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IPEの風 3/2/09
アメリカの革新的な試み(期待)や、日本の政治的麻痺(失望)にばかり関心が集まって、EU統合における重大な転換のリスク(不安)に世界がさらされていることを、私たちは見失っているのかもしれません。
リチャード・クーの本(『陰と陽の経済学』)を読んで、興味深い指摘や論争の提示、分かりやすい語り口に感心しました。クーが今までの主張を経済学の伝統に照らして根本的に位置づけようとしたのは、民間部門が債務を増やす時期と、債務を一斉に減らす時期とが交代して存在し、その違いは景気や金融政策、財政赤字の意味を理解する上で決定的に重要だ、ということです。
先日、朝食のとき、末っ子が言いました。株が下がった、大変だ、と騒いでいるけれど、いつも(安く)売った人がいれば、(安く)買った人もいるのだから、実際には、損だけが増えているのでもないのだ、と聞いたけど? ・・・その通り。まるで、セイ法則です。
クーを読んで感心した後だったので、「陰と陽」を考えました。つまり、株式相場が上がっているときは得をした人が多く、下がっていくときは損をした人が多いだろう、と私は言いました。それに、株式の市場価格が上昇すると、お金持ちになったような気がして気前よく消費する。どんどん借金もできる。実際に、支出が増えるから、モノが売れて、生産や雇用も増える。その意味で、株式が上がっても下がっても、株を持っていない人には関係ないけれど、経済の活況は生産設備を増やし、雇用を増やす点で、「相場」や「バブル」は重要な影響をもたらす、と。
株式市場や不動産、住宅などの価格が急速に下落すると、逆に、金を使わなくなり、借金もしなくなる。それどころか、企業はあわてて借金を返そうとする。すると、モノの売れ行きが悪くなって、今までと同じように優れた設備や労働者がいるのに、その社会は急速に貧しくなり、倒産する企業や失業者が増えてしまう。株式市場だけなら、互いに時間を超えて資産を再分配している、と思えますが、失業する人たちは、好況の時期に貯蓄しておいた、ということなどないでしょう。・・・中国の出稼ぎ労働者たち、あるいは、ロンドンのポーランド人労働者、を思いました。
クーが言うように、大恐慌の拡大過程や日本の1990年代について、ケインズの「流動性の罠」が間違った解釈なのかどうか、金融政策が機能しない理由をめぐる論争に、経済学者や中央銀行が取り組むのは興味深いです。そして、金融政策や中央銀行、インフレ目標、エコノミストの計量モデルが極端に重視された時代は、一種のバブルとして破裂したのではないか、と思いました。
スミスやケインズに反対するからではなく、今や、債務が実体経済を超えるほど大きくなった経済であるから、クーの指摘するような、局面の交代を重視しなければならない、と主張されるのです。ここで取り上げるFTでもMartin Wolfが明確に支持を表明しましたし、The Economistの最近の表現にも、若干の影響を感じます。(おそらく、以前から長期循環論が問題にしてきたテーマです。)
何よりも、日銀は「植木の水浸し」論を主張してきたのであり、政府・財務省も、最近は(かつての日銀批判とは逆に)アメリカに日本の教訓を示すとき、クーの議論を披露しているのではないでしょうか? 民間部門が債務の返済に向かうとき、市場の条件(I=S)が十分な雇用水準を達成するためには、巨額の政府赤字が必要だ(そして、輸出です)、というのはオバマに有利な主張です。
グローバリゼーションの過程で、国際的な資本流入によって起きるバブルと資本流出についてメキシコが示した問題と、巨額の債務による低インフレの成長を享受した後、バブル破裂と財政赤字、長期停滞について日本が示した問題こそ、解決しておくべきだった20世紀末の大問題でした。もしそれらが十分に学ばれていたら、その後のアジア通貨危機やロシア、アルゼンチン、最近の欧米、アイスランドや東欧が直面している困難を、もっと容易に克服できていたかもしれません。次のG20が目指す21世紀の国際通貨体制が取り組む主要課題にしてほしいです。
あるいは、債務(そして金融資産)に依拠した旧経済諸国は長期に低迷し、債務にまだ依拠しない経済活動の余地が大きな新興諸国に、世界の将来を委ねる時代が始まります。それは、再び、パワーの急速な移転に政治対話と経済調整が耐えきれず、世界戦争・革命にまで及ぶ時代かもしれません。
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