前半から続く)


l  フィリピンと南シナ海

FP AUGUST 16, 2016

Here’s How the Philippines Can Win in the South China Sea

BY JAMES HOLMES


l  ユーロの解体案

FT AUGUST 17, 2016

A split euro is the solution for Europe’s single currency

Joseph Stiglitz

ヨーロッパは、特にユーロ圏は、2008年の金融危機以降、明らかに、経済が好ましくない。単一通貨はヨーロッパに反映と連帯を実現するはずだった。それは逆のもの、一部の国にとっては大恐慌よりもひどい不況をもたらした。

何をなすべきか? 過度の財政緊縮策や構造改革の失敗などに、問題の解決を指摘する者もいるが、私は反対だ。ユーロ圏の構造、そのルールと制度にこそ問題がある。

ユーロは生まれながらにして欠陥があった。2つの重要な調整メカニズム、金利と為替レートを奪って、それに代わるものがなければ、マクロ経済の不均衡を調整することが困難になるのは当然だ。しかも、ECBはインフレだけに焦点を当て、各国政府は財政赤字の制限によって縛られた。

名目為替レートの調整に代わるのは、実質レートの変更である。ギリシャの物価はドイツの物価に比べて下落した。しかし、ドイツの物価を上げることはルールになく、ギリシャの物価を下げるための社会的・経済的なコストは甚大である。ギリシャの生産性がドイツよりも急速に改善する、というもう一つの調整を唱える者もあったが、どうすればよいのか、誰にもわからない。

必要な改革は多い。共通の銀行同盟、特に、預金保険。貿易黒字の削減ルール。債務を共通化するユーロ債の発行。インフレよりも、成長、雇用、安定性を重視した金融政策。後進諸国のキャッチアップを促す産業政策。財政政策の目標を、緊縮ではなく成長に向けるべきだ。

しかし、EUは財政移転同盟ではない、というドイツの主張が、こうした改革を拒んでいる。

通貨制度が繁栄を約束するわけではないが、間違った通貨制度は不況や危機をもたらす。さまざまな通貨制度の中でも、ペッグは不況と結びついている。ある国の通貨価値を他の国の通貨と結びつけるものだ。単一通貨は、緊密な経済・政治協力の必要条件でも、十分条件でもない。ヨーロッパは目標を達成するために何が重要か、考えるべきだ。単一通貨をやめても、自由貿易や移民が残る。

ユーロから円滑に他の制度に移行する必要がある。協議離婚により、「フレキシブルなユーロ」システム、もしくは、北欧ユーロと南欧ユーロに分離するのだ。それは容易でないが、たとえばユーロ建債務は、すべて「南欧ユーロ」建に転換するべきだろう。

デジタル経済の時代には、現代技術によって、完全雇用、貿易収支、財政収支の同時均衡を実現できる市場型改革がある。すなわち、クレジット・オークションと電子マネーだ。既存のグローバル・システムは、中央銀行の金利変更で、貿易、投資、消費が「正しい」水準を達成する、と考える。しかし、それは実現しない。それに代わるアプローチとして、その2つ、例えば、投資の量と貿易均衡に注目し、市場がその価格を決めることに委ねる。

(フレキシブル・ユーロに向けて解体してから)時間が経つにつれて、制度が確立されると変動は小さくなるだろう。各国に改革の余地を与え、統合化に向かう協力を促す戦略である。

フレキシブル・ユーロによって、ヨーロッパは繁栄を取り戻し、連帯がよみがえって、再び統合化に挑戦できる。ヨーロッパとそのプロジェクトを救い出すために、ユーロを離脱せよ。


l  グローバル・ガバナンス

Project Syndicate AUG 18, 2016

What Role for Global Governance?

KEMAL DERVIŞ

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The Economist August 6th 2016

Energy policy: Hinkley Pointless

Vietnam’s economy: The other Asian tiger

International adoption: Babies without borders

Six big ideas: Tariffs and wages - An inconvenient iota of truth

(コメント) 中国の参加する建設計画をめぐって、イギリスの新政権が再検討に入りました。原発はコストの面で未来のエネルギーではない、と指摘しています。

ベトナム経済の躍進、国際養子縁組の制度化、が興味深いです。

6つのアイデアの3番目として、ストルパー=サミュエルソン定理が現れます。これは、グローバリゼーションと分配をめぐる現在の論争に関連しているからでしょう。

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IPEの想像力 8/22/16

台風が次々に現れ、さっぱりわからない天気図にさじを投げ、北岳への登山を諦めました。そして、大杉峡谷を歩きました。想像以上に厳しい、難コースだと思いました。

朝、台風の影響を心配しながら、自宅近くのバス停を、630分のバスで出ました。乗換案内では、719分の電車でしたから、早すぎます。早く着いても悪くはないだろう、と思いましたが、結局、松阪駅で30分待ちとなり、同じ電車でした。

JR伊勢本線の三瀬谷駅に1014分に到着し、1030分の登山バスにぴったり間に合いました。JRの駅から「奥伊勢おおだい」道の駅まで、ホームページの道順案内があったから助かりました。

登山バスに乗ると、私が最後で、乗客はほかに2人しかいません。台風7号が接近し、キャンセルがあったようです。私たち3人は、同じ登山口から同じ山の家を目指し、翌日、大台ケ原まで抜ける、このコースの小さなパーティーとなりました。

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★大杉峡谷登山口

発電所の横を過ぎると、いきなり登山道は岩壁をえぐった鎖場のルートで始まります。ルートの片側はそのまま絶壁で、清流に向けて落ち込んでいます。

ハイキングの観光なら、これは容易でない、と引き返すべきでしょう。

素晴らしい景色です。しかし、険しいコースでした。厳しい登山の経験を積んだ者には、味のある、良いコースでしょう。それは、歩く人の体力と技量によります。

ごつい鎖場が何度も現れ、ときには非常に長く続きました。それは急登であるからだけでなく、むしろ水平に進む場合でも、足元が滑りやすく、転落の危険が迫っているからです。豊富な雨量と高い湿度によって、苔の生えた岩場が多く、ときには岩壁から水がしみ出しています。

実際、何度も鎖のおかげで助かりました。谷に転落する、と感じたことも、確実に1度あります。何とか尻もちをつくだけで済みました。岩場で転倒した場合、条件次第では、捻挫や骨折など、大きなダメージを負って、進退窮まることも考えられます。

単独で歩く者には、だれの助けも呼べません。緊急避難のため休憩所まで行くことができれば、雨だけはしのげますが。転落した者に、あの厳しいルートを移動する余力はないでしょう。

★大日グラ吊橋-能谷吊橋-地獄谷吊橋-日浦杉吊橋

峡谷を観ながら歩けるこのルートは、岸壁を穿つこと、鎖場をつなぐこと、そして、11もの吊橋によって実現しています。その労力と費用は、限られた観光客の増加によって正当化できるとも思えません。しかし、そのおかげでルートを歩く魅力は高まりました。

★千尋滝

この滝だけでも、来たかいがありました。巨大な岩塊の上から流れ落ちる豊富な水は、日本一の降水量がもたらす森林、苔、清流の世界を実感させてくれます。

ところが、私は登山の初心者で、山歩きの経験も浅いために、ルートを見失う不安が強くありました。実際に、何度も目を凝らして、赤い目印を探しました。断崖を滑り落ちる心配がないときでも、杉林の中のルートが私には見えないのです。足元から先を見渡すのですが、ルートがなく、どこも似たような繁みや雑草に思えました。

河原に近いルートを見失った末に、とうとう乾いた河原を歩き始め、その先に回り込んで、頭上に、巨大な吊橋があるのを観て、自分の間違いを悟ったこともあります。戻って、吊橋に至るルートを探しました。

★千尋滝前休憩所(ここまで、2時間45分のコースタイムです。)

この休憩所で、私は登山バスのご老人に再会し、少し話しました。3人とも、別に会話を避けたわけではありませんが、かといって、人と話すために山を歩くわけでもありません。それぞれが長い単独の登りと、危険な足場に向き合った後に、互いの安全をわずかに喜ぶ、といった歓談です。

休憩所はバス停ほどの小さな建物で、屋根と、座ったり、緊急泊(ビバーク)したりするための床があります。この日は特に蒸し暑く、すでに全身から噴き出した汗で、衣服はズボンまでずぶ濡れの状態でした。飲み水を2リットルは持つこと、というのが、なるほど、まったくその通りだな、とようやく理解できました。

★猪ヶ淵(シシ淵)

大杉峡谷を忘れがたい秘境にしているのは、シシ淵があるからです。両側にそびえる巨大な岩山が、絶壁をなす間から、その向こうで流れ落ちている白い滝の姿が見えるのです。岩山の途中にはところどころに樹木が生え、さらに上は森林となっています。

誰もがこの淵に降りて、透明な清流のよどみに目を向け、そこに映る深山の姿と遠方の瀑布を見つめ、飽きることがないはずです。増水した川が運ぶ巨大な岩石の間や上を歩きながら、何枚も写真を撮りたくなるでしょう。

自然の絶景に呑み込まれて、こうして驚いたり、喜んだりすることで、元気が回復するのは、都市生活の制約からくる倦怠や疲労感を忘れるからでしょう。

宮崎駿のアニメに繰り返し現れる、自然と敵対して生きる人間をいさめる神や少女のイメージが、このシシ渕にはぴったりだ、と思いました。

★ニコニコ滝-平等グラ吊橋-桃の木吊橋

残念ながら、シシ渕でのんびりお茶とおやつを楽しむ時間はありませんでした。天候は必ずしも雨を予感させていないとはいえ、曇りがちで、日暮れは早いと思いました。できれば4時に、山の家までたどり着きたいところです。

とにかく鎖場が多い。鎖を持たない方が楽に登れそうに見えても、鎖をもって岩に足を置き、滑っても腕で体を引き上げました。滑落の危険があるから、こうした鎖を設けてくれたはずです。同時に、鎖場があると、自分が正しいルートを歩いてきた、と安心できました。

★桃の木山の家(後半、2時間25分)

登山口から山の家まで、5時間10分のコースタイムでした。休憩の時間も考えれば、5時間半はかかりそうです。山の中では日暮れが早いことを考えると、いつ山の家まで行けるか、それが最も心配でした。

しかし、その先のルートも次第に登りと下りが現れて、時間が経つ割に距離をかせげませんでした。これが雨なら、レインウェアを着て、足元にはさらに注意が必要になったはずです。このコースの怖さを実感します。

ふと気が付けば、ようやく桃の木吊橋が見えて、その向こうに山の家を観ることができました。ちょっと変わった木造の長屋ですが、とてもうれしい瞬間でした。

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迎えに出てくれたお姉さんに、まいった、しんどいよ、と泣き言を並べて、両脇に布団がたたまれた部屋に案内してもらいました。真ん中の通路を挟んで、両側に10人ほどが眠れます。窓の下には吊橋が見え、夕暮れに沈む渓谷が広がります。

山小屋には、ふつう、お風呂なんてありません。しかしここでは、石鹸を使えませんが、熱いお風呂で汗を流し、おいしい冷水も飲めました。大いに元気回復です。登山バスで一緒だった3人が、ともに再会を祝い、夕食をたっぷりいただきました。

驚いたことに、ご老人は百名山を踏破して、77歳の今も、冬季を除いて月に23回は登山に出掛けるそうです。なるほど、素晴らしい強靭な身体をお持ちでした。しかし、その人が大杉谷のルートは厳しい、少しなめていた、と反省されていましたから、私が弱音を吐くのも許されるでしょう。

消灯時間まで、誰かが残していったらしい書棚の本をぱらぱらと読んで、私は時を過ごしました。

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5時になって、3人とも動き始めました。5時半が朝食です。

あまり眠れませんでした。夜はさすがに涼しくなって、何度も、突き出していた手足を布団に収めて冷気を避けました。全く眠っていないのか、と思うほどでしたが、何が関係ないことを思い出しているような時間があったので、きっと夢を見ていたのでしょう。

手早く朝食を済ませ、中華ちまきの弁当をもらって、山の家にお別れです。

早速、ルートがロープで閉鎖されており、回避する道がわかりません。沢沿いを登って行くと、下に吊橋がありました。先に出た仲間にも声をかけて、順に橋を渡ります。

★七ツ釜滝とその吊橋-光滝-隠滝とその吊橋-与八郎滝

段々の岩に、いくつかの滝つぼがある七ツ釜の滝を過ぎて、ルートの後半は登りがきつくなります。2日目の標高差が約1000メートル。1日目よりも登山に近いルートで、体力が要りました。

次々に現れる吊橋と滝を観て進む、山歩きのルートです。ほとんどだれにも会いませんでした。ドイツから来た旅人を含めて、下る人はわずかでした。

★堂倉吊橋と堂倉滝(桃の木から、コースタイム2時間)

3人が再開した堂倉滝の吊橋は、前半の登りを終えて休憩するのに適度な空間がありました。少し幅のある滝は、水量も多く、広い滝つぼが落ち着いた雰囲気です。写真を撮ったり、水やエネルギーを補給したり、まだまだ続く登りへの準備です。

その後、地図では南に向けて、短い距離で一気に高度を上げていく難所が表示されていました。ほぼ垂直と思えるような急登が繰り返されます。

それは、たとえば、標識があって進むと、踏み跡のルートが消えます。その前の岩の壁を、根っこを梯子にして、しがみつくように登ると、岩の上にルートが現れました。ジグザグに、ひたすら高度を上げていきます。

疲れ果てたときには、ザックを下して、ストックも岩に立てかけ、水をごくごく飲みました。汗が全身から噴き出して滴り落ち、筋肉が張ったような状態でした。回復するために、水で、甘いものやレモン皮の砂糖菓子をパクパク食べました。

もらってきたお弁当は2度に分けて食べました。残念ながら、少し水っぽく、塩気が足りないように感じましたが。

★粟谷小屋に近い林道-シャクナゲ坂-熊笹-日出ヶ岳(3時間45分)

粟谷小屋はルートに現れず、少しそれた位置にあるようです。小屋につながる太い林道に出ました。少し先で、そのまま再び登山ルートに入ります。その後、私には杉林のルートが読めずに、目印を探して立ち止まるケースがありました。

さらに進むと、渓谷はすっかり遠のいて、平坦に近い笹薮の中を縫うような道が増えました。大台ケ原が近づいたことで、いよいよ山歩きも終わりです。

★日之出岳、大台ヶ原ビジターセンターと山上駐車場(40分)

日之出岳の山頂に至るには、その前に続く、整備された長い階段を登らねばなりません。これが非常に疲れました。

山頂には、木造の大きな展望台がありますが、あいにく霧がかかって、周囲の山麗や海は見えませんでした。そうなると、むしろ、そこはつまらない遊園地のような場所で、がっかりです。大台ケ原の山上駐車場から、だれでも運動靴やサンダルで舗道を歩いてくるのです。汗まみれでザックを担ぐ者には、どうも場違いな、肩身の狭い休憩場所です。

ご老人の記憶では、駐車場近くで風呂に入れる、ということでした。帰りの登山バスの時間まで2時間ほどあるので、その風呂屋を探しました。しかし、ビジターセンターで尋ねても、そのような風呂はありません。宿泊した者だけということで、がっかりです。

センターの建物の外側に、座って休むための段が設けてありました。ここで休息です。その後、他の2人と再会した私は、荷物を置いたまま有料の手洗いに行って、蛇口の水で体をふき、昨晩、山の家で水洗いし、半乾きになっていた服に着替えました。

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シシ渕に住む獣たちは、吊橋工事や旅人をどう思っているのか。

人口減少が続く山里で、秘境の観光開発が大きな期待とともに、巨額の投資をもたらしたことは間違いないでしょう。しかし、それがどれほど地域の再生や前向きの雇用を生み出したのか、私の胸には疑念がわきました。

もしこれらの鎖場や吊橋がなかったら、大杉峡谷を歩く人はよほどの装備と登山術を要したはずです。私もその恩恵を大いに受けました。しかし私が不満に思うのは、もっと有機的な、もっと将来につながる、地域の再生を組織できないのか、という意識があるからです。

本当に美しい自然から、エネルギーや生きる喜びを得て、都市の文明と共存する人間の姿を示すのは、異なる星に、異なる文明圏を築くような、既存の政治経済モデルと対立することかもしれません。

今更互いに名乗り合うわけでもなく、私たちは乗る列車が異なるときに、簡単に会釈するだけで、この小さなパーティーを終えました。

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