*****************************

IPEの風 6/29/09

金曜の夜は、疲れて、映画「たそがれ清兵衛」を観ていました。そして、原作をまた読みたくなりました。

切腹を命じられて、これに逆らい、清兵衛に討たれた武士に私は同情しました。前に仕えた藩は取り潰され、七年間を浪人として(人足も、乞食もやって)生き延びた末に、ようやく今の藩主の下で扶持を得るに至ったとき、妻は心労のためにすでに亡くなっていました。その後も、藩のために彼は尽力しましたが、お家騒動に巻き込まれ、思いもかけない切腹を命じられたのです。

彼の妻は労咳で亡くなったのですが、その娘も労咳を患い、わずか16歳で骨と皮になって死んだ、と男は清兵衛に語ります。立派な仏壇に祀った娘の骨を一つ、摘み上げ、その骨を口に入れて、男はゆっくり噛み砕きました。自分の娘の骨を食べながら、その苦しみと悔しさを想い、自責と慰めを得るのかもしれません。狂気の淵にある男に残った真実とは、もはや、彼女の骨を味わうことしかないようです。

清兵衛には3人の娘がありました。いや、二人かな? 5歳の末の娘は幼く、かわいい盛りでした。上の娘も、家族のために身を砕く勤勉な父を助け、健気に家事を手伝い、妹の世話もしました。姉妹がいっしょに寺子屋に駆け込んで、他の子供たちと論語を読み上げる声は純粋で、「縫物は役に立つけれど、学問は何の役に立つのですか?」と父に問うのも、美しい、透明な響きです。

(・・・なぜこの映画の脚本に、この台詞はあるのか? 身分社会が終わることを暗示したいのかもしれません。)

虫籠作りの内職に励む、貧しい家庭でした。病人を抱えて借金がかさみ、おまけに老母は痴呆です。妻はこの家に嫁いだことを後悔して死んでいった、と回想します。しかし、清兵衛は彼女ほど富や出世を望まなかったのです。娘たちの成長を畑の野菜にたとえて、清兵衛は娘たちを見守ることが自分の幸せだ、と言い切ります。

友人の妹が家に手伝いに来てくれます。討ち手として藩の迎えが来る前、幼いころから慕っていた、と清兵衛は女性に打ち明けます。しかし、武家社会において、家同士の決めた結婚は避けえないものでした。自分の妻が病没し、彼女が酒乱の夫と離縁して、はじめてそれを口にします。私は、彼らの恋愛を余分な脚色だと感じました。ただし、子供の眼を通して、大人たちの葛藤を語らせることが、人間の矛盾した心情をよく表しています。恋愛も、その一つに過ぎません。

峠を越えれば追っ手は来ない。江戸へ出て、武士の時代が終わるのを待つつもりだ、と男は語りました。しかし、逃がしても良い、と思い始めた清兵衛のわずかな言動に、突然、彼の怒気はバランスを失います。二人は凄絶に斬り合って、何とか清兵衛が男を討ち取り、傷つき、疲れ果てた姿で、娘たちと女性の待つ家に帰り着きます。

・・・ところが、原作はまるで違います。清兵衛が斬り殺したのは、藩政を牛耳っていた家老と、その護衛の男です。清兵衛の妻は労咳ですが、死んでおらず、子供もいません。「5つのときに、両親を失って孤児となり、遠い血筋を頼って清兵衛の家に来た。」兄妹として育てられますが、清兵衛の両親も早く病死して、遺言により二人は夫婦となりました。彼女の病気を治してやりたい、と強く願い、湯治と医師の投薬を条件に、彼は討ち手を引き受けます。

原作では、冒頭に、天候不順と不作、農民たちの疲弊、飢饉を避けるために借財しながら、返済のあてがない武家社会のガバナンスの低さ、そこに入り込む新興商人の財力、といった背景が詳しく描かれています。清兵衛が、妻の下の世話や飯炊き、洗濯に励み、しかも、人斬りを引き受けることは、武家社会の転換に結びつきます。

映画でも原作でも、そこに共通しているのは一人の物静かな男が秘めた高い能力と、それを阻む社会的な軋轢・障壁です。男の能力は、その機会を得たとき、一瞬の閃光を放って、不幸な家族(と藩の内紛)を救います。そして、それだけなのです。その後、無名の剣士は維新の騒乱で鉄砲によって撃ち殺され、3年余りしか家族と暮らせなかった、と娘の声で語られます。その娘は墓参りに訪れ、それでも父は幸せだっただろう、と誇りに思います。

・・・ゼミの学生たちと、珍しくコンパに出かけ、彼らが外国に旅行してトンデモナイ冒険や遊興によって思想や社会観を形成する様子に驚きました。私には、一瞬で敵を倒す技量もなければ、武家社会の終わりを見通すほどの苦しい歳月もない、と了解しています。おそらく誰にも、この世界の闇を斬ることなどできません。もちろん、彼らの不安や不幸を晴らしてやれる瞬間、というのは、無い方がよいのですが。

妻が、湯村のはずれまで清兵衛を迎えに出て、松の木の下に立っています。原作は、少し元気を取り戻した妻の笑顔で、静かに終わります。

こうして面白い話を読めば、「うらなり与右衛門」も、「だんまり弥助」も、「かが泣き半平」も、読みたくなります。・・・自分の不幸の本質に向き合って、それを斬れるでしょうか?

3/4/2004Reviewでも同じ映画について書いています。重複しますが、あしからず。)

*****************************