IPEの果樹園2016
今週のReview
8/22-27
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エコロジカル・オーヴァーシュート ・・・天皇制度 ・・・IMF融資の評価 ・・・ジャマイカのランナー ・・・マイナス金利政策 ・・・香港立法会選挙 ・・・核先制攻撃の禁止 ・・・Brexitと権力の限界 ・・・オーストラリア ・・・ユーロの解体案
[長いReview]
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[これは英文コラムの紹介です.私の関心に従って,いくつか要点を紹介しています.関心を持った方は正しい内容を必ず自分で確かめてください.著者と掲載機関の著作権に従います.]
l エコロジカル・オーヴァーシュート
The Guardian, Friday 12 August 2016
We are in ecological overshoot.
Industrial strategy can provide a way out
Andrew
Simms
2016年8月8日、世界は「エコロジカル・オーヴァーシュート」に入った。1年間で、自然が代替し、吸収できる以上に、資源を消費し、廃棄物を生産したのだ。われわれが消費するすべての者の排出を含めると、われわれのカーボン・フットプリントは、減少するのではなく上昇した。
政府顧問の中にも、生態系へのマイナスの効果がドミノ式に拡大すると懸念する者がいる。
l 天皇制度
FT August 12, 2016
Japan’s abdication dilemma pits
modernisers against nationalists
Ian
Buruma
日本の天皇は、神聖な、神官型の王様ではなく、「国家のシンボル」である。そして、明仁天皇は、その妻、美智子とともに、この制度を人間として体現するために、多くの努力を費やしてきた。
自然災害の被災者を訪ねて慰め、激励し、アジア諸国を訪れて、日本との戦禍が癒えることを願った。1992年には、中国を訪問して、日本の首相の多くが「謝罪」することにためらう中でも、明確に「深い悲しみ、悔悟」の言葉を示した。
安倍首相の政治基盤には、さまざまなナショナリスト団体が加わり、極右の神道運動も参加する。安倍は、日本の軍事力と戦争を行う権利を否定した憲法を書き換えようとしている。彼は、愛国心教育を復活し、日本の戦争犯罪を認めず、天皇制の宗教的な復活を望んでいる。
しかし、天皇はこうした右翼団体に比べて、もっとリベラルである。それに関して意見を求められた日本会議の会長は、「天皇は常に正しい」と答えた。だからこそ、明仁は、直接に国民に訴えたのであろう。
l ジャマイカのランナー
NYT AUG. 13, 2016
The Secret of Jamaica’s Runners
By
ORLANDO PATTERSON
人口280万人の島が、なぜ走ることに驚くべき成功を示しているのか? 現在、世界で最速の男女はともにジャマイカ人である。100メートルで最速の記録を出した26人中の19人がジャマイカ人である。
ジャマイカ人の成功は、遺伝によるものではない。ジャマイカ人の多くは西アフリカ出身者の子孫である。そこには優れた短距離走者がいない。
ジャマイカ人に尋ねたら、まったく異なる答えが返ってくるだろう。それは、Champs (the
Inter-Secondary Schools Sports Association Boys and Girls Athletics
Championship)である。それは熱狂的な陸上ファンが3万人も参加する競技会だ。ジャマイカは、トラックとフィールド競技が最も人気のあるスポーツになっている、世界で唯一の国である。
なぜか?
制度、公衆衛生の実現と優れた健康状態、陸上スポーツ選手を育成する伝統、競争的な個人主義、アメリカに近く、スポーツ留学のための奨学金があること、などが指摘できる。貧しい国で、走ることは最も費用のかからないスポーツだ。建国の父であるN. W. Manleyも陸上選手だった。
しかし、20年前から、プロスポーツのクラブが始まった。アメリカ風のスポーツ企業家が増えている。
なぜ、スポーツの成功を経済成長にも適用できないのか? そこには違いがあるようだ。
l 香港立法会選挙
NYT AUG. 16, 2016
The Umbrella Movement Fights Back
By
LIAN YI-ZHENG
9月4日の香港立法会選挙に向けて、立候補する動きに緊張が高まっている。香港政庁と北京政府は強い関心を持っている。2014年の雨傘革命Umbrella
Movementから、その運動家たちが初めて政治参加する機会であるからだ。
民主化運動家たちは、もはや基本法の下で香港の民主主義を守る、という「1国2制度」を信用していない。今では、香港の完全な自決権を求め、基本法が失効する2047年に、中国からの独立を主張する者もいる。
運動家たちが選挙に参加することで、香港政治は3分割された。以前は、エスタブリッシュメントと民主化運動との対立であった。彼らはともに「1国2制度」を信じ、愛国的であった。今では、活動家の中にも分裂がある。独立は、かつて非常にラディカルな考えであったが、今では若者たちのかなりの部分に支持されている。
しかし、独立派のイデオロギーは、その実現性に問題がある。軍事的にも、水供給でも、北京は独立を許さないだろう。しかし雨傘革命で、北京が一切の譲歩を拒んだことが、分離独立派の主張を強めたのだ。
l 核先制攻撃の禁止
NYT AUG. 14, 2016
End the First-Use Policy for Nuclear
Weapons
By
JAMES E. CARTWRIGHT and BRUCE G. BLAIR
核兵器の時代に、大統領たちは上級司令官が核兵器の第1撃を選択するプランを認めてきた。
しかし、冷戦が終わり、非核兵器の軍事力が進歩して、核兵器を使用しなければ敵の攻撃を抑制できないようなケースはますます限定されるようになった。
ロシアや中国に対する核兵器の使用は、全面的な報復により、アメリカとその同盟諸国の生存を脅かすだろう。より小さな脅威に対しては、その他の武器が使用できる。
それ以外にも、核兵器の先制使用を否定することで、いくつかの利益が得られる。
l Brexitと権力の限界
Project Syndicate AUG 15, 2016
Brexit and King Canute
ANATOLE
KALETSKY
初期のアングロサクソン王であったKing Canuteの伝説は、国王の権力の限界を示すものだ。Canuteは、玉座を海辺に設けた。そして、潮が退くことを求めた。しかし、いつも通りに潮は満ち、彼は濡れたことで、国民が権力の限界を知ったはずだ、と述べた。
メイ首相は、“Brexit means Brexit”という言葉を繰り返した。残留派であった彼女も、国民投票が離脱を求めた以上は、「離脱は正しい」というわけだ。
これはナンセンスだ。イギリスがヨーロッパの単一市場から切り離されるなら、人々の投票と関係なく、経済は悪化する。民主主義は潮の満ち引きを変えたわけではない。そして経済が悪化すれば、メイはBrexitの条件を争う国内権力を失うだろう。
Brexitを決めるのは、ロンドンではなく、ブラッセルやベルリンだ。
彼らが考える問題とは、EUのルールや制度を拒否したイギリスに、EU加盟諸国と同じ便益を与えるのか? イギリスではなく、ヨーロッパ全体に、EU加盟の魅力を高める改革を行うべきか? その答えは明白だ。NO、そして、YES.
社会福祉の給付を制限し、あるいは、緊急避難的な移民流入規制を認めることが考えられる。南欧が苦しむ、景気変動を悪化させる予算制限や銀行規制を緩和することも、各国議会からEUへの権力集中を逆転し、「統合の深化」というスローガンを公式に下ろすことも。
いずれの改革もブラッセルには考えられないことだろう。そのためには、条約の改正が必要になる。それは不可能だ、と。しかし、本当の障害は、権力の低下を拒む官僚制だ。
欧州委員会やJuncker委員長は、King
Canuteの伝説を思い出すべきだ。各国民主主義の潮が高まる中で、EU統合を唱えることは、水没する玉座にしがみつくことである。
l オーストラリア
FT August 16, 2016
Why Australia’s luck may be running
out
Gideon
Rachman
オーストラリア人は、中国の新聞やソーシャルメディアを観ない方がよい。南シナ海問題とオリンピックが重なって、オーストラリアは中国の西側に対する反感の焦点になっている。アメリカや日本と同じく、オーストラリア政府も常設仲裁裁判所の判決に従うよう、中国に求めるコメントを出した。その反発は激しいものだった。・・・もしオーストラリアの船舶が南シナ海に近づいたら、警告して、撃沈する。
長い間、オーストラリアは「ラッキー・カントリー」であった。2400万人の国民が、恵まれた気候や地下資源を利用して、世界の紛争からは広大な海洋によって分離されてきた。
しかし、それは海洋を支配するのが友好的なイギリスやアメリカであったからだ。もし南シナ海を、あるいは、さらに太平洋の広範な領域を、中国が支配するようになれば、オーストラリアはむつかしい選択に直面する。そのジレンマに関して、オーストラリアの戦略家たちは論争を始めている。アメリカとの同盟関係はゆるぎないが、そのアメリカは力を失っていく。
中国の台頭、そしてアジアのダイナミズムを取り込むことで、オーストラリアは四半世紀も不況を経験しなかった。中国は資源への強い需要を持ち続け、オーストラリア政府はアジアの成長の波に乗っていたのだ。
しかし、中国の資本がオーストラリアの土地や企業を買収するケースで、政府はそれを認めないことが続いている。アメリカも中国も、次第に、より厳しい要求をするようになっている。オーストラリアが21世紀の地政学的な発火点にもなりかねない。
l ユーロの解体案
FT AUGUST 17, 2016
A split euro is the solution for
Europe’s single currency
Joseph
Stiglitz
ヨーロッパは、特にユーロ圏は、2008年の金融危機以降、明らかに、経済が好ましくない。単一通貨はヨーロッパに反映と連帯を実現するはずだった。それは逆のもの、一部の国にとっては大恐慌よりもひどい不況をもたらした。
何をなすべきか? 過度の財政緊縮策や構造改革の失敗などに、問題の解決を指摘する者もいるが、私は反対だ。ユーロ圏の構造、そのルールと制度にこそ問題がある。
ユーロは生まれながらにして欠陥があった。2つの重要な調整メカニズム、金利と為替レートを奪って、それに代わるものがなければ、マクロ経済の不均衡を調整することが困難になるのは当然だ。しかも、ECBはインフレだけに焦点を当て、各国政府は財政赤字の制限によって縛られた。
名目為替レートの調整に代わるのは、実質レートの変更である。ギリシャの物価はドイツの物価に比べて下落した。しかし、ドイツの物価を上げることはルールになく、ギリシャの物価を下げるための社会的・経済的なコストは甚大である。ギリシャの生産性がドイツよりも急速に改善する、というもう一つの調整を唱える者もあったが、どうすればよいのか、誰にもわからない。
必要な改革は多い。共通の銀行同盟、特に、預金保険。貿易黒字の削減ルール。債務を共通化するユーロ債の発行。インフレよりも、成長、雇用、安定性を重視した金融政策。後進諸国のキャッチアップを促す産業政策。財政政策の目標を、緊縮ではなく成長に向けるべきだ。
しかし、EUは財政移転同盟ではない、というドイツの主張が、こうした改革を拒んでいる。
通貨制度が繁栄を約束するわけではないが、間違った通貨制度は不況や危機をもたらす。さまざまな通貨制度の中でも、ペッグは不況と結びついている。ある国の通貨価値を他の国の通貨と結びつけるものだ。単一通貨は、緊密な経済・政治協力の必要条件でも、十分条件でもない。ヨーロッパは目標を達成するために何が重要か、考えるべきだ。単一通貨をやめても、自由貿易や移民が残る。
ユーロから円滑に他の制度に移行する必要がある。協議離婚により、「フレキシブルなユーロ」システム、もしくは、北欧ユーロと南欧ユーロに分離するのだ。それは容易でないが、たとえばユーロ建債務は、すべて「南欧ユーロ」建に転換するべきだろう。
デジタル経済の時代には、現代技術によって、完全雇用、貿易収支、財政収支の同時均衡を実現できる市場型改革がある。すなわち、クレジット・オークションと電子マネーだ。既存のグローバル・システムは、中央銀行の金利変更で、貿易、投資、消費が「正しい」水準を達成する、と考える。しかし、それは実現しない。それに代わるアプローチとして、その2つ、例えば、投資の量と貿易均衡に注目し、市場がその価格を決めることに委ねる。
(フレキシブル・ユーロに向けて解体してから)時間が経つにつれて、制度が確立されると変動は小さくなるだろう。各国に改革の余地を与え、統合化に向かう協力を促す戦略である。
フレキシブル・ユーロによって、ヨーロッパは繁栄を取り戻し、連帯がよみがえって、再び統合化に挑戦できる。ヨーロッパとそのプロジェクトを救い出すために、ユーロを離脱せよ。
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The Economist August 6th 2016
Energy policy: Hinkley Pointless
Vietnam’s economy: The other Asian tiger
International adoption: Babies without borders
Six big ideas: Tariffs and wages - An inconvenient iota
of truth
(コメント) 中国の参加する建設計画をめぐって、イギリスの新政権が再検討に入りました。原発はコストの面で未来のエネルギーではない、と指摘しています。
ベトナム経済の躍進、国際養子縁組の制度化、が興味深いです。
6つのアイデアの3番目として、ストルパー=サミュエルソン定理が現れます。これは、グローバリゼーションと分配をめぐる現在の論争に関連しているからでしょう。
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IPEの想像力 8/22/16
台風が次々に現れ、さっぱりわからない天気図にさじを投げ、北岳への登山を諦めました。そして、大杉峡谷を歩きました。想像以上に厳しい、難コースだと思いました。
朝、台風の影響を心配しながら、自宅近くのバス停を、6時30分のバスで出ました。乗換案内では、7時19分の電車でしたから、早すぎます。早く着いても悪くはないだろう、と思いましたが、結局、松阪駅で30分待ちとなり、同じ電車でした。
JR伊勢本線の三瀬谷駅に10時14分に到着し、10時30分の登山バスにぴったり間に合いました。JRの駅から「奥伊勢おおだい」道の駅まで、ホームページの道順案内があったから助かりました。
登山バスに乗ると、私が最後で、乗客はほかに2人しかいません。台風7号が接近し、キャンセルがあったようです。私たち3人は、同じ登山口から同じ山の家を目指し、翌日、大台ケ原まで抜ける、このコースの小さなパーティーとなりました。
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★大杉峡谷登山口
発電所の横を過ぎると、いきなり登山道は岩壁をえぐった鎖場のルートで始まります。ルートの片側はそのまま絶壁で、清流に向けて落ち込んでいます。
ハイキングの観光なら、これは容易でない、と引き返すべきでしょう。
素晴らしい景色です。しかし、険しいコースでした。厳しい登山の経験を積んだ者には、味のある、良いコースでしょう。それは、歩く人の体力と技量によります。
ごつい鎖場が何度も現れ、ときには非常に長く続きました。それは急登であるからだけでなく、むしろ水平に進む場合でも、足元が滑りやすく、転落の危険が迫っているからです。豊富な雨量と高い湿度によって、苔の生えた岩場が多く、ときには岩壁から水がしみ出しています。
実際、何度も鎖のおかげで助かりました。谷に転落する、と感じたことも、確実に1度あります。何とか尻もちをつくだけで済みました。岩場で転倒した場合、条件次第では、捻挫や骨折など、大きなダメージを負って、進退窮まることも考えられます。
単独で歩く者には、だれの助けも呼べません。緊急避難のため休憩所まで行くことができれば、雨だけはしのげますが。転落した者に、あの厳しいルートを移動する余力はないでしょう。
★大日グラ吊橋−能谷吊橋−地獄谷吊橋−日浦杉吊橋
峡谷を観ながら歩けるこのルートは、岸壁を穿つこと、鎖場をつなぐこと、そして、11もの吊橋によって実現しています。その労力と費用は、限られた観光客の増加によって正当化できるとも思えません。しかし、そのおかげでルートを歩く魅力は高まりました。
★千尋滝
この滝だけでも、来たかいがありました。巨大な岩塊の上から流れ落ちる豊富な水は、日本一の降水量がもたらす森林、苔、清流の世界を実感させてくれます。
ところが、私は登山の初心者で、山歩きの経験も浅いために、ルートを見失う不安が強くありました。実際に、何度も目を凝らして、赤い目印を探しました。断崖を滑り落ちる心配がないときでも、杉林の中のルートが私には見えないのです。足元から先を見渡すのですが、ルートがなく、どこも似たような繁みや雑草に思えました。
河原に近いルートを見失った末に、とうとう乾いた河原を歩き始め、その先に回り込んで、頭上に、巨大な吊橋があるのを観て、自分の間違いを悟ったこともあります。戻って、吊橋に至るルートを探しました。
★千尋滝前休憩所(ここまで、2時間45分のコースタイムです。)
この休憩所で、私は登山バスのご老人に再会し、少し話しました。3人とも、別に会話を避けたわけではありませんが、かといって、人と話すために山を歩くわけでもありません。それぞれが長い単独の登りと、危険な足場に向き合った後に、互いの安全をわずかに喜ぶ、といった歓談です。
休憩所はバス停ほどの小さな建物で、屋根と、座ったり、緊急泊(ビバーク)したりするための床があります。この日は特に蒸し暑く、すでに全身から噴き出した汗で、衣服はズボンまでずぶ濡れの状態でした。飲み水を2リットルは持つこと、というのが、なるほど、まったくその通りだな、とようやく理解できました。
★猪ヶ淵(シシ淵)
大杉峡谷を忘れがたい秘境にしているのは、シシ淵があるからです。両側にそびえる巨大な岩山が、絶壁をなす間から、その向こうで流れ落ちている白い滝の姿が見えるのです。岩山の途中にはところどころに樹木が生え、さらに上は森林となっています。
誰もがこの淵に降りて、透明な清流のよどみに目を向け、そこに映る深山の姿と遠方の瀑布を見つめ、飽きることがないはずです。増水した川が運ぶ巨大な岩石の間や上を歩きながら、何枚も写真を撮りたくなるでしょう。
自然の絶景に呑み込まれて、こうして驚いたり、喜んだりすることで、元気が回復するのは、都市生活の制約からくる倦怠や疲労感を忘れるからでしょう。
宮崎駿のアニメに繰り返し現れる、自然と敵対して生きる人間をいさめる神や少女のイメージが、このシシ渕にはぴったりだ、と思いました。
★ニコニコ滝−平等グラ吊橋−桃の木吊橋
残念ながら、シシ渕でのんびりお茶とおやつを楽しむ時間はありませんでした。天候は必ずしも雨を予感させていないとはいえ、曇りがちで、日暮れは早いと思いました。できれば4時に、山の家までたどり着きたいところです。
とにかく鎖場が多い。鎖を持たない方が楽に登れそうに見えても、鎖をもって岩に足を置き、滑っても腕で体を引き上げました。滑落の危険があるから、こうした鎖を設けてくれたはずです。同時に、鎖場があると、自分が正しいルートを歩いてきた、と安心できました。
★桃の木山の家(後半、2時間25分)
登山口から山の家まで、5時間10分のコースタイムでした。休憩の時間も考えれば、5時間半はかかりそうです。山の中では日暮れが早いことを考えると、いつ山の家まで行けるか、それが最も心配でした。
しかし、その先のルートも次第に登りと下りが現れて、時間が経つ割に距離をかせげませんでした。これが雨なら、レインウェアを着て、足元にはさらに注意が必要になったはずです。このコースの怖さを実感します。
ふと気が付けば、ようやく桃の木吊橋が見えて、その向こうに山の家を観ることができました。ちょっと変わった木造の長屋ですが、とてもうれしい瞬間でした。
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迎えに出てくれたお姉さんに、まいった、しんどいよ、と泣き言を並べて、両脇に布団がたたまれた部屋に案内してもらいました。真ん中の通路を挟んで、両側に10人ほどが眠れます。窓の下には吊橋が見え、夕暮れに沈む渓谷が広がります。
山小屋には、ふつう、お風呂なんてありません。しかしここでは、石鹸を使えませんが、熱いお風呂で汗を流し、おいしい冷水も飲めました。大いに元気回復です。登山バスで一緒だった3人が、ともに再会を祝い、夕食をたっぷりいただきました。
驚いたことに、ご老人は百名山を踏破して、77歳の今も、冬季を除いて月に2,3回は登山に出掛けるそうです。なるほど、素晴らしい強靭な身体をお持ちでした。しかし、その人が大杉谷のルートは厳しい、少しなめていた、と反省されていましたから、私が弱音を吐くのも許されるでしょう。
消灯時間まで、誰かが残していったらしい書棚の本をぱらぱらと読んで、私は時を過ごしました。
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5時になって、3人とも動き始めました。5時半が朝食です。
あまり眠れませんでした。夜はさすがに涼しくなって、何度も、突き出していた手足を布団に収めて冷気を避けました。全く眠っていないのか、と思うほどでしたが、何が関係ないことを思い出しているような時間があったので、きっと夢を見ていたのでしょう。
手早く朝食を済ませ、中華ちまきの弁当をもらって、山の家にお別れです。
早速、ルートがロープで閉鎖されており、回避する道がわかりません。沢沿いを登って行くと、下に吊橋がありました。先に出た仲間にも声をかけて、順に橋を渡ります。
★七ツ釜滝とその吊橋−光滝−隠滝とその吊橋−与八郎滝
段々の岩に、いくつかの滝つぼがある七ツ釜の滝を過ぎて、ルートの後半は登りがきつくなります。2日目の標高差が約1000メートル。1日目よりも登山に近いルートで、体力が要りました。
次々に現れる吊橋と滝を観て進む、山歩きのルートです。ほとんどだれにも会いませんでした。ドイツから来た旅人を含めて、下る人はわずかでした。
★堂倉吊橋と堂倉滝(桃の木から、コースタイム2時間)
3人が再開した堂倉滝の吊橋は、前半の登りを終えて休憩するのに適度な空間がありました。少し幅のある滝は、水量も多く、広い滝つぼが落ち着いた雰囲気です。写真を撮ったり、水やエネルギーを補給したり、まだまだ続く登りへの準備です。
その後、地図では南に向けて、短い距離で一気に高度を上げていく難所が表示されていました。ほぼ垂直と思えるような急登が繰り返されます。
それは、たとえば、標識があって進むと、踏み跡のルートが消えます。その前の岩の壁を、根っこを梯子にして、しがみつくように登ると、岩の上にルートが現れました。ジグザグに、ひたすら高度を上げていきます。
疲れ果てたときには、ザックを下して、ストックも岩に立てかけ、水をごくごく飲みました。汗が全身から噴き出して滴り落ち、筋肉が張ったような状態でした。回復するために、水で、甘いものやレモン皮の砂糖菓子をパクパク食べました。
もらってきたお弁当は2度に分けて食べました。残念ながら、少し水っぽく、塩気が足りないように感じましたが。
★粟谷小屋に近い林道−シャクナゲ坂−熊笹−日出ヶ岳(3時間45分)
粟谷小屋はルートに現れず、少しそれた位置にあるようです。小屋につながる太い林道に出ました。少し先で、そのまま再び登山ルートに入ります。その後、私には杉林のルートが読めずに、目印を探して立ち止まるケースがありました。
さらに進むと、渓谷はすっかり遠のいて、平坦に近い笹薮の中を縫うような道が増えました。大台ケ原が近づいたことで、いよいよ山歩きも終わりです。
★日之出岳、大台ヶ原ビジターセンターと山上駐車場(40分)
日之出岳の山頂に至るには、その前に続く、整備された長い階段を登らねばなりません。これが非常に疲れました。
山頂には、木造の大きな展望台がありますが、あいにく霧がかかって、周囲の山麗や海は見えませんでした。そうなると、むしろ、そこはつまらない遊園地のような場所で、がっかりです。大台ケ原の山上駐車場から、だれでも運動靴やサンダルで舗道を歩いてくるのです。汗まみれでザックを担ぐ者には、どうも場違いな、肩身の狭い休憩場所です。
ご老人の記憶では、駐車場近くで風呂に入れる、ということでした。帰りの登山バスの時間まで2時間ほどあるので、その風呂屋を探しました。しかし、ビジターセンターで尋ねても、そのような風呂はありません。宿泊した者だけということで、がっかりです。
センターの建物の外側に、座って休むための段が設けてありました。ここで休息です。その後、他の2人と再会した私は、荷物を置いたまま有料の手洗いに行って、蛇口の水で体をふき、昨晩、山の家で水洗いし、半乾きになっていた服に着替えました。
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シシ渕に住む獣たちは、吊橋工事や旅人をどう思っているのか。
人口減少が続く山里で、秘境の観光開発が大きな期待とともに、巨額の投資をもたらしたことは間違いないでしょう。しかし、それがどれほど地域の再生や前向きの雇用を生み出したのか、私の胸には疑念がわきました。
もしこれらの鎖場や吊橋がなかったら、大杉峡谷を歩く人はよほどの装備と登山術を要したはずです。私もその恩恵を大いに受けました。しかし私が不満に思うのは、もっと有機的な、もっと将来につながる、地域の再生を組織できないのか、という意識があるからです。
本当に美しい自然から、エネルギーや生きる喜びを得て、都市の文明と共存する人間の姿を示すのは、異なる星に、異なる文明圏を築くような、既存の政治経済モデルと対立することかもしれません。
今更互いに名乗り合うわけでもなく、私たちは乗る列車が異なるときに、簡単に会釈するだけで、この小さなパーティーを終えました。
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