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IPEの風 6/30/08

1年生の皆さんに、新聞の記事やコラムを読んで感想を書くよう指導しました。私たちは一人ではなく、社会の中に生きています。しかもその社会は、私たちが知らないところで急速に変化しているのです。その感覚を強く持ってほしい、と思いました。

朝日新聞から集めた今週の記事を眺めて、「グローバル化の正体:企業に重み、弱者の声届かず」(6/23)、「「公文式」海越え躍進」(6/26)、「生きている図書館:元マフィア、移民、性転換者と対話」(6/28)に感心しました。

最初の意見を述べているコリン・クラウチは、グローバル化が国家の規模を超えて企業(そして資本)の力を強めた、と指摘します。社会の中で目につくような不正や不平等に対しては、民主的な政治が是正措置を取ってきましたが、企業が国境を超えるとともに、民主主義の実効性が失われ始めたのです。むしろ政府は企業の顔色をうかがい、都合の悪い有権者を無視します。

社会的な弱者や、差別・貧困によって苦しむ者のためには、政府は何もしてくれない。グローバル化が貧しい国の労働者を雇用し、豊かにする力でもあるのに、矛盾した変化の本質がますます政治の統一する力を溶かしてしまいます。<ポスト民主主義>の時代。

今も民主主義に活気があるのは、新しく民主主義を勝ち取った国(南アフリカ)か、首相との距離が小さくて、人々が能動的に参加できる国(スコットランド、スウェーデン)である、とクラウチは述べています。そこでは、人々が希望の社会を実現するための装置なのです。

ただし、問題は残されたままです。一方では、グローバル化した企業がますます現実の社会変化を決定する。他方、もっと小さな単位でしか民主主義は再生できない。人口1500万人の京阪神地区が新しい高度自治権を得るとき、この地域の有権者や代表たちがグローバル化に応じた民主政治を活性化し、今の東京政府より優れた安全保障や通商政策を実現できるでしょうか?

それが可能になるのは、私たちが、このフジツボのような家を抜け出し、サンゴのような社会構造から自由になって、もっと親密で、活気ある公共の論争と自覚を得られるときでしょう。自分たちがこの社会を変えてやる、という覚悟です。

他の二つの記事は、その手がかりを教えてくれます。一つは社会的な偏見を打ち破ること。普段は近づきにくいと感じている人を、図書館が「本」として貸し出してくれます。「生きている図書館」では、いつもは避けているような人たちと話し合い、その日常や考えを知ります。イスラム教徒や移民、同性婚を嫌っている人でも、実際にその人たちと話し合って知り合えば、きっと町で会ったとき「やあ、元気かい」と言って握手できるだろう、と発案者が説明しています。

なるほど。図書館が媒介してくれるなら、話し合ってみたい、と思う人がいるでしょう。「僕にはレスビアンの友達がいるし、元マフィアの友達もいる。とてもいい奴だから、今度、紹介しよう。・・・」などと言うのは気持ちがいい。偏見の壁の中で孤立を強いられた人たちと知り合い、親しい言葉を交わすことは、きっと自分を励ますことにもなるでしょう。

「公文式」は、スウェーデンの学校改革と似ています。私たちは、何歳になっても、どんな仕事に就いても、もっと知識を広げたいと思います。後から知りたいことが増え、異なる分野に興味を覚えます。だから、年齢に結びつけた学校やテストなど不要なのです。

偏った知識や専門用語の壁で、社会のシステムは硬直化しています。どのような高度な知識も、基本から、多様なプロセスで、独学自習できる教材と寺子屋があれば、いつでも好きなときに集まって勉強を楽しめるでしょう。分からないことは互いに解説し、またスタッフに尋ねて教えてもらうのです。

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もちろん、ジョン・カートン「地球規模の危機にG8は有効?」(6/26)や、リチャード・ダンズィグ、ジョセフ・ナイ「オバマ外交、日米深化」(6/27)、「ベトナム、インフレ混乱」(6/28)などを読むと、京阪神共和国の前途は大いに多難です。

1年生の皆さん。この国の独立を指導し、その一人は初代首相となってください。(福田首相の似顔絵なんて、練習している場合じゃない!?) 私が最も住みたい国は、民主的で、偏見のない、ダイナミックな独立国です。

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