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IPEの種 7/17/2006
英米のミステリー小説と同じように,佐伯泰英の時代小説でも,来島水軍流の剣技を極めた赤目小藤次が悪党たちを斬り捨てます.しかし,私立探偵やハードボイルド小説の主人公と小藤次の外観は大きく違います.「五十路になった」赤目小藤次は,「皺くちゃの老爺顔」,「容貌魁偉」,「矮躯」です.ほめるべき点は? ・・・よく見れば「慈眼」の持ち主!
酔いどれ小藤次留書シリーズを手に取り,仕事の合間にページを繰り始めました.そして次第に,仕事はもうどうでも良くなっています.とにかく,面白い.この人物の魅力とは何か?
@ 忠義.小藤次は武士道の美意識によって生きています.主君の汚名を雪ぐため,小藩を出て,恥辱をもたらした他藩の大名行列に挑みました.そして,忠誠心や名誉の対象は,次第に,自分にとって納得できる生き方,市井の剣豪となる道へと変わります.厳しい身分制の社会に生きる武士として,彼も既存の序列を尊重します.しかしすでに小説は身分社会の崩壊を予感しているのです.武士たちは剣技よりも組織による支配に頼り,豪商や札差から借金を重ねています.その中にあって,それを超えた小藤次の生き方は,清く,堅実で,さわやかです.
A 武芸.そんな,いわば「移行社会」において,赤目小藤次は秀でた武芸で身分や富による社会的格差を超越します.幕府が弱体化し,浪人や無法者が増える町での暮らしは,個の剣技に最後の拠り所を求めます.講談やちゃんばら劇を動かす「活人剣」の舞台です.無論,小藤次は矮躯.剣技を自慢もしませんから,人々の驚きと安堵,喝采を読者は楽しみます.
B 研ぎ商い.市井に生きる小藤次の生業は研ぎ屋であり,引き物としての竹細工作りです.百姓舟で野菜を売る娘,うず,に商いのこつを教えてもらい,小藤次は刀研ぎの技術を活かして,町のさまざまな職人たちから信用を得ます.長屋のおかみさんや職人に交じって,研ぎ屋の商売を広めていくさまが,また実に楽しい読み物です.
C 人情.剣技を駆使した人助けと長屋の暮らしにより,多くの人たちと暖かい心情を共有します.紙問屋の豪商,久慈屋昌右衛門.その大番頭,観右衛門.たたみ職人の梅五郎親方.町同心の御用聞き,秀次親分.隣家の版木職人,勝五郎.百姓舟で野菜を行商する娘,うず.歌仙楼の女将,おさき.老中直属の女密偵,おしん.そして旗本水野監物の奥女中,小藤次の秘めた想い人,おりょう様.武士よりも,市井に生きる人々の自由と活気を,小藤次は賞賛します.
D 死闘.突如,闇から現れる刺客と刀を抜き合えば,相手を斃すまで戦います.斬撃は容赦なく,自ら命をさらす瞬間です.小藤次には家族もありません.貧しく,小さな,老侍になるまで,嫁をもらうことなどできなかったのです.武士として生き,いつでも死ねる,と覚悟します.
E 酒豪.一斗五升を飲み干す大酒家.「大杯の酒が大川の流れのように」「喉に落ちて五臓六腑に染み渡る.」「一座の者は見事なまでの飲みっぷりに呆然として言葉もない.」 小藤次の酒は静かで,楽しい,ときに孤高で,深遠でさえあります.その姿は,酒精の輝く大海を飲み干す,と描かれます.座はひととき深閑として,その後,溜め息がもれ,歓声が湧くのです.
F 無私.無欲.元は,商家の女中も暮らせない,と誰もが驚く薄給,三両一人扶持の厩番でした.江戸の読み売りに描かれるほどの武芸者となっても,仕官することは考えません.生きるために研ぎ屋を始め,ひとまず成功しますが,決して大きく儲けることは考えません.その様子を見た久慈屋の大番頭は,「赤目様の商いは,商いではなく社会事業です.」と嘆きます.
G 邪心がない.人を助け,多くの人に好かれます.若い,美しい娘たちにも! 小藤次は愛嬌ある老爺として描かれています.色事は無し.仕事も,日々を暮らせれば十分で,その他は仕事でさえも道楽なのです.研ぎの作業に没頭するとき,小藤次は無心の境地に浸ります.
H 最後に,小藤次の剣は,身分社会の規範や垣根に閉ざされた権力を取り戻し,悪党たちを闇に葬ります.そして,商人や庶民,職人や労働者?たちが健気に暮らす江戸の活気を引き立てます.小藤次の眼を通して,お堀や街角に季節が移ろい,庶民の新しい社会秩序が江戸に輝き始めるのを,私は楽しみます.
悪党ばかりが幅を利かせ,弱い者はますます弱く,正しい者も黙するのみ.アフガニスタンでも,パレスチナでも,チェチェンでも,北朝鮮でも,・・・ いつか,正義の剣が闇に光ります.
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