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IPEの風 6/2/08

(残念です。この短文が気合いを欠いていることは知っています。どうぞ、これは読まずにReviewだけ楽しんでください。いくらかでも面白いものがあります。)

精神が弛緩することはある、と思います。篤姫は、分からないときは、ただ、感じなさい、と母に教わっています。

日曜日、末っ子といっしょに、映画『ナルニア国物語 第2章』を観に行きました。第1章は知りませんが、子供の休日に付き合う、という理由で映画を観るのは、とても楽しいです。お昼前に行って、ラーメンで腹ごしらえ。いざ、映画館へ。

映画の中では、まずイギリスの地下鉄が懐かしい。あの地下のチューブは、長い階段やエスカレーターがあって、イギリス人が幻想を育てる良い空間なのだと思います。制服を着た学生たちが喧嘩をし、まだ戦時中の様子で、兵士たちが街を歩いています。列車が轟音とともに駅に入ると、彼らの周りで壁が崩れ始め、子供たちはナルニア国に入ってしまいます。

さて、映画の中身は、インターネットで見た批評がおおむね正しかったようです。それほど凝ったストーリーではないし、特殊効果の映像が特別に感動するようなこともなく、登場する異生物や、おしゃべりな動物たちも、それが特に活きているとか、感心することもありません。駄作とは言いませんが、戦闘シーン以外、物足りません。

しかし、それは大人が観るからでしょう。やはり、これは子供たちの夢見る童話なのです。幼稚園や、小学校に入ったばかりの、複雑な言葉を駆使するには幼すぎるけれど、それゆえに聞いたことや見たものをそのまま信じてしまうような、純真さを持った子供たちを、恐れさせ、感動させる物語であると思いました。

大人が大人であるように、子供は子供です。異なる時代や社会に生きたい、と願う形も違います。

ベルギーの離婚率は75%、という数字を聞いて驚き(楽しみ!)、しかし、社会制度が異なるなら、なるほど、それも当然かな、と思いなおしました。日本の非正規雇用が労働者の3分の1だ、という数字にも、国や時代によっては、同じくらい驚く(少ない! 多い!)でしょう。そしてアメリカやイギリスでは、同性の結婚が権利として認められているのです。

NHKの大河ドラマ、篤姫の再放送を観て、なんとも軽妙な話に興味を持ちました。「大奥」というのは、アラブ世界にもあったようですが、これでも結婚なのですから大変です。正室や側室を将軍と交わらせ、世継を得ることが、ここでの権力を意味するのです。他方、将軍や子供、親せきは、毒を盛られたり、暗殺されたり、陰謀の道具に使われるために生かされているだけかもしれません。自分が愚か者で、利用できないことを見せるのも、彼らが生き残る術です。

結婚や権力というものが、これほど滑稽で、また陰惨なものとなると、避けられるものなら避けたい、と思ってしまうでしょう。篤姫は、それらを楽しく見せてしまうところが新しい時代劇です。

ああ疲れた。もう、何もしたくない、と思うとき、それでも眠る時間でもないし、ひとつ、また一つ、山本周五郎の短編、「朝顔草紙」や「花匂う」を読みます。

小説に出てくる若者や娘は、しばしば時代の制約や規範に圧し潰され、最後は自害します。しかし同時に、そのような暮らしの中で、彼らが示す純真さや愛情の深さを、物語として永遠に残す描き方は、特に忘れがたいものです。

ナルニア国物語で、最も印象深いのは、ミラーという冷酷で悪辣な権力者と、スーザンという美しい女性でした。生きている限り、人間は権力や美しさに否応なく執着するのかもしれません。

私は思うのですが、H・キッシンジャーやZ・ブレジンスキーのように冷徹に考えることは正しいし、同時に、A・センやF・カストロのように理性や理想によって考えることも、また、正しいのです。

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