*****************************

IPEの種 1/16/2006

グローバル・ガバナンス(GG)について,最終の講義では十分に考える時間が取れません.IPEの目標は,必ずしも《世界政府》を主張し,実現することではありません.《アナーキー》に対する正当な秩序の確立とは,既存の《政府》を世界的規模に拡大することと同じではないでしょう.

機能的統合と地理的統合,宗教的・政治的統合,を区別できると思います.人類の原始社会がどのような形態であったのか,私は詳しく知りませんが,試みに,血縁集団が群れを成し,食べ物を求めて移動しながら暮らしていた,と考えてください.この原始集団が《社会》と呼べるとしたら,彼らが恒常的な相互扶助や相互依存関係を発達させ,その中で子孫を増やし,信頼・忠誠を共有していたからでしょう.

文明社会から見て未分化の《社会》が,こうした有機的な統合体であったとすれば,定住し,農耕と都市,宗教を生み出した,その後の人類が蓄積したものを,ハードとソフトのインフラ,と呼べるでしょう.城壁や都市,それらを結ぶ道路,文字と複雑な表現,信仰,契約や法律,武器,政治的な交渉,・・・ 人類は次々に限界を突破して《社会的進化》を遂げました.固定した社会と,その時代の支配的な様式を超える,優れた社会的想像力を持った人々が,兵士や聖職者(巡礼者),商人などの中から生まれたのではないでしょうか.

グローバル・ガバナンスを組織するときも,同様に,ハードとソフトのインフラが革新される必要があります.たとえば,すでに以下のような議論が,新しいGGとして示されるかどうかに関わらず,人類の広い部分において支持されると思います.

l         軍事的侵略・虐殺に迅速かつ制度的に対抗し,阻止すること.

l         水・食糧・エネルギーの安定した供給を確保すること.

l         環境保護を実行し,逸脱を許さないこと.

l         情報通信・移動=輸送のインフラを計画的に整備,更新すること.

l         基本的人権の保障・民主化を擁護し,実現すること.

l         金融規制・監督に関する共通の基準を設け,秩序を維持すること.

もちろん,難しいのは細部の合意であり,実行可能な計画を得ることです.GGを軽蔑もしくは恐れる人が多いのは,国連の貧困撲滅宣言やアメリカのイラク占領が上手く行っていないからであり,また,ソ連やナチス・ドイツ(関東軍・満州)の人類=地球改造計画を連想させるからでしょう.それらは無関係ではないし,彼らが自己を正当化するためにGGを唱えたかもしれません.しかし,私たちにとってGGはすでに存在しており,そこから逃れることは必ずしも望ましい社会をもたらさないと思います.

GGは,おそらく,1.機能的,2.地理的,3.宗教的もしくは政治的な統合によって,人類史の中に出現したと思います.原始社会が母親の紐帯を離れて,機能的に分化し,あるいは地理的に集まって住むとともに,社会はさまざまな知識や制度,インフラを蓄積してガバナンスの領域を拡大したでしょう.その結果,もたらされた混乱や対立,危機を経験して,宗教的・政治的な統合を鍛えることができた集団だけが生き延びたわけです.

現代のヨーロッパやアジア,南北アメリカや中東世界を見れば,政府間協議・国際制度,超国家機関・ネットワーク,市場型のルール,が混在しています.これまで政府は,権限を集中し,それゆえ問題を掌握し,あるいは秩序を強制する力を独占して来ました.しかし,既に変化は政府の手を離れたところで生じ,そのスピードに追いつけない場合が多くなったようです.政府の能力を高めようとすれば,グローバルな社会統合を妨げ,人々が離脱するかもしれません.政府は,統治が有効な領域,政治的な介入を歓迎する集団,そのような問題の性質に絞って,政治的正当性や忠誠心を確保しなければなりません.

それは必ずしも無秩序や《中世の暗黒》が広がることを意味しません.むしろ,覇権から代表制民主主義へ,GGが進化する可能性もあるのです.言い換えれば,イスラエルのシャロン首相がパレスチナの難民キャンプをブルドーザーで破壊,撤去して,軍事用の道路や防御壁を築いた状態から,ヨーロッパが統一した政策を決めるために,政府代表と委員が集まって最終合意文書を作るまで,休みなく続くマラソン審議を強いる状態へと,私たちの社会を既存の機能的・地理的・政治的境界線を越えて再編することも可能なはずです.

こうした人類進化のゲームがどこに向かうのか,預言者でもない限り,断言することはできません.しかし私は,GGに向けた社会的革新が,たとえば,世界都市において活性化すること,また,戦争の経験と政治的な言語が可能にする《想像力》によって刺激され,共有されること,を重視しています.ニューヨークやロンドン,東京,上海などの政治空間と,そこでの発言は,GGを促し,あるいは歪めるでしょう.イラクの再建や各地の軍事境界線,紛争集団の分離に参加する多国籍軍の兵士が抱く憤り,その犠牲者を悼む言葉から,GGの政治表現は育つのです.

かつてT.フリードマンは,グローバリゼーションの《原始の海》から,インドのInfosys社とサウジアラビアのアルカイダが生まれた,と書きました.しかし,世界企業やテロ組織より,私は多くのNGOsが生まれた,と考えたいです.毎月受け取る給与明細が物語るように,私たちは多くの労役を既存の政府に貢納しています.しかし世界では,ますます多くの人々がNGOsを組織し,参加するようになりました.もし望むなら,世界中のどこからでも,私たちは彼らのGGに参加できます.日本政府が動かないなら,あなたはグリーンピースによって原発を批判し,Oxfamによって貧しい国の自立を助け,国境を越える医師団によって難民たちの窮状を緩和することに協力できるのです.否,あなた自身が自らNGOを組織し,GGを変えてはどうでしょうか?

ユーロが誕生して間もない頃,まだ共通通貨のコインは流通していませんでした.ユーロ建のトラベラーズ・チェックしか持たずに家族と旅行した私は,ドイツの駐車場に車を停めて見物し,さて,そこから出ようとして,ドイツ・マルクのコインが必要なことに気づきました.週末のためドイツの銀行はすべて閉鎖されており,途方にくれていた私に,あるドイツ人の紳士が,どうしたのか,と尋ねました.彼は事情を聞くと,即座に快くコインを「貸して」くれました.どうやってお返しすればよろしいか? と問う私に,自分も日本を旅行中に困っていたら,きっと誰かが助けてくれるだろう,と答えました.私たちはそのまま笑顔で別れたのです.

1000年後にも,世界政府はできないでしょう.しかし,グローバル・ガバナンス(GG)は,既に,あるのです.

******************************