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IPEの風 10/8/2007
国際経済学会が協賛するシンポジウムを聞きに早稲田大学へ行きました.・・・東京駅から高田馬場を通り過ぎて(?),しっかり山手線を一周してしまいました(!).だからかもしれませんが,≪東京≫はどこか異常です.夜食を買いにホテルを出た際,高田馬場駅周辺を歩きました.
若者たちがお酒を飲んで騒ごうと歩道に群がり,日が落ちてから,ますます熱気を帯びます.集まって歌う女たちの嬌声や,乗用車の窓枠に腕を出して道行く若い子を物色する,明らかにヤクザと思える男たちの視線.・・・私はなぜか,戦争が近いように感じました.
高齢化する日本社会で,若い彼らは圧倒的に少数派です.しかし,場所によって,あるいは,メディアを介して,過剰な存在感を示します.まるで異民族の侵入を受けた小さな村のように.
ビジネス・ホテルで各部屋にテレビが並び,アダルト・ビデオの映像を流しだしたのはいつの頃からでしょうか? 女性タレントは胸を突き出し,スポーツ選手はオーバー・リアクションと暴言を吐くことが求められるようになったのは,まだ最近のことではないか,と思います.フィリップ・K・ディックの小説みたいに・・・
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NHK「激動中国 チベット・聖地に富を求めて」を観ました.首都のラサまで中国は鉄道を延長したため,観光資源が開発され,チベットに巨額の投資や労働者,企業が殺到しつつあります.首都ラサでは,漢民族の人口がチベット人を超えてしまった,ということです.
人民中国が成立したころ,チベットにも共産党と人民軍の支配が及びました.それがどのような社会対立やチベット内部の権力抗争によって起きたのか知りませんが,軍事衝突を経て屈伏してからも,独立を唱える人たちと宗教指導者のダライ・ラマは,1959年,インドに亡命します.その後も,多くのチベット人がインドに亡命政府を組織していました.しかし,中国とインドの関係が改善したことで,独立を唱える運動は難しくなったはずです.
世界で最も高い土地を走る鉄道を敷設したのも,中国政府がチベットを中国に一体化するための政策でした.聖者を失ったポタラ宮殿が最大の観光資源となり,政府はその修復に投資しています.ホテル,建設,薬品,その他のビジネス・チャンスに呼応して,ラサの姿が急速に変貌して行きます.
外国人観光客を集める高級ホテルの社長A氏は,上司への絶対服従を命じました.チベット人には伝統や文化による客寄せを求め,自分たち漢民族は新しいビジネス感覚を先行的に取り入れたために優れているのだ,と主張します.だから私に従え,私のように豊かになれ,と.
チベット人のB氏は遊牧民でしたが,ラサのホテルで雇用され,民族舞踊により客を楽しませています.狭い部屋に4人で眠り,小さな仏像を大切にして,賃金収入の大部分を家族に送っています.社長のAが村で仏像を買いたいと言ったときも,Bは村人たちが仏像を売りたくない気持ちを知っているから強く求めません.
社長のAは,チベット仏教の僧侶たちによる祈祷も外人観光客に見せて,新しい金儲けにしてしまいます.そして,従業員たちに能力別の評価をした,という新しい賃金体系で,Bさんたちの給与を半分近くに減らしました.従業員たちは抗議しますが,結局はホテルを辞めて他の仕事を探します.
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さて,国際協力銀行が主催したシンポジウムでは,最初に,アジア開発銀行総裁,黒田東彦氏の講演がありました.その後,インドネシア,タイ,韓国,の危機とその後の経験が紹介され,高木信二氏は学説史的な視点として,経験がなかなか知識を学ばないことを興味深く話しました.
私は,それほど意外でもないけれど,むなしい期待が外れたことにより,失望を味わいました.黒田氏の講演は,たとえ愚かではなくても,なぜ今,こういう話をしているのか理解できない,緊張感に欠けるものでした.また,パネリストたちの発言も,私が聞き取れなかっただけかもしれませんが,政策当事者たちが危機を議論しているとはとても思えない,穏当な発言ばかりでした.
おそらく,韓国からの出席者が示した積極的な介入姿勢や,香港のような金融監督能力があれば,という言及と,逆に,中央銀行や金融政策はバブル退治や通貨危機回避の万能薬ではない,という主張とが,もっと激しく対立し,論争しなければならなかったはずです.金融政策は強力な武器であるから,その扱いにはよほど慎重でなければならない,という高木氏の発言は的を射ていましたが,金融市場の監督や地域協力に対する積極的な取り組みに関する言及,特に制度を築く政治的意志と戦略を欠いたのではないか,と思いました.これがまさに中央銀行の視点なのでしょうか?
・・・危機の際には中央銀行だけで対応できない,というわけです.そうであれば,主権国家・政府の財政的な措置や市場介入,資本規制をめぐる国際論争,そして,欧米でもようやく問題になった金融市場の機能麻痺について,もっと政治家や経済学者を交えた制度改革の激しい論争を聞きたかったです.
外貨準備があるから,中国の成長は続くから,為替レートは弾力性を得たし,アジアの金融制度や市場は整備されてきたから,・・・黒田氏は指摘し,さらに今後もアジアの地域協力が進むと約束しました.でも,さまざまなリスクがあるから注意しましょう,と言うだけです.むしろ,すべてが話の枕でしかなかったように思います.肝心な部分は話せないのか? 本当の話をできない事情があるなら,それを聞いてみたいものです.
主催者の姿勢や進行役の発言が,踏み込んだ論争を喚起する仕掛けに欠けていた,と私は不満でした.あるいは,他の参加者はこのシンポジウムに大いに満足したのでしょうか?
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ホテルで一休みしてから,ジェームズ・ジョルの『第一次世界大戦の起源』を少し読みました.面白いです.そして,「アジア通貨危機の教訓」として,同様に国際関係論の研究者や歴史家が優れた考察を発表するころ,漸く,このテーマで面白い成果を読めるのではないか,と思いました.
とはいえ,電気スタンドもないので本は読みにくく,NHKのドラマ「ジャッジ:島の裁判官奮闘記」を観てしまいました.初めは,ただ何となく観ていました.
東京地裁で知的財産を扱う(だったと思います)最先端の仕事を徹夜してでもこなす,超優秀な若い裁判官が,突然,奄美大島の支部に配置転換されます.その理由はよく分りませんが,激務で胃を全摘出した友人の身代わりか,仕事中毒で家庭を顧みず,妻や子供を失いつつあった主人公の最後のチャンスか,そんな設定が奄美支部への転属を彼に受け入れさせます.
美しい空と海の下,民事も刑事も家裁も,たった一人で何でもこなす裁判官は,島の秩序であり,法による支配を体現しています.彼が高潔で有能な人物であり,周りに協力してくれる善意の人々がいることによって,難しい事件を解決しながら信頼を得ていくことができます.だから,私はこの話を楽しみました.
現実は,ビスマルクのような人物が秩序を築くのだ,と分っていても,常に,こうした話が私たちの共感や規範を育てているのは重要なことです.
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少しもったいないですが,結局,学会は最初の日の午前中だけ参加しました.そういえば大学院生の頃は,地方の学会など,朝だけ出て,その土地の名所旧跡を巡り,さっそく古本屋さんへ行って,おいしい(そして安い)ものを探して食べていたようなこともありました.
桜井先生が座長を務めた第一部会.第一報告のコメントを担当した伊豆先生は,鋭く,パンチの利いた発言で,聴衆の眠気を吹き飛ばしてくれました.ありがとう.お見事です.
「オリジナル・シン(原罪論)」など,アメリカの研究者が好む流行語の一つに過ぎません.「モラル・ハザード」や「セーフティー・ネット」など,通貨危機の考察を一歩も進めないまま,流行語を飛ばしてうなずき合う学会など,私は見たくありません.アイケングリーンが何と言ったかではなく,インドネシアで危機の最中に実務を経験しておられた報告者の知見を,特に,理論では納得できなかったことについて独自の考察を示してほしい,と伊豆さんが明言したとき,私は心から拍手しました.
銀行が短期で借りて長期で貸しているのは当然であり,インドネシアがドルやユーロ,円ではなく,自国の通貨で外国から融資を受けられないのも当然です.もちろん,その構造を問いただすのであれば「二重のミスマッチ論」など捨てて,その中身を議論することです.「邦銀責任論」への反対や,「円キャリー・トレード」を行っている現在の投資家,高金利により外貨預金へ向かう日本の個人預金など,「ヘッジしなかったから悪い」などという説明を問い直す現実が今もあるじゃないか,という伊豆先生の発言に,きっとシンポジウム参加者たちは歓喜したことでしょう.
こうした問題は,新興諸国が金融自由化する際に,金融行政や監督の制度,会計制度が未成熟であることを深く反省させたと思います.そして,IMFやアジア開発銀行が,こうした分野で大いに貢献していることを私も疑いません.黒田氏の講演は,この点で,正しかったわけです.そして,その先について語らなかった氏の曖昧な苦汁の表情が気になります.
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失礼とは思いながら,お昼に人と会う約束があったので,私はそっと会場を出ました.日曜日で,高田馬場に並ぶ古本屋がどれも閉まっています.ああ,何とも残念! ・・・と思っていたら,一軒だけ開いていました.私はそこでミステリーやスパイ小説を買い込み,そして,面白そうな翻訳書を見つけたのです.パーヴェル・パラシチェンコ著『ソ連邦の崩壊: 旧ソ連政府主任通訳官の回想録』(三一書房),です.
1985年から1991年という,最も重要な時期に,ゴルバチョフなど政府首脳の通訳を引き受けた人物が,その会談の要旨とそれについての考察を簡潔に記しています.核兵器の削減,ベルリンの壁崩壊,ドイツ統一,市場改革・情報の民主化,湾岸戦争,リトアニアの流血,クーデタの失敗,ソ連崩壊.こうした重大な歴史的転換の背後で,ゴルバチョフやシュワルナゼが,レーガン,ベイカー,サッチャー,ブッシュ(現大統領の父),マルルーニ,などと何を語りあったのか,大いに興味を持ちました.
ここに書いた話すべてに共通しているものは,やはり≪政治≫です.S.ストレンジは繰り返し強調したそうです.・・・「政治が重要なのだ.」
(高田馬場駅で時間に遅れ,その間,探しまわってもらい,おまけに昼ごはんも食べることができなかった山川君には,本当に申し訳なかったです.)
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