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IPEの風 6/22/09

あたかも盗賊や反政府武装集団が各地を占拠し、いたるところで通行税が課され、人質となった家族に身代金を要求されて、それでも足りずに、最後は自分の全財産と命まで奪われる・・・ そんな無法で野蛮な世界に住んでいる気分を味わいます。経済危機というより、これは産業破壊の波音でしょうか。

「モノ造り」へのこだわり、職人的な文化が、急速に失われてしまうのではないか。・・・アメリカになるか、中国になるか、二極化する生活への不安は避けられないのでしょうか?

特に、コピー商品。情報処理と輸送のコストが下がった結果、どれほど研究開発費やアイデアを詰め込んで新製品を販売しても、わずかなコストでコピーできます。コピーできる商品とできない商品で、市場競争や価格の変化は全く異なります。プロダクト・サイクルがなくなって、雪崩のように、アメリカやシンガポール、イスラエル、インドなど、世界のR&D拠点から、一気に、中国・台湾やインド、東欧など、世界の低コスト生産工場へとシフトします。

デジタル化された音楽や映像だけでなく、ハイテク技術がIC化されると、簡単に写真を撮って複製できます。特許の制度に加えて、知的所有権の網を張り巡らせるべきでしょうか? 複製できないようなシステムの暗号化、自動破壊コードが急速に導入される? ・・・「今すぐにキー・コードを入れてください。30秒後に、このシステムを破壊します。」

あるいは、複製の容易な技術は、次第に、外部の一括処理が普及し、基本技術(と暗号化、ウィルス・チェック、犯罪の取締り)は、公共財として投資・管理されます。一部の商品は、価格競争から外れて、デザインやブランドによる価格差を設け、少量で注文した高品質の商品とアフター・サービスを継続契約するものや、高級化により富裕層のステイタス・シンボルになって、特定店舗の顧客しか買わなくなるでしょう。

あるいは、低コストで大量に処理できる商品なら、世界市場が寡占化するのではないでしょうか。莫大な開発投資を短期間に回収し、コピー商品に対する対策にも十分な投資を行い、公的な基準を厳格に守る世界企業だけが生き残ります。厳格な取り締まりだけでなく、最初から低価格であれば、コピー商品が生まれる余地はなくなるでしょう。

あるいは、生き残るのはローカルに生産・消費される商品とサービス、政府の救済介入や産業政策で手厚い保護を受けられる分野だけ、つまり、軍需産業です。兵器の基幹部分(あるいは、食糧)は国産化しなければならない、と考えるなら。そのコストに耐えられない国は、いずれかの安全保障共同体に参加することを必死に模索します。

市場の変化は、雇用関係の変化、職種の偏り、などをもたらし、勤労意欲や生活感、伝統文化を変えるでしょう。雇用が短期化し、出来高払いが増え、熟練工がいなくなり、技術教育や生産現場を重視する文化が失われるかもしれません。金融ビジネスだけが十分な利益と高所得の雇用をもたらすのでしょうか? まともな所得をもたらす雇用が消滅してしまう、とそれを嫌う国民や政府もあるでしょう。

政府が「モノ造り」の地域社会を維持するために、保護区のネットワークを国境を超えて形成するのは、複雑過ぎて、グローバル化の利益を著しく損なうものでしょうか? あるいは、生鮮野菜や散髪など、多くの分野で最適規模は世界ではないから、ローカルな供給圏を安定化する都市の政治経済学は、グローバリゼーションと両立する社会制度(地域共同体)を再生するかもしれない?

労働力の追加によるインフレの抑制と、投資=「生産的雇用」の拡大を目指す地域国家の理想が再生します。その思想を「新スミス主義」と呼んではどうでしょうか? 一握りの特権的職種を重視する重商主義的な巨大銀行、巨大情報企業、国際機関の支配力を解体すること。世界的な所有権と契約の重視、「法の支配」は、地域の価値や制度を介して、(支配ではなく)知識と革新を普及させる秩序になってほしいです。

貧しい人、孤独な人が増えた末に、化石燃料と大量消費や大量輸送が衰退したとき、「マッド・マックス」でも、「ブレード・ランナー」でも、「マトリックス」でもない、「風の谷のナウシカ」が次の社会のイメージを刺激します。

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