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IPEのタネ 9/13/2004

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娘と二人だけのお昼に,近所の「ほかほか弁当」を買いました.から揚げ弁当など,二つで850円です.弁当の入った袋をもらって,「重いな」と思いました.食べてみると,なるほど,おかずもご飯もたっぷりあります.この弁当を400円余りで売るのは大変なことだ! と私は感嘆しました.そのうち儲けは,一体,いくらあるのか?

家族で働くお店の人たちは,何十種類もの弁当を,毎日,100食以上売るのでしょう.しかし,一つ作るのが5分として,1時間に12食です.一斉に注文が来れば,繁忙期にはその数倍を作るのかもしれません.しかし,一日に200食は作れないだろう? と思いました.

豊かな社会ほど,こうして黙々と労働する人が少なくなります.町中見回しても,多くの事務員や商店のレジ係,販売促進の女性店員,トラックの運転手,学校や保険所など,さまざまな公務員,そして多くの医院・病院があります.建設業を除けば,モノを作っている人はほとんどいません.弁当屋は誰でもできます.大きな投資も必要ないでしょう.だから競争は厳しいはずです.安くて,美味いものを,注文されてから,迅速に一つずつ作ります.

より多くの人が働くことで,社会は豊かになります.アダム・スミス以来,経済学や開発論の主要なテーマは「生産的労働」でした.生産的に働く人が少なくなれば,その理由が「戦争」であれ,「社会主義」であれ,「高齢化」であれ,社会は貧しくなるでしょう.時代遅れの規制や保護,技術変化による労働の再編と資本の偏り,土地所有や資産価格を介した貧富の極端な差,移動や参入への障害・摩擦,人種や身分による差別,実情を無視する官僚制,弱者を食い者にする政治家,犯罪やテロの多発,・・・ そのような社会では「不生産的な労働」が増えるでしょう.

NHK教育の「あすをつかめ:平成若者仕事図鑑」 と 「トップ・ランナー」を観て,立派だな,と思いました.誰もが,楽しく,充実した仕事を見出せたら良いのに,と思います.

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NHK・BS世界のドキュメントで,「ハーヴァード大学・学生たちの闘い:労働者との連帯」を観ました.50人の学生が学長室を占拠し,大学で働く労働者たちの賃金を引き揚げるように求めました.彼らは妨害や障害を克服し,戦略を考えて,ついに21日間占拠を続けて(29人にまで減りますが),大学に多くの要求を受け入れさせます.

それは2001年に起きた事件です.一方で,労働者は行動できない.労働組合は禁止されている.抗議やストを行えば,直ちに解雇や国外退去の危険がある.そのような状況で,労働者の労働条件が急速に悪化し,不確実になりました.反グローバリゼーション運動に関わっていた学生たちが,自分の周りにいる労働者たちも劣悪な条件で使役されていることを知りました.グローバリゼーションに抗議する上で,彼らはこのことにも黙っていられないと感じました.「生活賃金闘争」はこうして始まったのです.

学生たちの多くはまじめに学び,社会的な地位や職場を得たいと願っています.それゆえ大学側が占拠学生に説得や圧力を加えると,参加する学生が減少しました.運動を組織した中心的な学生たちは,マス・メディアに働きかけ,大学の社会的な評価をそこなう事態(労働者の実態,学生による抗議とそれに対する不誠実な回答)について報道して欲しい,と考えます.しかし,占拠の当日に地元のメディアが取り上げた程度で,その後は無視されていました.

ハーヴァードの運営理事会に名を連ねている者の多くは,大企業の経営者でした.すなわち,世界中で低賃金の労働者を使役し,アメリカ国内においても労働条件の改善に抵抗している人々です.漸く,学長が現れて,話は聞くが回答はすでにこれまで十分に検討し,示されたとおりだ,と言います.強制的な排除もできるが,自分はそれを望まない.要求を受け取るから,占拠を解いてほしい,というわけです.

時間が長引けば関心も薄れ,脱落する者が増えて,解散するしかなくなる,と指導的な学生たちは心配し,集まって相談します.抗議行動の戦略を変えるべきではないか.ここにいる学長の秘書たちに圧力を強めて,仕事をストップさせてはどうか? あるいは,キャンパスの外で大きな騒ぎを起こせば,マス・メディアも無視できなくなるだろう.など.しかし,話し合った末に彼らが選択したのは,自分たちを支持する他の学生たちに呼びかけて中庭にテント村を作ることでした.

寝袋やテントを持って,学生たちは集まりました.町にも呼びかけて,来てくれた大人たちに大学労働者たちの劣悪な待遇,ここ数年の賃金切下げを説明し,子供たちを集めて唄を歌い,ゲームもします.解雇の不安にも関わらず,何人かの労働者たちは集会に参加して,実情を訴え始めます.大学外から弁護士が学生側の交渉役を買って出たり,牧師が集会で励ましの言葉を述べたりします.教授たちからは公開質問状が出されました.学生の集会に参加したケネディー上院議員は,「権力は動かせる」と彼らの行動を賞賛します.

1000人以上の学生が中庭に集まってテントを建てました.目に見える形で大学に抗議し,占拠学生たちを励ましたのです.全国ニュースがこれを取り上げ,アメリカ中に映像が流されます.その結果,学長は辞任を申し出て,学生の要求する「生活賃金」として25セントの引き上げを認めます.また,労働組合を認め,組合に参加しない者にも同じ賃金を認めます.学生たちは,こうした成果がHPに公開されたことを確認し,占拠を解きました.ある女性労働者が語っています.「社会的連帯を感じることは本当に素晴らしい.」

学生たちの闘争は成功しました.他方,北オセチアの学校占拠事件は,要求を実現することなく,300人以上の死者を残しました.何が違うのでしょうか? 民主主義とテロリズムの違いは,集団的な要求を社会がどのように吸収できるか,要求する側と支配する側の選択に懸かっていると思います.

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2004年のIPE研究会は上諏訪で合宿しました.少人数ですが,自由に議論できました.環境と国際規制をめぐって,IMFの政治学をめぐって,国際政策協調,国際通貨制度,通貨危機の政治的要因などをめぐって,さらに,帝国主義,国際経済政策,国際秩序のカオスをめぐって.もちろん,うな重やざるそばを食べ,温泉につかり,遊覧船や諏訪大社,博物館も訪ねました.

私が報告したのは,国際通貨制度の改革について,政治的な要因がその将来を決める,というテーマでした.それは,「常識」です.数年前に学会で報告し,意図が伝わらずに大失敗しました.結局,国際通貨制度(IMS)とは何か? 政治的な影響とは何か?

私は,IMSを「貿易や国際投資を円滑に行うため,必要な公的関与を国際的に合意したもの」と考えました.それに対して,現代では外貨準備やIMF融資ではなく,民間の国際資本移動,あるいは金融市場の自由化・統合化が重要であるから,「公的関与」や「国際的合意」など無意味ではないか,という反対があるわけです.

1990年代に発生した一連の通貨危機が提起した問題とは,それでも,通貨危機の社会的なコストは問題ではないか? 公的な関与や国際合意によって「調整コスト」を抑制し,分担しなければならないだろう,ということです.各国は,どのような為替レート制度を採用するべきか? 資本自由化を急ぐべきか? 地域的な合意や制度(EMUやアジア通貨)は有効か? など.

その際,議論の焦点となった,IMSの定義や,為替レート制度に関して,私は直前に読んでいたJacques J. Polak の業績紹介(Jacob A. Frenkel, Morris Goldstein, and Mohsin S. Khan, “Major Themes in the Writings of Jacques J. Polak”, in dos eds., International Financial Policy, IMF, 1991.)に感銘を受けました.Polakは,IMSの本質を「調整と流動性」であると考え,合意されたルールやSDRを重視しました.また,為替レート制度について一般化できる選択肢はなく,正しい「理解」こそが重要だ,と主張しました.

IMSと言えば,私にとっては,国際収支不均衡の調整,であり,そのために合意された行動規範,でした.なぜ不均衡を調整しなければならないか,と言えば,それを放置すれば国内の政策を制約し,不況や失業を政策によって緩和する力を政府が失い,ひいては通貨危機に直面するからです.もちろん,多くの場合,調整政策(が促す調整過程)にも不況や失業はともないます.しかし,合意されたルールによって分担することで,それ(調整コスト)を全体として抑制し,破滅的な制度の崩壊も回避できるだろう,と考えるわけです.

確かに,詳しく合意することは非常に難しいと思います.伊豆先生が紹介したように,70年代の国際政策協調(機関車論)やプラザ=ルーブル合意(ターゲット・ゾーン論)による政策合意,もしくは「通貨マフィア」の時代に続いたのは,その後のブラック・マンデーやバブルでした.参加者たちは手ひどい仕打ちを受けたわけです.もはやSDRが重要な役割を果たす見込みはまるで無く,IMFの廃止や融資の制限が議論されています.

合宿での報告を機会に,Williamsonを翻訳することの意味を良く考え,解説文を思案してみよう,という私の期待は,どうも空振りに終わった感じです.「為替レートを,政府が望ましい水準に誘導する? そんなことまだ誰か議論しているの・・・?」

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そもそもIMS改革は望ましいのか? 実際には,現実のIMSについて欠陥や限界を指摘し,現実的な改善策を提案する.そして,政治的に可能なところから(まず,アメリカ政府が支持する範囲で),部分的に,IMSを改善する.既にいくつかの論点が議論され,いくつか「改善」されました.しかし,そうした論点を具体的に議論する代わりに,私はIMSの「望ましさ」を議論しました.

「貿易や投資が拡大すると世界の富が増加する.」「不均衡の調整が円滑な方が調整コストは小さいだろう.」 しかし,どのような公的関与があれば,それを実現できるのか? むしろ,政府介入が変動や危機を増幅したのではないか? 国際的なルールに縛られて正しい政策が選択できず,むしろ不況や失業が悪化するのではないか? 為替レートが安定化されれば,他の変数が不安定化する? 所詮,経済活動への介入を好む政治家や官僚の言い訳であろう.抽象的な「望ましさ」には誰も反対しないが,具体的な改革になれば皆が反対する.それでは何も実現できない.市場は必ずしも正しくないが,政府の行動する理由も「望ましさ」ではない.など.

実際,さまざまな改革案が議論されながら,IMS自体は変わっていません.問題があると分かっていながら,なぜ合意できず,何も実現しないのか? それでも,「円滑な調整」が「危機」に変わることで,政治的要因が動きます.私は,危機によって社会的なアクターが再編され,現実(制度)の変化を支持する政治的基盤が形成されるなら,アイデアが社会的アクターの編成とIMS改革とを結びつける,と考えました.

国際的不均衡が,常に,再統合された東西ドイツのように積極的な財政移転で解消されるとは考えられません.またEMUのように,必ず,通貨と中央銀行を統一することが正しいとも思えません.ドル化が選択されたのは,事実上,アメリカとの取引が支配的な小国で,その国の通貨が混乱し,あるいは完全に信用を失った結果,民間取引がドルによって行われたからです.あるいはアルゼンチンは,メネム大統領の進めた自由化政策と資本流入,言い換えれば,その権力基盤を維持するために,カレンシー・ボードをさらに完成させてドル化を唱えたわけです.

通貨危機は,社会的アクターを再編し,(各国内でも,国際的にも)権力基盤を改め,実現可能な改革案の範囲を一気に拡大するでしょう.その意味で,危機こそ,改革を実現する条件なのです.もし世界が単一の民主的な秩序によって支配されているなら,すなわち,IMSを世界的な住民投票で選択するなら,改革の内容や実現可能性は全く異なるでしょう.現実には,@資本市場統合化の改善(B. Eichengreen),Aファンダメンタルズに従う為替レートによる調整(J. Williamson),B多角的サーベイランスと融資条件の改善(IMF),という流れが,今後も混在すると思います.

最終日,私たちはレンタカーで諏訪大社の4つの宮を巡りました.なぜ諏訪のような奥地に古代の信仰拠点が築かれたのか? なぜ4つも社が建立されたのか? 御柱祭りの想像を超えた興奮と,死をも覚悟した「栄誉」を,なぜ人々は求め,また現代の秩序が許容するのか? 七年に一度の祭りがもたらす興奮によって,木や場所,怪我人,そして死者さえ「神となる」.

通貨危機を頻発する市場統合化を変える「望ましい」IMSの選択は,経済的合理性と政治的な神秘化の双方を動かすほど大きな危機を待っているのかもしれません.

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ある番組で,NGO代表の北村幸美さんは,家庭電化製品の待機電力(リモコンで起動できる状態を維持する)を節約すれば,貧しい諸国の子供に与える給食の一回分(約20円)を一日で賄える.だから,今すぐ帰ってできることとして,テレビやデッキの電源をコンセントから抜こう,と訴えました.しかし何か腑に落ちません.確かに,この20円を徴収し,世界的に配分する政治システムがあれば,子供たちを飢餓から救えたでしょう.

9・11の3周年を記念して,この事件を扱った番組や本が増えました.近所の歯医者で,関谷誠彦著『イラク生残記』についての書評を読みました.フセインが隠れていた穴蔵,というものを著者は実際に取材し,アメリカ軍の報道が全くのデタラメだとすぐに分かった,と断言します.もしイラクが,真実を許す余地が無いほどひどい戦争状態にあるなら,アメリカ軍の広報が示しただけで,誰も戦闘地域に入って確認できないような情報や映像を,たとえカッコ付きでも配信することは,民主主義を深く損なうでしょう.

TVを観ると,「ビートたけしのこんなはずでは!」が9・11に関する重大疑惑を列挙していました.ハイジャック機は空軍によって撃墜されたのではないか? ペンタゴンに突っ込んだのはハイジャックされた旅客機ではなく,空軍のミサイルではないか? など.「これは戦争だ」と宣言し,自分や政府関係者に関するすべての情報を長期にわたって非公開にしたことは,アメリカ政府(権力)の性格を著しくゆがめたと思います.

その後の調査で,ブッシュ大統領が事前に多くの報告を受けていたことは事実のようです.しかし,いつ,どこで,何が行われるか,正確に知ってはいなかった,というわけです.回避しえた可能性や事件後の間違った選択を,事前も事後も含めて,すべての情報を公開し,関係者がさまざまな視点から意見を述べることで検討しなければなりません.しかし,ブッシュ氏が選択したのは9・11を神聖化し,その司祭やアヤトラとして自分が君臨することでした.

私たちが合宿で議論したもう一つのテーマは,「帝国」や国際経済政策,構造的権力,秩序の解体,などでした.帝国という秩序は,圧倒的な軍事力や知識・技術・文化の水準によって,不可避なものとなり,平和や繁栄をもたらすものとして歓迎されたのではないか? しかし,それが帝国であると意識されるのは,その衰退がもたらすコストを「外部からの支配」と結びつけるからでしょう.帝国が解体するとき,自然に,民主主義や市場が機能するわけではない,と私は認めざるを得ません.

イラクと中東について,朝鮮半島について,台湾海峡について,中国について,東南アジアのイスラム原理主義について,チェチェンについて,アフリカについて,沖縄の米軍基地について,世界の物流ネットワークについて,石油や水の枯渇について,・・・ 私たちはアイデアや情報を交換しました.必ず,日本も変化するでしょう.このグローバル化する社会の脆弱さに,戦慄を感じます.

帰りの列車の中で,私は漠然と議論を思い出していました.分からないことばかりです.しかし,人はまず自分の畑を耕さねばなりません.そして,話し合うことでしょう.世界のどこであれ,基本的な物資が豊かで,分配は平等に行われ,労働者がまじめに働けば,安定した職場と暮らしが手に入るような,平和な社会を,秩序の中心に据えて欲しい.ただ,そう思いました.

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