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IPEの風 9/10/2007
日曜日の夜,「素敵な宇宙船地球号」という番組で,チベット奥地の「赤い塩」を売る加達村が紹介されていました.今でも,世界にはさまざまな辺境があると思います.ここもその一つです.
塩田と言えば,海岸の砂浜や砂漠の岩塩を考えますが,なぜ標高3000メートル以上の土地にあるのか? 何億年も前にインド亜大陸がユーラシア大陸とぶつかって盛り上がったから,地下には岩塩の層がある,という話でした.川の水が浸透して,鉄分を含んだ赤い塩水が井戸から出るわけです.
シルクロードが繁栄した時代には,この「赤い塩」が貴重な特産品であったと思います.塩の富を求めて,この土地に人々が集まって住みました.行商においては,同量のトウモロコシと物々交換します.しかし,息子を連れて行商する父は,町で驚き,悲しむことになります.「赤い塩」なんて今では家畜にしか与えない,と言われ,買ってもらえないのです.工業的な,辛いだけの「白い塩」を町の人々は好みます.
行商の道も変わりました.政府は物流を近代化し,道路の整備とトラック輸送を拡大しつつあります.ロバを引く小さなキャラバン隊は,巨大なトラックの土埃を浴びて,道路わきに追いやられてしまいます.
この行商に利益はあるのだろうか? と考えました.トウモロコシ400キロをロバに積んで,険しい山岳地の街道を歩き,村々を訪ねてトウモロコシと交換します.交換率は1対1.つまり,400キロのトウモロコシを得ます.彼らもロバも野宿しますが,行商の過程で消費しなければなりません.長い旅を歩き終えて自宅に迎え入れられる彼らについて,家族が数か月の食糧を得た,と述べていました.市場での買い物も,塩やトウモロコシで支払います.
近い将来,輸送手段や市場が発達し,都市や工業地帯,新しい消費文化と結びつけば,この「赤い塩」の村も消滅するだろう,と私は思いました.きれいな娘さんが井戸水を汲んで塩田にまき,毎日「赤い塩」を何十キロも背負って運ぶ姿に感動しましたが,彼女が町の学校で学び,新しい職場を求めることができれば,それも幸せなのです.
行商で生きてきた父は「白い塩」に衝撃を受け,子どもには知られたくない,と思います.しかし,自分の不安を語りました.「赤い塩がいつまでも売れるとは限らないのだ.そう思うと,息子にこの仕事を継がせることが不安になる・・・」
「素敵な宇宙船地球号」・・・なんて,どこの話か? 番組の編集者はこんな結末を用意しました.父親は村に帰ると,早速,寄り合いを開き,村一番の行商人である彼の見聞と「白い塩」を皆に伝えます.彼らは「白い塩」より「赤い塩」の方が良い,と確信し,品質を改善して「赤い塩」を宣伝しよう,と決めます.そのために協同組合を作りました.・・・ メデタシ ・・・メデタシ?
30年後や50年後,塩田は協同組合が機械化し,「赤い塩」がヨーロッパや日本に輸出されているのでしょうか? この村が「赤い塩」を名物とした観光・保養地になっているかもしれません.あるいは,都市の健康ブームやエコ・キャンペーンに採用され,塩田と住居を文化財として保存して,富裕層の別荘が点在するかもしれません.しかし,多くの辺境が夢想する「楽園シナリオ」はめったに実現せず,これまでシルクロードの村がすべて砂嵐に消えたように,多くの辺境から人々は退出するでしょう.
その夜,NHKで昭和34年放送の「子どものみた夏休み」が映っていました.私の父や母はこのような町で暮らしていたのだな,と思いました.子どもたちが夜店で働き,子守りをし,台所にはむき出しの水道管から蛇口が突き出ています.夫婦は共稼ぎで,それでも若い母親は仕事があることを喜び,次の休みの日に子どもたちを箕面に連れて行ってやりたい,と話しました.それは,工場の煙突が並ぶ,失われた大阪です.
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