前半から続く)


 ユーロ危機

FT August 7, 2017

Lessons for the eurozone from Greece’s painful crisis years

George Pagoulatos

Project Syndicate AUG 7, 2017

Who Will Be Europe’s Alexander Hamilton?

SYLVESTER EIJFFINGER

FT August 10, 2017

Why a Franco-German bargain will help secure the euro

Marcel Fratzscher


 愚者たちの社会主義

Project Syndicate AUG 7, 2017

The New Socialism of Fools

J. BRADFORD DELONG

主流の経済学によれば、グローバリゼーションはすべての船を浮き上がらせる。分配にはほとんど影響がない。しかし、Dani Rodrikがしばしば指摘するように、関税や非関税障壁の撤廃は、わずかな純利益と、それに比べて大幅な再分配を引き起こす。

経済理論によれば、再分配は、その国の輸出と輸入とで、必要な生産要素の比率が大きく異なるときだけ生じる。しかし、現在の世界経済では、そのような差は存在しない。階級よりもジェンダーの違いが、グローバリゼーションの進展に伴って再分配を生じている。しかし、21世紀の資本主義について、それを取り上げる声はない。なぜか?

1.政治家たちは、投票権を持たない外国や移民を非難する。21世代以上も不平等が拡大し、グローバルな北の諸国は予想外の低成長を経験した。それは政治的、心理的に、スケープゴートを強く求めている。3.中国の目覚ましい成長と、同時に、北側では完全雇用が実現できなくなった。ネオリベラリズムは、市場開放だけでなく、完全雇用や永久に続く高成長を必要とする。

4.積極的な社会政策と、経済的・地理的な再分配がもっと必要だった。現在、グローバルな北側の経験している問題は、1920年代、30年代のケインズが見ていた問題とそれほど違わない。当時、ケインズが注意したように、完全雇用を実現することだ。

またポランニーが論じたように、社会的経済的な権利を保護するのは政府の役割である。人々は、健全なコミュニティーで暮らし、安定した職場、人並みの所得を得る権利がある、と考えている。しかし、こうした権利は、ネオリベラルが認める所有権と希少資源への要求から自然に満たされるものではない。

世界金融危機はグローバルな北側の「大不況」をもたらした。政府は、まだ、そのダメージに対応した行動を取っていない。彼らがすぐに行動しなければ、今後、愚劣な主義主張が蔓延するだろう。


 クルディスタン

Project Syndicate AUG 7, 2017

The Case for Kurdistan

SHLOMO BEN-AMI


 アジアの安全保障

Project Syndicate AUG 7, 2017

Asia’s Evolving Security Order

LE HONG HIEP

日本とベトナムは戦略的パートナーになれる。アメリカのトランプ政権がアジアの安全保障に関する負担を嫌う中で、中国と対峙する両国が、開発援助から軍備の強化に至る本格的な関係の確立を望んでいる。

それは、ある意味で、オバマ大統領が望んだ「戦略的ネットワーク」を形成するものであるだろう。日本はベトナムだけでなく、同じ懸念を持つ他のアジア諸国、オーストラリア、フィリピン、シンガポール、インドとも協力関係を深めている。

もちろん、日本の第2次世界大戦で果たした役割は問題となる。例えば日本がベトナムを占領した時期に、200万人のベトナム人が餓死した。しかし、天皇の訪問後、両国は和解を進めてきた。

FP AUGUST 7, 2017

Who Will Win the Great China-India Naval War of 2020?

BY JAMES HOLMES

China Daily 2017-08-07

Geostrategic miscalculations are behind India's border trespassing

By Yi Fan

Project Syndicate AUG 8, 2017

Calling the Chinese Bully’s Bluff

BRAHMA CHELLANEY

FP AUGUST 9, 2017

ASEAN’s Golden Moment in a Time of Crisis

BY NINA HACHIGIAN


 ロシアへの制裁

FT August 8, 2017

Slapstick multitasking beckons for the US Embassy in Moscow

Katrina Manson

Bloomberg 201788

Why Shirtless Putin Is Having the Last Laugh

By Leonid Bershidsky

NYT AUG. 9, 2017

The Smart Way to Deal With Putin’s Russia

By JOHN McLAUGHLIN

FP AUGUST 10, 2017

Riding the rails to Russia with the migrant workers of Central Asia.

BY JOSEPH SCHOTTENFELD

Bloomberg 2017811

The One Big Problem With New Russia Sanctions

By Meghan L. O'Sullivan


 雁行形態論

FT August 8, 2017

Manufacturing flocks to new corners of Asia

Robin Harding

「早期脱工業化」によって、アジアの雁行形態型工業化のモデルは死んだのか?


 インド

NYT AUG. 8, 2017

India’s Barefoot Lawyers

Tina Rosenberg

Project Syndicate AUG 9, 2017

India, A Land of Belonging

SHASHI THAROOR

FP AUGUST 9, 2017

India Is Weaponizing its Spiritual Tourists

BY RAKSHA KUMAR

FT August 11, 2017

India and Pakistan are still paying for a botched partition

Jawad Iqbal


 偉大な指導者

Project Syndicate AUG 9, 2017

What Makes a Great Leader?

KISHORE MAHBUBANI and KLAUS SCHWAB

私たちはシンガポールで夕食をとりながら語り合った。指導者の資質とは何か?

Klaus, the five key elements were heart, brain, muscle, nerve, and soul. For Kishore, compassion, canniness, and courage were key, as was the ability to identify talent and understand complexity.


 ヴェネズエラ

The Guardian, Thursday 10 August 2017

The west is gripped by Venezuela’s problems. Why does it ignore Brazil’s?

Julia Blunck

Project Syndicate AUG 10, 2017

The World’s Duty to Venezuela

BERNARD-HENRI LÉVY


 メキシコの二重経済

Project Syndicate AUG 10, 2017

The Mexican Paradox

SANTIAGO LEVY and DANI RODRIK

メキシコは、1990年代半ばの通貨域の後、マクロ経済の改革に努め、NAFTAにも参加して、大きな前進を遂げた。しかし、その成長は平均で観ると非常に不満足な物であった。その原因は、極端な二重経済が存在することだ。

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The Economist July 29th 2016 

Venezuela’s agony

China’s navy: The new gunboat diplomacy

AI in China

South Korea hairstory: How wigs tell the story of South Korea

Six big ideas: The theory of the firm

(コメント) 中国海軍の増強と,バルチック海におけるロシア海軍との合同演習について,記事は恐れるより歓迎せよ,と述べています.そう,面白い.

中国は世界の経済大国であり,世界貿易に依存している,海洋の安全保障に責任を果たすことは望ましい,と.それは,かつてイギリスやアメリカが世界の海に海軍を送ったのと同じ理由です.そして中国は,アメリカ海軍がアジアとの貿易に大きく依存し,その安全保障を担うことにも理解を示すようになるだろうから.

アメリカは中国にRIMPACへの参加を呼びかけるべきだろう.

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IPEの想像力 8/14/17

雨の心配をしながら、北岳に登りました。台風はないけれど、東日本の多雨をもたらしている気圧配置が、天気図に現れていたからです。(夏山登山、初心者の方は、どうぞ読んでください。)

肩の小屋のホームページを観て、芦安からバスで行くのが良いと思い、京都からの夜行バスを予約しました。お盆休みの期間中に、なかなか適当なバスがなく、これもなくなりそうだ、と思ったのです。結果的には、夜行バスで睡眠不足の登山は避けるべきでした。

関西から行く場合、南アルプスへのアクセスは伊那市から北沢峠になるようです。それも調べたのですが、バスの乗り継ぎが何度もあって大変で、ちょっと無理か、と思いました。

京都駅八条口の、そう言えば、何年か前に整備されたバス発着場所で、私は2150分のバスを待ちました。こうした時間にも多くの人が出歩く京都駅を観ると、なるほど景気は良いのかな、と思ったりします。

午前4時、まだ夜が明けない甲府駅前に、予定通りバスは停車しました。武田信玄の像の下、集まるような形で、ここにも整備された甲府駅のバス発着所がありました。その少し手前、大きな駅前通りで夜行バスを降り、ローソンでパンとジュースを買って、私は広河原行き登山バスの乗り場に並びました。

長距離バス・夜行バスとそのシステムが整備され、定刻で走る列車、短時間で移動できる飛行機、さまざまな早期割引・周遊チケット、メインルートのチケットを格安で転売するショップ、さらには高価な超高級列車、さまざまな形をとるフェリーの復活、など、市場メカニズムのダイナミズムが確かに移動・輸送の形態変化を生んでいる、と実感します。ちょっと、ヨーロッパの移動手段や旅行者のイメージと似ているな、と思いました。

甲府駅から広河原バスステーションまでは2時間かかります。芦安から先はマイカーの交通規制があり、登山バスと乗り合いタクシーだけとなります。トンネルをいくつも抜けて、バスは蛇行しながらぐんぐん高度を上げ、女性の車掌さんが山並や登山口、イワナ釣りの説明をしてくれました。あいにく雲が多くて、山の姿はほとんど見えません。

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広河原に着いたのは、すでに明るくなった6時半前でした。女性も含めて多くの登山者たちが集まっています。なかなか立派なインフォメーションセンターで、どんな設備があるか、特にシャワーがあるか確認したかったのですが、登山届を出す人などでかなり混んでいました。私は中に入っただけで、すぐに登山道を目指しました。

ヤマレコの写真やYouTubeの動画で観たように、野呂川を渡る大きな吊橋を歩いて、さあ、いよいよ高低差1700メートルの登山だ、と気合を入れ直しました。後で考えると、これは400階か500階までビルの階段を上ることになります。100階建のビルを、エレベーターを使わず、階段を上ることはないでしょう。登山というのは、普通の観光旅行ではありえません。

コースタイムは、登山口から白根御池小屋まで3時間10分、草すべりを登って小太郎尾根の分岐点まで3時間、そして肩の小屋まで30分。合計、6時間40分です。

雨の降り方やルートの状態によっては、実際、歩いてみて、標高2000メートルの白根御池小屋で泊まるつもりでした。幸い曇り空のまま雨は降らず、険しい登り道が延々と続きましたが、何とか小屋に着きました。小屋のスタッフの話では、午前中は降らないだろう、ということです。こちらの予約はキャンセルして、休憩を早々に切り上げ、肩の小屋へ向かいました。

しかし、3000メートルまでは大変でした。急な傾斜の草すべりを、いやになるほど登りました。予想通りですが、曇った空に陽が差すこともなく、少しガス(霧)が出てきました。樹木の間ではなく、草むらを登って行くような感じです。斜度は大きく、足にこたえました。登っても、登っても、蛇行した傾斜が続きます。

途中、小さな花をいくつも見かけました。NHK衛星放送でよく観る「百名山」では、高山植物が紹介されます。写真を撮ってくるつもりでしたが、とてもその余裕はありませんでした。カメラを出すことも諦めて、休憩するまで登り続け、くたくたになって休憩するときだけ、ジュースを飲み、写真を撮りました。1度、ザックや服に小さな蝶が群れ集まってきたことがあり、何か不思議でした。まあ、歓迎してくれたのだ、と思います。

まいったな、と何度も弱音を吐きながら、水を飲み、塩分補給の飴や甘納豆を食べ、休憩をはさんで登り続けました。ようやく、小太郎尾根分岐、を示す標識が立っていました。厳しい登りが終わったのです。肩の小屋まで、あと少しです。

たまに若い登山者たちに抜かれ、下山する人とすれ違いました。若者たちは元気です。しかし、人によっては私以上に苦しんでおられました。人間の年齢というのは避けられない制約です。もし今年、北岳に登れないなら、数年後には、登ろうとする気力もないのだろう、と私は思いました。だから今、高い山へ登り、次第に低い山を楽しみます。

肩の小屋へは、その手前に生ビールの看板があり、もう少し歩いた先に、登山者たちがベンチで休み、話している姿を見つけました。しかし、ガスがますます濃くなって、山の姿は全く見えません。着いた、という実感よりも、ここがあの「北岳肩の小屋」なのか? という感じでした。初めて来た標高3000メートルの世界です。

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肩の小屋がどうしてできたのか、その歴史や個性を私は知りません。

厳しい自然の中に、狩猟や防衛だけでなく、美しい世界や人間的な葛藤を見出すまでには、さまざまな歴史的契機を経たはずです。登山というのは、そうした歴史や文化、特異な美意識を共有することなのでしょう。山に関する多くの本、先人の記録や、思想、文化をめぐる書物が、山関係のネットに紹介されています。西洋化する以前の日本の山はどうだったのか、と思いました。

13時ころに到着し、最初に感じたのは空腹です。受付を済ますと、カレーライスをたのみました。なかなか、おいしい。福伸漬けと水がついて、ご飯とルーもたっぷりです。私の到着は、早い方でした。寝る場所を指定されて、ザックを持って2階へ上がりました。だだっ広い部屋に、整然と布団・毛布がたたまれています。暖房が効いて、暗く、窓は小さなものだけで、ほとんどありません。

・・・ここはどこだろうか? と思いました。眺望がなく、高山を理想化するような、爽快な、開放感がありませんでした。ヨセミテやグランドキャニオンのような、山を楽しむ文化・観光システムは未完成なのか、と思います。

小屋の設備は、自分のひどい体調やガスに包まれた状態で観ると、単に老朽化した、規模の大きな掘っ立て小屋でした。それはまた、大杉渓谷を歩いたときに泊まった「山の木桃の家」の印象に比べて、予想外に貧しいものです。山小屋の難点は、当然ですが、水がなく、風呂がなく、汗まみれで、猛烈な体臭の中、すし詰めで眠ることです。桃の家は渓谷の小屋ですから、水が豊富で風呂もあり、台風の合間であったため、私を含めて3人しか泊まっていませんでした。

登るにつれて、ガスで視界が全くないことに加え、私はひどい頭痛を覚えていました。こめかみがズキズキして、頭が膨張するような感覚です。小屋で、何とか疲れを取ろうと思い、屋内で横になると、さらに痛みが激しくなりました。まさに、高山病です。それは、まるで深海にいるような気分でした。

小屋のスタッフに訊くと、原因は空気が薄くて酸素が足りないことに体が慣れていないからだ、ということでした。横になってはいけない。呼吸が浅くなるから。むしろ寒くないようにして、外で深呼吸しなさい、と言われました。なるほど。

濃いガスに包まれて、稜線や山容は何も見えず、外で談笑する人はだれもいません。岩や石垣を超えて動く、生き物のような霧の支配する世界です。

その中を、外国の観光旅行者たちが登ってきました。韓国語のようです。そろいの黄色いレインウェアを着て、黒の野球帽をかぶった若い女性たちでした。通訳が小屋のスタッフと話し合っています。すごいな、こんなところまで観光ツアーがあるのか、と感心しました。

夕方、いくらかガスが消えて、山や渓が見えると、小屋のスタッフが登山者に放送で教えてくれました。みなスマホやカメラを手に持ち、にぎやかに山を探して写真を撮りました。山小屋らしい楽しい時間です。少し下にはテントを張るスペースが広がり、色とりどりの小さなテントと人が見えます。

ここではトイレも汲み取り式で、悪臭に耐えます。歯を磨くにも水は有料です。おいしい食事を期待するわけにもいきません。高山で調理するのは、水と材料の制約だけでなく、沸点など、独特な難点があるのでしょう。頭痛がひどい上に、胸やけがして、私は半分も食べることができず、申し訳ないけれど残しました。

ともかく、第1日の終わりは、苦痛の多い、(自分の経験不足、甘い見通しに対する)不安と不満を抱えたものとなりました。食事の後、1階の広間を片付けて歓談するようでしたが、私はそのまま2階で休みました。

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4時半に部屋の明かりがつきました。5時、朝食です。日の出を見たい人はすでに出たはずですが、気づきませんでした。外はまだ濃い霧のようです。

朝食は、塩鮭の切り身、卵焼き、味付けのり、みそ汁、ご飯、などです。よし、大丈夫。完食しました。何度か目覚めましたが、かなり睡眠をとれたし、体が慣れたのでしょう。これなら山頂を極めて、何とか無事に下山できそうです。

どんどん出発する人が続きます。うれしいことに、ガスの切れ目から稜線がのぞくようになりました。山頂は明るさを増しています。

ガスの中から現れる山頂からの登山者たちは、日の出が見えずに残念そうでした。これから山頂を目指す人々は元気です。寒気も心配したほどではなく、防寒用のレインウェアが暑いほどでした。

それは思った以上に長い、険しいルートでした。ロープを張った岩場も乗り越えて、次第に現れる山の姿と岩塊に、日本アルプスを実感します。何度か、登山者たちと言葉を交わしました。

いよいよ山頂です。ところどころ青空が見えました。標識のそばに立って記念写真を撮る人。稜線を指さして仲間に説明する人。地図とコンパスを置いて、山脈の山々を確認する人がいます。富士山を探して、雲の中に見えるとか、見えないとか、騒いでいました。

私が衝撃を受けたのは、北岳から間ノ岳につながる稜線と、そこに小さく見えた北岳山荘でした。小さな、赤い点のように見えるのが山荘です。計画時には、肩の小屋にするか、山荘にするか、と少し迷いましたが、とても行けたとは思えません。その高度は、遠くから見ることで、一層、強烈な印象となりした。地表に住む者の恐怖を刺激します。

稜線を歩く喜びは、一種の神仙思想ではないでしょうか。容易に近寄れないほど険しく、高い山は、仙人たちの世界なのだ、と私は思います。不老不死、自然との一体化、霞や草を食べて生きる人々です。すくなくとも、金正恩やトランプが好んで歩く危険な道ではないでしょう。

多くの登山者が自然を壊すことを、エコロジストたちはどう思うのでしょうか? どこでも人が増えれば、森林が伐採され、水が枯渇し、廃棄物、土壌の浸食、汚染、種の絶滅、温暖化が問題になります。物資をヘリコプターで搬送し、糞尿は分解処理するか、集めて下界へ搬出します。

富士山もそうですが、山小屋の収容能力を高めることが解決策になるとは思えません。ロープウェイやケーブルカーを敷設し、トンネルを掘り、吊橋をつないで、だれでも登山を楽しむこと、ますます多くの人がマイカーで容易に訪れることが、好ましいかどうか、登山の思想が問われます。

おそらく、登山の好きな人たちは、もっぱら商業目的で観光化するより、山の自然を守って、厳しい登山ルートを維持管理することを支持するのではないでしょうか?

自然の回復を観て登山者の上限数を決め、抽選で登山者を限定してはどうでしょうか? 人気の高いマラソン大会でも抽選を行います。山岳会や愛好会に参加し、登山ルートの整備や自然の維持に基金を積み立て、美しい登山道や山小屋、テント場を整備することが、山を愛する登山家たちの国境を越えた政治的要求になるはずです。

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私が山頂にいたのは長い時間ではありません。たどり着けた達成感はありますが、山の楽しみ方を知らぬまま迷い込んだ感じでした。広河原の帰りのバス時刻が気になりました。

登りも疲れましたが、下山の苦しみはさらにこたえました。山頂では青空も見えたのに、下山し始めるとすぐに雨粒が落ちてきました。これは山の天気というより、気圧の谷でしょう。本降りです。

タイの若者と出合ったのは、小太郎尾根分岐でした。彼はにこやかに私に向かって、なんだか話しかけてきたのです。そうか、外国の観光旅行者だ、と思って、どこから来たのか尋ねました。タイランド、というのを、台湾と聞き違えて、私は、九分に行ったことがある、とか、とんちんかんな話をしました。台北に近い、と。いえいえ、台湾ではなく、タイですよ、と彼に言われて、そうか、と恐縮したわけです。きれいな英語を話し、今はアメリカに住んでいる、という彼がだれなのか、少し興味がわきました。広河原のバスステーションで会いましょう、と言って、私たちはそれぞれに下山しました。

しかし、私は結局、バスステーションに行かず、乗り合いタクシーで芦安に向かいました。タイの若者と再会できなかったことを、私は悔やみました。いや、むしろ、あのとき一緒に下山したらよかったな、と思いました。へたくそでも、楽しく英語で話すことができたら、そうしたでしょう。

雨に濡れた岩はとても滑りやすく、木も滑ります。下山の方が足に疲れがたまり、歩幅を狭くしてゆっくり進むべきなのに、つい急いで、大きな歩幅でスリップし、転倒しました。また、急な傾斜を下り続けるうちに、荷物の重さが次第に支えられなくなり、加速してバランスを崩しました。急な坂で足元が少し滑ると、重みに膝が折れました。

まいったな・・・ と、ストックを樹木や岩に立てかけ、ザックを下して長めの休憩を取りました。ザックのポケットで見つけたのは、マラソン用に買ったアミノバイタルです。そして、リンゴジュースをごくごく飲みました。

ときおり登山者とすれ違うので、正しいルートを進んでいる、という安心感がありました。本降りだけでなく、何度か雷が鳴りました。これから登山する人たちは心配でしょう。昨日、登るときに励まされ、情報を聴いて参考になったことを思い出し、出会った登山者には道を譲るだけでなく、ちょっとした言葉をかけました。

沢に大きな雪渓が見えました。雨はますます強く降り続いています。

やっとたどり着いた二俣の分岐から、私は大樺沢ルートを進みました。雨の日の増水や落石に注意するべきだ、と事前に読みました。そこで、肩の小屋のスタッフに相談したところ、雨でも大丈夫、と聞いたのです。昨日の草すべりより、沢沿いのルートの方が緩やかに下っていくだろう、と期待しました。

中高年者のグループが登るのを観ました。年配の女性も多く、登山の経験はなさそうです。前後にガイドが付いた、登山のツアーだと思いました。雨と疲れによって、悲壮感がただよっています。末尾の若いスタッフに、思わず尋ねました。どこまで行くのか? 彼女は、白根御池小屋です、と答えました。まったく、そのはずです。しかし、それでも途中、スリップで大けがしないか、と心配でした。

歩きながら、ときには、ルートが水流に消えてしまいました。谷に向けて斜面から水が流れ出るため、ルートと渓流が区別できないのです。流れの中を進んで、少し先に道がありました。

広河原が近づいたころ、女子登山者の巨大な荷物を観て、私は驚きました。どこかの大学の山岳部? でしょうか。女子の体が小さいせいで、背丈にも近い、とりわけ大きな荷物を担いでいるように見えました。何キロあるの? と訊くと、20キロくらい、ということです。数名の部員が登っていましたが、末尾の2人が女子なのです。私は理不尽さを感じました。彼女たちが足を滑らせたり、荷物のバランスを失い重みに振られたら、誰が激しい転倒や転落を防ぐのでしょうか?

もう少し、と思ってからも、広河原はなかなか遠かったです。かなり大きな雷鳴がしました。森の中でザックを下し、休憩している人たちに確認して、正しいルートを進みます。

静かな広河原山荘を横に観ながら、最初の吊橋を再び越えて、ついに私は野呂川と別れました。

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私はお昼の公営バスを探すつもりでした。時刻はおよそ正午です。1230分発のバスがあった、と思いました。吊橋を渡って、車止めのゲートに近づくと、男性が私に呼びかけていました。乗り合いタクシーで芦安に行かないか、というわけです。バスは13時発でした。

タクシーで少し早く着いた私は、芦安でお風呂に入り(私1人でした)、その後、同じ公営バスに乗って、甲府駅に戻りました。バスセンターはどこか、と駅前を何度もうろうろして探しましたが、その建物がわかっても、残念ながら名古屋行きの高速バスはもうなかったのです。今日中に家へ帰るにはJRです。松本で乗り換え、名古屋に向かい、そこから新幹線を乗り継いで京都まで。窓口で切符を購入しました。

大雨のため、再開したばかりの特急列車は猛烈な混雑で、2時間半も立ったまま過ごしました。名古屋からは、各駅停車の「ひかり」で休むことにしました。冷たいお茶を買って、非常食用のアンパン2個が遅い昼食です。

両足がパンパンに腫れて、腕や指先も痛く、全身疲労です。目を閉じると、岩場や稜線から転落するイメージが浮かびました。壮大な南アルプスは、とても美しいけれど、むしろ畏怖するほど、未経験な領域でした。

アジアの統合化は、北朝鮮危機にも、外国人旅行者の北岳登山にも表れています。核ミサイルより、大陸規模の中産階級と消費文化の出現、ダイナミックな移動・輸送システムが、民主的な政治文化を運ぶ時代です。

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