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IPEの風 1/5/09
年越しに紅白歌合戦を観て、前川清の歌う「東京砂漠」や、宮沢和史の「島唄」に心を打たれました。
なるべく、さまざまな土地の祭りや景色、働く人々を描く番組を観ました。これほど厳しい土地に暮らす人もいるのだな、と思えば、自然と人間の力に畏敬の念を抱くことができます。
なぜ辺鄙な農村にも人は住むのか? なぜ苦しい労働とわずかな報酬に従うのか? 近代的な校舎の中学や高等学校もなければ、映画館も、コンビニもない。もちろん、プロ野球のチームもないし、Jリーグの試合も行われない。
しかし、貧しい農村が豊かになり、商業や金融も発展したから、都市は発生したわけです。経済活動の不安定さと空間的配置を考えます。また、都市や経済組織の拡大は所得分配に大きな差を生じます。
社会的地位の硬直的なヒエラルキーを、なぜ人は受け入れるのか? それに逆らって、秩序を変えるために発言し、投票する者。あるいは、世界各地で起きているように、街頭へ出て、武器を取る者。離散・逃散する者。・・・生まれ育った土地への愛着と、そこで豊かに暮らすこと。
周辺でも豊かな土地はあるはずです。都市や組織にも、より水平的で、積極的に革新を吸収するものと、そうでないものがあります。新しい産業や都市を生み出す自由な競争、人や技術の移動によって貧困は解消され、あるいは、底辺の生活を改善するような社会制度の構築によって、所得格差は受け入れ可能になります。ですから、最低所得保障、所得税、相続税は、自由貿易や社会資本と同様に、所有制経済を維持するため、資産家層にとって必要なのです。
文明の起源。安全保障、インフラ整備。・・・教育、医療、年金。 ・・・環境税。資本逃避と頭脳流出、トービン税、政策調整・監視委員会。平和を維持するためには、富と知識を増やし、円滑に分散することが必要です。国際社会において、だれでも享受できる平等な条件を各国が競います。
国家の独立には、ほかに、どういう意味があるのか? 異なる言語、ナショナリズム、人種差別という病。イスラエルが、圧倒的な軍事力の差を前提に、圧倒的な人口の差を無視して、ユダヤ教の国家を守り続けることに矛盾を感じます。・・・将来、多宗教の国家をアラブ諸民族と共有する覚悟はあるのか? 同じように、日本も非難されるでしょうか?
グローバリゼーションの嵐を超えて、世界共通の言語や知識、優れた社会に関する教育が、もっと人類に普及すると思います。
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大晦日に、子供を迎えに行くため自動車を運転しながら、ハリー・ポッターのピーター・ラビットを観ました。農村の田舎ネズミが人間のバスケットにもぐりこんで、いつの間にか都会へ来てしまいます。彼は都会の生活にショックを受け、いつも不安を感じます。都会ネズミの家族が歓待してくれますが、早く田舎に帰りたいと思います。
その後、彼を歓迎してくれた都会ネズミが、農村を訪ねてきます。美しい自然、静かな暮らし、もう都会になんか帰りたくなくなるよ、と自慢します。しかし、都会ネズミも田舎の暮らしにはなじめず、都会の暮らしが良いと思います。
また、ルーマニアのSL鉄道が紹介されていました。建設されたのは1933年、と聞いたように思います。近隣諸国では失われましたが、ルーマニアはカシの木材輸出をSL鉄道で続けたそうです。時速10キロのSLと農村の風景が「美しい」と思う人々は、今や、ヨーロッパ中から訪れます。
都会の暮らしも素晴らしいけれど、恐ろしい混乱や孤独を生み出します。ときには、伝統的な人間関係を大切にする、静かな田舎に住んでみたい、と思うときがあるでしょう。EUを通じて、ルーマニアはヨーロッパ市民としての政治・経済秩序を学び、高度な文化生活をともに享受する条件を得たわけです。
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NHK「激論2009 世界はどこへ、そして日本は」を観ました。出席者は、竹中平蔵、岡本行夫、八代尚宏、そして、金子勝、山口二郎、斎藤貴男、勝間和代、でした。日本の今後を決める問題として、経済、安全保障、そしてグローバル化、が取り上げられたわけです。
経済問題では、竹中・八代の「構造改革」、「規制緩和」に対して、最近のアメリカ発世界金融危機を材料に、金子・山口・斎藤の「市場原理主義」批判を対比させる、というのが番組の用意した筋書きです。
意外なことに、私の考えは、批判に応えている竹中・八代(そして岡本)の主張と近いものでした(たとえば、オランダ型の労働市場、カナダの市場社会モデル、終身雇用制の衰退、年金や医療保険制度の改革、教育の重視、安全保障の国際分担、など)。しかし目標としては、金子・山口・斎藤の主張を支持します。
たとえば、金子は公的部門の重視、所得再分配、生活保障、山口は平等な社会、金子・山口・斎藤は金融ビジネスや経営者の強欲・無責任を批判し、産業の復興、雇用の重視を求めました。両者の主張は対立しつつも、現実の変化を受けて、「市場原理主義」ではない「社会の基本的ルール」を再考するものに向かっていると思いました。また安全保障では、日本独自の国際貢献を重視する岡本の考えに、山口・斎藤が譲歩したと思います。
日本の将来を考えるとき、竹中は法人税減税や企業特区を主張し、日本経済の成長を回復すること、日本企業が国際競争に生き残ることを重視しました。他方、金子・山口・斎藤は、「構造改革」がもたらした社会的弱者・派遣労働者の貧困問題を重視し、教育、医療、年金などにもっと投資すること、生活の再建を求めました。また勝間は、ジェンダーや若者の問題を取り上げ、彼らがもっと活躍できるような、社会参加と革新を重視したと思います。
「市場原理主義」も「構造改革」も、単純化したレッテルで非難を繰り返すことはよくない、と相互に認めたうえで、竹中は政策を求め、山口や斎藤は、社会や人間を求めています。「リアリストであれ」という竹中の主張も、「理想が失われている」という山口の主張も、政治の基本原理が日本の現実によって再発見されつつあるのだ、と思いました。
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元旦に難波でお茶を飲もう、と前田さんを引っ張り出し、ジョン・ラギーの訳書に関するコメントを考えるつもりでした。
しかし、難波グランド花月の横でケーキ・セットを食べながら話し合ったのは、もっぱら、前夜の朝まで生テレビが紹介していた(と前田さんから聞いた)派遣労働者の現実でした。なぜこのような労働形態を広めたのか? 法律を作った政治家やそれを利用する経営者に責任があるはずです。
また、派遣労働者に限らず、多くの中小・零細企業がコスト削減に押しつぶされそうになっています。他方、大企業は莫大な利益を内部留保し、株主に配当し、経営者たちの給与を増やすために使って、それを株式市場や国際競争の結果と考えます。・・・どこか間違っているのではないか?
麻生首相の東京における邸宅とホームレスの集まった地域とを結ぶ、東京所得格差ツアーを「反貧困ネットワーク」(?)の人たちが企画した、とか。素晴らしい企画だと思います。しかし、届け出ていたにもかかわらず、このツアーは警察によって阻止された、ということです。
難波花月ではなく、ジュンク堂で待ち合わせたのですが、驚くほど多くの専門書を新しい出版社が出し、また外国の重要な研究も翻訳されていました。国際関係・政治学や社会学の書棚は発想が自由で、ダイナミックなテーマを次々に取り上げています。他方、経済の棚はテキスト風で、そうでなければ頑固なイデオロギー論争が目立ちます。
派遣労働者や移民、戦争の問題を正面から扱えないなら、社会科学として、研究の存在理由を示せないのではないか、と私たちは話し合いました。
私は、中国という市場や労働者、急速に改善する工業力が、日本のすぐ隣に出現した、という衝撃に、日本の経済や社会制度が対応できていない、と主張しました。EUが旧ソ連圏から新規加盟を認めた衝撃で揺れているように、それを逆転した比率で、日本は中国の経済圏に逆統合されつつあるのです。円高の衝撃をバブルで吸収し、それが崩壊したとき、中国出現の衝撃をIT化、金融ビジネス、派遣労働者で吸収して、日本経済は調整コストをますます抑圧・隠蔽し、長期的に大きくしているように思います。
アメリカでは、仕事のない貧しい労働者、授業料が支払えず高等・大学教育を受けられない若者に、軍隊が新兵募集の的を絞っています。また、アメリカ国籍を条件に、外国でイラクへの兵士を募集します。将来、日本の首相官邸に向けて、ホームレスの労働者たちが、十分な給与と家族のための住宅、子供たちに大学卒業までの奨学金を条件として、自分たちをアフガニスタンに派遣せよ! と行進するときが来るかもしれない、と私は考えました。
保守化した若者より、日本の中小・零細企業が中国に進出する企業団地を整備し、やる気のある派遣労働者を雇用してはどうか? また、中国からの労働者を受け入れて、積極的に育成し、中国企業から受注を促してはどうでしょうか? 一国を超えて、活発な社会的移動、安定した社会保障制度、社会的に容認できる所得格差、を日本は主張し、実現します。
従属論の主張を認めても、中心と周辺という位置に貧困や衰退の宿命的な原因はありません。インド、南アフリカ、アルゼンチン、オーストラリア、などの違いを見れば、周辺においても豊かになる可能性が存在したと思います。世界的危機が求めるのは、中心においても、周辺においても、失業や貧困を減らす新しい成長モデルへと転換する社会の、そして、政治の力です。
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