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IPEのタネ 8/16-23/2004

帰宅して,最初にしたことは,パソコンのスクリーン・セーバーを変えたことです.ハード・ディスクに保存してある写真が6秒毎に表示され,流れて,消えます.

中国の都市や農村,北海道の自然,京都の夏,天王寺動物園,アメリカの雪景色,奈良の燈花会,いろいろな写真が混ざって現れます.多くの景色と家族,通り過ぎた駅や泊まった部屋,椅子と机,浴室にぶら下がった洗濯物.それらが,ほとんど映っていない人を示すのです.そう言えば,これが自分だ,と.

月曜日の夕方から土曜日の朝まで.夜行列車で京都を出発し,台風が一つ通り過ぎて,再び晴れ渡った空の下,立待岬まで皆で散歩しました.毎日,6時半起床,10時消灯の函館キャンプが終わって,一人,伊丹空港に着くと,浦島太郎の気分がよく分かりました.主催者が望んだように,学生たちの内面は大いに変わったかもしれません.しかし,私は何か変わったか?

・・・ あれは,もう何年も前のことです. 「ただいま.」 私が疲れて帰宅すると,子供がかけてくる.「お帰り.」 そして,「パパ.怪獣!」と言われて,一緒に闘った.

二つの疑問を感じました.1.新島襄にとってキリスト教とは何か? 2.なぜキリスト教の伝道ではなく,政界や産業界における立身出世でもなく,教育界に献身したのか?

幕藩体制の崩壊寸前に,仏教や刀剣,武家社会の習俗を捨て去り,それでもなお日本を想い続けた新島が,なぜアメリカへ向かい,キリスト教を信仰したのか? ・・・イギリスでも,スウェーデンでもなく,・・・ヒンズー教やイスラム教でもない? それは,キリスト教が当時の世界を支配する欧米の信仰体系であったからだ,と私は思いました.今なら「グローバル・スタンダード」と呼ばれるような.

新島は,「和魂洋才」ではなく,「洋魂」まで主張しました.日本を救うために,「富国強兵」より,「キリスト教精神」を学ぶことを薦めました.それは,多分,彼が「善意のアメリカ」に触れたからだと思います.もし「悪意のアメリカ」や「アメリカ・ビジネス」にもっぱら関わって帰国していたら,異なった道を歩んだのではないか,とも思いました.

・・・ もっと本を読むべきだ,と私は学生たちに言いました.素晴らしい本と出会ってほしい.本当は,学ぶことも「真剣勝負」なのです.

新島の恵まれた出会いと日本の変化が「神」の導きであった,と信じるなら,なるほど「イエス・キリスト」がすべての答えでなければなりません.実際,信仰する者にとって,現実は予定されていたことなのでしょう.でも,なぜ日本中に教会を建てるのではなく,京都に同志社大学を建てたのか? 彼が「大学」によって意味していたものとは何か? 「大学」というアイデアが,なぜ,彼を動かすに至ったのか?

私はこんな風に思いました.新島は,国禁を犯して脱国し,自らの信仰や社会慣習,言語を含めて,すべて放棄するほどに激しい人格への衝撃を経験しながら,全く異なる社会においても,その優れた点は積極的に吸収しなければならない,と確信したのでしょう.アメリカ人の善意,アメリカ社会の豊かさ,その文化と文明の水準が高いことを目の当たりにし,その真髄にキリスト教の普遍的な精神を見たから,それを尊敬し,キリストを信仰することによって,自分も日本も再生できる,と願ったように思うのです.

当時は,アメリカも含めて,先進的な産業基盤を得た国が続々と帝国化する時代でした.日本でも,西洋風の社会システムを取り入れ,大国として覇権戦争に参加することを目指す者が多かったはずです.その中で,おそらく,新島はもっと異なる社会や世界秩序を夢見ていたのでしょう.

・・・ 疲れていたので,週末には映画を二本観ただけです.フィリップ・K・ディック原作のSF映画『マイノリティー・リポート』と,イギリスの炭鉱都市ダーラムでバレエに目覚めた少年を描いた『リトル・ダンサー』です.

「大学」とは,新島を再生させた強烈な体験を,もっと多くの若者に経験させるための「装置」ではなかったか,と私は思います.ここにあるのは,旧弊を捨て去る脱国の道であり,アメリカ文明やキリスト教との真摯な対決であり,人格への衝撃であるとともに,この大学を愛する人々の示す多くの善意,恵まれた出会いなのです.「大学」は,新島の見た理想社会を日本において実現する,若者が育つための仮想空間だったと思います.それは「教会」ではなく,「政党」でも,「財閥」でもない,同志を募り,同志を育てる「大学」なのです.

しかし,と私は思います.「熊本バンド」や「自責の杖」として追憶される同志社が,その後の,大国を目指した日本政治や侵略戦争・対米戦争の時代に,また敗戦や戦後復興,高度経済成長やアメリカ追随外交,あるいは,学園紛争,インフレ,土地投機,政治腐敗,バブル,経済混乱に対して,何かユニークな存在であったのでしょうか? 二つのキャンパスで学ぶ(むしろ,もっぱら遊ぶ・・・)2万5000人もの若者にとって,今も,ここが同志のための理想郷となっているでしょうか?

・・・ 函館山からの夜景がどれほど美しいとしても,地方に住む若者は,ここを抜け出すことばかり考えているだろう.私はそう思いました.

新島と彼らが大きく異なるのは,理想の形です.新島にとって,それは理想の国家や人類の友愛ではなかったか,と思います.他方,今の学生たちの心はほとんど外に向かいません.彼らは具体的な目標を持てず,理想とする社会生活のイメージも描けません.教室で学ぶことに真実は感じられず,大人たちを尊敬もしていません.自分の苦しみ.自分の孤独.曖昧な希望.理由の無い不安,あるいは自信.

帰宅して,一週間のニュースを集めました.アメリカ大統領選挙の展開.ナジャフの戦闘激化.スーダン,ダルフール地方の難民.北朝鮮やイランの核開発疑惑.ロシアのプーチン独裁とユコス壊滅.ヴェネズエラの選挙結果.原油価格の高騰.ダイエー再建に関心を示すウォル・マート.中国の挙動に神経を尖らすアジア.・・・ 世界の景気は再び軟化.金融政策の転換期.貿易自由化交渉にわずかな前進.移民送金をどうするか.アジア諸国の為替市場介入.ニュー・ヨークに原爆テロの恐怖.スウェーデン型の社会モデル.国際的な銀行規制.・・・ アテネ・オリンピック.むしろ,国以外の集団で競い合ってはどうか,と思います.

・・・ これが私のPCに映る,瞬間写真を海に浮かべたような,世界のスクリーン・セーバーです.もし新島襄が生きていたら,今,何を信じ,何を目指すのか?

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