IPEの果樹園2016

今週のReview

5/9-14

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トランプの世界戦略 ・・・Brexitと主権の意味 ・・・経済政策の衰退 ・・・ラテンアメリカの蒙昧 ・・・ロンドン市長選挙の犬笛 ・・・NATOのスピーチライター ・・・金準備とバンコール ・・・難民危機と人権レジーム ・・・日本のデフレ ・・・文明と戦争

 [長いReview]

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[これは英文コラムの紹介です.私の関心に従って,いくつか要点を紹介しています.関心を持った方は正しい内容を必ず自分で確かめてください.著者と掲載機関の著作権に従います.]


l  トランプの世界戦略

Bloomberg APRIL 29, 2016

Trump Is Riding a Warped 1980s Nostalgia

Leonid Bershidsky

トランプの成功は1980年代の再現、懐旧感である。力が正義であり、アメリカは常に正しい。1980年代の映画ヒーロー、クリント・イーストウッドやブルース・ウィリスと同じ世界観だ。

30年前、サウジアラビアはソ連が石油志輸出を増やすことを警戒して、供給量を増やし、価格を下落させた。国際通貨を入手するために商品輸出を増やしていたソ連は経済を悪化させ、崩壊に至った。今、サウジアラビアは同じことをしているが、その標的はアメリカである。

アメリカ経済の回復は予想より弱く、労働者たちの不満は爆発している。トランプは、アメリカが衰退し続けている、と主張する。期待との落差、認識が重要である。他方で、石油価格の下落はロシア経済も破壊したが、それは予想されたよりも軽かった。プーチンの支持者たちは西側の制裁によって不況になったことを憂慮するより、クリミアを奪い、シリアでロシアの国際的な影響力を高めたことを自慢する。


l  Brexitと主権の意味

FT May 3, 2016

Brexit: sovereignty is not the same as power

Martin Wolf

イギリスがもしEU離脱を決めたら、離脱派が失ったと主張している主権を、取り戻せるのか? その答えは、No、である。国民投票が問うのは主権ではなく、国家権力の最善の利用方法について、である。

権力と権威とを区別することから始めるべきだ。主権国家とは、法律を定めてそれを実施する権威を持つ。国家の権力が弱いものでも、それを超える権威は存在しない。現在では、法を作る期間は民主的な説明責任を負うことで、その正当性を得ている。非合法的な(正当な法に依拠しない)政府は、専制国家である。

国家は市民の利益を実現するために存在する。その方法とは、唯一、他国と協力することだ。それゆえイギリスは14000もの条約を結んでいる。イギリスはそのすべてから合法的に離脱することができる。しかし、北朝鮮のようになることを望まない。条約は主権を否定するものではなく、むしろ主権の表現である。条約は主権の行使を制限するが、それは主権をより効果的にするためである。例えば、イギリスはNATOに属して、市民の生死にかかわる権限を委譲している。それは、まさに、NATOが市民の安全保障を高めるからである。

国民投票の政治的問題とは、主権ではなく、特定の義務に及ぶ条約によって管理されたシステム内で、権力を移譲することが正しいかどうか、である。EU加盟が、イギリス(UK連合王国)にとって、移譲された権力を行使する説明責任の低下と効果の改善との間で、正しいバランスを取るものか、と問うのである。

EU諸機関の説明責任の欠如は明らかで、特に、ユーロ圏では著しい欠陥となっている。ECBの政策決定権限は行使されるが、権力は各国議会にしかない。しかし、UKはユーロ圏に帰属していないし、キャメロン首相の交渉による成果で最も重要なことは、イギリスが現状維持にとどまることを、事実上、他のEU諸国が受け入れた、ということだ。

Brexitは、主権を行使する効果を大幅に失わせるが、せいぜい、説明責任をわずかに高めるだけだろう。


l  経済政策の衰退

Project Syndicate MAY 2, 2016

The Global Growth Funk

NOURIEL ROUBINI

世界経済の成長は低下し続けている。さらに悪いことに、先進諸国でも、新興市場でも、潜在成長率が低下している。生産性の上昇率が減少し、高齢化による労働力の増加も減少している。所得と資産の不平等化は、グローバルな貯蓄過剰に結びつく。循環的な不況が長引くと、ヒステレシス(履歴)効果が生じる。長期失業は労働者の熟練を破壊する。潜在成長を高める構造改革には、最初に大きなコストが生じて、その利益は中長期にしか実現しない、という問題がある。その結果、改革への反対派に政治的な優位がある。

個人、企業、政府にとって、持続不可能な赤字や債務を減らすには貯蓄を増やすしかない。成長を回復する責任は金融政策に過大な責任を負わせている。しかし、金融緩和の効果は時間とともに失われている。債務国と債権国との非対称的な調整過程もグローバルな成長を低下させる。債務国の支出削減は強制的であるが、債権国の支出拡大は強制されない。

政治的な容易な解決策はない。長期化する債務削減の過程を避けて、債務を秩序正しく削減するメカニズムは、主権国家間で機能していないし、国家内部でも家計、企業、金融機関に対して実施するのは困難である。同様に、潜在成長を高める、構造的な、市場に依拠した改革が必要だが、すでに経済が不況にある中では支持されない。非伝統的な金融緩和策を正常な水準に戻すことも容易でない。他方、財政政策は、たとえそれが可能な国でも、累積赤字や間違った緊縮策により、実施する余地を見いだせないままだ。

こうした世界経済の状態を、IMFthe “new mediocre,” ラリー・サマーズは “secular stagnation,” 中国政府は the “new normal”と呼ぶ。しかし、誤解してはいけない。こうした経済パフォーマンスに、「正常さ」も「健全さ」もない、ということだ。多くの国で不平等が増大し、右派からも、左派からも、貿易、グローバリゼーション、移民、技術革新、市場に依拠した政策に反対するポピュリストの反対が顕著になっている。


l  ラテンアメリカの蒙昧

Project Syndicate MAY 3, 2016

Faulty Political Narratives

RICARDO HAUSMANN

ラテンアメリカ全体で、最近まで、左派政権を熱心に支持者していた有権者たちが、変心したようだ。ブラジル、ヴェネズエラで左派の指導者を追放しようとし、アルゼンチンでは左派政権がすでに支持を失った。ボリビアやペルーでも、左派指導者の意向は阻まれた。

しかし、彼らが経験から学ぶ、とは言えない。現在は過去の単なる繰り返しではないからだ。人々は現実について説明する物語を求める。たとえば、人民とエリートの対立。あるいは、汚職の追放。あるいは、ネオ・リベラリズムの経済思想と緊縮策と、それを否定する主張。最後に、外部の経済環境が変わった、という話だ。

将来、政府がもっと効果的になるとしたら、それは有権者たちが政策について厳しい要求をするまでに、自ら学習する場合だけである。ラテンアメリカの有権者たちが知る政治的な物語から学ぶことは、何の役にも立たない。

真実を言えば、ラテンアメリカのほとんどの国が、1970年代のブームを正しく扱わなかった。そのブームが終われば1980年代に債務危機が起きた。各国はこの危機処理にも失敗し、融資を得られないとなると、通貨を増刷し、為替レートの減価とインフレの高進に至った。それを抑えるため、最後には通貨や物価を統制した。

1980年代の後半に、彼らは異なる戦略を採用した。債務を組み替え、金融規制を解除し、通貨の増刷を止めるための財政引き締め、増税と支出削減を行った。再選された指導者たち(Carlos Menem of Argentina, Fernando Henrique Cardoso of Brazil, and Alberto Fujimori of Peru)は、明らかに、債務危機の克服、財政均衡化、インフレ抑制に成功したことが支持されたのだ。

しかし、彼らの成果が現れるとき、19977月からの東アジア危機が起き、国際商品価格が下落した。19988月のロシアのデフォルトが、金融市場でラテンアメリカに感染し、経済危機は左派政権につながった。

その状況は2004年に急変する。国際商品価格が最長のブーム期に入ったのだ。投資家たちは新興経済の債券に強い購入意欲を示した。しかし、このブームによる利益もラテンアメリカ諸国は正しく扱えなかった。1980年代後半と同じように、ブーム期には有権者たちが強く求める財政支出増を実現し、そのパーティーが終わった今は、より保守的な政権が支持されている。経済の安定化と、民間投資を呼ぶための市場の信認回復を、有権者が願うからだ。

有権者たちは学ばず、支配的な物語も正しい政策を促すものではない。


l  ロンドン市長選挙の犬笛

FP MAY 1, 2016

London Is Calling for its First Muslim Mayor

BY IAN DUNT

イギリスで毎週、伝統となっているPMQs(Prime Minister’s Questions)において、キャメロン首相は公然とレイシスト(人種差別主義者)という非難を浴びた。

最初はコービン労働党党首との教育政策に関する普通の論争であった。しかし首相は、ロンドン市長候補のイスラム教徒、カーンSadiq Khanとイスラム過激派との間につながりがある、という疑いに言及したのだ。キャメロンは前にいる彼を見上げて、「私は労働党候補に懸念を持っている」と述べた。

野党議員たちは激しく憤慨した。しばくして、彼らはこれがロンドン市長選挙における保守党の犬笛キャンペーン、つまり、有権者にイスラム教徒の市長が現れることへの不安を刺激するための作戦だ、と確信した。キャメロンの発言はその1つである、と。

突然、労働党側から叫ぶ者があった。「レイシストだ!」 キャメロンはそれを無視して先に進もうとしたが、その後、他の労働党議員からも「レイシスト」と呼ばれた。首相の顔に、一瞬、不安が現れた。彼はグラスの水を飲み、しばらく待ったが、叫ぶ声は増え続けた。「この点で声を上げるというのは、彼らが真実を聴きたくないからだろう」と、キャメロンはやっと言った。しかし、それは遅すぎたし、確信した強い声でもなかった。

ロンドン市長選挙はますます醜い泥仕合になっている。ロンドンの生活の多彩さを示す、パキスタン系のバス・ドライバーの息子と、裕福な白人弁護士との選挙であったものが、毒々しい選挙戦になっている。自称「世界の首都」が本当はどの程度まで他者に寛容であるのか、疑いを強めることになった。

カーンは、イスラム教徒として、パキスタンから移住してきた両親の8人の子供の5番目であった。人権擁護の法律家として、警察の嫌がらせにあった人々を代表してきた。政界に入ると流星のように上昇し、ゴードン・ブラウン首相が大臣に抜擢した。

保守党は、市長選挙において、カーンを破るための標的を2つの集団に絞った。多文化的なインナー・ロンドンから疎外され、憤慨している白人有権者、そして、イスラム教徒の市長が誕生する可能性に、当然、警戒しそうな南アジア出身の有権者たちである。

その戦術は、Zac Goldsmithを保守党の穏健派代表と見ていた多くの保守党員を失望させた。若く、ハンサムで、ソフトな話し方の、非常に裕福なGoldsmithは、環境問題に強かった。まさか彼が、イギリスにドナルド・トランプの選挙戦術を輸入するとは、誰も思わなかった。しかしこれが政治であり、彼のチームは、インナー・ロンドンの弱さをアウター・ロンドンの集票でバランスすることを期待したのだ。そして、カーンとイスラム過激派とをなんでも結びつけた。ラディカルな聖職者Suliman Ganiと関係があった、ということも主張した(しかし実際には、Ganiが昨年の議会選挙で、カーンではなく、保守党候補を支持していたことが分かった)。

これまでエスニック・マイノリティーが選挙戦の冊子で強調された場合、いつでも積極的な意味で、あるコミュニティーに候補者が何をするか主張する内容だった。今回、初めて、特定の集団の不安を煽る戦術が採られたのだ。「あなたが好まない特定のコミュニティーに対して、私の対立候補がすることについて、あなたは心配しているはずだ。」

この分断戦術が有効かどうか、わからない。イギリスでも人種的偏見が高まっているものの、ロンドンはそうではない。隠されたイスラム教徒への不安Islamophobiaを、世論調査では示されないが、選挙に利用できるかもしれない。北アフリカや中東からヨーロッパに難民が流入することについて激しい論争が起きている中で、それを利用した汚い戦術だ。Goldsmith陣営に加わったオーストラリアの戦略家Lynton Crosbyは、感情的な右翼の話題を強調してJohn Howardを再選させた。

ロンドンは、イギリスの中でも優れて寛容な、混合型のコミュニティーを自慢してきた。人種や宗教が異なっても、隣同士で仲良く暮らしてきたのだ。彼らロンドン市民は、ニューヨークやパリを訪れた際、人種によるインフォーマルな分断を観てショックを受けた。少なくとも今のところ、Goldsmith派の選挙戦略は成功していない。

Revolt on the Rightを書いた作家のMatthew Goodwinは、ロンドンの人口変化が関係していると言う。年老いた、白人労働者階級は、こうしたキャンペーンに反応すると期待されるが、すでにロンドンを出て、UKIPのような反移民政党が支持されているエセックスやケントに移住した。彼らはリベラルな多文化主義者に変わったのではなく、政治的にクラウド・アウトされただけである。

分断を刺激する選挙戦術が、イギリス全体では効果的かもしれない。カーンは抜け目ない政治家であるから、泥仕合を自分の有利な宣伝に利用する。労働党内では人種差別的な発言をした議員が批判されている。左派で、ロンドンの元市長、Ken Livingstoneを党から追放するようカーンは主張した。

このまま保守党からの攻撃を数週間受けながら、カーンが市長となって、ロンドン外の有権者にもイスラム教徒の政治家を恐れることはない、と示すかもしれない。人口変化以上に、それが分断戦術を放棄させるなら、喜ばしいことだ。


l  NATOのスピーチライター

FP MAY 1, 2016

Confessions of a NATO Speechwriter

BY PATRICK STEPHENSON

NATOにおいて演説原稿を書くとはどういうことか、説明しよう。

20148月、私は当時のNATO総司令官Anders Fogh Rasmussenのスピーチライターになった。ウェールズ・サミットの1か月前で、アフガニスタンで従軍し、死んだ、多くの同盟諸国兵士たちを記念する式典であいさつする演説原稿を依頼された。

私はタイプしながら、集団としての「兵士たち」を称えるより、特別な一人の兵士を取り上げるほうが、力強いものになると考えた。そこで私は、アフガニスタンでその月にインサイダー・アタックで亡くなったHarold J. Greene少将について敬意を払う一文を書いた。

それは大きな問題になった。報道官がそのスピーチを読んで、非常に驚いた。彼女が言うには、少将に言及することはアフガニスタン人を攻撃するものだ。彼女は私の評価を下げようとまでした。私には、この文章がアフガニスタン非難には、どうしても結びつかなかった。

私は人に訴える演説を書きたいだけだった。誰も聞かないような説明に何の意味があるのか? 大西洋を結ぶ安全保障に関して対話を刺激する方が、たとえリスクを冒すものであっても、意味があるだろう。

ロシアはヨーロッパの東の境界線で圧力を強めている。そして過激派は境界線の中からも外からも攻撃を準備している。それにもかかわらず国民はNATOがまだあることに疑問を感じている。アメリカ人の半分以下しかNATOを指示していない。この低下傾向はNATOの存在を脅かす。アメリカ大統領選挙の主要な候補者である2人、バーニー・サンダースとドナルド・トランプは、NATOに批判的であるか、廃止を求めている。

NATOには重要な使命がある。同盟諸国とその市民たちが享受している自由を防衛することだ。テロやサイバー戦争など、集団的な、超国家的な脅威には、集団的な対応が必要だ。超大国でも単独では対応できない。それゆえNATOとその司令官はグローバルな政治対話の中心的役割を担わなければならない。無関心な、主要メディアが無視するような演説ではなく、改革を求めて声を上げるべきだ。

アメリカのオバマ大統領の元スピーチライターであるJon Favreauが、良い演説原稿を書くことについて述べた。それはストーリーを語り、正直な、本当の話で、対話的な調子にすることだ。基本的に、政策の中身を最小限にして、人間的な話を増やす。何よりも、スピーチライターは、演説する者が信念をもって、そのスタイルや説明を続けるように、ペンをとるべきだ。

同盟というのはアイデアである。われわれの領土だけでなく、価値観を守る。NATOは地政学的に永久の真実に依拠するが、戦争で命を懸けて守った世代がいなくなれば、どうやって維持できるのか? 人々は本当に理解しないことについて、めったに支持しない。


l  難民危機と人権レジーム

NYT MAY 2, 2016

The Refugee Crisis Is Humanity’s Crisis

Brad Evans and Zygmunt Bauman

Zygmunt Baumanとの対話。

Brad Evans: あなたは10年以上前から、難民の絶望的な苦境に注目してきた。あなたはまた、この問題が新しいものではなく、もっと広い歴史的な文脈で理解されねばならない、と強調してきた。今、ヨーロッパで起きている難民危機は、その歴史を繰り返しているのか? それとも、何か異なるのか?

Zygmunt Bauman: まだ歴史の新しい章は開かれていない。近代において、大規模な移民は珍しくもないし、散発的でもなかった。それは近代的な生活の、恒常的で、絶えざる効果であった。それと並行して、永住型の占拠による秩序構築、経済進歩がともなったのだ。その2つの性質が、特に、果てしなく「余剰人口」を生産する工場として働き、彼らをその土地では雇用されない、また、政治的に許されない者たちとし、それゆえ彼らは避難所を、また、より約束された機会を求めて、その生まれた土地から離れるように強いられたのだ。

近代的な生活が、その起源であるヨーロッパから、世界の他の部分にも広がるにしたがって、移民の支配的な方向も変化した。ヨーロッパが地球上の唯一「近代的な」大陸であるとき、余剰人口はまだ「前近代的な」土地に向かって送られた。そして植民地の入植者、兵士、植民地政府の官僚となった。6000万人ものヨーロッパ人口が、植民地型帝国主義の最盛期に、南北アメリカやアフリカ、オーストラリアに去ったと信じられている。

しかし20世紀の半ばから、移民の流れは逆転する。移民のロジックは土地の占拠から切り離され、むしろ元入植者たちが破壊した土地と、彼らの国内経済とのギャップにより、生きるチャンスを比べることに変わったのだ。特に、中東やアフリカにおいて故郷を出るしかない人口が増大しているのは、多くの内戦、エスニック・宗教の違いによる紛争、そして植民地化によって、旧宗主国が供給した膨大な武器と安定性を欠いた、名前だけの主権、人工的「国家」において行われる強奪行為のせいである。

難民は、あまりにもしばしば、人権を確立した生まれつきの住民たちに対する<脅威>という役割を負わされる。難民たちが、暴力的にはく奪された同じ権利を回復することを求める、人類の傷つきやすい部分として定義され、扱われることはない。

今や、定住した人口や彼らによって選出された政治家たちは、「難民問題」を普遍的な人権問題としてではなく、内部の治安問題として議論する傾向が強い。問題を治安サービスに委ねることを好み、有権者たちの満足を得る能力も意向も持たない政府は、社会サービスの提供に忙殺されている。

難民の大規模な流入は、われわれが苦しみ、何とか隠している不安を、突然、目に見える形で表面化したのだ。それは受け入れ社会そのものの壊れやすさについての不安、われわれの運命が、自分隊で制御できないどころか、理解もできない勢力に委ねられてしまったという、ますます強まる疑念である。難民たちは、神秘的であいまいな、しかし、遠くにあると願っていた「グローバルな勢力」を、まさに目に見える、手に触れる形で近隣に出現させた。

難民たちは、秩序の崩壊、安定した事態が失われたらどうなるか、という姿を示す。難民たちがわれわれに治安を失った状態をむき出しにするからこそ、難民自身が悪魔のように見なされる。国境を要塞化して彼らをわれわれと反対側に押しとどめることが、そのようなグローバルな勢力を阻止し、管理することを意味する。

B.E.: 戦争状態から逃れてきた人々を論争するとき、彼らを「移民」や「難民」と呼ぶことは正しいか? 問題を単純化することにならないか?

Z.B.: 彼らは、耐えられない状態(自国)と、受け入れられない・許されない状態(新しい国)との間で、選択を強いられている。われわれは誰もそのような選択を強いられたくない。何百万もの人々がそうした状態にある世界の現状を表す言葉、批判的に語る表現力が求められる。

「経済移民」というラベルは、犠牲者たちを非難するものであり、使用すべきではない。

B.E.: 21世紀のヒューマニズムとは何か?

Z.B.:  “Cosmopolitan Vision” においてUlrich Beckがその難問をみごとに表現した。われわれは(それで良いかどうか尋ねられたわけではないが)人類の普遍的な相互依存状態、世界市民的な状態に投げ込まれている。しかし、それにともなう世界市民意識を、まだ真剣に形成し始めることもなく、獲得していない。

“If Mayors Ruled the World”Benjamin Barberが明敏に宣言した。「今日、地域的な成果を歴史的に上げてきた国民国家が、グローバルな規模でわれわれを苦しめつつある。国民国家は、自律的な住民や諸民族の自由と独立を守る完璧な対策であったが、相互依存した状態には全く不適当だ。」 地球規模の問題に対して、国民国家の性質はあまりにも競争しがちであり、相互に排除し合う。協力することができず、グローバルな公共財を確立できない。

そうした問題をたどれば、権力と政治とが乖離していることに至るだろう。結果は政治的な制約を離れ、政治は権力を失っている。スペインの社会学者Manuel Castellsの言葉を使えば、国境や法律、政治体制がその内部で決めた利害を、意のままに無視できるような、「フロー・スペース」が広がっている。政治的行為の手段は今も存在しているが、それは100年か200年前と同じ、国歌の場所によって決まった制約を受けている。それに代わる「歴史的主体」が強く求められている。

現在の難民問題を解決する近道はない。人間性の危機にある。人類が連帯するほかに危機の出口はない。そこに至る道で最初の障害とは、対話を拒むことだ。沈黙は、自己疎外、よそよそしい、不注意な、無死や無関心をもたらす。愛憎の2極ではなく、愛と憎しみと、さらに無関心もしくは無視という3極が、難民たちを迎えている。


l  日本のデフレ

Bloomberg MAY 4, 2016

Easy Money Isn't the Answer for Japan

Michael Schuman

渋谷を行き交う人々はいつも通り買い物や食事に忙しい。失われた10年なんてどこにもない。

安倍政権と日銀はインフレ率を目標に過激な政策を提唱したが、日本人はすでに蓄積した富を守る政策を採ってきた。その意味で、長く日本経済を苦しめたと言われるデフレは、実際にはブームである。貯蓄の価値を高め、高齢者の固定された所得を助けている。固定価格で観た場合、デフレのおかげで、日本の1人当たりGDP1992年に比べて17%も増えている。

しかし、このことは日本がGDPの増大を追求しなくてもよい、という意味ではない。若者たちの雇用を増やすためには成長が必要だ。彼らの多くは不確実な低賃金職に就いている。その対策として、金融緩和は間違いだ。むしろ構造改革によって企業や投資を促し、生産性の上昇や外国からの投資を呼ぶ必要がある。

多くの日本人がデフレの下で満足していることが、劇的な改革を拒否させ、ゆっくり煮られるカエルのように、自分が料理されていることに気が付かない。将来の日本人はもっと貧しくなるだろう。


l  文明と戦争

FP MAY 4, 2016

The (Con)Fusion of Civilizations

BY STEPHEN M. WALT

最新のForeign Affairsに載ったKishore Mahbubani and Larry Summers の論説(“The Fusion of Civilizations”)は、グローバリゼーションが文明を宥和し、世界平和をもたらす、というが、私はそう思わない。文明が戦争を起こすのではなく、国家が起こすのだ。

たとえ完全い合理的な国家でも、James Fearonが示したように、自国の強さに関する情報を公開せず、間違った情報を示す動機が働き、平和的に紛争を解決することに失敗する。世界には中央権力がないから、たとえ合意したことでも他国がそれを守る保証はない。

合理主義や文明の融和時代が続いても、中産階級の増大や民主主義の普及、社会主義の理想が共有されても、国家間で戦争することを防げなかった。

世界政治が国家によって分割され、ナショナリズムが最強のイデオロギーである限り、戦争はなくならないだろう。

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The Economist April 23rd 2016

Can she fix it?

Brazil: The great betrayal

Brazil’s political crisis: The darkest hour

Bloodshed in central Africa: Burundian time-bombe

Burundi: Sliding towards anarchy

Germany sours on Russia: Fool me once

America and Brexit: More special in Europe

Free exchange: Money from heaven

(コメント) アメリカとブラジルの大統領制度が激しく揺れています.ヒラリー・クリントンは勝利に向けて,その政策に輝きを失う恐れがあり,ディルマ・ルセフは弾劾を前にして大統領としての才覚を見限られたようです.

しかし,この1冊で強い関心を持ったのは,ブルンジにおけるジェノサイドへの政治的発酵と,ドイツとロシアの関係を扱う記事です.前者で,現代でも起きる集団的殺戮の恐怖を予感しつつ,行動できないこと,後者では,あたかも第1次世界大戦の勃発を準備した国際政治の原始状態が継続していることを,実感しました.

オバマはBrexitがヨーロッパやNATOを介して世界秩序の背骨を砕くことを恐れます.「ヘリコプター・マネー」は,金融政策の政治的限界を迂回するまやかしの手品に過ぎない?

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IPEの想像力 5/9/16

政治過程を集約する主体が、国民国家ではなく、都市であればよいのでしょうか? 難民をめぐって,Zygmunt BaumanBenjamin Barberは都市の連合を考えます.ロンドン生まれの労働党員,イスラム教徒でもあるサディク・カーンが市長に当選したことは希望を与えます.

しかし,イギリスのEU離脱はどうなるのか,スコットランド独立はどうなるのか,ドイツとロシアの対立や,アジア太平洋における米中間の秩序は? 不安が希望を圧する情勢が各地にあります.

明日は,ロンドンなのか、サラエボやアレッポなのか?

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暴力的な異変が頻発する世界,虐殺や集団的暴行が罰せられることなく,明日も自分や家族の生活が平穏である保証は何もないと感じるような,荒涼とした世界を終わらせるために,公的な秩序はある,と思います.

この秩序が,ある日から,衰弱し,消滅することもある,というのを,いくつかの事件を読んで意識しました.

ブルンジで、ルワンダに起きた虐殺と同じことが再び準備されている、と恐れられています。

「ブルンジの首都Bujumburaの郊外で,汚れた,固められた道路を進む警察が,住民たちに夜は電灯をつけておくように求めた.従わない者には5万フランの罰金を科す.電灯をつけたままにしておけば,警察は容疑者を見つけやすい.」

すでに若者たちの多くはよそへ,国外に逃れました.都市においても,誘拐,拷問,殺害が頻発しています.農村部では,経済の崩壊によって飢餓が発生しています.政府の高官でさえ,常に暗殺を恐れています.かつてフツ族とツチ族とのえしにっくによる分断があったブルンジで,政治的紛争がルワンダのような大量虐殺に向かう懸念が強まっているのです.

危機は,昨年4月,現在の大統領であるPierre Nkurunzizaが,3期目の大統領に立候補する,と表明したとき始まった,とThe Economistは伝えます.すでに昨年1211日に,フツ族とツチ族の両方からなる反政府派の武装集団が兵舎を攻撃し,手りゅう弾を投げる武力衝突が起きました.その後,政府軍はこの地区で,反対派を支持した疑いにより住民を無差別に殺害し,死体を集団埋葬しました.

政治家たちは虐殺を煽るような隠語を繰り返しています.治安部隊はツチ族で占められ,多くのフツ族が逮捕されています.軍や警察からフツ族は排除されています.EUやアフリカ連合は介入できず,国連安保理が平和維持部隊を送る準備をしています.しかし,エスニック紛争と虐殺は,ブルンジからさらにコンゴ民主共和国にも波及する恐れがある,と言います.

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人権も、世界平和も、核の廃絶も、金融危機を拡大しない国際通貨システムも、地理的に分割された諸国家が主権を維持する世界では、実現しない。どれほど文明が融和し,人々が豊かになっても,合理的な,プラグマティックな考え方に従うとしても,戦争を行うのは国家である.

国家は互いにその力を隠蔽し,あるいは誇張して,交渉を有利にする合理的な理由を持つ.国家は国際的な合意が,一旦,自分たちの利益に一致しないと考えるなら,それに従わないし,国家の逸脱を罰する超国家的な秩序はない,ということを認めている.世界が領土的な分割された公的秩序の集まりで,各国がその力を高めることによって目的を達成する限り,戦争や虐殺へのエスカレーションを止めるのは,大国の介入,パワーの均衡,報復の予想である,という説明に,何か違う答えを見つけなければなりません.

カーンの対立候補が行った恐怖を煽る選挙,文化やアイデンティティによる分断化は,ロンドンで敗北しただけで,あらゆる選挙区において成功するでしょう.もし権力者が暴徒と組み,殺戮を始めたら.

21世紀に,すべての人が治安と安全保障の組織化を学び,武装するモデル,そして,軍が民主政治を反映する,さまざまなモデルが試されます.

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