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IPEの種 1/2/2006

破れた障子を張り替えたり,新しい蛍光灯を入れたり.年賀状を書くのは諦めて,すべてメールに添付しました.そんなことをするから,伝統的なコミュニティーが失われる・・・とは思いません.ただ,少し時間ができました.それに,失うべきコミュニティーなど,すでに無いのです.空いた時間に楽しもうと,近くのレンタル・ビデオ・ショップで,デンゼル・ワシントン主演の『マルコムX』,ジャック・ニコルソン主演の『アバウト・シュミット』,押井守監督の『イノセンス』を,それぞれ100円で借りました.

年の瀬に,二つの評論を読んで感心しました.三浦展「信頼喪失社会:背景に画一化,階層化」,高村薫「同:言語能力衰弱の一途」(読売新聞20051227日,28日)です.三浦氏は,地方が都市に呑み込まれ,匿名化し,流動化してきた,と考えます.日本中が幹線道路で結ばれ,単なるベッドタウンとなり,地方の歴史や自然が失われています.ファストフードのチェーン店,巨大なスーパーマーケット,レンタル・ビデオ,・・・ どこも同じような風景に変わって行きます.

三浦氏は,これを「ファスト風土」と呼びました.さらに,このような変化をもたらしている同じ力が,人々をゲームや携帯電話による偽装された親密さに閉じ込めます.崩壊した地域社会は,まるで町外れのゴミ捨て場のようになって,都市の犯罪者を呼び寄せ,現実の生活や「命」の感覚を失った人々が「幹線=感染」道路を漂流し始めます.三浦氏は,社会の階層化を,しかも凝集し,再生する力を持たない,惰性的な階層化が始まっていることを警告し,恐れているのです.

冒頭において,高村氏はあふれ出る空虚な言説の急所を叩きます.「みんなが『不安だ』と口をそろえる.だが,そこでとどまっているのは問題だ.個々の出来事が,どんな仕組みで起きたのかを調べ,社会全体の中に位置づければ,やるべきことは見えてくるはずだ.」 ・・・額に入れて研究室に飾っておきたいです.

テレビというメディアが登場してから,私たちは急速に「言葉」も「身体」も失い,社会の広がりを感じられなくなりました.テレビの前に長く居るほど,自分の言葉で考えず,自分と他人との身体感覚を失ってしまうからです.インターネットはこの傾向を一気に加速しました.「電車の中で化粧する人・・・ 彼女にとって周りの乗客は人間ではなく,影に過ぎない.」 それゆえ私たちは「公共性」を(当然)見失い,世界を持たない.・・・刺激に反応するだけの動物,欲望する機械,になってしまいます.(経済学者が望んだように?)

私は三浦氏の論説からゲーテの『ファウスト』を想い,高村氏の論説からはルソーの言葉を想い出しました.・・・文明化や都市化によって,伝統的なコミュニティーや公共秩序が崩れ始めます.完全な人間,良い社会を目指すなら,技術の変化に対峙できる人間の能力を鍛える必要があります.それは現実を捉える言語や分析力であり,社会的・政治的な構想力です.市民の一人ひとりが,身体感覚としてそれを備えていなければ,社会は秩序を再編するより,むしろ自壊作用を強め,あるいは悪しき意図によって簒奪される・・・ それはどこか,2030年を描くアニメ映画,『イノセンス』の風景に重なります.

文章や会話,演説ではなく,テレビや携帯電話,漫画,映画に示された政治表現が人々のイメージを支配する時代が続くでしょう.たとえば,インターネットによる流言飛語とセンセーショナリズムが,突然,穏健なはずの多数意見を切り崩してしまいます.アメリカの巨大宗派のように,瞬間的な熱狂と一握りの狂信者を持続的な政治勢力に転換する《装置》や《モデル》がすでに開発されています.今にも,中国の日本大使館員「自殺」に呼応するネット世代が反中国デモを呼びかけ,あるいは,東京証券取引所がハッカーたちによるワールド・カップ予選会場に変わるでしょう.政治的言語を駆使する能力を持たない日本の政治家に代わって,さまざまなテレビ・タレントたちが,メディアや世論を先導し,隠された意図?に誘導します.

ナショナリズムや人種差別,度重なる戦争にもかかわらず,なぜヨーロッパは国境を越えて統合を進めることができたのか? ヨーロッパ統合についての講義をするために,E.ウィストリッチ『欧州合衆国の誕生』と,アンソニー・サンプソンの名著『ヨーロッパの解剖:欧州の生態的全体像』を読みました.前著は1990年,後者は1968年に書かれた研究です.これほど旧い研究を,2006年にもまだ読むに値するのか? ・・・もちろんです.グローバリゼーションや地域統合に関する考察がぎっしり詰まった文章に接し,むしろ昨今の論説に不満を感じました.2006年に,同じ水準で,『中国の解剖』や『アジア合衆国の誕生』を書く人が出るでしょうか?

その合間に,ラリー・ボンドの小説も読みました.アメリカ海軍の作戦・分析・シミュレーション専門官であったボンドは,小説『核弾頭ヴォーテックス』で,南アフリカのアパルトヘイト体制崩壊を描いています.キューバ軍やアメリカ海兵隊の直接介入,黒人の反政府組織,白人至上主義の大統領,そして,核兵器や化学兵器まで使用される戦争のエスカレーションを緻密に想像します.政治的目的,変化する状況と選択肢,支持についての多角的な計算,指揮官たちの難しい決断,・・・それらに,アメリカ大統領も,キューバ軍の将軍や,ソ連の共産党書記長も,あるいは,さまざまな部隊の指揮官,ジャーナリスト,黒人労働者の一人ひとりも,直面しています.

こっけいな,現実離れした話でしょうか? ロシアではプーチン大統領がチェチェンに軍事介入し,メディアを統制し,市民運動を弾圧しています.そして,親西欧的なウクライナの政府に補助金無しの「市場価格」という圧力をかけ,天然ガスの供給を止めたのです.他方,アメリカではブッシュ大統領が拷問や盗聴を公然と正当化し,国内の社会的な弱者を軽視する政策を続けています.イラク占領による犠牲者も増え続けているのです.中国,インド,パキスタン,北朝鮮,・・・核兵器はアジアに拡散し,アメリカやロシアは核の廃棄より新型核兵器の開発を目指しています.おそらく,狂信的な政治指導者やテロリストが原子力発電所や核弾頭貯蔵庫を襲撃し,あるいは化学兵器を都市で使用するような危険は,たった今,日本にもあるのです.

大晦日には子供たちとお墓参りをしました.人はすべて死にます.そうだとしても,世界には墓標すら無い死者が一杯です.津波の被害から立ち直るのを助けることができたように,社会はその意志があれば,もっと多くの善いことを実現できるでしょう. ・・・私は,日本のすべての都市が交響楽団やブラスバンドを持ち,小学校や中学校を一つ一つ演奏して回ってほしい,と思いました.楽団員は市役所の仕事を少し早く終えて,練習と演奏に励みます.それだけで,無駄な公共工事の代わりに,多くの子供たちに《感動》を与えられるでしょう.

「シュミット氏」は,保険会社を定年退職して社会を失い,妻や娘も失い,ただ,アフリカの貧しい子供に毎月22ドルと手紙を送ったことに対して,幼い子供が感謝の気持ちを表すために描いた絵を手にします.この住みにくい世界を生き抜くには,子供たちの《ゴースト》にもっと力を与える仕組みと機会を私たちが増やすことではないでしょうか?

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