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IPEのタネ 10/25/2004

大きな地震が,昨夜(土曜の夜),新潟を襲いました.テレビ番組が一斉に中断され,地震に関する特別報道に切り替わりました.そして,壊れた家や波打つ道路,監視カメラの映像,建物の外に避難した人々の不安な表情,などを映し始めました.

それは今年10個目の台風が近畿地方にも大きな被害をもたらした直後のことでした.長期的に見て,戦争や天変地異は経済成長に影響しない,という話と,オウム真理教の地下鉄サリン事件や阪神淡路大震災がバブルからの復興を心理的に挫いた,という話を私は思い出していました.大臣の会見では,「小泉首相はどのような指示を出したのか」という,記者からの厳しい質問がありました.

日本には十分な天然資源が無く,他方,台風や地震のような自然災害は繰り返し襲ってきます.なぜ人々は地震や火山,台風の土地を捨てないのか? 「石油の呪い」は制度によって克服できる,と言います.他方,自然災害は本当に放置するだけで良いのでしょうか? むしろ,洪水の危険を良く知っているオランダ国民(そしてティンバーゲン)が優れた長期計画への合意形成と政策転換能力を築いたように,またグローバリゼーションの嵐の中で,しばしば北欧の有能な小国(スウェーデンやフィンランド)が生き残ったように,日本人も自然災害に負けない互助的社会を築いてきたように思います.

台風が示すのは,町を湖に変えてしまう河川の氾濫,激しい波に破壊された堤防や海辺の家屋,風雨に翻弄される船舶,増水して畑や地表を持ち去る濁流,そして人家も飲み込む土砂崩れでした.予想もしなかった激しい地震の後には,道路をえぐる深い亀裂が走り,巨人が怪力で削り取ったような崖や山がありました.大木が折れ,根こそぎに倒されて,新幹線は脱線し,鉄道や高速道路が破壊されています.まさに地底からゴジラが現れたような惨状です.日本人の想像力を支配するのは,9・11より,こうした自然の猛威であるようです.

災害に遭えば,人々は助け合い,混乱の中にも規律を作ろうとします.救助や支援物資の順番について,争いは余り見られません.特別に裕福な人々がどうしているのかは知りませんが,災害に遭った人々は同じように弱い人間として,苦しみを共有し助け合います.それはまた,社会によっても違います.タイには深刻な社会対立が無いそうです.他方,ニュー・ヨークやロサンジェルスで停電すれば,人々の行動は略奪や暴行に対する恐怖に染まります.

水や食糧が無い.電気もガソリンも無い.真っ暗な道路上に集まって夜を明かし,焚き火で寒さをしのぐ.戦争や自然災害に直面すると,人々の中には深い悲しみだけでなく,むしろ高揚感を示す場面が多くあると読み(聞き)ます.それは神(あるいは自然の怪獣)が私たちに与えた破壊や試練に対して,その社会の強さを発揮するときだからです.単に,「豊かな社会」であれば,いつでも災害に耐えられる,というものではないでしょう.

政府や自衛隊による救援だけでなく,インターネットなどを通じて,ボランティアの救援活動に参加する人々が居ます.相互扶助のために,物資と人手を迅速に補給しなければなりません.戦争がそうであるように,災害も「政治の継続」なのです.ただし,指導者が決断する戦争政治と違って,助け合うことで秩序を守る天災政治は,日本の政治家に独特な質を与えたかもしれません.アジア的な専制だけでなく.

時間が経てば,善意の人々は去り,公的な緊急支援も終わります.多くの家財がゴミの山となり,住めなくなった家屋や傾いた事務所で再建策と借り入れを話し合うとき,被災者たちには社会の冷たい対応に苦しい思いが積もるでしょう.社会的な不平等を壊して,災害がもたらした平等な昂揚感は,その再建とともに失われていくのです.

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