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IPEの風 10/15/2007

「ソ連が反対陣営にいることを実存主義者たちが納得するには,収容所でも足りなかったというわけだ.」

ある種の偶然から,『レーモン・アロン回想録 1・2 』を手に入れました.三保元さんの翻訳が素晴らしく,どこからでも,その話に惹き込まれます.哲学や国際政治について,独自の視点で評論を書き続けた右派(?)の賢者が回想した20世紀の心象風景,そして社会政治情勢です.

「第14章,アルジェリアの悲劇」を読みました.その冒頭に目を留めたからです.

1956年,三つの事件がヨーロッパを揺るがせ,フランスの知識人を混乱に陥れた.第20回ソ連共産党大会でのフルシチョフ演説とナセルのスエズ運河国有化,そしてほとんど同時に起きたハンガリー革命と仏英のエジプト派兵がそれである.」

おそらく日本でも,1950年代にはこのような知識人や硬質の言論界があったのだろう,と思いました.さまざまな主義や立場が政治的地雷や有刺鉄線のように街を取り囲み,論争の言葉が銃弾のように敵の心臓を貫通する,といった情景が彼らの日常でした.おびただしい複雑なレトリック,互いの手厳しい評価,巧妙な言葉による駆け引きが,ぎゅうぎゅうに詰まっています.

「衰退する国とは,変わりゆく世界に適応することを拒否する国だ.衰退を防ぐという口実のもとに愛国心を解決不可能な道に引きずり込む者は,祖国の墓穴を掘ることになる.」

アロンは早くからアルジェリアの独立を認めるべきだと主張しました.裏切り者,という罵声を浴びたわけです.このとき,アルジェリアはフランスの一つの県であり,内戦が起きていました.「人口に比例した数のアルジェリア議員を国民議会に迎え入れることは,体制の完全な崩壊への唯一の確実な道だ.地中海をはさんだ両地域での人口増加率の差はあまりにも大きく,人種と宗教の異なる二つの民族が一つの共同体となることはできない.」植民地を維持することに物質的な利点はない,とも書いています.

「西ヨーロッパに見られるナショナリズムは重い病気で,主戦的な精神の高慢さと恐るべき虚栄が巧に混じり合う悪意と暴力の元凶である.われわれがアルジェリアとその他の北アフリカ諸国のイスラム教徒に感染させてしまったのは,残念ながらこのナショナリズムだった.」「武力鎮圧では自由な選挙に必要な条件が整わないし,解放戦線はフランス軍の保護の下に行われる選挙を自由だとは考えないだろう.」「統合の名目でアルジェリアとフランスの生活水準の格差を解消しようとすれば,負担はなおさら大きくなる,と私は主張した.」

アロンを非難する人々の言葉も興味深いです.「あらゆるイデオロギーの敵であるレーモン・アロンは,右とか左とかいう概念は政治の現実を考えるに当たっては子供だましの方法だと信じている.」「これは,豊かな海外領土を擁する世界の大勢力フランスより,アメリカにとっての“ヨーロッパの少女”フランスを望む者の作戦だ.・・・すべてがアメリカの支配による平和(パックス・アメリカーナ)に同調する.」

彼らを駆り立てるのは,ナチス・ドイツによって国を征服された,厳しい亡命の日々の思い出かもしれません.あるいは薄れゆく植民地帝国の栄光や,戦後秩序における自分たちの位置を定める模索であったでしょう.ベトナム戦争や核実験,冷戦下のアメリカとの葛藤など,アロンはフランスという国の自意識を形成するのに不可欠な,歴史的役割を果たした思想家なのだ,と実感しました.

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