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IPEの風 10/29/2007
「時代小説の魅力のひとつは,主人公が不自由であることではないか.身分社会の厳しい制約の中にあって,彼らは現代人のように自由に生きることは出来ない.」
こんな川本三郎氏の解説「世界でも類のないジャンル」を読みました.朝日新聞の「秋の読書特集」です.藤沢周平も,どこかで同じことを書いていました.
「その不自由さのなかでなんとか自分の思いを貫こうとする.・・・その懸命な姿が,『なんでもあり』の現代人にはとうに失われた緊迫した感動を生む.」「武士は,藩命とあれば斬りたくもない相手と斬り合わねばならない.藩のためにしたことでも失敗すれば放逐され」,浪人になる.「町人たちも身分社会のなかにいて,恋愛ひとつ自由にできない.」「貧しい家に生まれた娘は,家のために幼い頃に売られてゆく.」
しかし,世界には多くの同じような文学があると思います.
マックス・A・コリンズの小説『ロード・トゥ・パーディション』(新潮文庫)を読んで,その原作の映画を観たくなりました.原作が映画で,小説はその後です.逆ではなく.小説の舞台は1931年のアメリカ,シカゴ.大恐慌や禁酒法,カポネが登場します.
「死の天使」とも呼ばれる主人公のサリヴァンは,ミシシッピ川沿いの三つの都市を支配する弁護士,ジョン・ルーニーに従う殺し屋でした.ある日,ジョンの息子,コナーによって妻と下の子供を殺されます.サリヴァンは長男とともに,ギャング組織を敵に回しても,復讐のためコナーを殺す旅を続けます.
あるいは,フィリップ・カーの『偽りの街』(新潮文庫)も読み始めました.この話の舞台は,1936年のベルリンです.主人公のベルンハルト・グンターは私立探偵です.ルールの鉄鋼王やゲッペルスが登場します.ハードボイルド小説がナチス・ドイツ支配下のベルリンを描いたわけです.
先日,研究会に出て,マンチェスター大学の今井先生による報告を聞きました.ミクロ経済学によるインドの貧困を分析した計量経済学の研究です.私には手法が全く分からないけれど,貧困が農民たちの「ショックに対して回避する能力の低さ」と「ショックが起きるリスク」によって影響を受けている,というのは,その通りだな,と思いました.
資産を持っているとか,銀行から融資を受けられるとか,富裕層は大きなショックを経ても富を維持することができます.しかし,貧困層は小さなショックにも耐えられません.
後の懇親会で,今年のノーベル経済学賞を得た研究は何なのか? と佐藤さんに訊きました.それはゲーム論などで有名な「囚人のジレンマ」を利用して,人々を支配するジレンマを意図的に設計する絶対者のモデルを説明したものだ,と理解しました.もしそうであれば(それはありそうなことだ,と思いました),私たちはよく似た議論にたどりつくのです.合理的にふるまっても,権力や支配によって社会的に矛盾した状況を避けられず,人々は苦しい選択を強いられます.
藤沢周平の『橋ものがたり』(新潮文庫)に収められた作品,「約束」,「思い違い」,「吹く風は秋」,「川霧」,を読み返しました.「約束」の二人の姿は,忘れがたい,焼けるような切り口を持っています.
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「五年経ったら,二人でまた会おう.」
「・・・・・・・・・・・・」
お蝶は黙って幸助の顔を見あげている.
「いまは,俺も奉公しているし,それに深川は遠いから,会いになんか行けない.だが,もう五年辛抱すると,年季が明けるんだ.そしたら会おう.」
その日はいつで,時刻は七ツ半だ,と幸助は言った.お蝶はうなずいたが,幸助を見つめている眼に,みるみる透明な涙が溢れた.
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―――帰ってしまえば,それっきりだ.
と幸助は思っていた.
お蝶には,ここに来られない事情があるのだ,とあらまし察しがついている.
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「約束を,忘れなかったのか」
「忘れるもんですか」
激しく,ほとんど叫ぶようにお蝶は言った.
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厳しい現実に翻弄される二人は,深く傷つき苦しみながら,最後のきわどい瞬間で自分たちの本心を偽らず生きようとします.その姿に,私たちは励まされ,あるいは,叱責されているのでしょう.小説でなければ形にできないような,心の動きが結晶となり,その輝きや,毒のように染みる闇が,文字を介して衝撃を伝える作者の技に,私は感嘆します.
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―――今日から,どうしよう.
お蝶は,ぼんやりとそう思った.昨日までは,灰色の暮らしの中に,一点鋭くかがやいてお蝶に呼びかけ,力づけるものがあった.そのために,辛いことも耐え忍ぶことが出来た.だが光は消えてしまって,灰色の道だけが残っている.そう思うと,ぞっとする孤独な思いがこみあげてくるようだった.
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できれば,小説のように経済学を読みたいと思います.そして,文学のような経済学を探し続けます.
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