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IPEのタネ 12/6/2004

ゼミ生たちが縦コンをしたいと言うので,待ち合わせの時間まで京阪三条のブックオフにいました.コミックばかりが充実し,文庫や新書に特徴や味わい?が無く,専門書の棚に並ぶ本も冴えません.ようやく見つけた森嶋通夫の日本衰退論を立ち読みしました.どうやら彼も,優れた政治指導者と若者の養成という,古来,諸文明の盛衰を分けた謎解きに向かったようです.そして,イギリスで活躍した日本人であるからこそ,アジア経済共同体を提唱しています.

「満員電車で若者ばかりが座席を占拠して,チューインガムを噛んで,漫画の本を読んで,大声でポップソングを歌っているのに,年寄りはその前で,つり革にしがみついて,お互いに身を寄せ合いながら,やっと平衡を保っている状態は「間違っている」とお考えになりませんか? 特に行儀の悪い若者に,一発食らわせてやりたいという衝動に駆られませんか?」

森嶋は,多くの若者を大学に送り込んで遊ばせている日本の教育制度を,間違っている,と考えます.イギリスで二人の子供を育てた彼は,イギリスの若者が早く大人として振る舞い,大学に進む者は学問を好む一部の愛好者に限られる,ということに注目します.その理由は,@自由に進路や専門を選択させる,A早くから専門的な分野を学び,それが自分の関心と能力に合うか,よく考えさせる,B専門教育を受けることが社会で成功する条件ではない,などです.

もちろん,日本はまったく違います.基本的に,中学までは誰もが同じ内容を,同じペースで教えられます.専門的な分野を学ぶことに関心が無く,その能力も無い若者の多くが,親の資金援助で大学に進みます.それは,有名な大学を卒業していなければ社会的に成功できない,という偏見や差別があるからです.また,有名大学さえ出ておけば何とかなる,という中身の無い慢心です.

ゼミ生たちは最近の「ゆとり教育」について,それぞれの印象を話し合っていました.「先生の頃はどうでしたか?」 と訊かれて,受験勉強の弊害を痛感した大人たちが,教育を変えようとしたことは当時もあっただろう,と答えました.正しい面もあるが,上手く行ったとは思えない.それより自分は,時折,「心斎橋の雑踏の中で講義をしているように感じる.私は今も講義が苦手で,いつも苦しい.」と話しました.

どうすればもっと学生たちの関心を惹きつけ,学ぶことは楽しいと思ってもらえるのか? 他方,森嶋は,学生たちすべてを満足させるような講義は無い,と言いたいようです.むしろ「どうして中学きり,高校きりで,社会に飛び出ないのでしょうか?」 「通常の人(若者)にとっては,事務労働よりも,適当に身体を使う肉体労働の方が面白く,心地よいはずです.どうして肉体労働を嫌がり,つまらない会社員になりたがるのでしょうか?」 と問います.

その答は,「差別」(意識)です.大学出であるというだけの理由で,事務員が工員よりも高い給料を取るという事態があるからです.それさえなくなれば,無意味な,長期間の教育競争に若者は参加しなくなるでしょう.そして大学進学者が減り,大学数も,在学期間も減らして,大学教員の数や給与も減らします.

アメリカとイタリアの大学について,森嶋はこう書いています.「要するにアメリカの大学は,女子学生にとっては,いわゆる大学と花嫁学校をたして二で割ったようなものであり,男子学生にとっては,大学とジムを混ぜ合わせたようなものであります.」 「あなたの講義の試験を何人が受け,そのうち何人が実際に講義に出席していますか?」という質問に,イタリアの先生なら,こう答えます.「1200人試験を受け,150人出席しています.」 日本はこの中間です.

社会や企業に学生を売り込まねばならない以上,採点や学歴はインフレーションを起こします.学生への採点は甘くなり,全員が80点や90点以上になって,満点では意味が無いため,さまざまな懸賞制度や飛び級,特待制度を設けます.大学卒でも就職できず,若者たちは外国の英語学校に私費留学し,学外の資格を求め,あるいは専門学校や大学院に向かいます.もちろん,誰もがこうした制度に応募するなら,定員は膨張し,内容は急速に失われます.

「発展した近代国家では,武力革命を起こすことは不可能であります.階層間の風通しを良くし,階級制度を無効にするには,公正な中等教育機構を整備し,学校で人材を養成して,親の階級に関係なく,適切な部署に人々を配置しなければなりません.第二次大戦後,そのような平和革命が,イギリスで起こりつつある」と,1977年に,森嶋は『イギリスと日本』で書きました.

キンドルバーガーやドーア,オーウェルを学生たちと一緒に読めたら良いのに.そして,たとえ1000人の中で,それを楽しいと思う学生が10人でも,それはそれで良いのかもしれません.私と関心を共有する学生たちと話し合うことが,「ゼミ」という時間なのです.

「自分を高め,関心を育てるために講義やゼミに来て欲しい.ここでは話し合い,行動する仲間を見つけるべきです.そして若者らしく,社会的な理想を持つべきです.自分が本当にしたいことを見つけて,時間を無駄にしてはいけません.」 と,私は言いたいのです.正しいことを言い,真っ直ぐに生きたいと思う者だけを,私は「学生」と呼びます.

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