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IPEの風 12/24/07

近所のパン屋さんは働き者で,とても繁盛しています.年中無休.お正月しか休まない.大きな店ではないですが,食パンも,菓子パンも,とても美味しいのです.

革新や改革のためには所得格差の拡大を肯定し,投資やギャンブルを奨励することが必要であり,それが「新しい社会」の原理である,と主張する者がいます.それは間違っている,と私は思います.

働くことの意味が,大きな組織の中と,外では,全く違うように思いました.小さなお店で懸命に働く人々が,その社会の生活水準を反映した豊かな暮らしを享受できるように,政治システムや社会制度は機能していなければなりません.

商品の値段だけを比べれば,小さな店や工場,そこに働く労働者は,巨大なスーパー・マーケットや,そこで売られる商品を作る外国の労働者たちに勝てません.しかし,労働として比べるなら,それぞれに優れたものがあるわけです.かつて,巨大な工場では労働組合が生活の権利と賃金上昇を要求し,労働者たちの連帯を最大の武器とし,その成果ともする社会運動を組織していたのではないでしょうか?

朝日新聞の社説(1225日)「希望社会への提言 9 産業も人もネットワーク型へ」を読みました.社説に書かれた「ネットワーク」という言葉は,空虚な政治家の言葉のようで,感心しませんが,「人」が大切だ,というのは同感です.ただしそれは,単に「技術」や「人材」を意味するのではありません.

いつの時代にも,人を育て,その意欲を高めて,互いの協力や連帯意識を養うような「社会」が必要です.

末っ子とテレビを観ていたとき,女性が働いても十分な所得に結びつかないから,父親のいない家族の生活は苦しく,「生活保護や母子家庭への手当を削る政策変更は,厳しい結果をもたらす」という趣旨のニュースが流れました.私は話しました.働く女性の多くは子供を産むときに仕事を辞める.だから,会社も彼女たちを昇進させない.子どもを産んだ女性は職場に戻ればよいのだが,それがなかなかできない.女性も,男性と同じように,能力の高い人が多くいる.・・・

若者もそうだ.能力の高い若者が仕事をしたくても,大きな組織の内部にはさまざまな障害がある.組織を抜けて,本当に自分がやりたいことをやればよい.ところが,個人には社会的な地位が無い.新しい取引をするにも,融資を受けるにも,たとえ能力があっても,若者を個人として信用せず,排除することが多い.ボランティアやNGOで活躍した人たちが,中途から大企業に採用されるケースは少ない.・・・

「ドイツ人の多くのエコノミストは,フルタイムの労働者がなお貧しい,というのはスキャンダラスであると見なす」と,The Economistの記事は伝えます.働き続けても,なお貧しい,というワーキング・プアを解消できないのは,企業の給与システムや社会に問題があるからだ,と日本人やドイツ人は考えます.

クリスマスになれば,子どもたちにおもちゃを買ってやる家族連れでお店は満杯です.しかも,その多くはゲーム・ソフトを買いに来るのではないか,と思いました.東欧からの移民やメキシコからの移民に憤慨する人々,中国からのおもちゃやクリスマス・ツリーに憤慨するアメリカ人の記事を読みます.人々の所得を支える仕事は失われ続け,彼らがゲーム・ソフトによって利益を上げる可能性は少ないでしょう.

大企業は儲けているのに,なぜ日本は衰退している(という印象を持つ)のか? 町の商店街はさびれ,地方都市には新しい産業が育たない.若者たちは大都市へ流出し,そこでアルバイトやパートの生活を送る.彼らの多くは貧しく,将来への希望もない.他方,大企業の内部で,または社会的に地位を得た(その多くは高齢の)人々にとって,自分たちの所得を維持するため,既存の秩序を守ることが最優先になる.何であれ,女性や若者(あるいは移民や安価な輸入品)のために変えることは彼らの利益にならない.

もっと小さなお店が繁盛する社会になればよい,と私は思います.ショッピングモールも,グローバリゼーションの実現も,自分たちが豊かになる過程であれば,支持されます.

社会制度を介して,また政治のシステムを介して,小さなお店が活発に誕生し,成長できるような社会になることで,私たちはグローバリゼーションへの優れた適応力を身に付けます.そして日本経済は優れた調整能力を示し,日本政府は優れた国際的発言力と行動力を示すのです.

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