経済学部セミナー 2009年7月17日

氷の国で考えたこと:世界資本主義の行方」

アイスランドといえば、そんな国、どこにあったかな、という程度の、だれも行ったことのない国だと思います。しかし、昨年は金融危機の「先進国」、「箱庭」、「典型」となって、世界のメディアに紹介されました。危機以前には世界で最も住みよい国とまで評価されたことが、金融バブルの破たんで「やっぱり」となったわけです。

二つの問いを立てました。「富はどこから来たのか?」 そして、「危機はどこから来るのか?

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・・・「だから、バブルでしょ?」 と答えるかもしれません。しかしその前に、「富」や「危機」について、もっと考えることがあるはずです。アイスランドは、北緯65度に位置する「資本主義の北限」です。なぜこのような土地に「バブル」が起きたのか? そこで、私は北緯65度を説明しました。

アイスランドはイギリスやアイルランド(IcelandIrelandはスペルが一つだけ違う)の北、約500マイル(800キロ)にあります。北海道の北端が北緯45度、ロンドンはさらに北にあって、北緯51度(サハリン中部と同じ)です。アイスランドはノルウェー北部やアラスカと同じ位置にあります。まさに「ツンドラのウォール街」でした。

マイナス20度でも不思議ではないのですが、島国であり、周りを暖流が流れ、しかも大西洋を縦走する火山帯の頂点です。冬でも平均マイナス3度程度です。

しかし、そのような自然条件に、人が住むほどの富はあるでしょうか? 土地を耕し、作物を実らせる農民たちがいたようです。しかし、何より、海にはタラなどの魚が豊富にいました。

アイスランドの歴史を解説する小さな書物が翻訳されています。世界最初の民主主義、を大いに自慢しています。ノルウェーやイギリス、デンマークの植民地や領土となっていましたが、その独立を達成したのは1918年、あるいは、1944年ということです。ナチス・ドイツがデンマークを占領し、イギリスがアイスランドを占拠します。もちろん、ナチに支配されるより良かった、と住民たちは歓迎しました。

イギリスに代わってアメリカがアイスランドを占領し、その後、NATOに加盟して、米軍基地が建設されます。この建設工事で、初めて、近代的な成長が始まった、という印象を持ちました。生活水準が向上し、同時に、インフレや貿易収支が問題になります。

タラ漁についても、トロール漁船の導入が漁獲高を増やしました。しかし、それはイギリスなどからの漁船も加わって、乱獲を招きます。漁師たちは、少しでも多くの魚をとって所得を増やしたかったわけです。

私は、「石油の呪い(The Curse of Oil)」を紹介しました。世界中を見渡せば、自然資源が豊富であるのに、貧しい国が多く存在します。植民地となって資源を収奪された場合、豊富な資源は乱獲され、価格が暴落し、利潤は外国資本のものとして流出したのです。住民たちの福祉を改善するような投資は乏しく、その他の必要な財は外国から輸入されました。

さらに資源をめぐって内戦が繰り返されたり、帝国主義的な介入が行われたり、莫大な投資が通貨価値を高くして在来産業を崩壊させたり、と、さまざまな問題が起きます。独裁者や、外資とともに利権を握る一部の人々が富を独占し、政治が混乱したことは当然です。

ところで、興味深いことに、昨年来の「金融危機」を扱うシュピーゲルの記事に、「チープ・マネーの呪い(The Curse of Cheap Money)」というグラフが載っていました。アメリカの金利が下がって、株価が上昇するにつれて、世界中のバブルが活性化したのではないか、という記事です。アイスランドがこのチープ・マネーの波に乗った、といえるでしょう。2000年に銀行が民営化され、まさに株価上昇の大波で魚(アイスランドの国土は魚の形に見えます)がジャンプした感じです。

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アイスランドが豊かになるには、単に、海から魚をとるだけでは不十分でした。

個々の漁船が競争して、乱獲と価格暴落に向かうのを防ぐ必要があります。そのためには、政府が介入して競争を管理しなければなりません。アイスランドが採用したのは、全体の漁獲量を管理し、各漁船に対して、過去の漁獲量に応じた漁獲権を配分する、という方法でした。こうして、海から上げる魚の権利を明確にし、その権利を(証券化し)売買できます。漁業は急速に再編され、特定の魚を最も高価格の時期に、効率のよい大型漁船で獲る、という集中化をもたらしました。

小型の漁船は減り、漁業の従事者が減りました。アイスランド国民は高所得になって、若者たちが大学で学んだあと、漁業に就職しなくなったのです。十分な高所得をもたらす雇用が必要です。(タラ漁をアイスランドの富と権力の原型とみなせば、その「海洋帝国」的イデオロギーを強めたのは、いわゆるタラ戦争であったでしょう。)

アイスランドの自然がもたらした産業として、もうひとつ、地熱エネルギーとアルミニウム精錬が重要です。地熱エネルギーは、石油や天然ガスと違って、輸出できません。しかし発電できます。アイスランドの電力はヨーロッパ大陸に比べて2割ほど安く、電力を大量に利用するアルミニウム精錬の工場が、多国籍企業の直接投資によって建てられたわけです。

ただし、アルミニウム精錬だけでは新規雇用が少なく、また、漁師として大きなリスクと利益を求めてきたアイスランド人の気性に合わない、と言われました。そしてタラの価格もそうですが、アルミニウム精錬も、国際市場価格や外部の環境に従って変動し、アイスランド経済の外部依存や脆弱性を高めました。・・・私はまだ詳しく調べていませんが、彼らの雇用問題を解決するため、社会民主主義的な政府が福祉国家型のサービス部門を拡大したのかもしれません。さらに、消費や観光がアイスランドの就業構造を変えました。

さて、アイスランドの富は、タラか地熱、雇用は公共部門の拡大、ということになりそうです。しかし、他のOECD諸国と同様に、1970年代のインフレとその後の規制緩和、市場自由化・国際化、という流れが、アイスランドの経済と富の性格を大きく変えたのです。

市場自由化、民営化、金融部門の拡大を支持したのは、1991年、デイヴィッド・オッジソンが首相とした独立党の政権獲得でした。オッジソンは、その前はレイキャビク市長でしたし、13年間、首相を務めた後、中央銀行にも転身します。まさに、アイスランドの政治権力を牛耳った人物です。独立党のイデオロギーは、タラの独占的管理、反EU、親米の自由主義・市場崇拝であったでしょう。たとえば、レイキャビクでインタビューしたIcelandic Reviewの記者はそうだったと思います。

デイヴィッド・オッジソンがM.フリードマンの主張に影響されたとか、少数の若手起業家や経済学者が、この経済改革の推進に重要な役割を果たした、と聞きました。「人類史上最速の資産膨張であった」と言われます。実際、カウプシング・バンクの資産額は、2000年の2080億アイスランド・クローネ(ISK)から、2008年にはその30倍、66000億ISKに膨張しました。

レイキャビクのウォール街やバブルの残滓を案内してくれたダジやクリスチャンセンから、当時の狂った饗宴を聞きました。銀行は預金者たちの接待として、週末にロンドンの夕食会を催し、あるいは、プレミア・リーグのフットボール観戦に招待したそうです。個人ジェット機や、ヨーロッパの別荘で過ごすのも当たり前でした。

当然、バブルは崩壊し、アイスランドの富も消滅します。・・・そのはずですが、どうでしょうか?

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深刻な金融危機は、しばしば、政治的革命も引き起こします。アイスランドは、現在の世界金融危機が政府を倒した最初の国であり、最初の革命劇と言えます。

「ソースパン革命」あるいは「空飛ぶ卵」と呼んだ、金融危機から社会政治革命への転換は、その背景を理解しなければ「意味」を正しくとらえられないでしょう。ふつうは、集まってナベを叩いても政府が倒れることはないし、卵を並べてみても空を飛ぶものは見つかりません。

なぜこの二つの現象に興味を持ったか、と言えば、アルゼンチンでも同じことが起きたからです。2001年末にパニックに至ったアルゼンチンの通貨危機から社会政治革命において、やはり人びとはナベやフライパンを持って通りに集まり、抗議の声をあげました。銀行の窓ガラスや扉を叩いて預金封鎖への怒りをぶつけたのです。当時の指導的政治家で、すぐれた経済学者でもあったドミンゴ・カヴァロに向けて、卵が投げつけられたそうです。

カヴァロはアルゼンチンの高インフレを鎮静化し、経済成長に貢献しました。しかし、通貨危機の原因を作った人物、とみなされました。(その後、ハーヴァード大学の教授になっています。)

アイスランドで人々の怒りを買ったのは、デイヴィッド・オッジソンです。オッジソンは1991年の選挙に独立党を率いて勝利し、その後の自由化・民営化に代表される経済改革を指導します。

このときの政策転換については、それ以前にインフレと不況、すなわち、1970年代の石油価格上昇と変動レート制によって、アイスランド経済が陥った苦境があったわけです。かつては「市場」など信じていなかった人々が、むしろ「タラ漁の自由」、「反EU」、「アメリカ型の自由主義」を支持するようになりました。政治イデオロギーとして、イギリスとの「タラ戦争」や、EUの漁業規制に対する反発と同時に、オッジソンはミルトン・フリードマンの言説に影響を受けました。その運動は、世界各地の発達した資本主義経済が戦後の社会・政治的合意や制度を解体していった反ケインズ主義・保守革命の一部でした。

2008年の金融危機は、独立党の社会政治モデルを逆転した、という意味で革命に転化しました。金融・経済危機に加えて、ソースパンによる抗議や首相の自動車を汚した卵が、権力の正当性を損ないました。人々は年金や貯蓄を失い、これまで想像していた資産ではなく、逆に、巨額の債務を負ったことに気付いたのです。

ハーデ(ホルデ?)首相が辞任し、社会民主党のヨハンナ・ジグルダルドッチルが臨時の首相に指名されます。金融ビジネスとは無縁の、高潔な政治家であり、国民の信頼を得ていた人物であったことは、抗議活動が終結したことに示されました。ジグルダルドッチルは、女性(史上初の、自分が同性婚であることを認めた首相)であり、社会民主主義とEU加盟を支持する、清廉な政治家です。財務大臣となった左派グリーンのシグフッソンは、元トラック運転手で、金融ビジネスやネオリベラリズムを否定します。閣僚の半分が女性です。

ジグルダルドッチル首相は、ドッジソンに辞任を求めましたが拒否され、法を改正して中央銀行総裁の資格を厳しくした末に、辞任させました。後任にはノルウェー人の中央銀行家を招きました。また、金融ビジネスで富を得た者が海外に資産を流出させたことを重視し、金融犯罪を摘発するチームを結成して、その顧問にはフランスの検察官を招きました。

過去の秩序と決別し、権力につながる人脈を断つ、という強い意志を感じました。

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危機は予測し得なかったのか? 経済学は何をしていたのか?

私は意見を聞くため現地に向かいました。コペンハーゲンで乗り換え、レイキャビク空港に着いたのは夜の9時頃でした。現地で分かったことは、クレジット・カードで支払うキャッシュレスの生活であること。魚料理がおいしかったこと(ラムもうまい、とタクシーの運転手は勧めてくれましたが)。空港からホテルの前まで、すべての旅行者に行き届いたサービスがあること。市バスが曲がるときには、遠心力で座席から振り落とされそうになること。・・・など。レイキャビクで、私は10人ほどの人にインタビューしました。

それ以前のOECDの報告書やIMFの文書をみると、アイスランド経済の脆弱性や過熱、為替レートの水準が持続可能か、という問題は指摘されています。つまり、金融危機が起きる条件は早くから注意されていたのです。

また、2006年にデンマークの銀行がアイスランドの突出したパフォーマンスに驚き、銀行ビジネスを調査しました。そして、その内実がクローニー資本主義であり、いい加減な資産を互いに売買してビジネスを急膨張させている、と幹部に警告した、という雑誌記事を読みました。しかし、その後、この報告は握りつぶされました。

当時は、格付け会社もアイスランドの債務の膨張に不安を感じ、同様に投資家たちが為替市場でアイスランド・クローネを売る動きを強めました。2006年の為替危機に対して、アイスランド政府は市場の不安を呼ぶような事実はない、と主張し、アイスランドの金融システムが優れていることを外部の権威あるエコノミストに証明してもらいました。特に、二つの報告書が重要です。

一つは、アメリカ連銀の顧問などを務めるミシュキンFrederic S. Mishkinが加わった報告書 (Financial Stability in Iceland)で、金融システムの優秀さをいくつかの国際的基準で示しています。小国であることや、変動為替レートの不安定性には注目せず、市場の効率的な資源配分を前提に、アイスランドの銀行ビジネスを正当化しました。そして、それを不安だと感じる市場参加者の方が間違っている、と主張したのです。アイスランドの銀行はもっと情報を公開し、透明性を高めることで、この「認識ギャップ」を解消できる、と勧めました。

もう一つは、ロンドン・ビジネス・スクールの教授で、イギリスやヨーロッパの金融システムに詳しいポーティスRichard Portesが参加した報告書(The Internationalisation of Iceland’s Financial Sector)です。彼らは、為替市場の危機に対して、アイスランドの銀行が迅速に預金へとシフトした対応を称賛しました。また、アイスランドのような小国から金融ビジネスが成長する場合、それが国際化するのは必然であり、その場合、アイスランド・クローネによる資産・債務の管理に限界が生じ、中央銀行による「最後の貸手」も困難になる、と認めます。それゆえ、企業や銀行自身が取引のユーロ化、または、ドル化を進めるべきだ、と主張していました。

さて、セミナーで紹介したのは、そのポーティスと一緒に報告書を作成したバルダーソンSir Fridrik Baldurssonの話でした。バルダーソンは政府や中央銀行の政策委員会に多く参加しており、アイスランドの政策決定に関するインサイダーです。E-mailでの申し込みに応じてくれたので、レイキャビク大学の研究室を訪ねると、彼は親切にも私の質問に答えてくれました。

私が最も知りたかったことは、「なぜ金融ビジネスの膨張を許したのか?」 ということでした。人口30万人の国が、国際金融市場で投資ビジネスを急速に拡大し成功する、というのは、ふつう、考えられなかったからです。・・・タックス・ヘイブンならいざ知らず。

バルダーソンは、対外債務の急増や為替レートの変動リスクについて、アイスランド中央銀行(ICB)は注意していた、と断言しました(オッジソンも、そう言って辞任を拒んだのです)。・・・高金利が資本流入を招いた。物価は安定しており、投資銀行ビジネスはウォール街で行っていたことと同じであった。それは合法的であり、アイスランドはIMFやBIS、EEAのルールに従って金融監督していた。民間取引に政府や中央銀行が介入することはできなかった。・・・

・・・他方、財政は黒字であった。選挙が近付けば、政治家たちは黒字を使って支出することを考える。財政政策で経済の過熱を冷ます増税は支持されなかった。ICBには政治的な独立性がなく、当時は、政治家も国民も非常に強気だった。外国の低金利を利用したキャリー・トレードは止められなかった。・・・マクロ経済の安定化が重要であり、そのためには、やはり、独立した金融政策が重要だった。住宅や自動車の外貨建借入による購入を抑制するようなミクロの政策も必要だった。為替リスクをヘッジするように指導することもできただろう。・・・

バルダーソンは、「最後の貸手」がなくなることを以前から心配していました。スイスのUSBと比較して、危機が襲ったアイスランドとの違いを指摘しました。スイスだけでなく、イギリス(ロンドン)でも同じことです。通貨への需要と資産市場の大きさ。それゆえ、主要な金融センターが協力して「最後の貸手」を用意したのです。他方、アイスランドの国内政治(独立党政権)が国際協力を嫌っているなら、(EU加盟とユーロ採用のような)解決策の見通しはなかったでしょう。

準備の段階で、私はロバート・ウェイドやウィレム・バイターの批判的意見に興味を持ちました。彼らはアイスランドの国際銀行ビジネスの膨張を強く批判していました。それまで国有であった銀行部門が、政府や独立党と親しい資本家に売却された、とウェイドは批判しました。政府と癒着し、不当に有利な融資を受けたとか、あまりにも急激に、粗悪な内容の債務と資産を膨張させた、と。またバイターは、最適通貨圏の条件を変えるべきだ、と主張しました。「最後の貸手」は独立した通貨秩序に欠かせません。そうであれば、あまりにも小規模な経済や、国際決済に使用できない通貨、財政規模が小さすぎて救済融資を行えない国は、最適通貨圏になれない、と。

私がそうした批判についての意見を求めると、バルダーソンは、その主張の妥当性ではなく、あの時期に、そうした議論が特に不適切であった、と反発しました。批判者たちは、危機の前に建設的な改善策を示したのではなく、危機が起きつつある中で、危機をさらに増幅するような破壊的主張を行ったのだ、と。

おそらく、経済学と経済学者たちは、危機の条件を知っていましたが、円滑な調整政策を採用する政治的な支持を得られなかったのです。また、政府が彼らの警告を無視したというより、危機が起きないように改善できる、と主張して、市場の不安心理を打ち消す報告書を書きました。実際は、その改善の程度はわずかであって、アメリカ発の金融危機が起きると、それらが抜本的な対策ではなかったとわかりました。

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さて、セミナーの予定時間は尽きてしまいました。「世界資本主義の行方」という(魅力的な?)副題が付いていたために、その解説を聞きに来られた社会人の方もいたようです。(以下はセミナーで一部しか話しておりません。)

何を話そうか・・・ と思いながら、たまたま難波のジュンク堂に入ったとき、藤原帰一ほか『グローバル資本主義の未来』(日本放送出版協会)を見つけました。面白いなと思って買いました。私自身も、『現代の理論』20号に、「アメリカ金融危機と資本主義の救済」という考察を書きました。この金融危機によって大きく変わるのは、資本主義システムというより、むしろ各国の社会政治秩序であり、国際的なパワー・バランス、それゆえ、国際秩序やルール(その修正や強制のメカニズム)でしょう。

(A.ションフィールドが書いていたことですが)資本主義システムは、革新を実現し、普及させる過程を、競争的な私的利潤にゆだねることで、富の生産を刺激する社会システムです。それに代わる優れたモデルや政治的合意はまだ見当たりません。しかし同時に、急速に発達する市場は旧秩序や道徳、安定したコミュニティーの生活、熟練の形成、仕事の充足感、などを破壊し、社会不安と世界市場変動への恐怖心を強めました。かつてK.ポランニーが主張したように、「市場を社会に埋め戻す」ための社会的合意、自由主義を抑制する国際秩序、が成長の政治的条件でした。

私が現代を<世界資本主義>として問題にするのは、こうした資本主義システムがアイスランドのように北極圏の縁にまで達し、東西の政治体制の壁を崩して(メイド・イン・チャイナ)、さらに、貧しい諸国にも(インドへのアウトソーシング)達したこと。環境保護や気候変動など、社会制度や政治権力の限界を超えて、私的所有と市場原理が採用されたことに注目するからです。

既述の危機の条件(小国の独自通貨と変動レート、国際銀行ビジネス、最後の貸手)を「アイスランド問題」と呼ぶとき、同じような事態は、世界のどこにも起きなかったのか? という疑問が浮かびます。私は比較するつもりでした。アイスランドは、EU内のハンガリーやラトビアの金融危機とどう違うのか? また、ユーロ圏のアイルランドやスペインとどう違うのか? そして、ロンドンでさえ、アイスランドと同じように、「最後の貸手」に限界を生じるのではないか?

つまり、世界のいたるところに<アイスランド問題>はあるのです。変動レートと国際資本移動の自由を優先する現在の国際通貨制度の下で、国際決済と準備をドルに依拠している点を、中国が批判しています。しかし、それはアメリカの悪意や愚行として理解すべきではないでしょう。すなわち、変動レート、資本移動、アメリカの金融緩和が条件となって、投資銀行ビジネスと「チープ・マネーの呪い」が起きたわけです。

次の国際通貨制度が、@もっと安定的な為替レートの調整を可能とし、A資産市場のパニックを抑制するために小国からの資本流出を止める一時的な(そして、投資形態を限定する)資本規制の国際合意を形成し、Bアメリカの金融政策に頼らず、世界の金融調整を委員会で評価(そして、シグナルとして金融市場にも介入)するなら、危機を完全に回避できないまでも、それを抑制し、国際的な拡大を阻止できる、と私は思います。

アイスランドが示したように、国際金融ビジネスを拡大する場合、国際金融センターに参加する個々の金融機関がその規制・監督を受け入れて、国際的な「最後の貸手」を利用できることが重要です。各国は外国の預金を奪い合う(そして自国民にだけ預金保険を提供する)ことで、互いの金融秩序を不安定化するのではなく、共通の準備金や規制・監督、競争条件に合意する必要があります。

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質問を受けました。1.金融市場の規模はどの程度膨張していたのか? どこまで縮小するのが適当か? (2.金融ビジネスの将来はどうなるか? ・・・少し違ったかもしれません。) 3.金融危機や食糧危機、インターネット上のサイバー攻撃、移民問題など、政府の手に負えない問題に対して、何をなすべきか?

将来も、金融ビジネスは革新を実現し、普及するような、新しい資源配分を実現するうえで重要な役割を果たすでしょう。そして、資産の評価に期待が含まれる以上、バブルや危機が繰り返されます。だから、金融市場の適切な規模はゼロではないし、膨張したまま維持されるわけでもないのです。デフレ政策とリフレ政策の間のどこにバランスが求められるのか、内外の政治的な交渉と社会的調整過程によってしか決められない、と私は思いました。(歴史的な傾向と技術変化から、さまざまな推定があるでしょう。)

少しだけ紹介したインタビューが他にもありました。アイスランド商工会議所のフィンヌル・オッジソンが語った、国内と国際とで銀行ビジネスを分離し、国内の銀行(New Bank)だけを国有化して再建した、という話です。国際投資銀行は、その資産と債務を整理して、損失処理は基本的に外国の債権者にゆだねられる、というわけです。(だからGDPの10倍も債務を負うのではない。対外債権者は、イギリスが求めた預金返済を除けば、アイスランド政府の責任ではない、と。)

私には、納得いかない解決策です。バブルの利益は自分たちのものにして、その処理は外国投資家や外国の中央銀行と納税者が負担する、という意味だと思ったからです。

唐突でしたが、私はホテルで会った清掃の女性労働者について話しました。私が午後のインタビューに備えて、軽い朝食をホテルの部屋で摂っていたときのことです。ルームサービスの女性が、私に気付かないまま、清掃道具やシーツを積んだ荷台を押して部屋に入ってきました。私はしばらく部屋にいるので、後で来てほしい、と頼んだのですが、彼女は知らずに入ったことで大変に恐縮し、何度も身を低くして、両手を合わせて詫びました。

彼女の予想外の態度に、私は驚きました。真っ黒な髪と青い眼? ポーランド人女性であったかもしれません。ホテルの清掃など、サービス分野は移民労働者が多く、金融危機によって多くが職を失い、帰国しなければならない状況ではなかったか、と思います。

グローバリゼーションは、こうして国民国家を超えた情報や資本、労働者の流れを生み出し、ときには破壊し、逆流させます。世界的な規模の革新の実現と波及から富が生じ、誰もがその過程に参加できるように、また破壊された社会秩序に代わる安定したコミュニティーや人間らしい生活を回復するために、<ガバナンスの革新>が必要です。私はそれを、試みに、<グローバル国家の誕生>と考えてみました。

・・・トマス・ホッブスは<リヴァイアサン>と呼び、・・・J.A.ホブソンが『帝国主義』で侵略戦争より労働者階級の貧困解消を求め、・・・ガーシェンクロンが工業化と「政府の役割」を強調し、・・・カッツェンシュタインが「小国」の優位を説き、・・・リチャード・クーパーが「共通通貨」を考え、・・・アッシュは「天使が翼を広げた」と表現した瞬間について、考えてみてはどうでしょうか。

<ガバナンス>とは、地理的・歴史的な課題に直面した人々が、集団として得たパワーと政治的な自己意識、大切な共同体のイメージや歴史観を具現する<統治>の理念と様式です。もしガバナンスを鍛えなおして、自由貿易や移民、安全保障と国際秩序の転換に積極的に応じる新しい社会秩序を見いだせたなら、私たちはそれらを脅威ではなく、チャンスとみなすでしょう。アイスランドとは異なるけれど、日本も小さな島国として、同様の挑戦に直面します。

(END)