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IPEの風 11/3/08

東京に出たついでに、神保町の古本まつりをのぞきました。大変な人出とにぎわいで、予想もしなかった旺盛な「読書の秋」です。これほど多くの人が本を求めて歩く姿を見て、私は少し嬉しくなりました。

ドワイト・アイゼンハワーや、ヘルムート・シュミット、ミハエル・ゴルバチョフなどの回想録、回顧録を立ち読みし、エリック・ホブズボームの本と一緒に、少し買いました。自分が生きてきた時代とは何だったのか? と、このごろ思います。のんびりと純粋に読書を楽しみたいです。荷物になるので、帰宅してからインターネットの「日本の古本屋」で購入しました。

こうしてインターネットでも古本を検索、注文できる時代であれば、地価の重圧と都市の煩雑さ、むき出しの情念や虚飾から、古書店が解放されても良いのではないでしょうか? 私はかつて、イングランドとウェールズの境界にある古書の町、ヘイ・オン・ワイを訪れて、古本屋だけの町があることに感動し、大いに楽しみました。日本でも、神田の古書店街や京都、大阪の老舗が集まって、全く観光客も集まらないような小さな旅館街や、山間の過疎の村を選んで、古書の町として再生してほしい、と強く希望します。

現代の国際金融を研究する人は、古本探しをすることなど無いのでしょう。しかし、たとえばThe Economistの特集記事(A short history of modern finance: Link by link)を読めば、国際金融市場が歴史の産物であり、現在の危機に至る様々な出来事をもっと知りたい、と思うはずです。

確かに、貿易や投資は世界を平和的に変革し、統合して、一つの豊かな社会をもたらす長期的な過程であると思います。しかし、多くの参加者が異なった選択を好み、世界が一つの国でない以上、何度も、さまざまな政治対立や危機に直面し、指導者の優れた資質が問われます。

アメリカに新しい指導者が現れるとき、欧米にアジアや新興の諸国を加え、貧困国の代表も集めた国際金融会議が開催されると予想されています。金融が、情報の収集・分析と、金融資産の評価や運用を助言するビジネスとして繁栄するのであれば、世界的規模の市場を介した円滑な調整を求めて、これからも制度改革が続くでしょう。また、金融ビジネスが、リスクの再編・分散の営利行為と、公的秩序や社会的コストの問題であれば、保険とともに、政府とその協力関係が重要な役割を担います。

たとえば、公園で幼い子供が三輪車に乗って楽しく遊んでいた、としましょう。キャッチボールをしていた父子の投げた球が逸れて、子供にあたり、不幸にも失明しました。母親は激しく抗議し、父子だけでなく公園の管理者である町の責任を追及します。ただちに町は、公園でのキャッチボールを禁止し、その後、三輪車や自転車も禁止、子供だけで遊ぶのも禁止、すべての危険な行為を禁止する、と公示します。事故の責任は当事者のみにあり、町にはないことを認める者だけが利用できる、など、注意書きがいくつも加わるでしょう。

あるいは町は、公園に警備員を配置し、子供の安全を監視するとともに、事故が起きた場合の賠償に備えて保険契約を結ぶかもしれません。そのためには多くのコストがかかります。フェンスを建てて入場者をチェックし、費用を負担させなければなりません。公園の利用料は、100円かもしれないし、1000円や、1万8000円かもしれません。いっそ、公園の管理を民営化して、駐車場と同じように、もっと合理化するのが良いかもしれません。

この町に宇宙人が来れば、この星の生き物は問題がわかっていない、と思うでしょう。あるいは、西暦3509年になって、ようやく新しい諸政府が廃墟となった公園を解放し、市民の誰でも自由に利用できる、と宣言して、豊かな水と緑に恵まれた美しい公共空間を再生するかもしれません。

通貨・金融危機が国境を超えるとき、武器や軍隊が国境を超えるとき、移民が、すなわち、労働者や技術者が国境を超えるとき、国際政治経済学の根本問題が現れます。それは、公的秩序や公共空間の問題ではないでしょうか? 

もしかすると、指導者たちの回想録の中に、その解決のヒントが隠されているかもしれない、と私は思うのです。

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