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IPEの種 3/20/2006

デヴィッド・リンチ監督の映画,『ストレイト・ストーリー』を観ました.

73歳の老人,アルヴィン・ストレイトは,娘と二人で住んでいます.からだが弱って,医者に行けばさまざまな病名に辟易します.激しい雷雨を避けて屋内で休んでいるとき電話があって,娘が電話を取ると,兄のライルが脳卒中で倒れた,というのです.アルヴィンとライルは仲の良い兄弟でしたが,何かの原因でひどい口論となり,10年間も絶縁状態でした.

これはロード・ムービーと言われるスタイルの映画です.500キロも離れたライルの家まで,目や腰が悪いアルヴィンは,たった一人,トラクターで旅をします.旅で出会った人に助けられたり,話し合ったりすることでさまざまな人生が交錯し,そのことが結果的に苦い真実を引き出して,彼らがそれに直面するのを助けます.

道路わきにトラクターを停めて野営していると,ヒッチハイクの少女が訪ねて来ます.彼女は妊娠しており,家族にも恋人にも知らせず家出していました.「彼らはひどく怒るだろう」 と言う彼女に,アルヴィンは,「もちろん怒るだろうが,自分の娘や,おなかの赤ちゃんを失っても良いと思うほど,怒ってはいない」 と教えてやります.

アルヴィンの娘には4人の子供がいました.しかし,周りから彼女は知能が足りない,と思われています.隣人に子供たちを預けた際,たまたま火事に遭って,次男が深刻な火傷を負いました.そのことで,彼女には養育する力がない,と役所は判断し,子供たちを取り上げてしまったのです.今,彼女は父親と二人で暮らし,鳥の巣を作って木に掛けています.かわいそうに,子供のことを想わない日は無いだろう,・・・ とアルヴィンは哀れな娘に同情します.

急な坂道を下っているとき,トラクターのベルトやギアが壊れてしまい,暴走します.何とか止まったものの,助けてくれた家族の裏庭に野営して,修理を待つことになりました.彼がどれほど遠くから来たかを知って,その家の主人は大いに同情し,手助けを申し出ます.しかしアルヴィンは,自分は頑固な老人であり,これをどうしてもやり遂げたいから,と丁重に申し出を断わり,旅を続けるのです.

何もない,広大な農地が見渡す限り続いて,何週間もアルヴィンの想いを包みます.人生のほとんどは旅のようなもの・・・ ある日,自転車で旅する若者の集団に出会います.「年を取って最悪なことは何か」 とキャンプ場で若者が尋ねました.「からだが弱って悪いことばかりだが,若いときの記憶がなくならないというのは最悪だ」 と彼は答えます.「そうか・・・」 と若者は相槌を打つものの,分かりはしないのです.

アルヴィンは裏庭を貸してくれた家の老人に酒場に誘われ,自分は酒をやめたが,と言いながらも付き合います.かつて,戦争の記憶が自分をひどく苦しめ,それを忘れるために酒におぼれて,本当のクズになってしまった.それが分かったとき,酒はやめた,と言います.二人は,第二次世界大戦中の忘れられない辛い経験を話し合います.

アルヴィンの両親は猛烈に働いたそうです.彼も兄のライルと一緒に必死で働き,一年のうち九ヶ月が冬という厳しい土地で,夏は二人いっしょに星空を見ながら外で寝た,と言います.彼の妻は14人の子供を産みましたが,既に亡くなり,7人の子供が育ちました.

ようやくたどり着いたライルの家は,アルヴィンの家以上に粗末で,荒廃し,朽ち果てていました.美しい緑の中の,捨てられた木片にしか見えない,あばら家です.しかし,「ライル!」 という彼の呼びかけに,しばらくして,「アルヴィン!」 という声が返って来ます.歩くのも困難な二人の老人は,ポーチの椅子に腰掛けます.そして兄が,「あんなものに乗って,俺に会いにここまで来たのか?」 と言うのです.

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私は,最近読んだ藤沢周平の短編,「馬五郎焼身」,を思い出しました.不器用な大男を描いた,哀しい話です.

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いくら映画や小説に感銘を受けても,まさか映画監督や小説家にはなれない・・・と思います.しかし,少しはロード・ムービーを撮るように,通貨危機や都市暴動を叙述できないものか,と考えます.アルゼンチンまで調査に行って,既に1年が経ちました.論文を書かないまま忘れてしまうと困るので,その後に集めた論文や研究書を積み上げ,調査日記を読み返しています.Rosemary Thorpの書いた,優れたラテンアメリカ経済史を読み,彼女の言う「政治経済学」に,まったく,同感でした.

面白いな,と思って読んでいるMichael Pettitの本も,実は2002年に読み始めていた,と記す表紙の裏に書いた数字を見て,・・・絶句しました.もう4年も経ったのか!

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足の悪いホームレスの男性を焼き殺した少年たちについて,新聞やニュースは伝えています.生きるうちには,思わぬ挫折や辛いことが数多くあり,それでもやり直したり,忘れたりできる人もあれば,できない人もあります.若者は可能性を多く持っていますから,自分たちが優秀で,上手くやれると信じる特権があります.「あなた達には可能性がある」 と学生のときに言われた,私の好きな先生の表情には,賞賛や励ましとともに,どこか複雑な翳がありました.

映画を観て,アメリカの老人たちは,孤独で,貧しい,と思いました.しかし,不幸である,とは言えません.厳しい自然と社会を相手に,彼らは大切な何かを,多くは過去の記憶を,自分の生きた証として頑固に守っているからです.ホームレスや貧しい老人を侮辱し,焼き殺すような若者たちには,それを見る眼や,同情する《心》がないのです.

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日本文学を英語圏に紹介したドナルド・キーンが日本語や日本人に出会ったのは,第二次世界大戦で海軍の情報収集に関わったときでした.軍事機密だ,と言われて翻訳したのは,ガダルカナルの戦闘後,採集された資料でした.「私たちはもはや存在しない小隊に関する日課の報告書や,彼らが所持していた用紙やインク瓶の数量に関する判で押したような明細書を翻訳し続けた.」(ドナルド・キーン「20世紀のクロニクル」読売新聞,2006318日)

しかし,彼が日本人を「本当に知る」きっかけが訪れます.「ある日,押収された文書が入っている大きな木箱に気づいた.文書から,かすかに不快な匂いがした.・・・異臭は,乾いた血痕から来ていた.手帳に触れるのは気味悪かったが,注意深く血痕のついてなさそうな一つを選び出して,私は翻訳を始めた.」 そしてキーンは書いています.「これらの日記は時に耐えられないほど感動的で,一兵士の最後の日々の苦悩が記録されていた.」 と.

アメリカ軍は兵士が日記を書くことを禁じました.情報統制として.(しかし,インターネット上の兵士のブログを破壊することはできないようです.) 日本軍は兵士に日記を配りました.上官が検閲して兵士たちの愛国心を確かめるために.(しかし,激戦地では上官も兵士も死を覚悟し,こうした偽りを書かなくなります.)

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アダム・スミスは,人間が共感(あるいは同情)する能力には著しい限界があると指摘し,利己心(と,市場によって組織された世界の広がり)を基礎にした経済学を創始しました.いつか,経済学が不要になる日も,来るでしょう.

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