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IPEの風 12/3/2007

時代小説ばかり読んで,なかなか読み終えることができなかったフィリップ・カーの小説『偽りの街』(新潮文庫)に,ゲーリングが登場し,こう言います.「確か,ゲーテの言葉だったと思うが,人は,勝って君臨するか,さもなくば,負けてぬかずくか,・・・凱歌を奏するか,さもなくば,痛みに呻吟するか,・・・金槌となるか,さもなくば,鉄床(かなどこ)となるか,・・・ふたつにひとつしかない.わかるかね?」

教育ビジネスにも,いよいよ,革新と規制緩和,民営化と自由競争,資本市場を介した拡大策,国際的な合併が始まったようです.

かつて,公立の有名中学や高校の人気を博した名物教師たちが,引退後に私立学校に招かれ,さらに,好条件で塾や予備校に移籍したように,いまでは,有名講師たちは自ら集団で塾や予備校を辞めて,新しい組織をつくります.受験指南のテキストを書き,講演会を開くのはもちろん,参考書を子供のためではなく,親のために書きます.そして,学校や塾,予備校という組織を捨てて,個人として高所得を実現できることを示しました.

資産家や有名人のためのスーパースクールや個人指導を行い,あるいは,特別講義を衛星回線や有線放送で提供し,料金を徴収できるシステムが開発されています.生講義にインターネットで,世界中,双方向に個別のパソコンで参加できる.そんな時代になりました.

私は,教えることに公式などないと思います.しかし,あるタイプの問題や,あるタイプの子供に合った,優れた教え方,あるいは,優れた教師たち,というのがいると思います.小学生に分数の問題を教える,しかも,どのような水準で,どんなタイプの子供たちに教えるのか,という条件が教師の資質や能力とぴったり合えば,子どもたちはそれを見事に習得するだけでなく,楽しく学び合えるのではないでしょうか?

教室の規模や,科目の時間配分,公立と私立,能力別クラス分け,特進クラス,中高一貫,医学部進学塾,衛星中継する全国規模の予備校,通信制の学習指導,さまざまなタイプ別家庭教師の派遣,など,異なる教育モデルと「学校」が誕生し,競い合っています.個人経営の学習塾は,日々,生存競争と自然淘汰,突然変異と進化の渦中にあるわけです.

たまたま,『ドラゴン桜公式副読本 16歳の教科書 なぜ学び,なにを学ぶのか』(講談社)を見ました.彼らが子どもたちと直接に接して,教えることを極めたプロであることに,私は疑いを持ちません.しかし,こうしたプロの手にかかって伸びる子もいれば,伸びない子供もいるでしょう.彼らはどこか巨大宗教の牧師にも似ています.優れた教育は魔術のように,子どもたちの心を高揚させる特異な技術,信仰なのです.

NYのブルームバーグ市長が唱える教育改革が,近日中に,日本でも流行るかもしれません.教育改革のプロが,政治家,行政官,財務官による支援を受けて,各地の意欲ある学校や適合的な子どもたちを発見する過程を組織すれば,きっと急激に伸びる子供たちが現れるでしょう.そして彼らが日本を変える力にもなるはずです.もちろん,改革チームは厳しい説明責任を負い,異なったタイプの子どもたち,異なったタイプの社会目標を掲げて,日本や世界の辺境にもさまざまな「学校」改革をもたらすべきです.

しかし,世界の富の蓄積を見るとき,それが勤勉や先端的な研究によって得られたものより,石油や株式,土地の所有,金融取引,あるいは,政治的強奪によって得られたものであることは,「学校」の意味を否定するように思います.

ところで,『偽りの街』の主人公は,ナチスの支配が強まるベルリンの街から,ダッハウの強制収容所まで,依頼主の求める宝石と書類を探しました.彼の生きる現実の街がナチスの狂気に染まり,行方知れずのパートナーを見いだせぬまま,話は終わります.

プーチンが新しい歴史教育を命じたように,ブルームバーグだけでなく,ナチスも教育改革には熱心だったはずです.

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