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IPEの風 7/14/08

713日は大阪、平野、杭全神社の夏祭り、宮入の日でした。久しぶりにだんじり(地車)の走る地響きや、鐘と太鼓の爆発音を近くで感じてきました。

子供のころ、小学校が大阪のとんでもない蒸し暑さのために短縮授業となって、昼に終わると、私は大急ぎでだんじりを探しに行きました。とにかく暑いけれど、早くだんじりを見つけたい。このあたりかな、と通りを曲がるうちに、あの鐘と太鼓の響きが、まだ姿も見えないけれど、どこか遠くから聞こえてきます。

あっちだ! と思って走りました。そして流(ながれ)のだんじりだと分かると、嬉しくなりました。祭りには8台か9台のだんじりが出ますが、私の町内は流のだんじりを曳いたのです。(どれを曳いても良いのですが。)

だんじりには長い綱が付いていて、それを子供たちが握ります。ときおり、綱を握る場所の取りあいが起きました。小さい子どもがはじき出されないように、譲ってやれよ! ・・・実際には、だんじりの周りで押してくれる大人たちが操縦するのですが、ゆるゆるとまっすぐな道を進むときなど、子供たちの掛け声と、一所懸命に引く力で、巨大なだんじりが進みます。

自分が子供であった頃は、子供の小ささに比例して、だんじりが天にもとどくほど巨大な怪獣のように見えました。だんじりが進むと、地面や大気まで揺れたように思います。周りの建物や壁も鳴動し、自動車たちは道を譲り、ときには商店の店先をかすって、壊しそうにもなります。しかし、だんじりは神様です。

子供たちが曳き回すだんじりが来れば、病気や災難を呼ぶ悪い気は、この土地から一掃されるでしょう。それゆえ、だんじりが通るときにご祝儀を渡す家がありました。ご祝儀をもらうと、世話役が合図して、その店や家の前で留まり、祝儀に応えてだんじりが短く鐘を打ちます。

曳き手たちは鐘や太鼓に合わせて、決まった掛け声をかけます。子供たちの掛け声と一緒にやって来るだんじりを見るのを、大人たちも楽しみにしていました。(しかし、小さな子どもにせがまれて、暑い中、一緒に歩くお母さんたちは大変でしょう。)

小さな子どもたちは、一人でだんじりに付いて歩くうちに、ときには迷子になってしまいます。今まで行ったこともない土地へ、だんじりとともに足を踏み入れるからです。それさえも、とても楽しかったです。だんじりと一緒にいることが、何か特別な勇気と力を与えてくれる気がしました。

通りの向こう、まだ遠くの方に、違うだんじりが現れることもあります。それは、まるで怪獣の対決シーンでした。どうなるのか、などと、子供たちは興奮します。しばらくして遠くのだんじりが、静かに、通りの向こうで角を曲がり、その姿を消すとき、何か不思議な感じがしたものです。

だんじりの後ろには水を運ぶ台車が付いてきて、その大きなポリバケツ?には、甘い水と氷が入っており、誰でも柄杓で飲めるようにしてあります。お昼から曳いて,ある程度時間が経つと、だんじりは停まって子供たちを休憩させました。

休憩時間になると、世話役の人たちはさっそくアイスクリームやジュースの入った箱を開けて、子供たちを集めてくれます。わいわい言って、好きなものを取り、汗だらけの、真っ黒に日焼けした、少年なのか少女なのか分からないような子供たちが、この瞬間を喜びました。自分たちの大いなる努力、大いなる労働によって、今年の夏もだんじりはこの町に出現し、こうして疫病神や災難の気配を追い払ってくれたのだ・・・ などという、深い満足感をともなって、そのアイスクリームにかぶりつくのです。

わずか数日でも、だんじりのいる町は素敵です。少々雨が降っても、濡れたままだんじりを曳きました。そして夕方、解散する前に、頑張って曳いてくれた子供たちはお菓子の袋をもらいます。曳いてなかった子がもらうこともあったと思います。しかし、そんな奴は、恥を知れ、です。半日、この炎天下の町を練り歩いて、声を嗄らし、この怪獣が自分の仲間であることに誇りを感じる子供たちにとって、お菓子などわずかな報酬でしかないのです。

だんじりを見て、その周りでうれしそうに騒ぐ子供たちや、巨大なだんじりを見上げる、小さなはっぴ姿のまだ幼い子供を見ると、私はいつも少年のころを思い出します。だんじりや祭りは、時間や個人を超越する、良い社会のための感応=共鳴装置なのです。

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