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IPEの風 1/19/09

戦車も、戦闘機も持たない、国家でもないガザ地区に対する、イスラエル軍の空爆が続いていました。そして、まるでオバマの大統領就任を恐れたかのように、停戦が訪れました。

2回生のゼミ生たちに刺激を与えようという意図から、谷村先生や横井先生のゼミと協力して、今年も講師を招きました。これまでもNGOのスタッフからお話を聞いてきました。

今回、お話に来てくださった高橋厚子さんは、タイ東北部の貧しい農村で、最も貧しい家の子供に奨学金を贈るNGOのスタッフでした。1万円の奨学金があれば、一人の子が学校に行ける、そしてつらい労働だけでなく、将来に向けた希望を持つことができる、と私たちに教えてくれました。

朝夕、3度の水汲みに、村から池まで往復する子供がいます。毎日、重い水をくみ上げ、運ぶだけの生活なんて、あまりにも辛いことです。子供のときでさえ、将来についての夢や希望を描くこともありません。また、貧しい村から都市へ出稼ぎに出る少女たちは、その多くが売春ビジネスの餌食になります。麻薬や電気ショックで、強制的に売春させられる少女たちを、日本のビジネスマンが買っている、と思うと、本当に恥ずかしい、何としても耐えられない、と高橋さんは悔しがります。

高橋さんが行動する理由は、「怒り」と「うしろめたさ」だ、と語っておられますが、私はそうではないと思いました。世界各地で、子供たちが労働し、売春し、兵士にされています。「同じ人間なのです」と、高橋さんは繰り返し強調しました。まさに、叫びたいほど、そう感じておられるのです。「怒り」を感じ、それを持続する、強い「良心」。自分の内なる良心が命じることを誤魔化すことなどできない、信じる目標に忠実でなければならない、という「誠意」。その激しさ、尽きることのない熱意が、高橋さんを行動に駆り立てるのでしょう。

マザー・テレサの報道番組を観て、自分と同じなのだな、と思ったそうです。それは決して偉大さを証明したいのではなく、その心情と行いについて、率直な共感から発する言葉だと思いました。インドでは、路上で亡くなる人もいるのです。貧しい人や病気の人が、同じ人間でありながら、誰にもみとられることなく路上で命を終えることに、マザー・テレサの心は痛み、救わなければならない魂を感じたのでしょう。

想像してほしい、と高橋さんは話しました。私たちも、日本ではなく、タイの貧しい農村に生まれたら、同じように厳しい人生を送ったはずです。ここで享受する生活をほんの少し我慢するだけで、私たちは彼らに手を差し伸べることができます。今も、私たちが助けることのできる多くの子供たちが、本当に貧しい、非人間的な境遇に苦しんでいるのです。どうして、彼や彼女を暗闇の中に残したまま、立ち去ることなどできるでしょうか? 自分にできる限りのことを、生きている限り、与えてやらないで済ますことに耐えられない。豊かに生きていることは、この世界における貴族なのであり、同じ時代に生を受けた、貧しい者たち、特に子供たちを、助ける責任がある、と。

私や学生たちは、その迫力に圧倒されました。もちろん、私たちにも「善意」はあるし、熱心に取り組む人たちから見たら小さなものでも、「良心」や「熱意」があります。できることなら助けてあげたい、と思うでしょう。しかし、路上で死ぬ人を自宅に運んで介抱し、死に水を取るには、やはり聖者の信仰心が必要です。タイ東北部に貧しい農家があっても、その子供を助けてあげることは難しい、と思ってしまいます。・・・それはタイの政府や、日本政府の援助が行うべきことではないか?

高橋さんのような、NGOを動かす人たちが「熱意」を失わないとしたら、それは与えることの「正しさ」や「喜び」を知っているからでしょう。優れたNGOsは公共的な善を自ら実現します。その感覚は、政府や国際機関を介して行う援助や募金、政治的・経済的な改善策では得られません。NGOsは、自分たちの誠意や熱意を、直接、困難な状況にある人々の救済や支援に役立ててもらう仕組みなのです。

たとえNGOsのスタッフが金銭的な報酬や社会的地位をもっぱら欲して活動していないとしても、善意の指導者たちが、社会の一部として、もっと私たちの生活に影響を及ぼす可能性を高めるべきだ、と私は思います。その方が、より多く若者が参加し、他の分野で活躍する人たちもNGOsに参加するでしょう。また何より、優れた指導者たちがNGOsから他の分野にも移って、活気や熱意をもたらすでしょう。政治家は、良い社会を作るための政策や制度を決める権限、権力を持っています。資産家やビジネス・エリートたちは、豊かな生活を可能にする富の実現に必要な情報や資源を持っています。しかし、善意や誠意、公共心を高く持ちつづける点で、彼らの存在を超えることは難しいでしょう。

他方、NGOsの衰退や失敗は、その組織や運動を拡大する過程で生じそうです。高い公共心や社会的目標を実践できる人は限られています。規模が大きくなれば、互いを理解し、信頼を得ることは難しくなり、「そんなことをして何になるのか?」 「騙されているだけではないか?」 という声に応える必要が増えるでしょう。また、同じ資金を集めても、その効果や政治的・経済的な意味を考えなければなりません。スタッフの意見は分裂し、組織は混乱します。詐欺集団がNGOsを悪用するかもしれません。

そのためには、NGOsも、「政治」や「経済」にも応えるべきではないでしょうか? 社会・政治意識の違いや異なった貢献の在り方を認めて、それを有機的に結びつける。自分たちの活動がどのような政治的立場を支持するものか、どのような経済的基準を満たせるか、ときにはチェックしてみることです。そして、必ずしも政治的な分裂、経済的な評価に還元されない、人間的な視野を大切にしながら、逆に、政治や経済の思考に刺激を与えるような共鳴装置になってほしいです。

できることから、何かの形で参加しよう、と思う人は多いはずです。少数であっても、彼らが存在していることに、私は自分の善意が生かされる社会的な可能性を見るのです。

オバマは、初の黒人大統領であるだけでなく、シカゴのコミュニティー・オルガナイザーでした。

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