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IPEの風 5/4/09
憲法記念日には、第9条(戦争の放棄)、自衛隊は合憲か、集団的自衛権、靖国神社参拝・A級戦犯、戦争の歴史認識、GHQに押し付けられた憲法か、天皇制、表現の自由、核武装、大統領制、などを聞きます。しかし、今年は失業者や貧困の問題が大きな関心を集め、憲法25条が議論されています。
NHK「いま憲法25条 “生存権” を考える:湯浅誠と内橋克人の対話」を観ました。特に、湯浅氏の紹介した男性の経験が記憶に残りました。
・・・36歳、北海道出身の男性は酪農家でした。高校を卒業してからずっと、両親の酪農経営を手伝ってきました。しかし経営は苦しく、高齢のお父さんは牧場を閉じることにしました。酪農以外、技術も資格もない彼に、なかなか仕事は見つかりません。地元に就職口はないので、派遣業の道へ入ります。住むところもある、という誘いは、仕事がなくなれば一気に貧困へ突き落されるものだということを知りませんでした。3年間は続けて働くことができました。しかし、昨年11月に仕事がなくなり、住宅を追い出されます。ネットカフェなどで仕事を探しましたが、お金もなくなり、闇サイトの仕事を引き受けます。しかし、正直で、嘘をつけない彼は、偽の免許証で携帯電話を買うことに失敗します。逮捕されて3カ月間の拘留。その後、出所してすぐに派遣村を訪れます。
・・・ホームレスとは何でしょうか? まじめで、素朴な青年が、なぜ責められるのか? 彼がこの先の40年間、どのように生活することを社会は望んでいるのか? もっと社会に役立つ、指導的な役割を果たせるはずの、こうした人たちが、なぜ切り捨てられるのか?
この問題提起に、政治家たちは正面から答えてほしいです。
生存権と一緒に労働権を考える必要がある、と私は思いました。就労の権利があって、初めて、生存権もあるからです。働く意欲がある者に十分な雇用の機会がないとしたら、労働者を責めるのではなく、労働市場や雇用慣行を改めてほしいです。コスト削減のために雇用を切り捨てる企業の姿勢に、内橋氏は憤慨しました。
憲法25条は、「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を保障しました。それは、戦後の困窮した経済状態を変えて、福祉国家を作る、という目標を国家が示すものでした。
社会政策学者の森戸辰男氏が、戦後の社会党議員として、ワイマール憲法から学んだ「生存権」をGHQの憲法案に追加させた、と番組は紹介しました。ワイマール憲法の、「経済秩序」は生存権を認める、という表現が印象的でした。失業や生活水準は社会的な(プロセスで決まる)ものであり、どのような形の就労と生活水準を正当(もしくは不当)と認めるかは、その社会が示す「秩序」の一部です。
しかし、1957年の朝日訴訟は、結局、裁判所が「生存権」の具体的な実現を判定することはできない、と匙を投げる形で終わりました。結核治療において生活できないほど貧しい、満足に食べるものもない、というのは憲法違反である、という訴えを認めた一審を、二審と最高裁は覆しました。政府、もしくは厚生大臣は、憲法が保障した生活水準やその実現過程を裁量的に決めることができる、というのです。その際、政府がもっとも考慮したのは財政赤字・財源問題です。
社会生活を改善しているのか、あるいは、働く者の負担が増すのか、社会福祉の二元論は生活保護の思想に関わります。企業は負担を減らし、身軽になって利潤を増やしたいと願います。労働者も社会保険や年金の負担増を嫌います。サッチャーやクリントン、小泉政権下で、生活保護や社会福祉の給付が削減され、負担と給付のバランス、就労の義務、などが強調されました。かつてのように、失業者には強制労働が用意され、さらに、犯罪者として監視され投獄される、監獄社会に向かうだろうと二人は警告します。
必死に働いても生活保護水準を下回るようなワーキング・プアが増えています。彼らを見て、生活保護の受給者は甘えている、と非難する議論が起きます。しかし、生活保護と最低賃金とは連動しているでしょう。縁故や団体の圧力で、慣習的に不正請求を続けていたケースが告発されると、不正受給者を取り締まるべきだ、という議論も起きます。社会的な権利は、常に、綱引き状態にある、という湯浅氏の表現に同感です。
だからこそ政治が重要なのです。(不法)移民たちが潤沢な社会福祉を狙っている、と欧米では問題視されます。企業と国家への競争圧力が増し、財政負担をめぐって社会集団間の争いは激化しています。確かに、財政赤字がインフレを生じ、内外の通貨・経済秩序を崩壊させる危険はあるでしょう。富裕層の資産選択、国際投資家、資本移動が重要になれば、財源問題を理由に、政府は社会的給付を減らします。
極端な個人主義や競争原理を反省すること。正当な社会的給付とそうでないものとを区別すること。「セーフティー・ネット」論だけでなく、もっと新しい分類や概念が必要です。政策手段とともに、機能する仕組みを見つけてください。開発論、移民論、貧困論、などで、1.富を増やす過程に参加する権利、2.負担を分かち合う連帯意識・共感(あるいは、社会的結束・包摂)を重視する政治、が主張されています。
新しい経済秩序は、湯浅氏と内橋氏の政治意志に示されています。「失業」や「貧困」は、失業者たちの「怠惰」を証明するものではないし、彼らの「罪」でもない、と二人は語ります。それゆえ内橋氏は、食糧、エネルギー、ケア、のFEC自給圏を提唱します。地域の有機的な結合が深まる中で、雇用も最低生活水準も決まるでしょう。また湯浅氏は、活動家(activists)が増えること、社会の中に語り合う場が増えることを目指します。社会が押し付ける苦しみに、自傷行為や自殺ではなく、もっと語り合い、自分たちの権利を行使する仲間と方策を見つけてほしい、と。
日本国憲法が私たちの目指す社会秩序を支持し、憲法の下でさまざまな理想を実現できる、と信じたいです。
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