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IPEの種 2/20/2006

金曜日.大学院の合同演習を終えてから,私たちは四条のお店に集まりました.ロンドンに遊学する西村卓先生を囲んで歓談し,就職が決まった院生の前途を祝いました.

土曜日.午後から,本山美彦先生の最終講義「経済学における共感」を聞くため,私は京都大学の法経7番教室に向かいました.

・・・私の記憶は間違っているかもしれません.・・・何度か,本山先生は私たちに語り,また,どこかに書かれたと思うのです.経済学と称して,自分は(あるいは経済学者は)余りにも多くの道徳的な判断を押し付けてきた,と.

先生は,たとえば,J・S・ミルの『論理学』や『自叙伝』を紹介されました.・・・政治経済学の目的は幸福の追求だ.それを実現するのはアートである.そして,アートを論証するのが科学だ.・・・理性により導かれる真理が,常に,現実のすべてを説明するわけではない.現実は変化する.だからミルは《帰納法》を重視した.・・・ミルは父親から英才教育を受け,思春期にその《理想》が自分を鼓舞しないと知って破綻します.人格の再生には,詩や芸術が必要でした.

・・・ギリシャ哲学と古事記との違いは,その神の描き方にある.・・・ニーチェは,理性や権力を志向するアポロン的な神の死を宣言した.・・・アジアの神は違う.アジアの心は,枯葉を拾う老人の姿に美を見出す.・・・マックス・ウェーバーは『学問としての政治』において,国家社会主義にのぼせる若い学生たちに,「早く老いよ」と求めた.・・・悪魔は年老いているから.

退官記念パーティーだけで私は退出し,帰りの電車の中から,窓外の夜の街を眺めていました.彼らの熱気に圧倒され,適当な言葉を思いつくこともないまま.ポケットの文庫本を出して読みました.

・・・女性私立探偵,V・I・ウォーショースキー(ヴィク)が活躍するサラ・パラツキーの小説,『サマータイム・ブルー』.大好きな兄を殺され,今また父が銃撃によって殺された,裕福な家庭の少女,14歳のジルは「父があんなふうに殺されたのは,恥ずかしいことなの?」と尋ねました.ヴィクは彼女に諭します.

「大切なのは,何が正しいかというあなた自身の考えを,あなたの心の中に築き上げることよ.」 「生きていれば多くのことが降りかかってくるわ.・・・だけど,それらの出来事をどういう形で人生の一部に加えるかは,あなたが自分で決めること.」

・・・広島の古書店で買ってきた,山本周五郎『赤ひげ診療譚』も読みました.多くの話は,つらい,悲しい話や,残酷な,恐ろしい話です.つまり,貧乏人,病人,狂人の話なのです.江戸の小石川療養所を統括する頑固な赤ひげに,保本登は反発します.長崎遊学の末,婚約者に逃げられ,御目見医になる約束も忘れられて,登は世をすねていました.しかし彼は,診療所で多くの病気,多くの不幸,そして貧しい正直な人々の生活を見て,そこに残って働き続けたいと願い出ます.

「多くの者が病気になるのは,食事が粗末なためだ.しかし,金持や大名が病むのは,たいてい,美味の過食と決まっている.世の中に貪食で身を滅ぼすほど浅ましいことはない.」 「この世から背徳や罪悪をなくすことはできないかもしれない.しかし,それらの大部分が貧困と無知からきているとすれば,少なくとも貧困と無知を克服するような努力が払われなければならない.」 たとえ徒労のように見えても,そこに未来の希望がある,と赤ひげは言いました.

個人でも社会でも,予期せぬ運命に翻弄され,傷つくことで,鍛えられます.理性によって納得できるものではないからこそ,結果を受け入れて生き抜くには,強い魂が必要です.

・・・移民政策を解く鍵が《デモクラシー》であるとしても,デンマークの風刺漫画や中東情勢を揺るがすイスラム原理主義,アジアを麻痺させるナショナリズムなど,解決できるでしょうか? ロバート・マイルズの「レイシズム」(D・トレンハルト編著『新しい移民大陸ヨーロッパ』第2章)を読み,感心しました.宗教,移民,人種,・・・私たちは,社会的な行為として,自然に存在しないものを《見る》.多くの人々に決定論を信じ込ませ,差別を正当化し,特殊な意味や解釈を与えることで,《レイシズム》は虚偽の重要さ,安らぎ,憎悪を広めている,と.

マイルズは,それゆえ,「民族・人種」問題を「レイシャリゼーション」《Racialization》と理解します.それは構造主義や構成主義のもたらした社会理解でしょう.日本の「外国人労働者問題」も,外国人労働者を介して可視化された「日本の社会・政治問題」です.社会・政治問題は,多次元的,複合的,重層的に展開し,それゆえ,容易な解決策もありません.

日曜日.朝から,叔父の四十九日に千早赤阪村へ行きました.お供えの大きな箱がいくつも積まれた部屋で,僧侶のお経とともに,焼香の盆が回されました.私たちは自動車に分乗してお墓に行き,足元からしびれるような寒気と読経が続く中,一人ずつ線香を挿して,墓石や花に清めの水をかけました.その後,叔父の家では豪勢なお膳が出され,まったく知らない親戚たちの間で,私は両親や従弟と少し話し,食事をしました.その間,供物は来訪者に分けられて,大きな手土産となったのです.

・・・本山先生は述べられました.現実の危機を,危機として描くことが重要なのだ.それを(表面的に・数値で)理解するのは正しくない.・・・かつて『季刊 クライシス』を命名した森田桐郎が指摘したように.・・・理論(理性)ではなく,危機の現実を叙述することが重要なのだ.と.

月曜日.私は卒業するゼミ生たちと紀伊勝浦に合宿へ出かけました.彼らが親しく語り合い,大切な友を得る機会になれば良いのですが.

(来週は調査旅行へ行きます.Reviewはお休みです.)

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