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IPEの風 10/22/2007

それらが1956年の三つの事件(スターリン批判,スエズ紛争,ハンガリー動乱)に匹敵するかどうか,今はまだわかりませんが,2001年にも三つの重大な事件が起きました.

春から夏にかけて,イギリス北部の旧工業都市で人種暴動が起きました.9月には,ニューヨークのワールド・トレード・センターにテロ攻撃がありました.そして年末,アルゼンチンの通貨危機が政治・経済体制を崩壊させました.グローバリゼーションの行方にあった暗雲が,突然,激しい閃光と雷鳴を発したように思います.

私たちは,今も,その調整に戸惑っています.今朝の新聞(1021日,朝日新聞)に載った,G7の発した世界経済に関する警報と,多文化主義を修正するイギリスの試みについて,その意味で,興味深く読みました.

G7は,突如として深刻さを増した金融市場の混乱に注視しています.確かに,人民元レートの増価を求める今までの主張と,(プライベート・イクイティ・ファンドや)政府系ファンドに対する関心が,長期的な課題のようです.他方,金融市場のパニックを防ぐ改革案は見当たりません.むしろ,これまでの方針が役に立たなかった,という反省にとどまったのではないでしょうか.さまざまな金融革新と金融制度(そして監督・規制)・金融政策の目標や責任は,世界各地で(イギリスも,EUも,アメリカも,インドも,中国も,・・・),再び論争的な曖昧さを増しています.

市場なのだから,変動するのは当たり前だ,自己責任で投資=投機せよ,というのが基本線だと思います.政治家たちは,効果のない介入や規制,監督制度を唱えて,失敗の責任を取りたくない,と思うのでしょう.あるいは,為替レートの調整に関しては各国の利害が大きく食い違っているから,積極的な対応策を各国が互いに潰し合っているのかもしれません.そうであれば,何度もパニックが起きるという前提に立って,それでもシステムが崩壊しないような工夫と,危機後の迅速な対応策を準備しておくしかありません.それが現代の国際金融システムをその頂点で監視する人々の≪合意≫なのです.

各地の「人種暴動」も,議会や選挙における排外主義や人種差別も,全く起きないでは済まされない世界になりつつあります.こんな比喩は良くないかもしれませんが,完全に自由な人口移動と,安定した社会システム,独自の文化や価値観,というのは,政治社会における「不可能の三角形」をなすのです.

資本と労働力が完全に統合された「素晴らしい新世界」を否定したのは, 2001年の三つの事件でした.「人種暴動・国際テロ・通貨危機」は,まるでグローバリゼーションのもたらす「三つの災厄」,不幸の三角形,です.

イギリスからオルダムなどの人種暴動がその後どうなったかを伝えるのが,大野博人「水/地平線 移民の文化とコモンセンス」です.

それまで支持されていた「多文化主義」が,2005年のロンドン・地下鉄/バスへのテロ事件で揺らいでいます.さまざまな議論がありながら,それでも違いを超えて,移民たちの子孫を含む社会的合意ができるかもしれません.英語を話せない労働者は困る,あるいは,宗教的理由で診察を拒否する医学生は違う道を選ぶべきだ,など,イギリス社会に生きる上で何がコモンセンスを満たし,何は満たさないか,人々は対話や論戦を重ねています.

≪合意≫は制度を必要とします.単一の宗教だけではなく,複数の宗教を一緒に学べる学校を作る試みが,オルダムで始まるようです.学校では,異なる立場から十字軍を歴史でどのように教えるのか,など,難しい問題があります.しかし,彼らが互いに認め合い,対話することを通じて,共通の感覚を増やすことができるでしょう.異なっていることも多いけれど,一緒に守るべき物もいっぱいある,という協力や連帯が,2001年後のグローバリゼーションを支えるのです.

コモンセンスが得られる土地を,「母国」や「祖国」,「故郷」として,私たちは探し続けるわけです.現在だけでなく,過去にも,未来にも,世界にも.

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