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IPEの風 12/10/07

土曜日の夜,TVドラマ「半落ち」を観ました.一人息子を骨髄腫で亡くし,妻は(おそらく)その衝撃から痴呆症が進む.謹直で,優秀な刑事であった夫は,妻に頼まれて,彼女を扼殺する.しかし,自殺を思いとどまった理由は何か?

自分の生きている証として,誰か人のためになりたい.大きな不幸に見舞われたときこそ,助け合って生きることに徹する.そして,心から感謝する.現実にはなかなか,こうならないでしょう.だからこそ,激しく,美しい話だと思います.真実や権力をめぐって対決するシーンに流れる音楽を聴いて,ゴジラ映画を連想しました.

小説に飽きて,宮本常一・山本周五郎・楫西光速・山代巴監修『日本残酷物語1』(平凡社ライブラリー)を読み始めました.何年か前,軽井沢のシーモア・ハウスに泊まっていた折,駅前の通りへ散歩に出て,雑然とした古本屋へ入りました.そのとき目に留まったので購入した本です.たとえば「人を食う話」は次のように始まります.

「ある人が陸奥国の橋を渡っていると,橋の下の川原で,餓死した者の肉をきりきざみ,籠のなかへ入れている者があった.何をするのかと尋ねると,これを草木の葉と混ぜ合わせ,犬の肉だと言って売るのだと答えたという.・・・」

また,「弱き者の世界」として,日本の間引きの習慣を外国人宣教師が恐れた,と伝えています.こんなことが書いてあります.

「堺の話である.ある夜一人のキリシタンの信徒が,岸べの船の中に捨てられた子どもを見つけた.神父たちがこの子を養育していると,堺の信徒たちは,『神父さんたちはそういうことはおやめになったがいい.人々が子どもを引きとってもらえるという話を聞きますると,毎朝神父さんの家の前に子どもをおいてゆくことになるでございましょう.それも日々,八人や十人にはなりますでしょう.とても養いきれるものではございませんから,何かの不幸が起こってまいります.すると坊主たちは,バテレンは子どもを食うために養ったのだといいふらすでございましょう.』」

貧しい海岸の村は難破船を襲い,やせた土地しかない山間の村は旅人や周辺の村を襲って,互いに略奪や殺戮に及びました.シエラレオネの私兵集団や,コソボの虐殺,ダルフールの難民,チェチェンへの軍事介入,ミャンマーの軍事政権など,世界中で起きている惨劇の情景が,こうして日本においても,時代をさかのぼれば累々と積み重なっていることに驚きます.また,私たちが今の日本に安閑としていることにも,静かな恐怖を抱きました.

帰宅する際に,いつもカバンに入れているThe Economistがないことに気付きました.偶然ですが,一冊の本を研究室から持ち帰るためにカバンに入れていたため,この本を電車の中で開きました.藤瀬浩司編『世界大不況と国際連盟』(名古屋大学出版会)です.

「世界の多数の政府代表がジュネーブに常駐し,大臣など政府のトップが理事会,そうかい,あるいは各種委員会などで定期的にそして頻繁に会合すること自体が画期的なことであった.・・・ このような会合を通じて各国は不必要な摩擦や誤解を避けて実現可能な外交政策を形成し,他の国々の情報により国内政策についても改善を図ることができたのである.」

国際政治や国際経済・金融の重要問題について,その相互の緊密な関係と緊急性を理解し,政治指導者や最高水準の知性が参加した会議において,解決策を提唱し,検討した日々には,今日の国際連合以上に切迫した情勢と強い期待が影響していたのでしょう.国際社会が協力すれば,多くの問題を解決できるはずです.

ソルターの「ヨーロッパ合衆国構想」という叙述を読んで,そんな本が確か研究室の棚にあったはずだと思いだし,探し始めました.

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