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IPEの風 10/1/2007

秋の講義が始まりました.長いReviewはやめないと・・・と思います.小説も読めず,テレビも観る余裕がなく,新聞を取って来ました.(朝日新聞,10月1日)

面白いな,と思った記事は,@保坂正康「薄れる記憶,歪む記録」,A「ガンバリ特別顧問軍政に対話求める」,B加藤陽子「二重外交の始まり シベリア出兵」,C「博士売込み大作戦」,Dミッチェル・リース「南北会談 6者協議への影響を注視」,などです.

真っ赤な嘘で歴史をねつ造してしまう,そんな確信犯たちがいるとしたら,歴史家の役割は本当に大変だ,と思いました.回想と歴史の違い,そこに割り込もうとするねつ造された記憶や記録,というのは,政治的犯罪の基本をなしているのでしょう.

雨の中を行進する,黄色の衣を体に巻いた僧侶たちの悲壮な,そして精悍な顔が,国民のために身を捨てる覚悟を示しています.ある種の厳粛さに町が包まれたようです.それでも軍人たちは命令に従い,あるいは,自分たちの非人間性を楽しむかのような狂気に駆られて,弾圧の手を緩めません.

歴史的に繰り返されてきた,このような良心と暴力との衝突が,一刻も早く,もっと違う形の解決を模索する可能性に向かってほしいです.そのために勇敢なジャーナリストたちは現地に入り,各国の政治家は優れた演説によって国民の関心を高め,あるいは,国際機関が特使を送って軍政に方針転換を促します.南アフリカの闘争を経験してきたガンバリ氏がスー・チー氏を励まし,軍政にも対話を求めて,制度として非人間性を増幅する現状を少しでも変えようとする努力に,私は期待します.

ミャンマーでは日本のジャーナリスト,長井健司さんが銃撃によって殺害されましたが,政府の発言がミャンマー政府やアジア諸国を動かすようには思えません.

日本では若い力士が「けいこ中に急死した」とされています.父や母に,迎えに来てほしい,と願った17歳の苦しみを思うとき,もはや相撲部屋なんて一つも残すべきではない,と感じます.「国技」であるとか,「親方」,「後援会」,「巡業」,など,日本の相撲という歓楽と興行の旧システムに,深い闇がうかがえます.

日本相撲協会の,立派すぎる会長と,対照的に,公的使命を感じることのできない,「みすぼらしい」と見えた大臣の姿がテレビに映っていました.もし相撲を国民が楽しめる姿にしたいなら,たとえば,高校野球を見習うことです.地方の勝ち抜き予選会を催してはどうでしょうか?

加藤陽子氏の論述は,いつもながら奥が深く,ねつ造された歴史と,ある意味で,どこか交わるようなきわどさも含めて,考えさせる内容です.それは,ブッシュ政権の朝鮮半島政策を扱ったミッチェル・リースの明快な論説と響き合います.南北会談と6者協議.この二つの方式が共鳴するよりすれ違い続けて,ぶつかり合うことが,米韓関係まで危うくしてきました.政治は歴史であり,歴史もまた政治なのでしょう.

韓国政府は統合のコストを恐れて「時間稼ぎ」,すなわち北朝鮮の延命策を支持し,核さえ不問にしてしまいます.アメリカ政府は,まず非核化ありき,でした.そして,おそらく北朝鮮の核ミサイルの標的であり,南北統一の最大の出資者である日本は,このどちらでもない,拉致問題の全面解決,を掲げて譲らず,協議をさらに複雑で,解決不能にしてきました.

ところで偶然にも,文部科学省の大学院膨張路線がもたらす博士過剰問題が記事になっています.博士号まで量産するような「学歴インフレーション」が国民のためになるとは決して思えません.しかし,こうして形成された不満の潮流を,大学院教育の就職・再訓練向け再編へと結びつけるのであれば,陰謀をめぐらす日本の官僚政治体質がここでも一人ひとりを苦しめています.

疲労困憊した駄文の羅列に終わりました.正直,講義の始まった週は,自分の寿命を削るような感覚です.来週は,もう少し余裕を得て,自由な表現にしたい・・・です.

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