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IPEのタネ 8/2/2004

民主党の岡田党首が,アメリカで,自衛隊の交戦権を認める発言をした,ということが話題になっています.野党の指導者が,率先して独自の論戦を起こし,党内の仲間を動かすとともに,政界の論調や国民意識を変えることができれば,それは非常に重要です.日本でも,外交や安全保障のあり方を変えるため,国民の合意や国際的な理解を深めてください.さまざまな既得権者や官僚の反対,権力抗争などを克服し,国民の心を捉えるアイデアによって政権を握ることを望みます.

読売新聞の書評で,宮部みゆきの『ICO 霧の城』の紹介を見て,ぜひ読みたいと思いました.実際にあるゲーム中の登場人物たちが,作家の想像力によって生み出された世界をさ迷い,ゲームには示されていない真実の意味を見出す,という小説を,後から,書き上げたというわけです.なるほど,私たちは意味の分からないゲームのような現実に,否応無く巻き込まれて生き,敵と戦い,技量や知能,そして計略を尽くして勝利しなければならず,それでも最後には敗北して死を迎えます.その意味も理解できないまま.

ジョン・ウィリアムソンの論文を翻訳していて,彼が国際通貨制度によって提起するイメージに共感しました.たとえ資本取引の増大が変動レート制を必要としていても,市場レートが常に社会的要請を満たす理由はありません.「各国はその為替レートの望ましい水準について考えるべきだし、相互に矛盾しない目標為替レートを承認する国際的メカニズムがあるべきだし、各国は市場レートがその目標レートから乖離するのを制限するために政策を動かすべきだ」,と.同じ意味で,私は国際秩序を考えてみたいのです.

今週号のThe Economist, July 31st 2004をもう見ましたか? その表紙に,この世のものとは思えない,想像を超えた写真が載っているはずです.その塊の色,形,子供たち・・・ 暫く,私の眼と思考を捕らえて放しませんでした.

最近のニュースを数年概観してきて気づいたことは,世界的規模に拡大する秩序(もしくは権力)の性格について,繰り返し現れる三つの疑問でした.IPEが答えを求める本源的な問題とは,この三つだと思います.すなわち,どのような秩序においてなら,@辺境の貧しい国でも,自律と繁栄を目指すことができるのか? A国際的な経済取引や社会参加が拡大する中で,調和と安定を保つことができるのか? B戦乱や紛争に苦しむ人々が,自ら,安定した社会秩序を再生することができるのか?

8月2日・3日,遠方からも集まっていただいて,桜井ゼミ,伊豆ゼミとの「三都ゼミ合宿」を開きました.そこで私は,一つの希望と,一つの苦情を述べました.希望とは,「合宿が,新しい可能性の発見や出会いの場となって欲しい」ということ.苦情は,「若いうちから,なぜ誰も,愛や革命を語らないのか」ということです.

愛とは,特別な人への愛に限らず,自分以外の人のことを深く思い悩むことです.たとえ地球の反対側で苦しむ人たちについてであっても,若者であれば,彼らの不幸を思いやり,自分が何かしてあげられるのではないか,と責任を感じることでしょう.大人になってしまえば,私たちの関心は自分の利益だけに狭まり,少々(もっぱら?)他人を犠牲にしても自分が儲かればよい,という現実に慣れてしまいます.

革命とは,社会的な不正や間違った秩序に対して憤慨し,それを変えるべきだと主張すること,理想の社会のために行動することです.若者であれば,自分たちを抑圧する社会や,不正を受け入れてしまう大人たちに激しく抗議するでしょう.自分たちの不幸の原因を,この社会の不完全さや不公平さに求めます.大人たちは,ものごとを動かす黒幕や,権力者たちの謀議に対して,強く反発する純粋さや潔癖さを失い,秩序全体を変革しなければならない,という子供じみた主張を冷笑します.

私のゼミ生たちは,奮闘努力して,京都における現実の権力構造を探しました.景観問題・条例・高さ規制,仏教界,弁護士会,共産党,市民運動の低調さ,観光と開発,財界,組合,京都新聞,商店街,町屋研究会,設計コンペの内外に示されただけで実現しなかった駅ビルのモデル,などが報告に登場します.それらの勢力群は食指を伸ばして,互いを食い潰すようでありながら,結局,その研究班は,駅ビルの建設に権力は見出せなかった,という結論をまとめました.

彼らが描いた京都駅ビルをめぐる権力関係の複雑な立体的構造は,権力の多面性や,市民・学生に対する外皮の硬さ,現実の可能性を拓くはずの政治装置を包み込む呪縛,を感じさせました.権力は容易に見ることができない,という彼らの結論も,こうした作業を経たものであれば,一層の問題を喚起する力を持っているはずです.

さらに,もう一つの研究班は,京都御所内の迎賓館建設問題,を取り上げました.これは市民の福祉や生活改善を無視し,反対意見にまったく取り合わない,政治家と財界のあからさまな利益融合で実現した「公共」事業でした.全国から集められた税金が,外交や日本の国際戦略,御所の土地をめぐって,膨張した建設事業が進行中です.その過程で,多くの小さな反対の声は無視され,大きな利益を分け合う少数の者がいるのです.有力政治家たちの介在した土地取引を通じて,地方自治体が税金を賄賂に使ったようだ,とも紹介されます.迎賓館建設に何か(住民の側の)メリットはないのか? という質問に,何も無い,という返答は,権力に関わる者が,国民の税金を堂々と私物化する,という彼らの結論を示します.

京都の財界と府知事,金丸信(当時,衆議院議員・田中派の大物),丸金コーポレーションの介在,自民党の推進議員連盟,内閣による公共工事決定,見積もり額の膨張,宮内庁・御所の制約,建設目的の都合よい解釈,住民投票の却下,オオタカの生息を理由とした反対運動,など.この計画が誕生し,変遷し,実現にいたるまでの時間的経過を年表にして,ゼミ生たちは剥き出しの権力を見出します.

これは矛盾した結論ではないか? こんな素人の調査に何の意味があるのか?

権力は見えにくいものです.包丁や拳銃を突きつけて強制することを,私たちは権力と呼びません.正当な報酬を支払うことも,家族が互いに仲間を助けることも,権力とは言わないでしょう.なぜ一方は権力を見出せず,他方では,権力が充満し,公共の利益を無視できるのか,その理由を考えてみると面白そうだ,という伊豆先生の指摘にまったく同感です.

駅ビルの建設に1500億円,迎賓館建設には220億円かかると言います.表面的には,さまざまな取引に経済的・政治的理由が付いています.しかし,たとえ1%でも,15億と2億2000万です.工事代金を水増ししたり,材料や下請けに支払う代金を削減したりして,数%を政治家に手渡すことは容易に思えます.・・・本当に?

多分,本当です.以前からゼミ生たちに紹介しながら,自分も一部しか読んだことがなかった立花隆の『田中角栄研究・全記録(上下)』講談社文庫を合宿の前後に読みました.素晴らしい記録です.高校の現代社会にサブ・テキストとして採用してほしいです.日本の政治を動かす指導者たちが,このような金権政治によって支配されていることを,詳しく学ぶことが必要です.そして,私は二つの研究班が導いた結論も,この背景と矛盾しないことに満足しました.

田中角栄が莫大な資産と権力を得た大きな背景とは,国家による民富の略奪(戦争・インフレ・政府支出・政治献金)です.臨時軍事費という名目の軍票乱発,敗戦による軍保有物資の放出,政府契約の打ち切りに対する補償,激しいインフレと預金封鎖,駐留軍経費との結び付き,さまざまな為替レートとドルの威力,国有地の払い下げ,信濃川河川敷など,開発による地価高騰と土地転がし,ユーレイ会社を利用した脱税,政治献金という名目で賄賂を受け取り,業界に有利な法律や規制,免税制度,補助金を作ってやること.他にも,企業の乗っ取りや株式の増資,土地と銀行を使った融資の拡大,さまざまなインサイダー取引,などがあるでしょう.日本列島改造論やバブルが,こうした政治風土によって助長され,それをさらに拡大したはずです.

京都から日本へ,そして世界でも,ゼミ生たちには権力を探してもらいます.それと同時に,合理的で,理想的な,社会的秩序の実現可能性について議論してほしいと思います.

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