IPEの果樹園2013

今週のReview

12/16-21

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少数言語の再生 ・・・ネルソン・マンデラ死去 ・・・日本は変わったか? ・・・ウクライナ ・・・国際通貨ドルの衰退 ・・・ピース・ゲーム ・・・タイの民主政治 ・・・気候変動と資本主義 ・・・国境のフェンス ・・・レバレッジ規制 ・・・中国の変心

[長いReview]

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主な出典 Bloomberg, China Daily, FP: Foreign Policy, FT: Financial Times, Global Times (China), The Guardian, NYT: New York Times, Project Syndicate, SPIEGEL, VOX: VoxEU.org, そして、The Economist (London)


l  少数言語の再生

YaleGlobal, 3 December 2013

Globalization Helps Preserve Endangered Languages

Mark Turin

マンハッタンの真ん中で聞きなれない言葉を耳にしても誰も驚かない.ニューヨークの5つの行政区で800以上の言語が話されており,それは世界で使用されている言語の約10分の1である.ここでは死滅に瀕する諸言語で,電話の向こうにいる故郷の親類に話しかける人々がいる.

それは希望である.世界中に分散した言語コミュニティーを結んで,グローバリゼーションがもたらす技術が人々に言語の再生を助けているからだ.世界には約6500の言語があるけれど,その半分は20世紀の末までに使用されなくなっている.毎月,新しい言語が死滅する.それは最後の話者が亡くなり,若い世代が公用語・国語に完全に吸収されるからだ.例えば,ウラル地方の言語Livonianは,最後の話者Grizelda Kristiņa20136月に亡くなって,消滅した.

しかし,それが何か重要だろうか? 結局,世界は1つの言語を共有して,円滑なコミュニケーションと知識を得るのであれば,それでよいではないか?

アンダマン諸島の10大言語の1つ,Boは,最後の話者Boa Sr.20101月に亡くなる前に,その記録を残した.ベンガル湾のアンダマン諸島で,彼女は外国の侵略や疫病を生き延び,2004年の津波も木に登って生き延びた.その言語は古代の遺跡であり,人類の言語形成の理解に貢献する.2005年以来,デリーの言語学者Anvita Abbiが協力して,Boa Sr.から将来世代のために,デジタル・オーディオ,ビジュアルとテキストの記録が集積された.しかし,話し言葉はもろく,非常に失われやすい.現地の言葉は,文化的な伝統,環境の理解,薬効のある植物の知識,などを含んでいる.

戦争や飢饉,天災で,コミュニティー全体が死滅することもある.タスマニアの原住民は入植者によって言語とともに滅ぼされた.より頻繁に起きるのは,人々が小さな言語集団から他の言語にシフトすることだ.その背後に複雑な政治的,文化的.経済的な理由がある.経済や教育は自発的な理由に見えるが,国家の強制や無視が作用している.ウェールズ語は長くイギリス政府に差別され,軽蔑されてきたが,最近,復活している.

新しいデジタル・メディアやインターネットは,ますます移動性を高める社会で,話し言葉や伝統を守る強力な道具になっている.コミュニティーに根差す言語を保存するスタンダードが提供され始めている.グローバリゼーションは,少数言語を死滅させ,西側の言語を広める過程であり,イデオロギーでもある.

単一言語主義Monolingualismは,すでにG8のような大国を支配している.それは世界を形成してきた多言語主義Multilingualismとは異なるものだ.緊密に結びついた,相互依存する世界には後者が望ましい.新しい技術はグローバリゼーションを多言語化する助けとなる.

過去,5000年間,諸言語の盛衰は鍬,剣,本と関わるものだった.このデジタル時代には,キーボード.スクリーン,ウェブが未来を決める.


l  ネルソン・マンデラ死去

NYT December 5, 2013

Mandela Taught a Continent to Forgive

By JOHN DRAMANI MAHAMA

長年,ネルソン・マンデラのたった1枚の写真だけがあった.縮れた髪,膨れた頬,決意を示す姿勢が見えた.しかし,この白黒写真は,時代と個人が経てきた変化を受けて,まるで古代人のようだ.

1960年代初め,アフリカ現地人への弾圧と非人間的な扱いに,マンデラは暴力的な抵抗を組織した.それはアフリカ民族会議の武闘派になった.しかし,数年で指導部は拘束された.1964年,マンデラは有罪となって終身刑の判決を受けた.

裁判中の演説で,マンデラは語った.「民主的で自由な社会という理想を私は持っている.そこではすべての人間が調和して,平等な機会を持つ.」「私はその理想のために生き,理想を実現したい.しかし,必要なら,私は理想のために死ぬ覚悟がある.」

ケープタウンの北に浮かぶ,5平方マイルの小島Robben Islandで,囚人番号46664になった.そこはらい病患者,狂人,囚人の島であった.刑罰としてそこに送られた人々は,孤立して,忘れられた.

しかし,われわれはその写真にある彼を忘れなかった.マンデラは偶像となり,彼の写真を部屋の壁に貼り,パンフレットに印刷した,われわれはマンデラを記憶し続けた.行進,デモ,舞台,ボイコット,請願運動,記者会見.われわれは何でもやった.アパルトヘイトの邪悪さを訴え,人々がマンデラの名を口にするように.

アフリカ大陸に自由を求めて,われわれは闘っていた.にもかかわらず,われわれはマンデラが死ぬまで獄中にいるとあきらめていた.われわれの次の時代も,南アフリカが平等を実現することはないだろう.そう思っていたとき,奇跡が起きた.1990211日,マンデラが釈放されたのだ.

彼の27年間の囚人生活を想えば,激しい憤りと報復を求めても当然であろう.来る日も来る日も,石灰岩の石切り場で,灼熱の陽光を浴びながら白い岩を砕く,過酷な労働に耐え,涙が出ない目になっていた.釈放されて数年間,彼は泣くこともできなかった.

しかし,この男は謝罪を主張した.

マンデラの釈放から数年を経て,アフリカが民主主義と法の支配に向けて大きく前進したことは偶然ではない.マンデラが示したように,われわれが植民地化によって分断された過去を克服できれば,われわれの傷,同情心,謝罪がガバナンスを高めるのだ.

彼の物語はアフリカの物語でもある.かつてこの大陸を包んだ義憤は,新しい勇気となった.戦争,クーデタ,疫病,貧困,弾圧,のもたらす悲観主義が,着実に増大する可能性へと道を譲った.マンデラが獄中で変わったように,アフリカも変わったのだ.

NYT December 5, 2013

The Contradictions of Mandela

By ZAKES MDA

NYT December 5, 2013

Mandela Lives

Nicholas D. Kristof

マンデラについて好きな話は,彼が大統領就任式に白人の囚人を一人招待したことだ.その男は,マンデラが27年間の投獄を味わう手助けをした.それはマンデラが寛大で,温情にあふれる,執念と縁のない人物であることを示すものだ.

多くの反体制指導者や自由のために闘う人々がいたが,国民の指導者になったものは少ない.マンデラは,彼や仲間を弾圧し,殺しさえした者たちに報復するよう求める圧力に抵抗した.

マンデラはアフリカの指導者たちの水準を引き上げた.また,他の世界に対してメッセージを送った.彼が囚人として暮らす間,世界の指導者たちはほとんど沈黙していた.ディック・チェイニーは,1986年,南アフリカにマンデラの釈放を要求する下院決議にわざわざ反対投票した.それは短慮であった.われわれは同様に,中国やバーレーンの反体制派のために発言しないが,これも短慮である.自由は,北京やバーレーンでも勝利するだろう.

The Guardian, Friday 6 December 2013

Follow Mandela's example, and roar with laughter at all this rightwing fawning

Marina Hyde

FT December 6, 2013

Africans must walk to freedom in Mandela’s memory

By Kofi Annan

彼が我々に残した最も重要な教訓は,未来に向けた指導力に関して,ではなく,われわれ一人一人が潜在的に持つ力に関して,である.男性も,女性も,どこにいるすべての人も公正で,結束した社会を築くために手助けできる,ということだ.

「ビッグ・マン」として各地の指導者がアフリカ大陸を苦しめていたからこそ,マンデラは民主的な,持続する制度の確立に向かった.政党を築き,国家を築き,法の支配を築いた.そして,アフリカの指導者たちに模範となるよう,大統領を1期だけで辞めた.

FT December 6, 2013

Nelson Mandela: the meaning of the Madiba magic

By Alec Russell

和解は,奇跡ではない.慎重な戦略であった.

釈放されたネルソン・マンデラが話し始めた.マンデラは怒りに燃えていたが理性的であった.アパルトヘイトの惨禍から南アフリカを無傷で救い出すためには,聴衆の怒りを眺める必要があることを彼は知っていた.

4月には初めての全人種が参加する選挙を控えていた.白人アフリカーナーの右翼が一連の脅迫を行い,それに対する反発が広がっていた.毎日,町で流血事件が起きた.ヨハネスブルグの貧困地区にある壊れそうなスタジアムでマンデラが演説するとき,敵対する黒人政党は武器を手にしていた.報復が始まろうとしたのだ.マンデラは呼び掛けた.「もし規律を持たないなら,お前たちは自由の闘士ではない.」

1950年代,60年代の苛烈な経歴から,マンデラは希望のシンボルだった.法廷での演説や,流刑地における彼の写真は有名だった.マンデラが釈放されるとき,彼が失望をもたらすと心配する声もあった.彼がアパルトヘイトの支配者たちと交渉する姿勢を,弱腰だと非難するものも多かった.実業界のエリートたちは彼の社会主義を恐れた.

彼らはすべて間違っていた.彼は繰り返し述べた.囚人として長く過ごしたことは,彼が白人に対して持つ怒りを薄れさせ,システムに対する憎しみを強めた,と.和解は,彼の魂から発する魔術というより,彼が監獄で得た考察であった.アフリカーナーの心をつかむこと,そのために囚人たちとアフリカーナーの言葉を学んだ.

FP DECEMBER 6, 2013

Think Again: Nelson Mandela

BY JOHN CAMPBELL

マンデラの神話は一面でしかない.マンデラとデクラークとの合意は,所有権と法の支配を認め,白人南アフリカ人の経済的な特権を維持した.また,治安警察は攻撃を免れた.最終的な取引は,バランス・オブ・パワーを反映し,アパルトヘイトの間違いを正すために経済全体を再建するという選択肢は,現実的ではなかった.

Project Syndicate DEC 6, 2013

Mandela for the Ages

GARETH EVANS

WP December 7, 2013

Mandela’s death marks a time of reckoning for South Africa’s ANC

By Anne Applebaum

数か月前,ヨハネスブルグで,若い,黒人の,政治に詳しい南アフリカのジャーナリストに,マンデラが死んだ時の記事について尋ねた.彼は,そのとき,仕事をせず,外国にいたい,と述べた.

マンデラの死は,彼のことより,南アフリカの現在を伝えるだろう.その後継者たちや経済状態は,多くの欠陥を示している.The Economistは,間違ったガバナンス,低水準の教育の質,スキルの不足と約40%に達する失業率を指摘し,南アフリカの黒人たちはマンデラが監獄にいたころよりも悪い状態にある,と書いた.

マンデラを失えば,ANCは高貴な大義を失い,単なる権力のための政党になる.南アフリカの民主主義は,メディア,司法,市民社会が機能する,多くの点で健全なものだ.しかし,いつの選挙でもANCの候補が大差で勝利した.それは職を得るため,政府契約を得るため,優位に立つために,多くの者がANCに参加したからだ.ANCは中国共産党のようになってしまった.

もし南アフリカがマンデラの記憶を称えたいなら,その民主主義を深めるために,ANC以外の政党に投票するべきだ.

NYT December 7, 2013

In Nation Remade by Mandela, Social Equality Remains Elusive

By LYDIA POLGREEN and MARCUS MABRY

The Observer, Sunday 8 December 2013

Mandela: never forget how the free world's leaders learned to change their tune

Chris McGreal


l  震災後のハイチ

FT December 6, 2013

Sean Penn on rebuilding Haiti

By Matthew Garrahan

2010年にハイチを襲った地震は,25万人を死亡させ,30万人の負傷者と150万人のホームレスを生んだ.

ハリウッドの俳優や監督たちは寄付を募ったが,多くはディナーに参加して人を集めるだけだった.しかし,Sean Pennはハイチに行って救援活動に参加した.今,彼は配置が必要とする雇用をシリコンバレーの投資家に求めている.Appleの年間売り上げは1700億ドルであり,それはハイチのGDPの約25倍である.


l  日本は変わったか?

NYT December 6, 2013

Dec. 7, 1941: The Remains of That Day

By ERI HOTTA

72年前に日本は真珠湾を攻撃した.それは狂った賭けだった.中国との戦争にのめりこみながら,アメリカとも戦争を始めたのだ.それは日本の政治文化による.多くの反対意見もあったが,少数の好戦的な意見に支配されて,集団的な合意形成を好んだ.

今,安倍晋三は東シナ海における中国の挑発に反撃している.これは1930年代に日本を中国と,その後は西側との戦争に導いた超国家主義と同じものか?

平和主義は日本国憲法に明記され,日本人の集団的な意識に根付いている.この暗黙の合意が安倍の超国家主義的な発言を抑えることはないだろう.むしろ,日本は戦争する意志がないと知っているからこそ,彼も国民もこうしたレトリックを許しているのだ.

NYT December 8, 2013

A Building Boom in Japan Has Echoes From the Lost Decade

By HIROKO TABUCHI

FT December 10, 2013

Abe’s arrows: Japan counts the cost of inflation

By Jonathan Soble and Ben McLannahan in Tokyo

FT December 11, 2013

UK and Japan: in search of mutual recoveries

Stephen King

安倍首相は攻撃的な金融政策で円安を進め,日本のアニマル・スピリットと賃金上昇を刺激する.イギリスのカーニー総裁は銀行の行動を抑制し,住宅価格の高騰を抑えようとしている.世界は,市場がすべてを決定するべきだ,という時代から大きく変わった.

FT December 12, 2013

Abe’s arrows: Absence of wage rises could run Abenomics off road

By Jonathan Soble and Jennifer Thompson in Tokyo

FT December 12, 2013

Forget the Fed, prepare for Tokyo ‘taper’

By Gillian Tett

アメリカ連銀のQE終結が関心を集めている.しかし,QEはアメリカだけでなく,日銀も採用している.日銀のQE終結がアジアに及ぼす影響も懸念される.

日銀のQEは,マネタリー・サプライを増やしたけれど,インフレや金利はほとんど変えなかった.それは政府・財務省が長期国債の発行を増やしたからだ.QEが成功するためには,日銀と財務省の緊密な協力が必要だ.

さらに,将来,金融政策を正常化するために,日銀は国債の償還を待たねばなければならない.日銀は価格の下落する国債を大量に保有し,しかも高い利回りを支払うことで,債務を負う.アベノミクスの終わりに,国民に対して,日銀の資産を回復するように説明しなければならないが,それが大衆の信頼を破壊した場合,日銀は大きな不安を生じる.

90年前,日銀が超金融緩和から引き締めに転じたとき,総裁が暗殺された.20年前,損失の膨れる金融救済に関わり,幹部職員が自殺した.


l  ウクライナ

NYT December 6, 2013

In Kiev, High Stakes for Democracy

By CHRYSTIA FREELAND

BLOOMBERG Dec 6, 2013

Ukraine Spared the EU and Itself

By Pekka Sutela

ウクライナが突如としてEUとの合意を拒んだことは,多くの意見とは逆に,EUにとっても,ウクライナにとっても幸運であった.

ウクライナはデフォルトに直面している機能不全の経済である.もう一度,破壊的な革命を起こす力はない.東西で地政学的な選択をするというより,1989年にポーランドで共産主義を平和的に終わらせるための円卓会議を,ウクライナは必要としている.

ウクライナの改革は長い間議論されてきたが,政府にはこれを行う意志がない.改革はウクライナの政治エリートやビジネス界に広がる既得権を破壊するからだ.彼らが求めているのは短期的な資金だけである.

2000年以後の成長は,半分が交易条件の改善によるものだった.それは金属などの輸出品価格が上昇し,ロシアが安価な天然ガスを供給していたからだ.しかし,ロシアにとってウクライナの経済規模は重要ではない.プーチンの唱えるユーラシア同盟に帰属させたいだけだ.このような地政学的な対抗をEUが意識するのは愚かである.

FT December 10, 2013

Russia, like Ukraine, will become a real democracy

By Zbigniew Brzezinski

ウクライナの事件は,歴史的に不可逆の,地政学的な転換をもたらすものである.ウクライナはすみやかに民主的なヨーロッパの一部になるだろう.そしてロシアも,孤立した,準帝国の遺物になりたくなければ,遅れてこれに参加するだろう.

ウクライナ愛国主義の自然な爆発は,腐敗した,自分たちの利益を守る指導者たちがモスクワの保護を求めたことに対して,民族の独立を求めたものだ.若いウクライナ人たちは,言語的,歴史的に,「母なるロシア」の一部とは感じていない.彼らは反ロシア主義ではないが,ウクライナの歴史や文化をヨーロッパの一部と考えている.

現在のロシアに,その旧帝国を軍事的に再建する力はない.ロシアは弱く,後進的で,貧しい.人口の危機は事態を悪化させる.むしろ中央アジア諸国は中国との包括協定を好んでいる.

FP DECEMBER 11, 2013

Back in the USSR

BY MICHAEL WEISS

NYT December 12, 2013

In Ukraine’s East, a Message for Protesters: Stop

By ANDREW ROTH


後半へ続く)