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IPEの風 2/25/08
ハリケーン・カトリーナからサブプライム・ローン危機へ,あるいは,中国の春節を襲った雪害,イギリスのノーザンロック国有化,コソボ独立とベオグラードのアメリカ大使館襲撃,イージス艦と漁船との衝突事件と,それを受けてガソリン税国会が政府・防衛大臣の責任追及に変わりました.
・・・主人公,瓜生禎蔵を取り巻く人々,八重,黒崎礼助,父の仁左衛門,三代川勇吾,その妹のひさ.道場の若い門弟たち.真壁宇根吉,諸橋平助,中里三弥,松岡戸作,野毛量八.
乙川優三郎の時代小説,『蔓の端々』の中では,彼らが激しく苦闘し,生きています.400頁を超す小説中で,希望は2ページ分しか書かれていないのです.しかし,私は何度も本をおいて,その情景に目を見張り,耳を澄ませました.振り払おうとして振り払えず,耐えるしかない貧しさや,背負いきれない責任について,ほとんど愚痴も吐かず,悔しさや恨みを噛みしめたまま,闇に深く沈んでいく.そんな中で自身の情念に焼かれる彼らの痛みが,ほんの一瞬,自分の体をも通り抜けたように感じました.
「結果が同じことなら,せめて楽に死なせてやるのだったと,禎蔵は死闘のあとで量八の死骸を見てから思った.力尽き,いよいよという最期場へきて,量八は生きようとしたらしく,切り刻まれた上半身を縁の下へ突っ込み,這いずるような恰好で息絶えていた.」
これが,禎蔵の引っ越しを手伝い,その後,彼の道場に通うようになった,ひとりの若者の姿です.藩の抗争で敵味方に分かれ,貧しい暮らしから浮かび上がるために,量八は重臣たちの闘争の具に利用されました.
他方,派閥間の死闘で頭に傷を負い,半身不随になった中里三弥には,禎蔵の強い願いにより,筆頭家老が小屋とわずかな録を与えます.この先,剣を取ることも,立身出世も望めず,妻を娶ることもない,と彼には分かっています.しかし,片手しか動かず,座ることもできなかった若者が,なんとか家族の厄介にならずに,自分の力で生きる可能性を開こうとします.
「二人扶持をもらえることになって城から最も遠い元海町の空き家へ越してから,三弥はひとりで暮らしている.役目は家のすぐ脇にある潮見橋の掃除で,永遠に出世することはないが,不自由な方の足に板を縛り付けて,杖で半身を支えながら歩くようになったばかりか,一人で裏庭に畑まで作った.」
「早春のころに禎蔵が訪ねると,畝のできた小さな畑を見せて,これから夏大根を作ると言って笑った. ・・・禎蔵は人間の底力を見せつけられて胸を震わせていたが,そのとき暖かな陽を映して輝いていた三弥の顔は忘れられないものとなった.」
自分の門弟たちを闘争に巻き込んで殺してしまった,と悲しむ禎蔵も含めて,生き残った者について,作者はたとえわずかでも希望と,新しい決意を語っています.
禎蔵と最も親しい人である八重,礼助は,最初の10ページほどに出てくるだけで,その影は物語の最終20ページまで消えてしまいます.こんな話を書けるものか,と驚嘆しました.しかも,彼らの姿は400ページを経てたどり着いた物語の結末として,初めて,そこに存在します.そのとき,八重を奪った礼助と禎蔵の間に深い葛藤はあっても,死闘は起きません.
「国へ帰れば,待っているのは偽善と窮乏だが,そんなところにも根を張り,たくましく生きている人間が大勢いる.」・・・「しっかりと目を開けば自ずと見えてくるものは多いし,人間にはすべきことがいくらでもあるらしい.」
(父・仁左衛門の願ったような)歴史の真実を記すこと.中里三弥の知恵を借りて,どんなに狭い痩せ地にも作物を作る工夫をすること.(闘争において心を破壊され,内面の葛藤に苦しむ)松岡戸作に会って,彼が蘇る力に賭けること.自分の帰りを待っているかもしれない女を訪ねて,胸の内を見せること.・・・
これがもしSF小説なら,2000年後に異星のコロニーで,排水溝にだけわずかに生息する,絶滅危惧種となった人類が,ようやくたどり着いた結末であってもよいでしょう.あるいは,『グローバリゼーションを生きる』で書きたかったけれど,書けなかったことです.
・・・小泉が何かを始め,既に小泉からおかしくなったように思います.安倍で暗転し,小沢と福田は,何か,もっと始末に負えない・・・? イージス艦をめぐる騒動でも,政治家たちより,漁船の仲間や親族の言葉ばかりが立派です.
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