、債務の持続可能性、実施手続きの開放性、環境基準も明確にするよう、中国に求めている。
ギャンブルの奨励策と、過大な通貨供給を銀行の冒険的な対外融資に挑ませる、アベノミクスの「成功」とは何か?
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IPEの想像力 8/13/18
インドのチャトラパティ・シヴァージー空港(地域政党シブ・セーナーの改名運動による空港名)に着いて、私が最初にしたことはe-Visaの入国手続きでした。何度か眼鏡をはずしてレンズを観ただけで、特に難しい質問もなく、査証を発行してくれました。
しかし、プリペイドのタクシーを利用したのはまずかったようです。最初のカウンターではなぜか拒まれ、他の客が待つカウンターで1400ルピーも請求されました。その後のインドの経験から考えて、この価格は法外です。渋滞でタクシーがなかなか来なかったのかもしれません。それでもMummbai Centralまで、2倍から3倍を請求されたと思います。
軍人(のような警官)たち?が警備する、廃墟のような巨大な建物から出ると、蒸し暑い空気に包まれました。なかなか来ないタクシーを数人の乗客たちが待っています。ともかく乗れたタクシーを喜び、私は空港からの都市部へ向かう街の眺めを楽しみました。
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ムンバイ(ボンベイ)の都市交通を担うのは、鉄道、バス、オートリキシャー、タクシー、メトロ、です。旅行者の多くはタクシーを使うのでしょう。しかし、タクシーは、ドライバーが英語を解さない場合が多く、しかも、価格が必ずしもよくわからないので使いにくいのです。メーターはありますが、何かと理由を付けて、交渉によって変わるようです。
私はどんな街でも公共交通機関が好きです。人々の暮らしや空気を感じることができる、と思うからです。ムンバイでもそうでした。現地で研究に励む久保田さんに教えてもらって、何とか鉄道の乗り方を学びました。バスは、どこで降りてよいのかわかりません。それに、ムンバイの町では、あまり見なかったように思います。
電光掲示板に、行先、発車時間?、SはSlow各駅停車/FがFast快速、などと表示されますが、それは容易に理解できません。行先が1文字に略記され(たとえば、Cが南端のChurchgate、あるいは、Vは北の駅Virarを意味します)、3通りほどの言語で表示されますが、英語表記はなかなか出てきません。英語を使用する人が少ないのですから、当然ですが。プラットフォームに降りてからも、時間通りに来るわけではない列車を、他の乗客に尋ねたり、磁石で確認したり、また、すいた乗り口を探してウロウロしなければなりません。
チケットは、スマートカードで発行することを久保田さんに教わりました。画面の地図を使って、行き先を指定し、途中に乗り換えがあれば経路も指定し、セカンドクラスか、変更してファーストクラスにするか、決めます。列車には3つの路線があります。ウェスト、セントラル、イーストです。大体、この基本を理解してから乗れるようになりました。
・・・いや、まだですね。たとえば、セカンドクラスでは時間によって乗客が非常に多い。そもそも扉は閉まらず、乗客があふれたまま開けっ放しで走ります。そして、駅が近づくと降りる人は戸口に集まってくる。減速し、停車するころには、人々が降り始めるのです。というのも、乗る人々が殺到して来て降りることができなくなるからです。もたもたしていると後ろの人に押し出されます。
まだ動いているのですから、進行方向に向けて降りて、走りながら、ようやく減速します。しかも、戸口に集まってくる人をかき分けて、突き抜けねばなりません。ときには、乗る人と降りる人に挟まれて衝突し、潰されそうになります。
夕方、セカンドクラスで乗ったとき、どこかの駅で、やたらにテンションの高い人々が集団で乗り込んできました。彼らは大きな声で話し、笑い、荷物を頭上で手渡しして、次々に中へ押し込み、空いた棚に載せ、柵の隙間にも押し込みました。そのとき私たちは座っていたのですが、頭の上を行き交う荷物や垂れ下がる紐を、隣のインド人男性は気にすることもなく、友人との会話に首を振っていました(インド人は、上下にうなずくのではなく、首を左右に揺らすのです)。
男たちの哄笑はさらに興奮度を増し、ときには手拍子入りで歌い始めました。それが、極度にすし詰めの車内で、です。私たちは降りることをあきらめ、乗客が減る北の駅まで、乗っているしかありませんでした。
ファーストで乗ろう、と久保田さんと話したのですが、その後も、やはり混んでいるときのほかはセカンドで乗りました。車両には、TのファーストクラスとUのセカンドクラスがあります。女性専用の乗降口も絵でわかるようになっています。インドの街中や駅で、女性は少ないのですが、彼女たちはほとんどここに乗るため集まります。
ファーストの運賃はセカンドの5倍から10倍以上もします。セカンドで5とか10ルピー(10円、20円)のところがファーストなら70とか130ルピー(100円、200円)になるのです。ファーストクラスが空いているのは当然です。それだけの所得があるビジネスマンや専門職の人が多いと思います。
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あるとき、私たちに話しかけてきた青年に、私は尋ねました。あなたはインテリの1人だと思うが、民主主義をどう感じているのか? 信頼している? あるいは、恐ろしいか?
彼は、建築家である、と自己紹介しました。彼の答えは、私の質問がうまく伝わっていないために、ポイントを外れた内容でした。しかし少なくとも、真剣に、連邦政府の姿勢を懸念していることがわかりました。
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インドの街を歩いて、何を考えていたか? ・・・人が多い。・・・高層ビルとスラムが混在する。・・・もしこのギャップを市場による富の追究によって解消することができれば、すばらしい成長の機会があふれているのではないか?
欧米でも、日本でも、さまざまな社会集団が、さまざまな地域と社会的障壁によって分断され、暴力や信仰・偏見によって、安全な生活圏を確保しようとしていたのではないか? インドが今も保持する社会集団の差別的構造は、次に飛躍する大きな潜在能力を持つように思います。
外国企業がインドのビジネスに参入し、人々を雇用するとき、また、インドの底辺から起きる新興企業が外国市場に輸出するとき、インドの成長が群島のように広がって人々の意識や社会政治構造を変え始める瞬間を、私は目撃するのかもしれない、と思ったのです。
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メトロは新しい交通手段です。窓口でチケットを買いましたが、50ルピーしました。長い距離なら100ルピーほどするのでしょう。この値段は、列車のファーストクラスに近い感覚です。すべての乗客が同じ運賃です。
メトロはビジネス街を通るせいか、価格が高いせいか、貧しい人はほとんど乗っていない、と思います。降車する人を優先し、乗る人は両側から並んで乗車するように、図解して指導していました。都市の地下鉄のようですが、高架を走っています。
このメトロは、インドの交通体系を変える試みです。従来の秩序は、列車、リキシャー、タクシー、だと思います。リキシャーはオートリキシャーであり、バイクに2人ほどの荷台が付属しています。列車の駅と駅をつなぐ手段です。駅周辺に多くのリキシャーが客待ちしています。
この素朴な乗り物は、路面が悪いと非常に揺れて、荷物が飛び出そうになります。両足を前の壁に突っ張って、体と荷物を固定します。リキシャーにもメーターがあり、初乗り18ルピーでした。
交通体系を破壊する試みは、さらに明確な形で、UberそしてOlaというスマホのアプリに見られます。ホテルからタクシーに乗るとき、あるいは、NGOから空港に向かうとき、私のためにアプリでタクシーを呼んでくれました。なぜ流しのタクシーを停めないのか? と尋ねると、やはり、アプリの方が、価格が明瞭である、と説明しました。
Mumbai Centralより近いとはいえ、Chamburから空港まで、料金は370ルピーでした。
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街中の通りにも、何度か白い牛がいて、ヤギもいました。路上には多くの犬がいて、犬たちは人と同じような態度(?)で寝転んだり、歩き回ったりしています。人が来ても、犬は逃げません。人は人でしかなく、犬にも自分たちの場所がある、という感じです。駅でも、食堂でも、大きな犬が入り込んで、悠然と横たわります。
貧しい人間は路上で暮らし、子供たちは(貧困地区の)道路に、そのまま、糞尿を排泄します。単なる路上で、別に、隅によって排泄するわけでもありません。そうなると、牛、ヤギ、貧しい人の区別は、次第にあいまいなものになってきます。スラムの住居は、1部屋に5人とか、それ以上が一緒に暮らし、トイレや風呂はありません。共用のトイレ、あるいは、公設のトイレを大人たちは使うようです。
5歳くらいの子供が、服をまくって小さなしりを出し、道路の真ん中で排便する様子を観るのは、ショッキングなことです。通りの店の前、階段の隅で、とても小さな赤ん坊にミルクを飲ませる痩せた父親を観るのも。ベンチに横たわって眠る(汚れた?)女性を観るのも。
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しかも、それは決して彼らが貧しさに苦しんでいる、悲しんでいるからではありません。貧しい地区では、細かい商店や露店がぎっしり並んで、食べ物や衣服を売っていました。当然、それらはとても安いのです。
むしろ、社会的な限度を超える大きな格差が、平然と、1つの町に並置されていることこそが、衝撃的です。
彼や彼女が豊かな人々の暮らしをどう思っているのか、私には想像できませんでした。少なくとも、宿命を呪うことや、支配されていることに恨みを持つことで納得するわけではないでしょう。法律や民主主義はどうなっているのか? 暴力的な形で不満が爆発する、それを弾圧する警察や軍隊が秩序を守る、そのバランスがいつも問われているのか?
子供たちは元気に遊び、スラムからリュックを背負って学校に通う姿も観ました。学校は(その制服が示すように、「近代的な」国民を創り出す学校であるなら)、おそらく、こうした生活の在り方を変える1つの試みでしょう。親たちは子供に、どのような未来を望んでいるのか?
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IPEの想像力 8/20/18
教育は、インドの社会改革を目指す人々にとって、理想主義の実体であり、魔法の言葉です。
TISS(Tata
Institute of Social Sciences)の研究者3人、そして3つのNGOとJANATA Weeklyの編集者に会って話しました。
あるいは、それはインドの国民精神を形成した「ガンディーの思想」なのでしょうか。
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TISSのLingam先生の話で一番驚いたのは、都市の住民に識字率の改善が進んでいる結果として、インドの民主主義は強化された、という意見でした。
わたしは、そもそも、BrexitやTrumpによって示された民主主義の限界、政治の機能不全を意識してインドに行きました。それゆえ、Lingam女史が、新聞やSNSなどを積極的に評価する姿勢に驚いたのです。他方、政府が社会福祉や公共交通手段への投資不足、教育やNGOなどへの補助金をカットしていることを批判した、と思います。
グローバリゼーションの評価について、それが格差を拡大している点で、否定的でした。(私は、その後も、必ず、グローバリゼーションがプラス面とマイナス面を持つのではないか、という意味の質問をしました。)
続けてお会いしたPatel先生も基本的に同じです。お2人は女性問題、エンパワーメントの専門家です。さまざまな女性解放運動や差別問題、NGOの歴史を研究している点で、インドの女性が圧倒的に不利な経済・社会条件を強いられていることに意識的でした。
Patel先生の話で私が強い印象を持ったのは、「連帯Solidarity」という言葉を繰り返したことです。彼女の考えでは、女性の地位を向上させるうえで、政府の役割は特に重要です。グローバリゼーションが女性にとってもっと有利な形に実現できるよう、政府は責任を果たすべきなのです。
その意味で、「連帯」が政府を動かす、と彼女は考えます。既存の市場型経済ではなく、貧しい者や女性の利益になるよう、人々が政府に要求します。(以後のインタビューを通じて、私の話した識者たちは、ニューデリーの連邦政府、政治家たちの政治と、民衆が関わる政治とを、区別していることがわかりました。)
私は、この点でも、偏った悲観主義をぬぐえませんでした。ポーランドのかつての運動を思い出し、あるいは、先進諸国の「社会主義」政党の多くが消滅する時代に、「連帯」という言葉で希望を語るのは、少し、異なる惑星の地図を観るような印象でした。
しかし、もしインドの政治が、異なる歴史や文化を表すとしても、同じ星のものだと本気で理解するつもりなら、「連帯」という言葉の包容力や理想主義、底辺からのダイナミズムを学ぶべきだ、と思います。
インドを変えるには「教育」が重要である。特に、TISSのような社会科学を、もっと学ぶべきだ、とPatel女史は強調しました。
Ramaiah先生は、深い、大きな、ときに、叫ぶような言葉を投げかける人物でした。「カースト制は変わらない。」と、彼は冒頭に断言しました。
なぜなら、それは信仰だから。ヒンズー教の神が、その体の一部をちぎって投げ、人間を創ったのだ。カーストは、神の体の序列であり、変えることはできない。100年経っても。
彼の話は、Ambedkarに及びました。不可触民(あるいは、ダリット)に生まれながら、インド憲法の制定に関わった人物です。憲法はすべての国民に等しく人権を認め、カースト制を否定しています。しかし、人々が信じる限り、カースト制はなくならず、アンベードカルは、仏教への改宗運動を指導しました。
Ramaiah氏はアンベードカルを称賛し、その天才ぶりを自慢しましたが、なお、ヒンズー教至上主義のような運動がダリットたちへの差別を強めていること(そして、BJPやモディ政権)に懸念を示しました。差別をなくすには、「教育」が重要である。しかし、憲法や法律によっても変えることはできない、と彼は考えるのです。
私は、2つの質問をしました。インドにおいて民主主義は機能しているのか? 効果的に社会を改革できるのか? また、グローバリゼーションをどう思うか? インドは、グローバリゼーションによって、どのように変わったか(変わるだろうか)?
彼は、インドは民主主義を維持してきた、という評価(お世辞?)を退けて、民主主義には2つある、と言いました。1つは、政治的民主主義。もう1つは、社会的民主主義である、と。インドには前者があるかもしれないが、後者はない。それは、前者をめぐる中央政府・議会の権力争いと、社会的な民主主義の実現とを区別しなければならない、という主張でした。
何がカースト制をなくせるのか? Ramaiah氏は、グローバリゼーションがそれを助けるだろう、と断言しました。ダリットはグローバリゼーションを歓迎する、と彼は論説に書いたそうです。インド企業は、今でも、ダリットを雇用しない。能力よりもカーストを重視する。しかし、外国企業は違う。だからもっと外国企業がインドに投資し、ダリットを雇用して、差別を続けるインド企業と競争するべきなのだ、と。
2人の女性問題研究者と対照的な主張に、私はとても感動しました。イスラム教徒への差別や、高成長によるインドの変化についても質問しましたが、ダリットの解放をめぐる彼の主張と緊密な関係を見出すことはできませんでした。
すべての民が1つになる。たとえ旧民主主義国の人々が不安や苦しみを感じるとしても、彼はグローバリゼーションを支持する、と思いました。なぜなら、それが理想ではないのか? と。ダリットこそが、その実現を求めている。民主主義や市民の平等な権利を信じるなら、ダリットを恐れることはない。
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3つのNGOも訪問しました。CORO、Vacha、SMSです。
Kurlaの駅からリキシャーでCOROの近くまで行きました。Google
Mapを観ながら歩いていると、男性がCOROを探しているのか? と訊いてくれました。そうだ、と言うと、小さな建物を教えてくれたのです。
そこには、透明な壁で仕切られた電話相談のスペースと、来訪者のための応接スペースが合わさって、5人ほどのスタッフがいました。私がインタビューをお願いすると、しばらくして、Ganeshという男性が現れ、応えてくれました。
彼が強調したことは、女性たち、子供や思春期の問題を、コミュニティーと協力して解決している、ということでした。インドの女性に強いられた厳しい条件を、彼は説明していたと思います。結婚をめぐる問題、夫が死ぬと妻に焼身自殺を強いる因習、親が決める早婚、強姦や差別に、少女たちは日常的に苦しみます。
COROは学校の授業にも参加・協力し、あるいは、少女たちに作業を与えたり、文字を教えたりする、ということでした。Ganesh氏は、マハーラーシュトラ州全体の活動やデータを挙げて、COROが政府の活動を分担する意義を訴えたように思います。
私は、つい、財源はどうなっているのか? コミュニティーの指導者は保守的な人々ではないか? 宗教指導者が「差別」の解消に同意してくれるのか? と疑問を口にしましたが、彼は、自分たちの活動は長期的な信頼関係を築く者であり、コミュニティーも支持している、と自信を示しました。
それは、「理想主義」、「高踏的」な態度である、という印象を持ちました。私は、民主主義の意味、経済成長と政治に関する質問をしましたが、抽象的で、的を突いた質問にならなかったと思います。彼は、成長が格差を拡大していること、モディ政権の市場重視の姿勢に明らかに批判的でした。もっと底辺の人々に利益をもたらす経済を求めている、と思いました。
COROが示すような、地道な活動がインド社会に何をもたらしているのか? Ganeshは、私にインド憲法の前文から引用したポスターをくれました。このポスターこそ、自分たちの活動の意義を示している、と訴えたかったのでしょう。この憲法を採用するとは、インド人民が “a
Sovereign Socialist Secular Democratic Republic” を構成することであり、すべての市民に “Justice正義, Liberty自由, Equality平等, Fraternity友愛” が保障される、と宣言しています。
インド独立・憲法の精神こそが、こうした市井の社会改革運動を今も刺激し続け、国民形成のための重要な運動・その容器になっているのだ、と私は感得しました。
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Vachaのイベントがある、と教えてもらったので、私はMetroのAzad Nagar駅まで来ました。まだ1時間ほどあったので、ネットで調べたセンターに行ってみよう、と歩き始めたのですが、これは失敗でした。道路名がわからず、Google
Mapもうまく使えません。さらに、どしゃ降りです。
若者に尋ねたり、オートリキシャーのドライバーに尋ねたりしましたが、わかりません(ヒンドゥー語かマラータ語が多いそうです)。仕方なく駅に戻って、私は電話しましたが、これも通じません(NTT海外パケット契約は、ローカルの電話とつながらない?)。
四苦八苦して、私の元学生からVachaのスタッフの電話番号を教えてもらい、その番号をリキシャーのドライバーに示して、彼が電話して、その携帯電話を使って話す相手と代わってもらい、ようやく話せたのです。
迎えに来てくれたのはProject
Co-OrdinatorのTrishaさんでした。Trishaはコミュニティーのなかを歩いて、彼女たちが地区の少女を集めて教えている建物や人々の生活環境を説明してくれました。それはイスラム教徒の集まる貧困地区(スラムと呼ばれる一帯)であり、彼らは出身地と信仰が共通するコミュニティーでした。建物は小さく、狭く、泥道がうねうねと続き、一カ所では巨大なごみの山ができていました。
教室とはいえ、粗末な建物の入り口には犬が寝そべり、ドアを開けて入ると、がらんとした空間があるだけです。隅に寄せたいくつかの机と、旧いパソコンがありました。20人くらい入ればいっぱいでしょう。ここで少女たちは、読み書き、英語、感染症(生活の場に動物がいる)、栄養(赤ん坊が栄養不良になる)、パソコン、会計、などを学ぶそうです。
途中、Trishaが歩いていると寄ってきた少女たちの内、2人が一緒に来て、嬉しそうに説明のようすをうかがっています。壁に貼ってある絵の1枚は彼女が描いたものでした。そして、私に英語で簡単な挨拶をして、私が尋ねると、ここで学ぶことがとても楽しい、と笑顔で答えました(ただし、1人は全身を黒い布で覆うニカーブであるため、表情がわかりません)。
コミュニティーの中、市場を歩いた後、私たちはグランドへ向かいました。大きなグランドですが、日ごろ、女性がここに来ることはないそうです。男子だけが使う場所です。多くの行事や活動から、女性は排除されているのです。
Vachaが実施したイベントとは、女性も学校に行こう、と奨励し、彼女たちが学んだことを称賛するために、自分たちで卒業式を行う、というものでした。舞台にテーブルと椅子を並べ、幕を張り、マイクの設置、進行の打ち合わせを10名ほどの中心的な少女が行いました。観客として数十人の少女が座り、前の席は母親たちのためにあけて、女性の朝の仕事、水の配給を受けることを終えて、集まるのを待ちました。
私は、最初、観客席の隅に座って観ていました。しかし、舞台上の隅の席に座るように招かれ、その後、主賓である国民会議派の地区の議員が何人かの仲間とともに登場すると、もっと真中へ来い、と呼ばれました。結局、主賓の横で、少女たちに卒業証書を手渡す1人になったのです。
少女たちは、堂々とマイクを持ってあいさつし、芝居を行い、合唱し、ダンスを披露しました。卒業証書を受け取るとき、彼女たちが示した誇らしい笑顔がとても印象的でした。
この日(8月15日)はインドの独立記念日でした。
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SMS(Stree
Mukti Sanghatana:Women’s
Liberation Organization)の会長Mhapsekarと会って、話を聞きました。
最終日であったため、荷物を持って、私はホテルからタクシーに乗りました。ホテルの経営者はUberでタクシーを呼び、待つ間にホテルを利用した感想を求めました。何か不都合なことはなかったか?
私は、深夜に入ってきた多くの客がうるさかったこと、シャワーのお湯がすぐに水になることを指摘しました。経営者は真剣に聴いたうえで、必ず改善しておく、と約束しました。
タクシーは、スマホが示す地図上の目的地に向かいました。しかし、それは私の地図と違う場所を示しています。そのことを何度か示して注意したのですが、ドライバーは聴きませんでした。彼が、ここだ、という場所で降りて、建物のガードマンに尋ねると、やはり違います。
私が示す地図の場所へ行くのか、と思うと、次の交差点で、女性が乗ってきました。彼女はしきりにドライバーと話し合っています。何者か、わかりません。ドライバーの妹さん、とは思えません。
彼女は、ノートを見せなさい、と言うので、訪問先のスケジュールを書いたノートを示しました。ところで、あなたはだれか? と尋ねると、次の客だ、と答えました。私を降ろして、次の客を迎えに行った、というわけです。
英語を介する彼女の助けで、タクシーは約束の産科病院に着きました。彼女は弁護士だ、ということです。
SMSの事務所は、その病院の片隅に、小さな小屋を借りて営まれていました。マプセカー女史は、時間通りに現れて、蚊がしきりに襲ってくる小さな部屋で、パンフレットなどを示してくれました。とても小さな女性ですが、固い信念と、女性の地位向上に奉仕する強さを感じました。
SMSは、女性からの訴えを聞いて、問題解決のためのカウンセリングや指導を行います。家庭内の暴力や強姦の相談、結婚や離婚の証明、働かない夫、など、何度もカウンセリングを重ねる、と言います。記録を取って、問題の解決を促します。数名の女性スタッフが来て、自分たちの仕事を説明してくれました。
SMSは、また、有機ゴミのコンポストを使用する技術を女性たちに教えていました。ごみ処理のカーストとして、容易に他の雇用や収入を得る機会がない彼女たちが、ごみを選別し、あるいは、雑草を刈って、コンポストを管理し、肥料とガスを得ます。どちらも売ることができるのです。
マプセカー女史は、自分の仕事は女性の指導者を育てることだ、と言いました。それも、コミュニティーや小さな組織の指導者です。そして、コンポストは彼女たちに管理できる知識であることが重要だ、と考えます。SMSは、こうした地域の組織を集めるとか、政治的な組織化を行いません。知識や技術を伝え、純粋に、女性たちの地位向上に尽くすのです。
昼食のために、私たちはTISSの別のキャンパスへ車で行きました。この食堂は、SMSが支援した組織によって運営されており、女性たちの重要な雇用の場となっているそうです。ここにもコンポストがあり、職場の代表が来て、挨拶してくれました。
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