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IPEの種 3/6/2006

ブリュッセルとジュネーブへ,移民政策の調査に行ってきました.EU,EESC(ヨーロッパ経済社会評議会),ETUC(ヨーロッパ労働組合連合),そしてILO(国際労働機構),IOM(国際移住機構)です.本当は移民たちを助けるNGOsや,ヨーロッパの移民研究者にも会いたかったのですが,適当な団体や研究者を見つけて,話し合いをアレンジする時間が足りませんでした.年度末には定期試験の採点,地方入試出張,その他で十分な時間が取れず,そのまま準備不足の出発となったわけです.

とはいえ多方面のご協力により,興味深い話をいろいろ聞けました.わざわざ面会時間を割き,話してくださった方々に心から感謝いたします.その内容についてはぜひ論文を書いて,日本の移民政策に少しでも役立ててもらいたいです.

T

ブリュッセルでは,南(Midi)駅から歩いて20分ほどのところにあるホテルに泊まりました(南駅周辺は治安が悪く,それゆえホテルが安いのです).また,ジュネーブでは手頃な料金(私の場合,1万円以下!)のホテルが見つからず,結局,その隣のローザンヌ(もっと近いと思ったのですが・・・)に安めのホテルを見つけて予約しました.このホテルは駅から急な坂道を登り,複雑な,曲がりくねった道の果てにありました.どちらも日本からインターネットで予約したわけです.

こんな季節です.おまけに,天気も良くなかった.毎日のように雨が降り,ときには吹雪になりました.イギリスやヨーロッパでは,傘が必要な,日本のような雨は少ないと思うのですが,今回は何度も傘を差しました.約束の時間に遅れてはいけないし,電車やバスには乗りたくない(間違って乗ったら戻れない!),タクシーは高い・・・ それでも,ヨーロッパの神々が助けてくれたのか? 不思議と,すべて一人ぼっちのインタビューをこなしました.そう,困窮する者に微笑む幸運のことを,私は《神》と呼ぶのです. ・・・豊かな者は,なんでも金で買えるから!?

いつも最初に,調査の目的を簡単に説明してから,私は彼らにその機関やその人自身の移民についての考え方,あるいは立場を尋ねました.・・・「最近,日本でも人口の減少と高齢化が心配されています.そのため,移民導入の可能性について議論する者も現れました.しかし日本人の多くは「外国人」と暮らすことに不安を感じ,恐れていると思います.」

「そんなとき,ヨーロッパで移民が大きな社会・政治問題になっていることを彼らも知りました.テレビで,パリ郊外の暴動の様子を観たり,デンマークの新聞が載せた風刺漫画に対する激しい抗議活動を観ました.もう少し前には,オランダで映画監督が殺され,イギリス北部の諸都市では「人種暴動」が起きましたね.また,ヨーロッパ中で人種差別を掲げる極右の政治勢力が議席を伸ばし,各地で移民への襲撃事件が起きています.」

「日本人や日本政府は,こうしたヨーロッパの経験と情報から多くを学ぶべきだ,と私は考えました.そして,ヨーロッパの人々や政府,さまざまな国際機関が,移民をどう考えているのか? どのように対処しようとしているのか? その移民政策について,成功例も,失敗例も,具体的に知りたいと思ったのです.」・・・

私の問題提起は独創的なものではありませんが,なかなか効果的でした.それは,彼ら自身が何度も自問し,あるいは問い詰められたことに近かったからではないか,と思います.この説明だけで,十分に多くの情報や意見を聞けた場合もあります.しかし,彼らの話が私の期待した様に進まない場合,さらに4つの共通質問項目を用意してきた,と話して,それに対する返答を求めました.すなわち,

「1.移民問題とは何か? (もしそれが「問題」であるとしたら.それはどのような意味で「問題」なのか?) 2.移民問題に対する解決策とは何か? (そもそも「正しい」解決策などあるのか?) 3.移民政策を決めるもの(要因,勢力,制度など)は何か? (何が現実の移民政策を決めているのか? 今後,移民政策はどうなるのか?) 4.移民に関する国際協力は重要か? (あるいは,必要のない,無駄なものか?) 国際移民システムは誕生するだろうか? 」

U

いろいろ失敗続きでした.しかし,余りにも格好悪い話は(面白いですが),公開のホームページに載せることができません! ともかく月曜日と火曜日をブリュッセルで過ごし,水曜日にスイスへ飛んで,木曜日はジュネーブで調査に励みました.

NGOsや移民居住地区の現地調査を希望していたのですが,既述のように,アレンジできませんでした.空いた時間にはローザンヌを散策したり,隣のヴェヴェーでレオン・ワルラスの墓を探したり(しかし,管理人が不在のため墓を見ることはできませんでした.・・・3時間も墓地をさまよったのに!),ノートを書いて過ごしました.

もっとも印象的なことは,私が訪ねたすべての機関で,「移民は問題ではない」という同じ答えを得たことです.移民の多くは働くためにやってくる.彼らは労働者として雇用されており,そのことが送り出している側(の個人と社会)にも,受け入れている側(の個人と社会)にも,利益をもたらしている,と.彼らは社会福祉制度に頼るために来るのではないし,多くの場合,地元の労働者の仕事を奪っているのでもない.

では,なぜ(もしくは何が)これほど問題になるのか? 移民を問題にする場合,常に,何が「問題」か,を正しく理解する必要があるわけです.

たとえば,認識が問題である,と言います.現実の移民は働いており,受け入れ社会で労働者が不足している職場に入っていくのです.彼らは失業手当や医療保険を現地の労働者ほど受けておらず,しばしばまったく保障されないまま,より厳しい条件で働くのです.ところが,もちろん働いていない移民もいますし,突然の解雇や労働災害を争う移民もいます.移民にも支給される手当や,移民のために行われている公共サービスも,決して市民に対するさまざまな公共サービスほどではないけれど,少しはあるわけです.すると,こうした限られたケースを取り上げて,「移民」を問題とする「極端な議論」が一部のメディアで繰り返され,また,その結果として高まった社会的関心や「住民」(それは誰のことか?)の不安に便乗し,自分のために利用する「煽動家・政治家」が現れます.

事実についての間違った認識,誇張され,悪意や他の目的に利用された宣伝,デマゴギーが広まっています.これに対して国際機関は,だから事実を正しく調査し,伝える必要がある,と答えます.移民や人種差別が問題になるとき,しばしば地域の政治家たちは有権者の偏見に強く反対することができません.その偏見を助長する極右勢力と勇敢に「移民論争」を戦い,人権を擁護して「移民襲撃」を非難すれば,その政治家が次の選挙で落選するかもしれないからです.

正しい情報を伝え,また,移民も含めたヨーロッパ規模の人権を擁護するには,その意味で,地域の政治レベルよりも,EUや国際機関が望ましいわけです.

一方では,EUの拡大や改革,グローバリゼーションによって,労働者も国境を越えてもっと移動するだろうし,そのほうが良い,と考えられています.EUのEconomic Analysisや(おそらく)ILOでは,労働者の移動性(mobility)を高めること,それ自体が「目標」となっていました(それに見合った法制度の整備も).なぜ商品や資本,情報がこれほど急速に国境を越えるようになっているのに,労働者だけは規制され続けるのか? さまざまな交通・輸送手段が利用可能で,しかも安価になり,各地に移民コミュニティーやそのネットワークが形成されて情報と支援があるというのに,労働者が移動しないはずはないし,国境で管理できると思うほうがおかしい,と言われます.

他方,人々の意識は「人種差別」や宗教,文化,言語,習慣,などの「偏見」に容易に侵されます.私たちは,個人として弱く,傷つきやすいことを意識するほど,自分の仲間を集めて,善良で,優秀で,道徳的で,さまざまなプラスのイメージに結びつけようとします.他方,よそ者は,本来,どうしようもなく(あるいは,見かけと違って本質は)邪悪で,非常に劣悪もしくは愚昧で,根本的に堕落し,悪意による侵略・征服を企てている,など,さまざまなマイナスのイメージと結びつけます.それは,もちろん,個人によって大きく異なるし,そのような偏見を最後まで拒める人もいます.しかし,おおくは事情が許せば,こうした偏見の虜となり,(たとえ理性では間違っていると理解できても)情緒的に擁護するでしょう.

自由貿易の相互利益を理性的に説く経済学は,必ずしも,保護主義について説得的な説明を示しません.しかし,通商政策を決める要因が自国の関税収入であったり,輸入品によって危機に瀕した業界の雇用や地域,そこを選挙区とする政治家であれば,広く薄い利益を無自覚に得ている消費者や抽象的な経済学者のレトリックなどより,保護の主張が強い政治的影響を及ぼすわけです.移民排斥や自国民優先を唱えることも,同様に,どれほど事実や理性によって説得されても,政治的な情念を動員できる「領土」を失わないでしょう.

それでも,と私は考えます.資本移動が通貨危機や恐慌を繰り返しても,社会(とその制度のあり方)によっては,ショックを吸収し,政治的に維持可能なだけでなく,通貨統合など新しいアレンジを生み出す契機にできるわけです.また,保護主義が繰り返し広まったときも,新しい政治的権威や合理的な理解,制度的調整を経て,自由化の過程が再生しました.もちろん移民は,貿易や投資より,さらに政治的で,情念的でしょう.しかし,移民だけは例外である,と主張することに神秘的な価値を見出すつもりはありません.

V

外国に行くと,いつも,泊まるところ,食べるもの,移動手段,に苦労します.この苦労を減らすには,駅の近くに朝食付きで泊まること,です(ただし,鉄道で発達したヨーロッパの都市!).駅には安い(しばしばセルフ・サービスの)食堂があり,さまざまな交通手段が集まり(とはいえ,ホテルには歩いて行きます),安いホテル(と朝食)があります.しかし,「治安」?は少し悪いかもしれません.だから,新しい町に,夜,はじめて着いて,一人で歩くのは止めたほうが良いです.

暗いレストランに勇気を出して一人で入ったけれど,注文に苦心した挙句,手のつけようがない(まずい)料理を大部分残したまま,席を立ったことがありませんか? ・・・ジュネーブでは,ホテルの近くに,シーフードの小さな(トルコ系?)レストランがあり,白身魚と野菜の巨大なサンドイッチ,それにスープを買って,部屋に帰りました.一度だけ,以前食べたムール貝のワイン蒸しがどうしても食べたくて,グランプラス近くで(もちろん,庶民的な)お店を探しました.あの,バケツ一杯?に山盛りになったムール貝を最初に食べたときの感動は,今なお忘れがたいです.

他方,ローザンヌには,私好みの,明るくて庶民的な,セルフサービスの食堂(ワニのマークのManora)がありました.外国で食べ物に迷ったら,チキンを食べろ,という私の鉄則(!)から,鶏肉のこんがり焼けたものと,ポテトや野菜,本日のスープ,パンなどを取って,レジで買いました.食べる場所は二階にもあります.前の通りを歩く人々やいろいろな自動車,バス(とその乗客)を見ながら,遠くの教会も眺めつつ,早めの夕食を楽しみました.

世界企業が展開するファストフード・チェーンだけでなく,世界中の町でエスニックな大衆食堂が利用できます.特に駅周辺には,こうした安ホテルと移民労働者,大衆食堂が集まっているのです.さまざまな宗教が教会やモスクを建て,テレビや新聞,雑誌が視聴者・読者を奪い合います.もはやヨーロッパ内では,パスポートを見せることも,貨幣を両替することもないのです.産業社会には労働力の需要と供給に対する(それぞれの時代の)条件があります.企業や国は互いに競い合って拡大し,あるいは利潤のために破壊します.ところが,国境を越えて人口動態には差があり,しかも所得水準が大きく開いたまま,政府は自国に都合の良い形で国境を管理できる,とその権利を主張しているわけです.

しかし,今も政府は,特に個々の政治家たちは,産業界や労働組合,地元の雰囲気に応じて,移民労働者を利用し,または,排斥・攻撃します.彼らは人口の減少を嘆き,病人や老人のケアに人手がかかり,食堂やホテルで働く人が足りず,技術者を奪い合い,年金や社会保障費の負担で財政がパンクすることを心配しています.しかし同時に,外国人を嫌い,すべて悪いものは外国から入って来た,自分たちの本来の文化や価値が破壊されている,などと主張します.

簡単に言えば(・・・単純化し過ぎかもしれませんが),これが「移民問題」です.

EUやILOだけでなく,これは経済発展なのだ,とインタビューの過程で何度か聞きました.人類の歴史はいつも移民を含んできた.これは「問題」ではなく「現象」だ.・・・ ヨーロッパの責任ある地位にある人たちは,一貫して,ナショナリズムが憎悪の過熱に向かう傾向を阻止するよう,意図的に発言し,理想を示す形で行動してきたと思います.今,移民に対しても,それが双方に利益をもたらすことを強調し,また,そうならねばならない,と力説します.そのために必要な法律や制度の改正,市場の改善,教育や対話の機会を充実するように努めています.

しかし,同時に,巨大な建築物や諸機関を見るとき,国際協力が,まるで宇宙コロニーの建設計画のように,縁遠い響きに変わります.私はおそらく,ジュネーブの駅から,歩いてILO本部を訪ねた最初の人間ではないでしょうか? 建物の入り口がどこにあるのか分からないし,なぜか,地上から接近すると,どこかで見たSF映画のように,誰もいない空間に取り残されてしまいました.そこは何かの会議があれば国際政治の華やかな舞踏会場になるでしょうが,会議がないときは,私的な見解を抑えた情報・研究システムと国際官僚制が巣を張る,コンクリートの断崖絶壁? ・・・のように感じられました.

将来,もしかしたら,小さな国際移住センターが各地にできて(ちょうど旅行代理店のように),世界中の雇用機会や暮らしぶりを紹介し,移住希望者や帰還者のために,受け入れ先の友人や支援ネットワークと連絡を取ってくれる時代が来るかもしれない,と私は期待しています.移民によって,いずれの社会も,政治システムも,試されているのです.もちろんそれは,人々が数ヶ国語を話し,宗教的にも寛容で,世界のどこにおいても実質的な所得格差は小さい,平和で水平的な世界の話です.

W

これも現代の神話かもしれません.行きの飛行機で観たSimpsonの漫画映画です.Simpson氏の町に,なぜか熊が出現します(あまり怖くない顔の熊です).通りを徘徊し,人々は恐慌に陥って,市庁舎に抗議のデモを行います(子供たちはどうなるの! と,ヒステリックに叫ぶ女性がいます).もちろん,市長は市民たちの前で演説し,熊を町に絶対入れない,と約束します.ベア・コントロール(Bear Control)体制の始まりです.町中でパトカーが警戒し,空ではヘリコプターが監視を続けます.

Simpson氏は自分たちの要求が実現したことに満悦至極です.ところが,税金の通達が届きます.通常の課税に加えて,月に5ドルのベア・コントロール・タックスが追加されていたのです.そんなバカな! アメリカ国民は怒り狂ってホワイトハウスを取り巻きます.大統領は常に,問題解決のための指導力,を求められるのです.

大統領は訴えました.これ以上の増税には我慢ならない.われわれがこれほど重い税金を支払っているのは,それを免れている外国人たち(非合法移民)が悪い.外国人を追放しよう! (子供たちはどうなるの! と,再び叫ぶ女性) こうして,外国人を追い出せ,という国民投票が提案されます.Simpson氏がその先頭に立ったのはもちろんです.近所の商店に,外国人追放に賛成,というポスターを貼りに行きます.しかし,店の主人Apo氏はインドからの移民で,アメリカの市民権を得ていませんでした.カルカッタ工科大学を卒業し,アメリカで学びますが,学費を返すために商店を営み始めたわけです.

あ,そうなの,と聞いて,Simpson氏はポスターを貼って帰ります.Apo氏は,子供が身分を偽って店に酒を買いに来たのを見て,自分もマフィアから偽のIDを購入することを思いつきます.インドの神は奥にしまい,アメリカ風に店を飾り直して,さあこれで自分もアメリカ人だ,と主張します.ところが,両親との約束や思い出が蘇えり,偽造IDを諦めます.

Simpson氏の娘は最初からApoに同情していました.Apoの嘆き悲しむ様子に,Simpson氏も変心します.自分たちのルーツもドイツであったと思い出し,祖父のアメリカに向けた情熱と希望を今の移民たちに見るのです.Apoが試験によって市民権を取得できる,と調べ上げた末に,家族でApoの勉強を助けます.その後,Simpson氏の熱烈な反対演説にもかかわらず,95%の支持で外国人追放の法案は成立し,非合法移民が追放されます.他方,Apo氏は試験に合格し,社会福祉事務所はどこ? という冗談を言いながら,インド系アメリカ人となったことを喜ぶのです.

私は日本政府が,どのような意図で日系人の入国を認めたのか,その移民政策を理解できません.彼らは日本にさまざまな希望を持って来るでしょう.そして,お金を稼ぐかもしれませんが,同時に,深く失望するのではないでしょうか? 言葉,子供の教育,雇用,将来への不安,・・・ 政治家たちは,こうした問題を無視した意味不明の移民政策に対して,今後,重大な責任を問われるはずです.

「何が正しい移民政策なのか?」

ブリュッセルで訪れたETUCには,事前にインタビューをアレンジできませんでした.しかし,どうしても話が聞きたかったので,受付でETUCの報告書を出して,何とかこの報告書に関して話を聞かせてほしい,と頼みました.北駅から歩いて,ようやく探し当てたITUCビルの受付の男性も,6thフロア(つまり7階)のETUCの受付女性も親切であったために,Ms. C. Passchierの承諾を得ることがでたわけです.「でも,短い時間ですよ」と言われながら.

私の予想では,労働組合は移民に反対する主要な制度的要因でした.しかし,ETUCの報告は移民を積極的に支持しています.彼女に聞きたかったのは,本当にこれで組合は合意できたのか,ということでした.「そうです,コンセンサスを得ました」と,彼女は答えました.組合は,当然,組合員の利益を第一に守らねばならない.しかし,どうすれば守れるだろうか? と.

彼女は明快に説明しました.もしETUCが移民を拒めば,移民たちは労働組合に組織されず,それでも流入するに違いない.移民を止めろ,と要求することはもはや不可能なこと(impossible policy)である.従って,彼女は,潜在的な組合員でもある移民労働者たちに,自分たちと同じ条件が守られるように,厳しく政府や雇用主たちに要求しなければならない,と主張しました.他方,移民を襲撃したり,移民の海外追放を要求するのは「愚かな政策(stupid policy)」である.どちらの政策も現実に対して無効であろう(組合員の利益は守れない),と.

私は,もう一つの移民政策について,ETUCもしくは彼女の意見を求めました.それは最近,相次いで採用されている,移民の選別・契約(一時)雇用政策です.良く知られているように,各国はIT技術者を求めて国際的に競走を始めています.また,言葉や教育・技能,資産などにより,移住希望者を選別し,自国の利益を図ることが「移民政策」として強調されます.これについて,彼女は「労働者の商品化(merchandizing)」であり,「非人間的な政策(inhumane policy)」である,と断罪しました.ETUCは,より賢明で人間的な政策,を求めているのです.

移民政策は人種差別を超えられるでしょうか? EESCで,最後に私はMr. P. Bromboに問いました.移民たちの声はどうやって反映されるのか? 移民たちはこの社会を変えるために参加できるのか・・・? すると,「それは重要な点だ」と認めて,自分たちも移民を参加させるために彼らと話し合いを続けている,と彼は述べました.しかし,移民自身がさまざまな出自やグループに分かれており,十分に組織化されていないのだ,と.それでも,彼らを制度に参加させる努力を続けるだろう,・・・と,そんな風に説明したと思います.

ETUCのMs. C. Passchierが示した答えは非常に簡潔です.「一緒に働くことです.」 同じ職場で仲間として働けば,人種差別は無意味であると分かるでしょう.さらに彼女は,労働組合も古いイメージを抜け出す必要がある,と強調しました.(温かいミルクティーを,マグカップでたっぷり頂きました.もっとお話を聞きたかったのですが,彼女の日程に割り込んだことを忘れず,私は30分余りで辞去しました.)

私は,多くの点で,IOMの谷村氏の説明に同意できました.豊かな諸国は,移民の必要性を認めています.しかし同時に,政治家たちはYesと言えず,移民を認めようとはしないのです.世界中で行われている「移民政策」はテクニカルなものであり,すべて過去の政策の焼き直しです.さまざまな政策が,それによる問題も示しています.移民に対してこれほど関心が集まるのも,移民が増えたことや,その重要性が認識され始めたことに加えて,「何が正しい移民政策なのか,誰にも分からないからだ.」 移民が今後も増え続けるのか,それとも,厳しい局面を迎えるのか.その可能性は半々ではないか・・・

いつか,国際移民体制は成立するでしょうか? 残念ながら,誰一人,積極的に肯定した人はいませんでした.まだ今は.

X

・・・雨,雨,雨.

雨の日にできることと言えば,読書か,SE・・か,墓参り,・・・? 日本で一人旅をしているなら,雨が降った日には,地方の映画館へ行きます.必ずどこかで寅さんの映画を観れるから.しかしブリュッセルやローザンヌに寅さん映画はやってないし,だいいち,フランス語!です.

ワルラスのお墓を探して訪れたヴェヴェー(Vevey)で大聖堂に入ったところ,突然,荘厳なパイプオルガンと管楽器の音色が鳴り響きました.すごい仕掛けだな,と思いつつも,私は祭壇まで静かに歩んで,両手を合わせました.しかし,実際,それは録音されたものではなく,上階のパイプオルガンを含む3人の奏者が練習していたのです.雨の中,小高い丘を登りきった教会で,濡れたコートを乾かすのに,暖かい教会で彼らの練習に耳を傾けたのは幸運でした.

ローザンヌの地図に記された歴史発見の道をとぼとぼたどって,私はいくつも教会に入りました.おそらくプロテスタントの教会だと思いますが,優れて写実的な,あるいは叙情的な,分かりやすいステンドグラスの図柄と聖職者を取り囲む小さな椅子に興味を持ちました.また,土曜日の朝,ホテルの近くでノートルダム教会に入ると,ミサが行われていました.司祭?が何事かを唱え,時折,会衆が唱和しました.私はもちろん,教会の後方で彼らと同様に立ち,あるいは座って,多くの老人と,中に混じる子供連れの家族などを見ていただけですが.

私の斜め後ろには,黒人の青年が毅然として立ち,真摯に祈りを唱えていました.祈りの後,会衆が祭壇の前に歩み寄った際(聖体拝領?)も,彼が颯爽と進み出るのを見ました.あるいは,東南アジア系の女性が,ミサの後,教会の前のマリア像に跪いて祈りをささげ,その足に手を置いて,しばらく黙想していました.彼らが信仰の共同体に属しているとしても,教会のすべての信者が彼らを真に仲間と認めて受け入れているのかどうか,私には分かりません.

この荘厳さ(そして,私にとっては,身のすくむ異様さ)は,イスラム教のモスクと変わらないように思いました.《神》というのは,こうした装置や効果なのだ,と私は思います.ステンドグラスや宗教音楽,祈祷の儀式,などに参加し,彼らは自分の苦しみや孤独を癒せると信じているのです.そして,《神》が自分を癒してくれた,と感謝します.厳しい経験,耐え難い不幸を味わうほど,この空間に立って,《神》の存在は疑い得ないものになるのでしょう.もしそれで,生きる意志や,同胞への善意を回復できるのであれば,それも素晴らしい人類の英知であると思います.

教会,市議会(その前には広場や市場),そして城砦,と歴史発見の道は続きました.ヨーロッパの都市では,おそらくどこでも,同じような道をたどれるでしょう.信仰,富,軍隊.(私に言わせればFBIです.) なぜ人間の社会は,こうした垂直的な権威や支配を生み出すことになるのでしょうか? ・・・・神の前では争うな. ・・・・神のために戦え?

しかし,ゆっくり歩いても昼過ぎには旧市街を見終わり,激しい強風と雨に傘も差せず雨宿りした末,ニューススタンドのような雑貨店でミネラルウォーターと男性雑誌,FHM,を買って帰りました(7CHFスイス・フラン).フランス語で書いてあっても,写真雑誌の中身は何となく分かります.・・・まあ,表紙を飾るVictoria Silvstedtのセミヌードに感銘!?を受けて買いましたから.雑誌には世界中のフランス語圏で売る価格が各国通貨で表示されています.ちょうどThe Economistが世界中の価格を表示しているように.

美しい女性の魅惑的なセミヌード写真が並ぶのはもちろんです.また,ファッションやスポーツ,妙なコメディーや社会風刺が含まれているのも分かります.しかし,私にまったく理解できないのは,極端にグロテスクなものを載せていることです.ここには自殺の現場写真(Suicide Academy)があり,また,血みどろの家畜解体・ヌード・狂気を混ぜた映像が紹介されていました.デンマークの風刺漫画以上に,こうした残虐表現を一種の刺激や芸術として流布して良いものか? と私は思いました.そして,各地の「民族」紛争で,さまざまなデマも含む残虐行為の情報が流れたことを思い出しました.あるいは,過去の宗教絵画の一部が,神や聖母を描く以上に,暴力や狂気を執拗に描き,さまざまな怪物と脅迫的な忠誠心を創り出してきたことを思いました.

もし社会が「弾力的」で,「健全」であれば,「移民問題」はまったく異なった意味を持つでしょう.

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幸運も不幸も,決して一方だけ多いというわけではないようです.旅行中は,空腹で眠れなかったり,道に迷って途方にくれることが良くあります.しかし失敗すれば,次には良いこともある,と思い,上手くいっても,次の大失敗に備えることを忘れません.つまり私の《神様》は,まだ,とても小さな子供なのです.

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