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IPEの種 6/5/2006

以前,NHKのTV番組「プロフェッショナル」で,闇金融に苦しむ人たちを助ける某弁護士を知りました.そのなんとも言えない温情と義侠心を持つ,心優しい先生が愛読するのは,山本周五郎と藤沢周平である,と聞いて,なるほど,と思いました.裏店の長屋に住む人々の喜怒哀楽を描き,職人や娘,老人,子供の様子を描き分ける文人たちの手並みには,ただ,感動します.

今週は何も書くことがありません.散歩もしませんでした.・・・閉じこもっていた息子が両親を刺し殺し,自宅に火を放つ事件がありました.子供が二人殺された事件では,その母親が逮捕されたと聞きました.しかし今,それについて何かを書きたいとは思いません.

アラン・グリーンスパンが,子供のときは野球選手にあこがれ,さらにジュリアード音楽院でクラリネットを学んで,大恐慌後のアメリカにおいてジャズ・バンドの団員として演奏していた,というのも感心します.誰だって,自分が何に向いているのか,やってみないと分かりません.子供たちがいろいろな経験を通じて,さまざまな仕事につけるチャンスの多い社会であれば,親子で殺し合うこともなかったのではないか,と思いました.

さて,そんなわけで,Michael Mann, The Dark Side of Democracy: Explaining Ethnic Cleansing, Cambridge University Press, 2005.を紹介する次第です.歴史や社会を三次元とか四次元の図式に分けてしまう社会学の方法が楽しくないときもあります.しかし,この研究でMannが指摘したことはいずれも重要です.

議論の概略部分を読んだだけですが,エスニック・クレンジング(民族浄化)という事件を,たとえば,ナショナリズムによって,一部の政治・軍事指導者によって説明できる,という単純化をMannは退けます.むしろ,ある領土内において多数派を占めることが権力を意味する<民主主義>の仕組みそのものに,<民族浄化>をもたらす契機を見るのです.

1.Mannは,人種浄化を人間が持つ「原始的な」暴力性に求めてはならない,と主張します.原始的暴力は,平和に暮らしてきた人々が,なぜエスニック集団間の憎悪を燃やして,あるとき,あるところにだけ<民族浄化>が起こったのか,説明しません.

2.Mannは,殺害を広める侵略者,支配エリートの組織したナショナリズムを,対立の図式にして描くことも批判します.ドイツ人は,セルビア人は,フツ族は,・・・<民族浄化>を行った,と言明することは,その<擬似エスニック集団>内部で<民族浄化>に反対する人々が最初に弾圧され,抹殺されたことを無視するものです.

他方,いったん,確立された<エスニック・アイデンティティー>は,人々の意識を支配し,自分たちが<民族浄化>に積極的に加わらないまでも,それを容認するように「市民社会」そのものを変容します.<民族浄化>を採用する支配エリートたちは,しばしば民主的に選出された代表であったし,最初から<民族浄化>を主張したわけではなかったのです.

3.Mannは,<民族浄化>を「合理的」に説明するモデル(合理的選択理論)も批判します.それは非常に限定された合理的説明を,あたかも現実の背後にある法則のように理解します.なぜ穏健な指導者は失脚し,平和を維持するという目標が否定され,殺戮や戦争のコストを無視するようになるのか? それは,次のような条件があれば「合理的」なのです.

a)殺さなければ殺される.戦争が避けられないのだから,先に攻撃するべきだ.自分たちこそ犠牲者である.

b)彼らが合意を守るとは信じられない.規範や価値観が異なる者たちと約束を交わすことはできない.

c)信用できるもの同志の情報だけが正しい.互いの情報は届かず,受け入れられない.

もちろん,どうしてこのような条件が現れたのか? と問うべきです.ソ連崩壊後,あるいは,独裁や植民地支配が終わったとき,未熟な民主主義制度から,<民族>や<宗教>を軸に多数派集団を形成して権力を追求する似非指導者が生まれました.彼らの煽動により人々は不安に駆られました.人間の行動は,決して,合理的な動機だけで決まらず,習慣や愛憎,さまざまなイメージやイデオロギーに縛られているのです.

4.Mannは,<民族浄化>を煽動した凶悪な殺人集団と普通の人々とを,単純に区別してはならない,と考えます.かつて「刑務所実験」でも紹介したように,普通の人々は驚くほど容易に,凶悪な破壊や虐待行為に加わるようです.さらに,それが政府からの要請や正当な機関の命令であれば,あえて反対する者は非常に少ない,というのは理解できます.同じ<民族浄化>に関わった人々にも,その動機や条件について,さまざまな差異があるわけです.個人を抑圧する組織的な圧力が働く社会では,私たちの弱さが<民族浄化>をさまざまな目的のための手段として受け入れてしまう状況を,いつでも豊富に用意していると思います.

戦争や虐殺の過去を隠すことは,こうした現実の複雑さを理解しないまま,平和や正義を一方的に主張する人々を,偉大な指導者のように錯覚させるでしょう.しかし優れた指導者であれば,敵国の文学から「和解」の道を思い描くかもしれません.

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