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IPEの風 12/1/08
金融市場の変調が収まらないのは、その背景に資産価格の歴史的な膨張があったからです。そして、それが投資や労働、所得分配に関する人々の合意を歪めてしまったのであれば、再び富の生産や分配を行えるような状態になるまで、さまざまな模索や破壊的事件が続くのでしょう。
日本の政治家たちが井戸の中で政権争いを続けているうちに、欧米諸国や中国は見たことも聞いたこともないような救済策を次々と表明しています。それは、バンコクの反政府デモや、ムンバイのテロにも負けない、強烈な影響を世界に残すのではないでしょうか。しかもそれが、良いことなのか、悪いことなのか、次第に分からなくなってきました。
市場価格で観て、過剰な住宅や設備は破壊され、資産価格は利益を期待できる水準まで暴落し続けます。それによって社会の貧しい階層が今までになかったほど激しく苦しむまま放置されるなら、政治的・社会的な安定性は根底から揺らぐでしょう。中央銀行が貧しい人々にも何とか融資し、政府は社会事業を次々に組織しなければなりません。
何があってもグローバリゼーションの後退を阻止すると思えた世界企業の直接投資でさえも、金融市場の崩壊、資産価格の暴落、消費の減退、各国によってバラバラな政治的介入・救済措置の急増、そして自分たちの損失と倒産の危機によって、逆のスパイラルを加速する装置に変身する気配です。市場への信頼が失われ、主要国の政治が混乱し、金融や投資が逆転する中で、国際制度や国際合意が魔法のような解決策に至る・・・とはとても思えません。
もし中央銀行にも、政府にも、世界企業にも、この悪化する経済状態について回復に向かう具体的な見通しを描けないなら、人々の不満はもっと極端な救済策に向かうでしょう。すでに「戦間期」あるいは「危機の20年」です。そして、激しインフレや管理体制、貿易・通貨における国際対立が、安全保障上の不安と結びつく危険を増すのです。新しい時代の社会的合意を得るまでに、人々はもう一度、地獄を経験しなければならないのでしょうか?
しかし、私は一方的に悲観していません。・・・魯迅がそんな風に書いていましたね。
富の生産と分配に関する、社会的な合意を回復することは、常に、可能だと思います。たとえ限界のある知識や理論に依拠してでも、過大な期待感や理論化を避けて、プラグティックな合意と模索を続けながら、人々の信頼を回復することはできるでしょう。主要国がそれを理解しているなら、国際制度は有効な情報ネットワークを維持し、改革のアイデアをプールして、相互の対立より協力と支援を促すことができます。
ジョン・ラギーの本を翻訳していて、以前にも「福祉資本主義」が話題になっていたことを知りました。ローレンス・サマーズがクリントン政権の経済政策の司令塔になることは、彼がアジア通貨危機やブッシュ政権の8年間について何を考えたのか、それを役立てる機会になるでしょう。
Will Huttonだけでなく、おそらく多くの人が認めるように、世界の富は、知識や技術、製品・製造・流通過程の革新、が新しい社会関係を築くことで実現します。労働者は失業するより働きたいと願っているし、投資家は新しい富が生じる機会を探し続け、実験室や研究室には純粋な知識欲を満たそうという熱意があふれているはずです。私たちが政府に求めるのは、謙虚で、しかも着実な、勤労者・研究者・企業家・社会改革運動を励ますこと。社会が協力して繁栄をもたらす、という信頼感、一体感を育てることです。
金融危機が破壊したのは、こうした社会関係を次第に歪めることで達成した「豊かさ」でした。さまざまな詐欺や反社会的な報酬を正当化する制度、抽象理論、レトリック、特殊利益に従う政策集団、奢侈的な消費、不当な格差、IT長者や資産運用の呪文、欲望の神聖化・・・。私たちの周囲には漫画喫茶や個室ビデオ店に帰宅して働き続ける人々が増え、振り込め詐欺や無差別殺人、政治テロの反響が国境を超えて恐怖を広め、帰属する社会を見いだせない雰囲気が漂っています。あの虚ろな「社会」を再建する? とんでもない! 破壊されるべくして破壊された世界です。
だから、政治家が危機を叫んで救済策を連発するのは、危険な賭けかもしれません。銀行や企業を救済しても、以前の社会関係は再生しないからです。財政赤字や対外債務、インフレ、あるいはデフレが進行するでしょう。本当に再建したい社会のイメージを人々が支持しない限り、回復はわずかで、次の破壊的な事件によって、その効果は消滅します。
デフレの連鎖を止めることは重要です。世界中の銀行が店頭でどんどん貨幣をばら撒いても、政府がクーポンを配っても、今ならインフレや財政破たんの心配はない、というわけです。しかも、できればこの貨幣は、2か月ほどで消えてしまうインクで印刷しておくべきだ、と。
しかし、社会の最も基本的な関係が保証され、人間的な生活を回復するということにこそ、もっと強い政治的な関与が必要ではないでしょうか?
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