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IPEの種 12/4/2006

マーガレット・サッチャーが登場する前,デビッド・ヤングはイギリスを出て,アメリカに向かおうとしていました.ヤーギン&スタニスローの『市場 対 国家』は,市場という社会モデルが復活することを宣言します.特に第4章は,停滞したイギリスにサッチャーが登場し,理念の転換を強烈に指導する様子を活写します.

私はサッチャー主義が嫌いでした.一つには,イギリスの映画,『ブラス・オフ』に出てくる炭鉱ストに同情したからです.サッチャー首相に倒された労働組合の側から,映画は時代の変化を描いていました.あるいは,サッチャーがドラキュラになって牙をむき,血を滴らせる顔を表紙絵にした研究論文集も持っています.多くのイギリス的知識人にとって,サッチャーは何か,異常な,魔物に近い存在です.おそらく,今のG・W・ブッシュをも越えていた.

サッチャーは信念の政治家でした.支持率よりも,成長率よりも,彼女は信念を実現するために全力を尽くしたように思います.戦後の資本主義や国際秩序を支えた考え方を,サッチャーは変えました.その多くの暴言は,彼女だったから,炎のように吐けたのです.「問題を起こすのはいつも大陸だ.そして,それを解決したのはわれわれ英語を話す人々(English-speaking people)であった.」 伝統的リアリストでネオコンにも近い,ボルトン国連代表の毒舌に負けません.

サッチャリズムは,私が研究してきた混合経済やコーポラティズムを強く批判し,それを宇宙の果てまでも吹き飛ばしました.イギリスをだめにした「国有企業による独占と,労働組合による独占」.サッチャーはこの二つが敵であると宣言しました.興味深いことに,NAFTAにもかかわらず成長を十分に加速できなかったメキシコを,まったく同じ言葉で,数週間前にThe Economistは批判しました.

サッチャーは,傲慢で,敵対的であり,信じられないくらいに無神経だ,と非難されました.史上最低の支持率でも,彼女は信念を曲げませんでした.「イギリスの病を治すには,痛みが伴わないわけにはいかない.」 この言葉が小泉氏と同じであるのは,決して偶然ではありません.おそらく彼が剽窃したのでしょう.レーガンやブッシュもそうしたように.

数日前にミルトン・フリードマンが亡くなって,ひとしきりサッチャー政権との関係が思い起こされたのです.しかしサッチャーは,キース・ジョゼフを介して,ハイエクを称賛しました.企業家が尊敬されない国,労働組合の代表が政治家たちとビールを飲みながら賃金引上げを交渉する国に憤慨しました.サッチャーが唱えた「民営化」は,世界中で模倣者を生んだのです(ヤングは民営化特別大臣です).多くの国民を株主にし,投資のチャンスとリスクを称えることは,竹中氏のアイデアではありません.

途方もない資産家たちが,社会や公的秩序の破壊者・犯罪者ではなく,屋根裏で始めた起業家たちが成功するのと同じように,開拓者や英雄と見なされる時代をサッチャーは創り出しました.私はサッチャリズムを嫌いますが,その多くの主張に同意します.現実は変化し,政治的な秩序とそれを正当化するイデオロギーは転換するしかなかったでしょう.イギリスの既得権や制度を破壊したサッチャーの激しい言葉や奮闘ぶりは,まさに豪快で,魅了されます.

1979年,私が大学生になった頃,サッチャー,レーガン,ボルカー,ケ小平らは,ほとんど互いを意識せずに,世界を変える選択を指導していました.炭鉱ストライキの跡が見たいです.サッチャーとブレアの時代,レーガンとクリントンの時代,そして,日本のプラザ合意とバブル崩壊の時代を,時間をかけて研究してみよう,と私は思いました.

私たちの毎日は,どのように,時代へと押し込められたのか.あの頃の一日一日が,誰の,どんな理由で,重要な(あるいは些細な)選択と結びついていたのか.それは果てしない想像力によって,意味を再生する作業です.

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