IPEの果樹園2016

今週のReview

1/18-23

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中国経済から広がる不安 ・・・トランプの政治的ダイナミズム ・・・新しい地政学の時代 ・・・金融市場と金融政策 ・・・中国の開発モデル ・・・日本のデフレ世代 ・・・イギリス国歌を新しくするか?

 [長いReview]

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[これは英文コラムの紹介です.私の関心に従って,いくつか要点を紹介しています.関心を持った方は正しい内容を必ず自分で確かめてください.著者と掲載機関の著作権に従います.]


l  中国経済から広がる不安

NYT JAN. 8, 2016

When China Stumbles

Paul Krugman

中国発の世界危機になるのか? 数字はそれを示していないが、グローバルな感染は、しばしば数字を超えた影響を示す。

中国経済は深刻な問題に直面している。しかし、それがどの程度まで深刻かは、統計が信頼でないのでわからない。中国の経済モデルは、高貯蓄と低消費において、その高投資を正当化できるほど高成長が続く限りだけ、持続可能であった。それは中国に膨大な低雇用の労働者が地方にプールされているときだけ実現できたのだが、もはや存在しない。深刻な不況を避けながら、低成長に移行しなければならない。

そのための合理的な戦略は、より大きな購買力を家計が得るまで、信用の供与とインフラ投資によって時間を稼ぐことであっただろう。しかし、残念ながら、中国は信用の膨張とインフラ投資をしただけで、家計の所得を増やさなかった。債務は膨張し、中国版の「シャドー・バンク」がそれを行い、金融崩壊の脅威を生じている。

中国がハードランディングすれば、世界に波及する。ジョージ・ソロスは2008年に似ているという。

しかし、私はそうならないと思う。確かに中国は世界の製造業の4分の1を占めるが、その輸入額は年間2兆ドルを超える程度である。中国を除いた世界のGDP60兆ドルであり、たとえ中国が大幅に輸入を減らしても、その影響はわずかであろう。

金融の取引を通じた波及も少ない。中国政府は国際的な資本取引を規制しており、アメリカのサブプライム危機がヨーロッパの銀行には大きく影響したのに、中国は影響を受けなかった。中国の株価が下落しても債務危機が起きても、それは国際的に波及しない。

ただし、世界の景気変動は、当然そうである以上に、同時化している。たとえば、欧米の景気は同時に悪化したり回復したりする。それは金融的なリンク以上に、心理的な感染が生じるからだ。経済に影響する主要なニュースが、他国の投資家心理にも影響する。中国の事件にも、それが生じるだろう。

もし中国でショックが生じても、われわれは金融政策や財政政策でそれを吸収できるはずだ。しかし、アメリカ連銀が金利引き上げを控えても、ECBが金融緩和を続けても、すでに効果は限られている。オバマ政権やドイツ政府は、財政刺激策をとらないだろう。

中国の減速が波及しないことを願うばかりだ。

FT January 15, 2016

Good news from China’s markets

Stephen Roach

中国経済は、グローバルな株価乱高下について責められている。それは過度の単純化だ。中国の影響は限られている。そこに現れているのは2つの変化である。すなわち、新しい成長モデルへの移行と、それに必要な堅固な金融インフラの構築である。

前者の、製造業からサービスへの移行は、予想以上に成功している。国際商品市場を通じたスーパー・サイクルの終焉は対外的な影響を与えるだろう。原油価格の暴落はその顕著な例だ。

しかし、より重要な問題は金融インフラの構築が遅れていることだ。2015年の株価下落でそれは強まった。政府は株価を買い支え、サーキット・ブレーカーなど、様々な価格の管理を試みている。それは大きな混乱と失望である。

他方、人民元の改革は別だ。人民元の為替レートは長期の増価を経て、今ではほぼ均衡水準になっている。かつての莫大な外貨準備も減少してきた。最近のドルに対する減価にもかかわらず、2005年半ばに比べて、人民元は25%も強くなったままだ。実質実効為替レートは10年で50%も増価した。

中国の人民元は大幅な減価に向かわないだろう。その理由は、1.世界経済が停滞する中で、人民元が安くなっても輸出は増えない。2.人民元安は、輸出から国内消費に向かう成長モデルの転換に反する。3IMFが人民元をSDR構成通貨に加えたことに反する。

中国のバブル崩壊や人民元安を恐れるのは誇張である。むしろ、中国が大幅な金融緩和に向かうほうが問題かもしれない。


l  サウジアラビアと石油の不安

FP JANUARY 7, 2016

Fear and Loathing in Saudi Arabia

BY KENNETH M. POLLACK

イランと同様に、サウジアラビアで何が起きているか、われわれにはほとんど詳しい知識がない。外部からサウジ王室について高度な情報を得ることは非常に難しい。「知っているものは話さないし、話している者は知らない。」

サウジ王室の政策に劇的な変化が起きている、とわれわれはどうして考えるのか。第1に、その政策は内外の関心を織り合わせてできているが、今やそれらが圧倒的に恐怖心・不安で支配されている。外部の諸問題が国内状況を変化させ、国内に脅威を生じさせる、と恐れているのだ。

より広い意味で、2011年以来、中東地域の不安定性が累積して、危機をサウジ王室がコントロールできなくなってきたことを恐れている。「民衆」はますます支配者たちに抗議し始め、その転覆さえ試みるようになった。内戦がシリア、イラク、イエメン、リビアに広がり、難民、テロリスト、武装集団、強烈な危険思想が近隣諸国に流出している。

サウジから見れば、それは中東地域のシーア派が活性化していることであり、イランが煽動しているのだ。サウジのシーア派もそうだ。サウジの治安部隊が東部で死傷者を出している。アメリカは無視しているが、サウジはその戦いをはるかに重大なことと考えている。

次に、サウジは原油価格の下落を恐れている。アメリカのシェール・オイルを市場から締め出そうとして、サウジが意図的に生産量を削減しないのだ、と皆は考えている。しかし、サウジはもはや原油市場をコントロールできない。多くの供給国があり、リヤドが生産調整を試みているときでも、OPEC諸国はそれを悪用した。サウジは市場シェアを失うだけだった。今度は、市場シェアを維持することが目標だ。その結果、底辺への競争が起きた。原油からの収入が激減している。

原油価格の下落は経済の緊縮を必要とする。ガソリンなどへの補助金を削減している。しかし平均的なサウジ国民はそれを自分たちの権利とみなしている。緊縮は非常に不人気であり、社会不安が広がっている。彼らの不安は、ギリシャを観ればわかる。

他方で、各地の内戦に対してサウジはスンニ派を支援するために財政移転や軍事介入をかつてない規模で増やしている。その費用は莫大だ。シリア。イエメンでは数百億ドル、イラクやリビアでもそれより少ないが介入している。それは政治系投資ファンドから支払っているが、このままでは3年で枯渇する。その前に国内の政治混乱が生じるだろう。

こうしたことの背後にはイランがいる、とサウジは考えている。制裁が解除されたイランは、その資金を介入に使うだろう。サウジはイランの力や外交を過大評価している、とアメリカは考える。しかし、サウジには、すべてがペルシャ帝国の復活を目指すイラン政府の陰謀に見える。

最後に、サウジ王室はアメリカが自分たちを見捨てたと、強い不満を感じている。露骨には言わないが、サウジや湾岸諸国の人々は、オバマ大統領が中東に関して全く無知か、愚か者だと考えている。ワシントンはサウジに何の助けにもならないし、リビアやシリアでは何も効果的なことができないのだ。そうであれば、中東地域を安定化する役割はサウジが担うしかない。そう彼らは考えている。

こうして、ワシントンには、中東の事態がますますカオスに向かっているように見えても、サウジアラビアの視点では正しいことをしているのだ。


l  トランプの政治的ダイナミズム

NYT JAN. 8, 2016

What Donald Trump Owes George Wallace

By DAN T. CARTER

トランプDonald J. TrumpとウォレスGeorge C. Wallaceは似ている。ウォレスは、深南部出身の政治家で、1964年から1976年まで大統領候補になるチャンスがあった。2人は弁舌によって大衆を熱狂させることができた。トランプが去った後も、それが勝者であれ敗者であれ、未来の政治を変えるだろう。

2人には、アメリカ政治に定期的に現れる不安や憤慨に火をつける天賦の才能があった。

市民権運動に対して敵意を示すのはウォレスの弁論活動の一部でしかなかった。彼はある種の「ポピュリスト」であり、勤労に励む、白人のクリスチャンを擁護した。しかし、彼の敵は19世紀の銀行家や独占企業ではなかった。彼はさまざまな敵を創り出したのだ。ドラゴンを創って、ドラゴン退治をした。

彼は群衆と一緒にエネルギーを爆発させて敵を創った。・・・ひげだらけのヒッピー、ポルノ写真家、神を侮辱するインテリ、裏切り者のベトナム反戦運動、福祉に頼るごく潰し、臆病な政治家、視野の狭い大学教授。

テレビ放送でも、ウォレスの支持者が示す暴力沙汰は魅力いっぱいであった。特に、支持者とデモ隊との間で椅子が飛び交ったときからは。その興奮について、まるでジャニス・ジョプリンのコンサートだ、とジャーナリストは語った。

ウォレスもトランプもマイノリティーを標的にした。アイルランド人、カソリック、アジア人、東欧からの移民、ユダヤ人、イスラム教徒、ラテンアメリカ系移民。こうした、実在するか、想像したかに関係なく、敵どもを粉砕することで、決して存在したこともない理想的な過去へ戻れる、と約束した。

彼らは、政治家の婉曲話法を否定した。それが群衆に受けたのだ。「彼は皆のわかる言葉で話している」と、トランプの支持者は言う。「ジョージはそのままのことを言うだけだ。それが官僚や市民運動を攻撃しても、それでどうだというのか。彼は本当のアメリカ人のために立ち上がり、闘っている」と、ウォレスの支持者は語った。

ウォレスは、ニューディールの民主党員として政治のキャリアを始めた。しかし、民主党に投票する人々の持つ、連邦政府への不満を吸収したその姿勢は、のちのロナルド・レーガンが示す温和な反政府のイデオロギーにつながるものだ。

ウォレスもトランプもホワイトハウスには入れない。しかし、アメリカ政治の将来に深い影響を残す。共和党候補者たちの話を聴けば、分かるはずだ。

FT January 10, 2016

America’s election year terror risk

Edward Luce

アメリカ大統領選挙中に、パリで起きたようなテロ事件が起こるかもしれない。

ある者にとってのテロリストは、他の者にとっての自由の戦士である。15年間、アメリカ人は911の再発を恐れてきた。恐怖は心が生み出す亡霊である。大統領選挙まで10か月となって、有権者の意識の中で、テロが経済を圧倒している。社会の暗い本能が強くなる。

オバマ大統領は、銃規制を主張するときだけテロを強調するが、そのたびに銃の売り上げは伸びている。オバマ政権の下で、銃の生産者たちは黄金期を楽しんでいる。彼が政権についたときに比べて、アメリカ人が買う銃器の数は倍増した。

多くの者は自衛を考えている。San BernardinoParisのテロ事件以降、銃規制への支持は低下している。

オバマは、「ラディカル・イスラミストのテロ」と呼ばない。「暴力的な過激主義者」という呼び方にこだわる。それは「政治的な正しさ」に縛られているという印象を、右派だけでなく、国民に与えている。当たり障りのない言葉を使うほど、それはオーウェル的なレトリックに聞こえる。

対照的に、共和党員たちは意識的に大衆の恐怖を煽っている。トランプも、クルーズも、移民の排除や難民への厳しいチェックを主張する。常識的に考えて、彼らが共和党の大統領候補になることはあり得ない。ヒラリー・クリントンへの支持は高いから、たとえどちらかが候補になっても、彼女には勝てない。

しかし、パリのようなテロ攻撃が起きればどうか?  San Bernardinoのような2人組がいる。彼らは大量殺戮を行うに十分な火器を蓄えている。

政府機関の情報収集に関する左派党派の論争が、ますます市民たちを不安にし、政府への反感を強めている。政府からの疎外感を抱き、テロリストが生まれる。ISISが望んだように。


l  新しい地政学の時代

FP JANUARY 8, 2016

What Would a Realist World Have Looked Like?

BY STEPHEN M. WALT

なぜアメリカ外交政策の論争にもっとリアリストの意見が重視されないのか?

リアリズムは、過去25年間、リベラルやネオコンザーバティブに比べて、顕著に優れた予測を行ってきた。しかし、冷戦終結後、大統領たちは繰り返し、リベラルやネオコンザーバティブの政策を採用し、リアリズムの提言を無視した。その結果は、惨憺たるものだった。

もしクリントン、ブッシュ、オバマがリアリズムに従っていたとしたら、アメリカと世界は改善できたのか? その通りだ。

リアリズムは、パワーを政治の中心問題と考える。世界政府は存在せず、自分たちを守るものは誰もいない世界で、諸国は安全保障を最も重視しなければならない。リアリストは軍事力を国家の独立と自立を確保するために不可欠のものと考える。しかし、軍事力は粗雑な手段であって、予想外の結果をもたらすことも知っている。諸国家はナショナリズムやその他のローカルなアイデンティティーを信じている。また、利己的であり、利他的に行動せず、信頼することはむつかしい。強力な国家の行動を規範や制度は制限できない。

こうしたリアリズムに従っていたら、第1に、2003年のイラク侵攻はなかったはずだ。アルカイダの掃討だけに集中し、数千人のアメリカ兵や数十万人のイラク人は死ななくて済んだ。イランの影響は制限され、イスラム国家も存在しない。

2に、1990年代のNATO拡大は止めただろう。かつてケナンが警告したように、それがロシアとの関係を悪化させるのは明らかだった。グルジアやウクライナを西側に統合することも間違いであった。モスクワはそれを嫌ったし、妨害するだけの力を持っていたからだ。

3に、ペルシャ湾における2重の封じ込め戦略を採用しなかっただろう。サウジアラビアとイランの対立を利用して、アメリカはもっと有利に行動したはずだ。サウジアラビアに米軍が駐留したのは失敗だった。

4に、アフガニスタン、第5に、イラン核合意、第6に、イスラエルとの関係、第7に、リビアやシリアの独裁者たち。

しかしアメリカの主要紙、the New York Times, Washington Post, and Wall Street Journalはリアリストを(ほとんど)排除してしまっている。

NYT JAN. 11, 2016

The Limits of American Realism

Roger Cohen

Stephen M. Walt a professor of international affairs at Harvard University)はリアリズムを強く支持するが、リアリズムが犯した失敗を無視している。ユーゴスラビア内戦だ。約14万人が殺害され、数百万人が難民となった。

当時、元国務長官James Bakerは、戦争に参加するのを拒んだ。ホワイトハウスは行動しなかった。そこにはアメリカの死活的な利益もなかった。権力政治は薄っぺらなもので、殺戮によってもアメリカは動じなかった。1995年、Srebrenicaでセルビアの殺人者が8000人の住民男性を殺した。アメリカが介入するまで、3年間もサラエボでは女性や子供たちが吹き飛ばされた。クリントン大統領が方針を転換し、NATOが介入し始めて、やっと内戦終結に向けた交渉が進んだのだ。

ベビーブーマー世代にとって、それはヨーロッパの平和をアメリカ軍が血であがなった経験であった。その後、単純なリアリズムを称えることは説得力を失った。冷戦終結後のNATO拡大もそうだ。Waltの非難は、リアリズムの典型的なシニシズムである。

リアリズムは民衆の苦しみを軽視する。リアリズムが外交を考える出発点であるとしても、より多くの時間をかけて、リアリズムの限界について考察するべきだ。


l  金融市場と金融政策

Project Syndicate JAN 12, 2016

Reforming or Deforming the Fed?

BARRY EICHENGREEN

大統領選挙で金融政策の改革が話題になるのはこれが最初ではない。金融危機の後、連銀が金融機関を救済したことや、その後の量的緩和によってゼロ金利を維持したことに、不利益を被った者たちが不満を持っている。連銀は経済的な病気に対する治療を行ったが、その原因には異論があるからだ。

アメリカ政治文化の伝統には、18世紀にまでさかのぼる、巨大な政府や金融権力の集中に対する強い不信感がある。連銀は、彼らの恐怖を刺激するのだ。共和党の大統領候補争いで、その参加者たちは、金融政策を批判する。Ted Cruz, Rand Paul, and Mike Huckabeeは、ドルの価値を金Goldに固定せよ、と主張する。

しかし、彼らの提案には具体的な中身がない。また、なぜ金Goldの価値だけに固定するのか、その迷信を説明することもない。むしろ、財・サービスのバスケットの価値に固定する方がよいだろう。それは、失業率による調整を加味するなら、「テイラー・ルール」だ。

民主党の候補では、Bernie Sandersが連銀を批判している。利益相反が含まれるマーチャント・バンカーではなく、大統領が地方連銀の理事長を指名するように求めている。また、議事録の即時公開を求めているが、それは好ましくない。さらに、金利引き上げに対する批判を述べているが、たとえ大統領候補でも、中央銀行の独立性を犯すような発言はすべきでない。


l  中国の開発モデル

Project Syndicate JAN 12, 2016

Exporting the Chinese Model

FRANCIS FUKUYAMA

中国は、アメリカとその他の西側諸国との間で、開発モデルの競争が始めている。その結果は、これから数十年のユーラシアを決定するだろう。

中国はその経済モデルを転換しつつある。輸出指向型、環境汚染を強める重工業に依存した成長モデルを、もっと国内消費・サービスに依拠する成長モデルに転換するのだ。

その転換には対外的な側面がある。2013年、習近平主席はユーロシアの経済的な中核を転換する戦略、“One Belt, One Road”「一帯一路」を提唱した。それは鉄道による輸送を中国から、中国の西部、中央アジア、中東や南アジア、ヨーロッパにまでつなぐこと。また、港湾やインフラの整備で、鉄道輸送の拠点にもつなぐことだ。

中国が指導するAIIBは、そのためのインフラ投資を行う。中国の開発モデルは、西側で支持されているモデルと異なる。中国企業は、国際商品、資源を求めて、ラテンアメリカ、サブサハラ・アフリカで非常に活発に投資してきた。しかし、「一帯一路」は、中国の重工業を低開発諸国に移転し、彼らを豊かにするとともに、中国製品への需要をもたらすのだ。

中国の開発モデルは、道路、鉄道、港湾、電力、空港、など、国家が主導するインフラ投資によって、工業化を促す。アメリカのエコノミストたちは、汚職や内部取引に関心を向けて、こうした巨大プロジェクトを好まない。欧米の開発援助は、公衆衛生や女性の社会的進出、グローバルな市民社会支援、反汚職の運動に向けられている。

どちらのモデルが広まるだろうか? 中国の開発モデルは、世界中に広がり、所得増と中国製品への需要をもたらし、世界市場の需要停滞を補うだろう。中国の汚染企業も移転される。中央アジアは世界経済の辺境ではなく、中心地になる。中国的な権威主義体制が威信を高め、グローバルな民主化には打撃となる。

ただし、中国的な開発モデルが成功する条件である政治的安定性が、世界のどこでも前提できるわけではない。すでに中国は、エクアドルやヴェネズエラなど、友好諸国の内部で利害関係者が激しく対立し、ナショナリスティックな法律に阻まれて、相手の気まぐれな政府に困惑している。

アメリカはAIIBに参加し、環境、安全、労働のグローバルな基準に向ける努力を続けるべきだ。また欧米諸国は、開発援助だけでなく、自国内でもインフラ投資で失敗する原因を問い直し、開発モデルの見直しを始めるべきだ。

Project Syndicate JAN 13, 2016

The Return of Public Investment

DANI RODRIK

インフラに対する公共投資は、貧しい諸国で、経済成長の欠かせないエンジンである。しかし、「資本原理主義」ともいうべき公共投資型開発モデルとして、1970年代以来、公共投資は開発論から無視されるようになった。エコノミストたちは公共投資や物的投資、インフラから離れ、民間市場や人的資本を重視し、ガバナンスや制度を改善するように助言した。

こうした姿勢を転換するときが来た。アフリカではエチオピアが、この10年で驚くべき成功を実現した。インドも、ラテンアメリカのボリビアもそうだ。

国際商品ブームと同様に、こうした高投資はしばしば破たんで終わる、ということを我々は知っている。経済的・社会的なリターンは減少し、資金が枯渇して、債務危機に向かうのだ。

しかし、その条件はさまざまだ。公共投資がかなりの期間、10年以上も、経済の生産性を上昇させることもある。エチオピアはそうだ。それはまた民間投資を刺激する。インドがそうであった。貧しい国だけでなく、欧米の先進経済においても、公共投資は大きな成長の条件をもたらす段階にあるだろう。

こうした主張に対しては、財政均衡やマクロ的な安定性を理由に反対するが、それは公共投資の性格を見誤っている。公共投資は国家の債務ではなく資産である。


l  日本のデフレ世代

FT January 13, 2016

Japan: Deflated generation

Leo Lewis

日本の成人式を迎えた若者たちは、そのすべての期間をデフレが支配していた最初の世代である。彼らは小さく考え、注意深く行動し、いつも、緊急時にお金が無くなることを心配している。

彼らの心理的な重圧は、日本の政治を動かす安倍首相とアベノミクスに対する大きな抵抗となっている。


l  イギリス国歌を新しくする?

FT January 15, 2016

England needs to find a new national anthem

Jeremy Paxman

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The Economist January 2nd 2016

Brazil’s fall

Brazil’s crisis: Irredeemable?

Global inflation: Low and behold

Japan, South Korea and their history wars: Saying sorry for sex slavery

Simplifying Indian taxes: One country, but no single market

Economic ideology: Reagan’s Chinese echo

Ethiopia: What if they were really set free

Buttonwood: Tales of the unexpected

South-East Asian integration: More hat than cattle

(コメント) ブラジル経済と政治の危機が相互に強め合う関係を再現しつつあると言います。ブラジルはこうした関係を「ポピュリズム」としてマクロ経済の不安や通貨危機の経験から反省し、卒業したはずでした。しかし、選挙制度の負担は企業からの組織的な政治献金に頼る条件を固め、民主化を実現した政治闘争は経済運営を縛る憲法の領域を聖域化してしまいました。ルセフの政治手法や財政健全化策も問題を悪化させたようです。

ラテンアメリカの左派政権が変わった、と祝福するエコノミストたちは、チリやブラジルの軍政後の民主化された政権に期待していたのですが、ラテンアメリカが北米に代わって成長を主導することは、まだ、実現されない希望のままです。

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IPEの想像力 1/18/16

台湾総統選挙の盛り上がりに驚きました。

100円程度までなら配ってよい。関連グッズの販売で選挙資金集め。奇抜な選挙カー。音楽家たちによる、候補者のための応援演奏会。

・・・政治への情熱は強い方がよいのか?

どのような選挙が行われるか、は「民主主義」という原理を実行する中身を大きく変えるものです。選挙区の広さ(代表の数)と境界を決め、比例代表制を取り入れ、選挙資金を規制し、政党を組織し、政党への公的助成金を出し、政権の周知方法を決め、戸別訪問や配布物、ポスターを規制し、投票所と開票作業を監視し、国会の審議をテレビ中継する。

国によっては候補者の演説会や議会で殴り合いの乱闘が起きるし、軍隊がクーデタを起こすより、選挙を通じて独裁者が高い支持を得る場合もあります。

・・・どのような政治か?

軍政から民主化した韓国や台湾の選挙が示す情熱と比べて、かつて両国を植民地化していた日本は、敗戦と占領によって、同様に軍政から民主化した後、政治をどのように変えてきたのか。政治は、何よりも、独立戦争であり、民主革命であり、制度と既得権をめぐる分割・再編過程を公開討論に変える試みです。

若い政治家、異質で多様な候補者が活躍することは、政治が社会の変化を促し、制度を改革するとき、欠かせない条件になります。18歳選挙権が政治をどう変えるか? とNHKの日曜討論は若者たちを集めて問いかけました。

それは18歳の問題ではなく、彼らが参加する政治の問題です。安全保障と戦争、失業、非正規雇用、インターネット詐欺、社会保障、財政破たん、バブルに翻弄される経済政策。すでに政治が議論する力を失っている中で、18歳の若者たちに何を語るのか。

・・・帝国とナショナリズムについて、質問を受けました。

それは統治のモデルであるとともに、イデオロギーとして機能したと思う、と私は答えました。帝国も、ナショナリズムも、イデオロギーとして支持された時代は過ぎ去った(あるいは、復古的に再利用される)一方で、統治のモデルとして繰り返し「平和」や「安定性」,「共感」を求める人々がいます.それは異質な文化や言語,信仰の問題に,政治的革新や柔軟な容器を提示する,想像力に富んだ人々を登場させるでしょう.

遠くの支配者が宮殿の奥から住民を無視した解決策を押し付けることも,血や因習によって復古的な勢力,狭量な,狂信的指導者の神聖化に向かうことも,グローバリゼーションの一部に必ずともなう神経症的政治過程である,と私は思いました.

・・・なぜ国旗(あるいは、国歌)を変えるのか? という質問を受けました。

「君が代」を聴いて、いつも、私は違和感を禁じえません。その歌詞にも、メロディーにも、伝統的な美や、歴史を経てきた荘厳さというより、前時代的な暗さ、抑鬱された時代のメッセージを再現するように感じるからです。これは、言うまでもなく、人によって違うでしょう。

国立競技場を立て直すより、若い作曲家たちに国歌を募集して競わせる方が、日本のイメージを刷新し、国民がその使命と躍動感を共有できるでしょう。

実際、イギリスの国歌God Save The Queen’についても、異なる国歌を望む意見があります。「イングランドのラグビー対戦で、ナショナル・チームは国歌を歌うが、観衆は口ごもる。」と、FTの記事は述べています。その歌詞もひどいし、リズムはまるで葬列の行進曲だ、と。

イギリスのフットボール・ファンは,スコットランド人ならイングランドからの独立を求めて戦ったロバート1世をたたえる“Flower of Scotland”を,ウェールズ人ならイングランドに対する抵抗をたたえるウェールズ語の“Land of My Fathers”を,そしてアイルランド人はイギリス人を土地から追い出す蜂起をたたえる“A Soldier’s Song”を歌う,とJeremy Paxmaは書きます.

パリのバタクラン劇場がテロリストたちに襲撃されたとき、通りの群衆から自発的に「ラ・マルセイエーズ」が歌われた、ということです。それは革命の歌、戦いの歌です。果たして、東京オリンピックでテロが起きたとき、人々は自然と「君が代」を歌うのでしょうか?

安倍首相は、憲法を書き換えるより、右翼に独占された「君が代」を変えるほうが、新しい保守政治を若者たちにアピールできるでしょう。2020年のラグビーやオリンピックの国際試合までに,国民がチームの勇気を高めるような,そして他国も敬意を示すような,素晴らしい国家の理想を身近なものとして生き生きと描く,新しい国歌を議会で決めてほしいです.

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