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IPEの種 12/11/2005
膨張した物質文明を破壊しつくす,『アキラ』と同じような,人間の力を超える仕組みが利用できるとしたら,あなたは何を実現したいですか? 偶然,NHK・BSアニメ映画特選で,新海誠監督の『雲の向こう,約束の場所』を観ました.北海道が日本から分離し,アメリカ軍も加わった戦争が始まろうとしています.
この映画は,世界を改造するSF的なテーマでありながら,静かな,そして痛切な純愛のストーリーとして完成されています.『アキラ』との著しい対比に,日本社会や人間の側の変化を感じます.辺境の小国,平和な時代,大切な仲間を得た幼年時代への憧憬が,無意味で孤独な都市生活や,圧倒的な国際政治の変化の中で,次第に腐食し,そのぬくもりを失ってしまう.そんなとき,互いを求める恋人たちの強い想いが,世代を超えて引き継がれてきた巨大な異次元転換装置を動かす鍵となるのです.装置は,一瞬で,この現実を異なる世界に変える力を発揮します.それは東京の政府も,アメリカ軍も,彼らの与えた変化が逆に飲み込んでしまうほど激しい力です.
先日,自動車で京田辺キャンパスに向かう途中,ラジオからは最新映画の紹介が聞こえていました.・・・アメリカで,人気俳優が演じる,ゲイの若者二人を描いた純愛映画が話題になっている,ということでした.アメリカでいまどき,結婚したい,なんて真面目に考えているのはゲイだけだ,と評されたとか・・・? 純愛映画をハリウッドが作るとしたら,それは,社会が切り離したゲイの恋人たち,その心の中だけに残された世界です.
経済学でも政治学でも,「フリー・ライダー」の問題を議論します.どのような組織も,必要な強制力が失われると,誰もが合理的に「ただ乗り」しようとするわけです.道路でも,バスの座席でも,労働組合でも,環境保護でも,・・・ 共通の善なるものは有料化されねばならず,悪を懲らしめることより,自分だけ逃げ出すほうが賢明な選択なのだ,と主張する人が増えます.もしかすると,同じことかもしれません.私たちは,ときおり,超人になることや,空想科学的な巨大転換装置の鍵を手に入れた,という空想にふけります.・・・共通の安全保障でも,絶対的貧困の解消でも,アジア通貨統合でも,世界政府でも.
ゼミ生の卒業研究を指導する際,姜在彦『日本による朝鮮支配の40年』(朝日文庫)を読みました.著者の描く日本の朝鮮支配という歴史的経験には,私が学んできたはずの開発理論や国際政治経済学のさまざまなアイデアが,厳しい問いかけのまま屹立している,と感じました.それは,かつてトマス・モアが『ユートピア』に描き,今もイラクや,ダルフール,北朝鮮,チェチェン,あるいは,アメリカで,フランスで,日本やイギリス,中国で,社会的抑圧に苦しむ人々の姿です.
「昔,朝鮮人といえば何となく薄汚くて貧しい,無学で非衛生的という感じが,第一印象としてありました.事実あの時代には,(朝鮮の)駅に降りるとまず乞食が寄ってくる.ですから駅では弁当を開けませんでした.弁当を開けると,必ず駅の石炭で真っ黒になった子供たちが寄ってきて手を出します.」
「・・・『男負女載,扶老携幼』という表現・・・ 若干の家財道具を男は背負子に,女は頭に乗せる.全財産といってもそれだけですから,それを持ってあてどなく,北へ南へと流れる,そういう流民現象をいうのです.飢えと疲れに泣いている小さい子供たちを叩きながら,ヨボヨボの老人をいたわりつつ,一家を上げて北へ南へと流れていくわけです.」
「(朝鮮人の放浪性,雑居性,粗食性)・・・それは民族性ではなく,植民地支配および日本社会の民族差別が生み出した社会現象であったのです.」
町には多くの乞食が,駅には荷物を運んで稼ぐチゲクンがあふれ,農村で生きることができず,国有林に入って焼き畑農業をする火田民や,都市周辺のスラムを形成する土暮民,そして,さまざまな流民が世界にあふれ出た「植民地」時代.多くの日本人が差別意識を持って,武断政治や皇民化政策,創氏改名を朝鮮人に強いた「植民支配」という,歴史上に存在した《社会》の断片を,私は想像します.そして,朝鮮半島にそびえる異次元転換装置を探すのです.
イギリスのジャーナリストであったF.A.マッケンジーが日本占領下の朝鮮を訪問して書いた『朝鮮の悲劇』(東洋文庫)を書棚で見つけました.国境を越える優れたジャーナリズムや教育機関が,日本でもっと育ってほしいです.
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